第82話 封鎖された道の向こう側
巨大な石扉の前で、ノアは刻まれた文字をじっと見つめていた。
地下深くに隠されていた古代施設。その最奥で見つかった石扉には、今まで見たことのない複雑な術式が刻まれている。扉の中央には王冠にも似た紋章があり、その周囲を何重もの魔力回路が取り囲んでいた。
「人界接続路……」
ノアが小さく読み上げる。
「これって、人間の世界に繋がってるの?」
「正確には、そうとは限りません」
ミレアの答えに、ノアは首を傾げた。
「どういうこと?」
「現在の洞窟入口からも、人間側へ繋がる地上への経路は存在しています。これまで侵入してきた冒険者たちも、そこから入っています」
「そうだよね」
エドたちもそうだった。
ガレスたちもそうだった。
そもそも、この洞窟が人間に発見されている以上、普通の意味での『人間世界との接続』はすでに存在している。
なら、この古代施設が示している『人界接続路』とは何なのか。
「この名称は、現在の入口とは別系統の特殊経路を指している可能性があります」
「特殊経路?」
「はい。単純な洞窟の通路ではありません。古代の魔力術式によって、人間側の特定地点とこの地下領域を直接結んでいた可能性があります」
ノアは石扉を見た。
「つまり、昔はここから人間側のどこかへ直接行けた?」
「その可能性があります」
「じゃあ、今の入口とは別物なんだ」
「その認識が適切です」
ノアは少し考えた。
それなら、扉が封鎖されていることにも納得できる。
現在の洞窟入口は、普通の冒険者が出入りできる。
だが、この古代の経路は違う。
人間側の特定の場所と直接繋がるのであれば、こちらから向こうへ移動することも、向こうからこちらへ大規模に人が入ってくることもできたはずだ。
「昔は、これを使って人間と魔物が行き来してたのかな」
「現時点では判断できません。ただ、人工的に作られた痕跡がある以上、何らかの目的で利用されていた可能性は高いです」
ノアは周囲を見回した。
この地下領域には、自然に生きる魔物たちが増えている。
ルナの周囲には多くの魔物が集まり、ガルドやレグルたちは訓練を続けている。
かつてここに人間が出入りしていたのなら、今とはまったく違う時代があったのかもしれない。
「じゃあ、開けてみる?」
「推奨しません」
「即答だね」
「接続先が不明だからです。現在の人間側のどこに繋がっているのかも、そこに何が存在するのかも分かりません」
「確かに」
ノアは扉から一歩離れた。
「それに、今はまだ開ける必要もないしね」
「はい」
ノアが振り返る。
「クロウたちは?」
少し離れたところで、クロウが壁の周辺を調べている。ルゥは地面の匂いを嗅ぎ、モラは壁際の土を掘りながら何かを探していた。
やがてクロウが何かを咥えて戻ってきた。
「これ?」
ノアが受け取る。
古びた金属片だった。
錆びているものの、自然にできた鉱物ではないことはすぐに分かる。
「ミレア、鑑定できる?」
「加工された金属です。魔力付与の痕跡があります。かなり古いものですが、武具か装置の部品だった可能性があります」
ノアは金属片を裏返した。
そこには、小さな紋章が刻まれていた。
「剣と盾……?」
「人間側の組織が使用していた可能性があります」
続いてルゥが戻ってくる。
その口には、古びた布切れが咥えられていた。
ノアが受け取ると、そこにも同じ紋章が薄く残っている。
ただし、布の一部は黒く焼け焦げていた。
「戦った跡かな」
「可能性はあります」
ノアは黙って布を見つめる。
この場所には、確かに人間が来ていた。
しかも、ただ通過しただけではない。
何らかの争いが起きた可能性がある。
そのときだった。
通路の奥から、人の声が聞こえた。
「……誰かいるのか?」
ノアが振り返る。
エドたちだった。
エド、ダグ、リナの三人が慎重にこちらへ歩いてくる。
ノアは一瞬だけ警戒した。
エドたちも同じだった。
以前なら、互いにもっと距離を取っていたかもしれない。
実際、今も三人はノアへ近づきすぎてはいない。
エドはノアの背後にいるガルドやレグルを確認し、それから石扉へ視線を向けた。
「地下から、かなり大きな魔力を感じました」
「それで戻ってきたの?」
「はい。ただ……」
エドは少し間を置いた。
「ここで何かを見つけたなら、俺たちにも教えてほしいとは思っています」
ノアは目を細める。
「どうして?」
「俺たちがこの洞窟を安全な場所だと思っているわけじゃありません」
エドははっきりと言った。
「むしろ逆です。俺たちは、この洞窟が普通のダンジョンじゃないと考えています」
ダグが周囲を見回す。
「普通のダンジョンなら、魔物がこんなふうに組織的に動かない。あのガルドだって、明らかに誰かの指示を受けていた」
リナも頷いた。
「それに、古代施設まで出てきましたから」
ノアは少しだけ警戒を強めた。
エドたちがノアを信用していないことは分かる。
そしてノアも、彼らを全面的に信用しているわけではない。
だが、今のところ互いに戦う理由はない。
「これを見つけた」
ノアは拾った金属片を見せた。
エドが受け取る。
「……これ、王国の古い紋章に少し似ています」
「知ってるの?」
「完全に同じではありません。ただ、剣と盾を組み合わせた紋章は、昔の王国騎士団が使っていた意匠に近いです」
ノアの表情が変わった。
「王国騎士団?」
「はい。ただし、今のものとは違います。かなり古い形式だと思います」
エドが金属片を返す。
「この場所に、昔の騎士団が来ていたんですか?」
「分からない」
ノアは正直に答えた。
「でも、何かがあったのは間違いないと思う」
エドは石扉を見上げた。
「人界接続路……」
「これは普通の入口じゃないよ」
ノアが説明する。
「昔、人間側の特定の場所と、この地下を直接結んでいた特殊な経路だったみたい」
「なるほど……」
エドはしばらく黙っていた。
「だったら、今の入口とは別なんですね」
「そう」
「それなら納得できます」
エドは石扉から少し距離を取った。
「この道を開けるのは、やめたほうがいいと思います」
ノアが意外そうに見る。
「あなたたちは開けたいんじゃないの?」
「知りたいとは思います。でも、知りたいからといって、開けていいとは思いません」
エドの言葉に、ダグも頷いた。
「向こうに何があるか分からない。しかも古代の道なんだろ? 変な魔物や罠が残っててもおかしくない」
リナも術式を見ながら呟く。
「それに、もし今でも人間側の施設と繋がっていたら……こちらから何かを送り込むことも、向こうから何かが来ることもできます」
ノアは三人を見る。
以前なら、ここまで話すことはなかった。
だがエドたちは、ノアに全面的に協力しようとしているわけでもない。
ただ、自分たちが巻き込まれる可能性のある危険を判断している。
その距離感は、むしろ自然だった。
「分かった。今は開けない」
「それがいいと思います」
エドが頷く。
そのとき、ルナが石扉の前へ歩いていった。
「ルナ?」
黒い身体が扉の中央へ近づく。
王冠のような紋章が、かすかに光った。
ノアが息を呑む。
ミレアも反応した。
「王位継承因子に反応しています」
「やっぱり、ルナが関係してるんだ」
だが扉は開かない。
光もすぐに消えた。
「承認条件を満たしていないようです」
「つまり、ルナが王になれば開けられる可能性があるってこと?」
「その可能性はあります」
エドたちもその言葉を聞いていた。
ダグがルナを見る。
「王になる魔物……か」
リナは何も言わなかった。
エドだけが、少し複雑な表情でルナを見つめていた。
「もし本当にその子が、この地下にいる魔物たちの王になるなら……」
「なるなら?」
ノアが聞く。
「人間側と魔物側の関係も、変わるかもしれません」
その言葉に、ノアは答えなかった。
今のところ、自分はただ洞窟を守っているだけだ。
ルナが王になる未来も、まだ遠い話に思える。しかし、この地下には明らかに過去がある。
人間と魔物が接触していた痕跡。
古代の施設。
王位継承者に反応する扉。
そして、その先に残された何か。
「もう少し調べよう」
ノアが言った。
「ただし、扉は開けない。周辺の記録だけ探す」
「分かりました」
エドは頷いた。
その声には、以前よりわずかに協力的な響きがあった。それでも、距離は保っている。エドたちはノアの仲間ではない。ノアもエドたちを仲間だとは思っていない。今はただ、互いに危険を避けるために情報を共有しているだけだ。
そのときだった。
石扉の横にある古い魔力板が、突然淡く光った。
「何?」
ノアが近づく。
表面に文字が浮かび上がった。
『人界接続路・監視記録』
ノアは息を止めた。
さらに文字が続く。
『最終記録――人間側からの接触あり』
エドたちの表情が変わる。
「人間側から……?」
ミレアが文字を読み取る。
「続きがあります」
次の一文が浮かび上がった。
『接触者――王国騎士団』
ダグが息を呑んだ。
「昔の騎士団が、ここまで来てたってことか」
「その可能性が高いです」
そして最後に、もう一行だけ文字が現れた。
『王位継承者が目覚めた場合――』
そこで、文字が途切れた。
「……続きは?」
リナが呟く。
魔力板は沈黙した。
ノアはしばらく動かなかった。
この地下領域には、かつて人間が訪れていた。しかも、王国騎士団がこの古代経路を使って何かを確認していた。そして最後の記録には、王位継承者の存在が記されている。
「ルナが王になることと、この道には関係があるのかもしれないね」
ノアが呟く。
ルナは答えない。
ただ、黒い瞳で石扉を見つめている。
やがて小さな身体を反転させ、ノアの足元へ戻ってきた。
「……まだ開けなくていいよね」
ノアがしゃがみ込む。
ルナは尻尾を揺らした。
「そうだよね」
ノアは立ち上がった。
この先に何があるのかは、まだ分からない。
けれど、急いで確かめる必要もない。
今はこの洞窟を強くすること。
仲間たちを守ること。
そして、ルナが進む未来を見届けること。
それが先だった。
エドたちも、しばらく石扉を眺めていた。
彼らがこの情報を誰かに伝えるのか。
ノアには分からない。
ただ一つ確かなのは、この古代の道が開くときには、現在のダンジョンだけではなく、人間側の世界にも何かが起こる可能性があるということだった。




