第71話 目覚めた古代の魔力
洞窟の奥で、何かが動いた。
音は小さかった。岩が崩れたわけでも、巨大な魔物が歩き出したわけでもない。ただ、地下深くを流れていた魔力が、一瞬だけ大きく脈動した。
その変化を最初に感じ取ったのは、ポヨンだった。
「ぽよ?」
巨大な魔力結晶へ前足を置いたまま、ポヨンが首を傾げる。
結晶の内部を走る光が、さっきまでとは違っていた。
一定方向へ流れていた魔力が、複雑な紋様を描きながら地下へ吸い込まれている。
ポヨンには、それが何を意味するのか分からない。
ただ、なんとなく面白そうだった。
もう一度、前足で結晶を叩く。
コツン。
その瞬間、地下から低い振動が返ってきた。
ドン……。
「ぽよ?」
今度はポヨンも少し驚いた。
少し離れたところで見張っていたクロウが、すぐに立ち上がる。
「グルル……」
クロウは周囲を見回した。
敵の気配はない。
だが、何かがおかしい。
地面の下。
そこから、確かに魔力が動いている。
クロウは鼻先を地面へ近づけ、それから耳を立てた。
さらに深い場所から、かすかな音が聞こえてくる。
カチ……。
カチ……。
まるで、長い間止まっていた何かが、ゆっくり動き始めたような音だった。
その頃、私は監視画面を見ながら固まっていた。
「……今の、何?」
『地下深部で魔力反応が発生しました』
「原因は?」
『現時点では不明です』
ミレアが珍しく即答しなかった。
それだけで、私は少し警戒した。
「巨大結晶が原因?」
『可能性は高いですが、それだけでは説明できません』
「どういうこと?」
『巨大結晶から地下へ流れ込んだ魔力が、何か別の装置へ接続されたような反応を示しています』
「装置?」
『はい』
私は画面を拡大した。
巨大結晶の周囲には、特別な施設など何も見えない。
ただの岩壁。
地下深くに埋まった結晶。
そして、その周辺をうろうろしているポヨン。
「……ポヨンが触ったから?」
『その可能性があります』
「またポヨン?」
『またポヨンです』
「……本当にこの子、何なの?」
私は思わずため息をついた。
ポヨンは何も知らずに結晶の周りを歩いている。
そして、尻尾で小さな石を弾いた。
コロコロと転がった石が、岩壁の小さな窪みに入る。
カチッ。
地下で何かが反応した。
ゴゴゴゴゴ……。
今度は明確な地響きだった。
クロウが身構える。
ポヨンもその場で固まった。
「ぽよ……」
巨大結晶の根元に、細い亀裂が走った。
だが、結晶そのものが割れたわけではない。
その下。
岩盤がゆっくりと左右へ開いていく。
そこから現れたのは、階段だった。
地下へ向かう階段。
石造りの古い階段には、長い年月を感じさせる埃が積もっている。
壁には見たことのない紋様が刻まれていた。
クロウが階段の前まで近づく。
しばらく様子を見た後、低く唸った。
「グル……」
ポヨンが階段を覗き込む。
「ぽよ?」
一歩。
ポヨンが階段を下りた。
「待って!」
私は思わず画面に向かって声を上げた。
もちろんポヨンには聞こえない。
ミレアが静かに言う。
『ノア様』
「分かってる。クロウに追わせて」
『承知しました』
クロウがポヨンの後を追う。
二体の姿が地下へ消えていく。
私は新しく開いた地下階段を見つめながら考えた。
このダンジョンには、以前から古代施設が存在していた。
魔力貯蔵設備もそうだった。
ルナが開いた「王位継承者のための試練」もそうだ。
つまり、この洞窟は最初からただの洞窟ではない。
私がダンジョンマスターになるずっと前から、何者かがここで何かを作っていた。
「……また古代施設かな」
『可能性は高いです』
「今度は何があるんだろう」
『現時点では不明です』
その答えを聞いた瞬間、私は少しだけ期待してしまった。
最近はずっとダンジョンの設備を直したり、魔物を強化したりしていた。
新しい施設が見つかれば、さらにダンジョンを発展させられるかもしれない。
ただし、私はすぐには地下へ向かわなかった。
まずは安全確認が必要だ。
「クロウから何か分かるまで待とう」
『はい』
その頃。
ガルドに案内される形で、エドたちは別の通路を歩いていた。
先ほどの戦闘から離れ、少し静かな場所まで移動している。
「……あの魔物、本当に俺たちを逃がしたのか?」
エドが前を歩くガルドを見ながら言った。
「そう見えるね」
リナが答える。
「でも、どうして?」
ダグが首を傾げる。
誰も答えられない。
ただ、ガルドは一定の距離を保ったまま歩いている。
こちらを振り返ることもある。
まるで、ちゃんとついてきているか確認しているようだった。
「変なダンジョンだな」
ダグが呟いた。
「普通なら、あんな強い魔物が俺たちを見逃す理由なんてない」
「……もしかしたら」
リナが口を開いた。
「私たちを追い出そうとしているんじゃない?」
「追い出す?」
「うん。これ以上奥へ行かないように、別の道へ誘導してる」
エドが考える。
「それなら納得できる」
妹の治療薬を手に入れるために、エドはまだ諦めていない。
しかし、あの巨大な魔力結晶を奪うことが、このダンジョンを敵に回すことになるのも分かっていた。
「……でも、ここまで来たんだ」
エドが袋を確認する。
中には先ほど手に入れた魔力結晶がある。
「これだけあれば、妹の薬はしばらく買える」
「じゃあ、一度戻る?」
リナが尋ねた。
エドは迷った。
あと少し。
もう少しだけ探せば、さらに結晶を見つけられるかもしれない。
そうすれば、妹の治療を安定させられる。
しかし、ガルドの強さを見た後では、これ以上無理をすることが危険だということも理解していた。
「……戻ろう」
エドが言った。
ダグが驚いた顔をする。
「本当に?」
「ああ。今ある結晶を持って帰れば、少なくとも妹の薬は買える。それなら、一度戻ったほうがいい」
リナが微笑んだ。
「うん。それがいいと思う」
三人が踵を返す。
だが、その瞬間。
遠くから、再び地響きが聞こえた。
ゴゴゴゴゴ……。
「……何だ?」
ダグが振り返る。
リナが探知魔法を使う。
「待って」
「どうした?」
「魔力が……動いてる」
「どこで?」
「私たちが来た方向。さっきの巨大結晶があった場所」
エドの顔が曇る。
「また何か起きたのか?」
ガルドも足を止めていた。
そして、初めて明確に振り返った。
その視線は、先ほどまでとは違う。
警戒している。
ガルドが低く唸った。
「グルル……」
エドたちは互いに顔を見合わせた。
「……あの魔物が警戒するってことは、相当だぞ」
ダグが斧を握る。
「どうする?」
リナが尋ねる。
エドは迷った。
自分たちはもう帰るつもりだった。
妹のために必要な魔力結晶も手に入れた。
それなのに、なぜか足が止まる。
そして、その理由は単純だった。
「……あの場所に、さっきの小さい魔物がいる」
エドはポヨンの姿を思い出していた。
自分たちを助けるために残ったわけではない。
ただ逃げていただけかもしれない。
それでも、あの小さな魔物が巨大な魔物に追われていたことは確かだ。
「戻るぞ」
「エド!」
「少しだけ確認する。危険ならすぐに戻る」
ダグはため息を吐いた。
「本当にお前は……」
リナも苦笑する。
「そう言うと思った」
三人は再び奥へ向かう。
ガルドも先頭へ戻った。
その姿を見ながら、私は監視画面の前で少し驚いていた。
「……戻ってきた」
『はい』
「どうして?」
『彼らの性格によるものかと』
「そうだよね」
私は小さく笑った。
侵入者なのに、妙に放っておけない。
エドたちがそういう人間だからなのか。
それとも、これも何かの幸運なのか。
私にはまだ分からなかった。
その頃、地下階段を下りていたクロウとポヨンは、ついに最下段へ到着していた。
そこには巨大な石造りの扉があった。
扉の中央には、見たことのない紋章が刻まれている。
王位継承者の紋章とも違う。
古代の魔力貯蔵設備に刻まれていたものとも違う。
クロウが扉へ近づく。
ポヨンも隣へ並ぶ。
「ぽよ……」
ポヨンが扉に触れた。
すると――。
扉の紋章が、淡い紫色に輝いた。
そして石の向こう側から、古代の機械が長い眠りから目を覚ますような音が響いた。
カチッ。
カチカチッ。
ゴウン……。
扉の奥で、巨大な魔力が循環を始める。
同時に、ダンジョン全体の魔力がほんのわずかに揺れた。
その変化を感じ取った私は、立ち上がった。
「……これ、ただの倉庫じゃない」
ミレアも沈黙している。
やがて扉の表面に、古代文字が浮かび上がった。
私は画面を拡大した。
「……何て書いてあるの?」
ミレアが文字を解析する。
数秒後。
『ノア様』
「うん」
『これは……施設名ではありません』
「じゃあ何?」
ミレアが読み取った文字を、そのまま告げる。
『――「運命転換炉」』
私は思わず目を見開いた。
そして同時に、ポヨンが扉の前で嬉しそうに跳ねた。
「ぽよっ!」
長い間眠っていた古代施設が、再び動き始めた。




