第83話 古代の記録が残したもの
石扉に残された最後の文字が消えてから、しばらくの間、誰も口を開かなかった。
『王位継承者が目覚めた場合――』
そこから先が記録されていない。
何を伝えようとしていたのか。
何を警告しようとしていたのか。
それを知る手掛かりは、今のところ何もなかった。
「……これ以上は、ここを調べても出てこなさそうだね」
ノアは石扉から離れた。
「周辺の装置を調べよう。扉そのものは触らない」
「賛成です」
ミレアが答える。
ノアが振り返ると、エドたち三人もまだそこにいた。
エドは石扉を警戒するように眺め、ダグは周囲の壁を確認している。リナは古代文字を紙に書き写していた。
「記録を残してるの?」
ノアが尋ねる。
「はい。全部覚えて帰れるとは限らないので」
リナは紙から顔を上げた。
「ただ、誰かに見せるつもりはありません」
「そう」
ノアはそれ以上追及しなかった。エドたちがこの情報をどうするかは、彼らの判断だ。ノア自身も、まだ誰かを信用できるほどの材料を持っているわけではない。
「エド」
「はい」
「もし、このことを人間側へ伝えるなら、少なくとも今は待ってほしい」
エドは少し考えた。
「理由を聞いても?」
「この扉の先に何があるか分からないから。人間側から大勢来られたら、ここに住んでる魔物たちが危険になる」
「……分かりました」
エドは頷いた。
「俺も、今の段階で騎士団やギルドに知らせる必要はないと思っています」
ノアは少しだけ驚いた。
「意外だね」
「俺たちにとっても、この場所は危険です。何も分からないまま大勢の人間を連れてくるのは、自分たちにも危険すぎます」
「なるほど」
エドはそれだけ言って、再び扉へ目を向けた。
「ただし、ずっと黙っていると約束したわけではありません」
「分かってる」
ノアも同じだった。
エドたちを完全に信用するつもりはない。そしてエドたちも、ノアを信用しきってはいない。今は互いに、余計な争いを避けているだけだ。
その距離感で十分だった。
クロウが突然、低く唸った。
「何か見つけた?」
クロウは石扉の横にある壁へ鼻先を向けている。
ノアが近づく。
そこには、扉とは別の小さな魔力板が埋め込まれていた。
「これも古代の装置?」
「はい。ただし、先ほどの監視記録とは構造が異なります」
ミレアが鑑定を始める。
「記録媒体と思われます」
「まだ動く?」
「微量ですが魔力が残っています」
ノアは周囲を確認した。
「どうすれば起動する?」
「中央へ魔力を流せば可能かもしれません。ただし――」
「危険?」
「記録媒体なので、大規模な危険は考えにくいです」
「じゃあ、少しだけ」
ノアが指先から魔力を流す。魔力板が淡く光った。古い文字が一つずつ浮かび上がる。
『第七接続区画』
『魔物領域との物資交換――継続』
ノアの目が見開かれた。
「物資交換?」
続いて文字が現れる。
『人間側――薬品、金属、生活物資』
『魔物側――魔石、魔力鉱、特殊素材』
ダグが驚いた顔をする。
「交易してたのか?」
リナも記録を書き写す手を止めた。
「人間と魔物が……?」
ノアは黙って魔力板を見つめた。
過去の人間と魔物は、単純に殺し合っていたわけではなかった。少なくとも、この場所では物資を交換していた。人間は薬品や金属を持ち込み、魔物側は魔石や特殊素材を渡していた。今のダンジョンには考えられない関係だ。
「続きがあります」
ミレアの声で、ノアは意識を戻した。
『交流対象――地下領域居住魔物』
『代表者――王位継承者』
『人間側代表――王国管理官』
「王位継承者……」
ノアはルナを見る。
ルナは少し離れた場所で、魔力板を静かに見つめていた。
「つまり、昔から王位継承者がこの領域を治めてたってこと?」
「可能性があります」
さらに文字が浮かび上がった。
『交易は安定』
『双方の争い――減少』
ノアは思わず息を吐いた。魔物と人間が共存していた。少なくとも、ここでは。
「じゃあ、どうして終わったんだろう」
その答えを示すように、魔力板の文字が変化した。
『緊急記録』
『人間側より通達――接続路封鎖』
『理由――不明』
『王国騎士団が接続区画へ派遣された』
そこで記録が途切れた。
「……ここから先は?」
エドが尋ねる。
ミレアが解析する。
「破損しています。後半部分は完全に失われています」
「つまり、何かが起きて交易が終わった」
「その可能性が高いです」
ノアは考え込んだ。人間と魔物は、最初から敵だったわけではない。むしろ昔は、物資を交換していた。それが突然終わった。
王国騎士団が派遣され、接続路が封鎖された。そして現在まで、その道は眠り続けている。
「何があったんだろうね」
ノアの呟きに、エドが答えた。
「分かりません。ただ……」
エドは少し迷ってから続ける。
「俺たちが今まで聞いてきた話とは、かなり違います」
「どんな話?」
「人間と魔物は昔から敵だった、という話です」
ノアは黙った。
「冒険者として育った俺も、そう教えられてきました。魔物は危険な存在で、人間を襲う。だから倒す。それが普通だって」
エドは周囲を見回した。
水場ではスライムが動き、少し離れた場所ではゴブリンたちが作業をしている。クロウは警戒しながらも、ノアのそばにいる。レグルは何も言わずに立っている。セラは周囲を確認し、ポヨンは勝手に何かを探している。
「でも、ここにいる魔物たちは、俺が知っている魔物とは少し違う」
ノアは答えなかった。
否定することもできない。
肯定するつもりもない。
「このダンジョンには、俺たちが知らないことが多すぎる」
エドはそう言った。
「だから、俺たちも勝手に判断しないようにします」
ノアはエドを見た。
「……それは助かる」
そのとき、ポヨンがぴょんと跳ねた。
ぽよん。
壁へぶつかる。
「ポヨン、今は何も触らないでね」
「ぷる?」
ポヨンは首を傾げた。
次の瞬間、壁の隙間から小さな金属箱が落ちてきた。
カラン。
「……」
全員が沈黙した。
ノアが箱を拾う。
「また?」
「ポヨンが原因の可能性は高いです」
ミレアが淡々と答える。
「開けても大丈夫?」
「魔力反応はありません」
ノアが蓋を開ける。
中に入っていたのは、古い金属製の円盤だった。表面には、人間側の紋章と魔物側の紋章が並んでいる。そして中央には、小さな文字が刻まれていた。
『交易許可証』
「……これ、当時の証明書みたいなものかな」
「おそらく」
ノアは円盤を裏返した。
裏側には、さらに小さな文字がある。
『王位継承者の承認なく、接続路を再開してはならない』
「また王位継承者……」
ノアはルナを見る。
ルナは円盤に近づくと、鼻先を少しだけ近づけた。
その瞬間、円盤の中央が淡く光る。
だが、それ以上の反応はない。
「やっぱりルナが鍵なのかな」
「可能性は高いです」
ノアは円盤を大切にしまった。
「でも、今は使わない」
古代の人間と魔物が何をしていたのか。なぜ交流が終わったのか。王国騎士団は何をしに来たのか。
まだ何も分かっていない。
分からないまま扉を開けば、同じことを繰り返す可能性もある。
「今日はここまでにしよう」
ノアが言うと、エドたちも頷いた。
「俺たちは一度、地上へ戻ります」
「妹さんのところ?」
「はい」
エドは少しだけ表情を緩めた。
「今回手に入れた魔石で、しばらく薬を買えます」
「そう。なら、気をつけて帰って」
「ありがとうございます」
エドはそう言ったが、すぐに付け加えた。
「ただ、勘違いしないでください」
「何を?」
「俺たちは、このダンジョンを信用したわけじゃありません」
ノアは少し笑った。
「私も、あなたたちを信用したわけじゃないよ」
「……それなら、お互い様ですね」
「うん」
それで十分だった。
エドたちはクロウたちの案内を受けながら、地上へ向かっていく。
ノアはその背中を見送った。
少し前までなら、人間の冒険者が帰っていくことなど何とも思わなかった。
だが今は違う。
この洞窟には、過去に人間と魔物が共存していた痕跡がある。
そして、その関係が何らかの理由で壊れた。
それが何だったのか。
ノアは少し気になっていた。
「ミレア」
「はい」
「昔のこと、もっと調べられる?」
「可能です。ただし、古代施設の記録は破損が多く、時間が必要です」
「分かった。急がなくていいよ」
ノアは地下の広間を見回した。
魔物たちが暮らしている。
資源が増えている。
ルナの周囲には、少しずつ仲間が集まり始めている。
この場所をどうしていくのか。
その答えはまだ決まっていない。
ただ、過去に人間と魔物が共存していたのなら――。
「……もしかしたら、未来もそうできるのかな」
ノアは小さく呟いた。
しかし、すぐに首を振った。
「いや。今はそんな先のことより、セラの配合だね」
地下施設へ戻る。
配合炉の前には、すでにセラが待っていた。
「ノア様。次の配合について、準備を進めてもよろしいでしょうか?」
「うん。月喰い花の素材も揃ったし、そろそろ始めよう」
セラが頷く。
ガルド、レグルも訓練を終えて戻ってきた。
そして、もちろんポヨンもついている。
ノアは素材庫を開いた。
月喰い花の花弁。
月光魔力液。
高純度魔力結晶。
さらに、以前から集めていた魔力系素材。
その中央には、不思議な店で手に入れた黒い特性増幅触媒とは別に、セラの魔力特性と相性の良い素材が並んでいる。
「これなら、セラをもっと強くできる」
ノアが素材を見つめる。
セラも静かに自分の手を握った。
「ノア様。私は、皆を守れる力が欲しいです」
「うん」
「攻撃するためだけではありません。ガルドやレグルが戦うなら、私はその力を支えたい。傷ついた仲間がいるなら、治したい。そして、このダンジョンに暮らす魔物たちが増えるなら、その生活を支えられる力も欲しいです」
ノアは少し驚いた。
セラが求めているのは、単純な魔力量だけではない。
魔法そのものを極めようとしている。
「じゃあ、決めた」
ノアは配合炉へ手を置いた。
「セラは、ただ魔力が多いだけの魔物にはしない」
炉の奥で、青白い光が灯る。
「魔力を操る力そのものを、極限まで伸ばそう」
セラが静かに頷いた。
「はい。お願いします」
その横で、ポヨンが嬉しそうに跳ねる。
ぽよん。
ノアは振り返った。
「ポヨンは何もしなくていいからね」
「ぷる?」
「本当に何もしないでね」
「ぷる……」
なぜか少し寂しそうに揺れるポヨンを見て、ノアは苦笑した。
次はいよいよ、セラの配合だ。
そしてその配合には、これまで集めてきた魔力素材だけではなく、古代施設で見つかった未知の技術まで関わることになる。
地下のダンジョンは、また一つ新しい段階へ進もうとしていた。




