第72話 運命転換炉の起動条件
地下深くにある石造りの部屋に、低い振動音が響いていた。
巨大な石の扉。その中央に刻まれた文字――『運命転換炉』。
ポヨンは扉の前で、いつものように首を傾げている。自分が何か特別なことをしたという自覚はない。ただ大きな結晶が気になって触っただけで、気がつけば地下への階段が現れ、今度は見たこともない古代施設まで目の前に現れた。
その横ではクロウが警戒するように周囲を見回していた。黒い毛並みと額の角が、古代の魔力に照らされて不気味な影を床へ落としている。
「……何なの、これ」
少し離れた場所からノアが呟いた。
ミレアも答えを出せず、扉をじっと見つめている。
「名称だけなら、かなり特殊な施設ですね。ですが、どういう機能なのかは……まだ判断できません」
「運命転換炉、って名前が怖いんだけど」
「同感です」
ノアは苦笑した。
古代施設というだけなら、これまでにもいくつか見つけている。魔力を保存する設備や、古い設備の残骸。配合に関係する施設もあった。
だが、今回の名前は明らかに異質だった。
運命。
そんなものを扱う施設が、この洞窟の地下に眠っていた。
その時だった。
ゴウン。
部屋の奥から、さらに大きな音が響いた。
石の扉の向こう側で何かが動いている。
ポヨンの身体がびくっと跳ねる。
「ぽよっ?」
逃げようとしたポヨンだったが、足元に転がっていた小石を踏んだ。
ころころと転がった石は、床に刻まれた溝へ入り込む。
カチッ。
小さな音がした。
次の瞬間、床の一部が淡く光った。
「……え?」
ノアが目を丸くする。
ミレアがすぐに反応した。
「今のは……!」
光は床に刻まれた線を伝わり、円形の魔法陣へ集まっていく。その中心には、いつからそこにあったのか分からない小さな台座があった。
台座の上には、拳ほどの大きさの透明な結晶が浮かび上がる。
しかし、その結晶は普通の魔力結晶ではなかった。
色がない。
透明なのに、見ているとその奥で無数の光景が流れているように見える。
「未来……?」
ノアが思わず呟いた。
だがミレアは首を横に振った。
「いえ。未来そのものではないと思います。可能性……でしょうか。複数の結果が重なって見えているような……」
ノアは結晶を見つめた。
右へ進む。
左へ進む。
扉を開く。
戻る。
戦う。
逃げる。
いくつもの光景が一瞬だけ浮かび、そして消えていく。
「これって……」
ノアは息を呑んだ。
「起こり得る結果を変える……?」
ミレアが黙り込む。
それは、今までノアが頼ってきた幸運とは少し違う。
ポヨンが偶然見つける。
石が偶然転がる。
敵が偶然足を滑らせる。
そういった出来事そのものを生み出すのではなく、その中から起こりやすい結果を別の方向へ動かす。
もしそうなら――。
「そんなの、使えたら凄すぎない?」
「だからこそ、簡単には使えない仕組みなのだと思います」
ミレアの言葉と同時に、魔法陣の光が弱くなった。
そして古代文字が浮かび上がる。
『起動条件――未達』
「……未達?」
ノアが眉を寄せる。
さらに文字が続いた。
『転換対象――未指定』
『供給運――不足』
『炉心――休眠』
三つの文章が浮かび、すぐに消える。
「なるほど」
ミレアが考え込む。
「少なくとも、今すぐ動かせる施設ではありませんね」
「でも、条件があるってことは、動かせるんだよね?」
「おそらくは」
ノアは少しだけ安心した。
いきなりとんでもない装置が起動して、洞窟中の運命が変わるような展開ではないらしい。
だが、その直後。
ぽよ。
ポヨンが台座の横へ近づいた。
そして、浮かんでいた透明な結晶に鼻を近づける。
「ちょっと、ポヨン。勝手に触らないで――」
言い終わる前に、ポヨンが結晶へ鼻を当てた。
瞬間。
パァンッ!
強烈な光が地下室を包み込んだ。
ノアは反射的に目を閉じる。
クロウが低く唸り、ポヨンの前へ身体を滑り込ませた。
しかし爆発は起きなかった。
光が収まったあと、そこにいた全員が目を疑った。
先ほどまで『供給運――不足』と表示されていた文字が変化していた。
『供給運――微量』
ミレアが絶句する。
「……ポヨンが、条件の一つを満たしました」
「え?」
ノアはポヨンを見る。
本人は何事もなかったように座っている。
「ぽよ」
「いや、何したの?」
「ぽよ?」
聞いても当然答えはない。
ノアは頭を抱えた。
まただ。
またポヨンが、意味の分からないことをやってしまった。
しかし、古代施設は確かに反応している。
しかも『供給運』という言葉。
それが何を意味するのか、ノアにも少しだけ予想がついた。
「……もしかして、この炉って」
ミレアが続きを口にする。
「運を消費する施設……かもしれません」
その言葉に、ノアの表情が変わった。
「じゃあ、使えば使うほど、ポヨンの幸運が減る?」
「まだ分かりません。ただ、そういう可能性はあります」
ノアはすぐに首を横に振った。
「それなら、無理に使う必要はないね」
ポヨンはノアを見上げた。
ノアはしゃがみ込み、その頭を撫でる。
「ポヨンの幸運は、ポヨンのものだから。洞窟を強くするために無理して使わせるつもりはないよ」
「ぽよ……」
ポヨンが嬉しそうに目を細めた。
その時だった。
背後から足音が響いた。
ノアたちが振り返る。
地下への階段を下りてきたのは、エドたち三人だった。
エドが息を切らしながら周囲を見回す。
「ポヨン!」
ポヨンが振り返る。
「ぽよ!」
「無事だったか……!」
エドは胸を撫で下ろした。
ダグも続いて地下室へ入り、巨大な石の扉を見上げる。
「なんだ、ここ……」
リナは魔力の流れを探るため、杖を構えた。
そしてすぐに顔を強張らせた。
「この魔力……普通じゃない」
ノアは三人を見る。
敵ではない。
少なくとも、今までの行動を見る限りそう判断できる。
だからこそ、ここで追い返す必要もない。
「エド」
「はい」
「この先は危険かもしれないよ」
エドは一瞬だけ迷った。
だが、すぐに頷いた。
「分かっています。でも、ポヨンが危険なら助けます」
ノアは少し驚いた。
自分たちを襲う可能性のあるダンジョンモンスターを助ける。
普通の冒険者なら、そんな判断はしない。
けれどエドたちは違った。
「……変な冒険者」
ノアが小さく笑う。
その横でミレアが古代文字を再び確認していた。
すると、先ほどはなかった新しい文字が浮かび上がる。
『次段階――運命転換炉、仮起動』
ノアの笑みが消える。
「え?」
床の奥から、低い振動音が響いた。
ゴウン……。
ゴウン……。
まるで巨大な何かが、長い眠りから目を覚ますように。
古代施設のさらに奥で、何かが動き始めていた。
そして次の瞬間、壁の一部に新たな文字が浮かび上がった。
『転換対象を選択してください』
ノアはその文字を見つめたまま固まった。
「……選択って」
ミレアが青ざめた顔で答える。
「どうやら、この施設はまだ完全には起動していません。しかし……」
「しかし?」
「誰かが対象を選べば、何かを変えられる状態になったようです」
地下室に沈黙が落ちる。
ノアは表示された文字を見つめた。
そして、ゆっくりと首を振った。
「今は、選ばない」
古代の施設は何も答えない。
ただ、静かに光を灯していた。
「分からないものを、分からないまま使うのは怖いからね」
ノアはそう言って、ポヨンを抱き上げた。
「まずは、この洞窟の中に何が眠っているのか調べよう」
その判断に、ミレアも頷いた。
だが――。
エドたちはまだ知らない。
この地下施設の起動によって、洞窟のどこかで眠っていた古代の装置が一つ、すでに目を覚ましていたことを。
そして、その装置が最初に選んだ転換対象は――この地下室にいる誰でもなかった。




