第75話 選ばれた王と、選ばれなかった運命
地下室に漂っていた光が、ゆっくりと消えていく。
最後まで残っていたのは、運命転換炉の中央に浮かぶ小さな光だけだった。
ノアはルナを抱いたまま、その光を警戒して見つめていた。
「適合対象……候補、一体」
その言葉が頭から離れない。
ルナは何も気にしていないようだった。ノアの腕の中で小さく欠伸をし、黒い尻尾を揺らしている。
「ルナは、これをどう感じてるのかな」
ノアが尋ねる。
当然、答えはない。
ただ、ルナは運命転換炉から視線を逸らさなかった。
「にゃ……」
いつもの鳴き声とは少し違う。
警戒しているようにも見える。
その時、ミレアが装置の表示を調べ始めた。
「先ほどの反応を整理してみます」
「お願い」
「運命転換炉は、ルナを強制的に変化させようとしたわけではないようです」
ノアが少しだけ安心する。
「じゃあ、何だったの?」
「おそらく、適合性を確認しただけです」
「適合性?」
「はい。この施設が持つ機能を、対象が受け入れられるかどうか。その確認だったのではないでしょうか」
ノアはルナを見る。
「つまり、ルナなら運命転換炉の力を使えるかもしれない?」
「その可能性は高いと思います」
「でも、ルナはまだ何も変わってないよね」
「はい」
ミレアが頷いた。
「そこが重要です。適合していることと、実際に機能を使用することは別です」
ノアは少し考えた。
それなら、今すぐ使う必要はない。
ルナにはすでに王位継承候補としての特別な力がある。そこへ未知の古代施設の力まで重ねる必要はなかった。
「じゃあ、保留でいい」
ノアははっきり言った。
「ルナに何か必要になった時まで、この施設は触らない」
「賛成です」
ミレアが答えた。
その時。
背後から声がした。
「本当に、それでいいのか?」
ノアが振り返る。
「えっ!?」
そこにいたのはエドだった。
ダグとリナもその後ろにいる。
「エド?」
「いや……俺たちには詳しいことは分からない。でも、あの装置がその黒猫に反応したのなら、何か意味があるんじゃないかと思って」
ノアは黙ってルナを見る。
確かにそうだ。
古代施設が偶然ルナを選んだとは考えにくい。
だが、それと「今使うべき」という話は別だった。
「意味はあると思う」
ノアは答えた。
「でも、意味が分からないまま力だけ使うのは違うと思う」
エドは少し考えたあと、頷いた。
「そうですね」
ダグも腕を組む。
「俺も、訳の分からん古代装置に仲間を突っ込ませるのは反対だ」
「仲間って……」
ノアは一瞬だけ驚いた。
この三人は、最初にこの洞窟へ入ってきた時とは少し変わっている。
最初は妹を救うために魔力結晶を求めていた冒険者だった。
それが今では、洞窟の魔物を助け、ポヨンを守り、地下施設の異変まで一緒に見ている。
「変な人たち」
ノアは笑った。
その時だった。
突然、地下室の壁が淡く光った。
全員が振り返る。
そこに、新しい文字が浮かび上がった。
『対象変更』
「……え?」
ノアが目を疑う。
さっきまで表示されていた「候補――一体」が消えている。
代わりに、新しい文字が並んでいく。
『適合対象――未定』
『転換対象――未定』
『観測対象――四体』
ノアは首を傾げた。
「四体?」
ミレアがすぐに確認する。
「おそらく……四精鋭です」
その言葉と同時に、地下室へ集まっていた四体へ淡い光が伸びた。
ガルド。
レグル。
セラ。
ポヨン。
四体の身体を順番に照らしていく。
ガルドは警戒するように身構えた。
レグルは動かない。
セラは魔力を集中させる。
そしてポヨンだけは――。
「ぽよ?」
光に包まれながら、いつも通り首を傾げていた。
ノアは頭を抱えた。
「……なんでポヨンは平気なの」
ミレアが苦笑する。
「慣れているのでは?」
「何に?」
「こういう意味不明な現象に」
否定できなかった。
これまでにも、ポヨンが関わった出来事は数え切れない。
魔力を育てる土で育った紫色の果実を食べたこと。
地下施設を偶然見つけたこと。
巨大魔力結晶を見つけたこと。
そして、運命転換炉を起動させたこと。
ポヨン自身には何か特別な目的があるわけではない。
ただ歩いて、転んで、触って、食べているだけだ。
それでも結果だけを見ると、洞窟の重要な出来事の中心にいる。
「……まさか」
ノアは一つの可能性を考えた。
「この施設って、未来を変えるんじゃなくて……」
「はい?」
「その個体が持ってる可能性を、見つける施設なんじゃない?」
ミレアが目を見開く。
「可能性を……?」
「だって、昨日の魔物もそうだった。身体を急激に強化したわけじゃない。ただ、いつもと違う道を選んだ。それで古い設備を見つけた」
ノアは運命転換炉を見る。
「もしこの施設が、何かを無理やり変えるんじゃなくて、その存在が本来持っている可能性の一つを引き出すものだったら?」
ミレアは黙り込んだ。
しばらくして、ゆっくりと頷く。
「……理屈としては成立します」
「だったら、四精鋭が観測対象なのも分かる」
ガルドたちは、すでに普通の魔物ではない。
ガルドは召喚石から得たブレイズグリフォンの力を配合によって取り込み、圧倒的な攻撃力を得た。
レグルは防御。
セラは魔法。
ポヨンは幸運。
それぞれが違う可能性を持っている。
そして運命転換炉は、その可能性を観測している。
「でも、だからって使う必要はないよね」
ノアは四精鋭を見る。
「強くするなら、今まで通り配合でいい。何が起きるか分からない力に頼る必要はない」
ガルドが低く唸った。
「グルル」
ノアには、その声が肯定に聞こえた。
その時。
運命転換炉の表示が変わる。
『観測完了』
『四個体――可能性確認』
『転換処理――不要』
ノアは目を丸くした。
「……不要?」
さらに文字が続いた。
『現時点において、対象は自身の可能性を十分に発揮している』
地下室が静まり返る。
ノアは四精鋭を見る。
「……なんだ、それ」
思わず笑ってしまった。
古代の超巨大施設に、何をされるのかと警戒していた。
ところが実際に出てきた答えは――今のままで十分、だった。
ポヨンが嬉しそうに跳ねる。
「ぽよ!」
「ポヨン、あなたはたぶん何も分かってないでしょ」
「ぽよ?」
ノアは笑いながらポヨンを抱き上げた。
だが、その時。運命転換炉の奥から、小さな音が響いた。
カチッ。
ノアの笑顔が止まる。
ミレアも振り返った。
「今の音……」
古代装置のさらに奥。これまで光っていなかった部分に、一本の細い光が灯った。
そこには文字があった。
『第二炉――待機中』
ノアは言葉を失った。
「……第二炉?」
ミレアが呆然と呟く。
「まさか、この施設……一つだけではない?」
地下の奥深く。
誰にも知られていなかった古代施設の一部が、静かに目を覚ました。
そして今回、起動したのは運命転換炉そのものではなかった。
そのさらに奥に眠っていた、別の炉だった。




