第70話 灼熱の牙と岩の巨獣
巨大な岩石の魔物と、炎のような魔力をまとったガルド。二体が向かい合った瞬間、洞窟の空気が明らかに変わった。
先ほどまでエドたちを押し潰そうとしていた岩石の魔物が、初めて動きを止めたのである。額に埋め込まれた魔力結晶が赤黒く明滅し、全身の岩肌から細かな石の粉がこぼれ落ちていく。
ガルドは唸り声を上げながら、ゆっくりと前へ進んだ。その足元では、熱によって小さな水滴が蒸発し、白い煙が立ち上っている。
「……あれ、味方なのか?」
エドが剣を構えたまま尋ねた。
「分からない。ただ、私たちを見ていない」
リナは探知魔法を維持しながら答えた。彼女の視線はガルドではなく、二体の魔物の間を行き来している。
「ガルドって呼ばれていたな。さっき、あの黒い狼と一緒にいた魔物だ」
ダグが斧を握り直す。
「でも、あの大きさ……本当に同じ魔物か?」
以前のガルドも、エドたちが簡単に勝てる相手ではなかった。しかし、今目の前にいるガルドは、以前の姿からさらに一回り大きくなっていた。筋肉のように盛り上がった身体には赤い光が走り、角や爪の周囲には炎の粉が舞っている。単に身体が大きくなっただけではない。存在そのものが、別の段階へ変わっていた。
ガルドが一歩踏み出す。
岩石の魔物が咆哮を上げ、巨大な腕を振り上げた。
「来るぞ!」
ダグが叫んだ。
岩の拳が、ガルドへ向かって振り下ろされる。まともに受ければ、洞窟の床ごと砕けるほどの一撃だった。
しかし、ガルドは避けなかった。
右前脚を引き、身体を低く沈める。
次の瞬間、赤い魔力が一気に膨れ上がった。
「グルァッ!」
ガルドの爪と岩石の拳が激突した。
轟音が洞窟全体に響き渡る。
エドは反射的に腕で顔を覆った。衝撃で細かな石片が飛び散り、地面が大きく揺れる。だが、崩れ落ちたのはガルドではなかった。
岩石の魔物の拳が、途中から砕けていた。
硬い岩の外殻が赤熱し、亀裂の奥から炎が噴き出している。
「……嘘だろ」
ダグが呟いた。
ガルドはそのまま踏み込み、岩石の魔物の腕を押し返した。巨大な身体同士の力比べになったが、結果は一瞬で決まった。岩石の魔物の身体が後方へ滑り、地面に深い溝を刻んだ。
『ガルドの攻撃力が、以前とは比較にならないほど上昇しています』
ミレアの報告が、監視装置を通じて私の耳に届く。
「見れば分かるよ……」
私は画面に映るガルドを見つめていた。
ブレイズグリフォンとの配合によって、ガルドは炎属性と高い攻撃適性を手に入れた。けれど、実際に戦っている姿を見ると、改めてその変化の大きさを実感する。
以前の戦いでは、相手の隙を探し、ポヨンの幸運に助けられながら勝利した。
今のガルドには、隙を待つ必要すらない。
正面から、力で叩き潰せる。
「これなら、普通の冒険者が何人来ても簡単には止められないね」
『はい。ただし、油断は禁物です。未知の能力を持つ侵入者や、複数の強力な敵が同時に現れた場合には――』
「分かってる。だから、ガルドだけじゃなくて、レグルやセラも強くしないとね」
私は頷いた。
四精鋭は、それぞれの役割を持っている。
攻撃のガルドだけが強くなっても、ダンジョン全体が完成するわけではない。守りのレグル、魔法のセラ、特殊能力のポヨン。それぞれが自分の役割を極めてこそ、洞窟は本当の意味で強くなる。
画面の中で、ガルドが再び動いた。
岩石の魔物は、砕けた腕を振り回しながら距離を取ろうとしている。だが、ガルドは逃がさなかった。地面を蹴った瞬間、その巨体が炎の塊のように加速する。
「グルァァァッ!」
ガルドの身体から、赤い炎のような魔力が噴き出した。
【灼熱闘気】。
その力をまとった爪が、岩石の魔物の胸部へ叩き込まれる。
岩の外殻が砕けた。
内部に埋め込まれていた魔力結晶が露出する。
岩石の魔物は咆哮を上げ、残った腕でガルドを殴りつけた。だが、その攻撃はガルドの肩に触れたところで止まった。炎の魔力が岩の拳を包み込み、表面を赤く染めていく。
ガルドはそのまま、相手の腕を噛み砕いた。
「……あれは、もう戦いというより一方的な破壊だな」
ダグが呆然と呟く。
「私たちがあれと戦っていたら、数分も持たなかったと思う」
リナも冷静に分析しながら、わずかに顔を引きつらせていた。
エドは何も言わず、ガルドの戦いを見ていた。
彼は先ほどまで、自分たち三人でどうにかして巨大魔物を倒そうとしていた。ダグが攻撃を受け止め、リナが魔法で支え、エドが弱点を探す。三人で力を合わせれば、勝機はあると思っていた。
だが、ガルドは違った。
巨大魔物の攻撃を真正面から受け止め、その腕を砕き、硬い外殻を一撃で破壊している。
その姿を見て、エドは自分たちとこのダンジョンの差を理解した。
ここにいる魔物たちは、ただ洞窟に棲んでいるだけではない。
何かに守られ、何かに育てられ、明確な目的を持って強くなっている。
「……あの魔物を、誰かが育てているのか?」
エドが呟いた。
リナが振り返る。
「どうしてそう思うの?」
「動きに迷いがない。さっきの黒い狼もそうだった。あいつらは、ただ本能で動いているようには見えない」
エドは剣を下ろさず、周囲を見回した。
「このダンジョンには、俺たちが知らない何かがある」
その言葉を聞いて、私は少しだけ背筋を伸ばした。
「……気づき始めたね」
『はい。彼らは洞窟内の魔物を、単なる野生の魔物として認識しなくなっています』
「でも、まだ私の存在までは分かってない」
『そのようです』
私は監視映像の隅に映るポヨンを確認した。
クロウに運ばれたポヨンは、少し離れた場所で地面に座り込んでいる。巨大な魔物から逃げ切ったことで安心したのか、身体を伸ばして大きく息を吐いていた。
そのすぐ近くには、ポヨンが見つけた巨大な魔力結晶がある。
あれだけの魔力を持つ結晶を、侵入者に持ち帰らせるわけにはいかない。
けれど、エドたちを無理に追い払う必要もない。
少なくとも今のところ、彼らはダンジョンの魔物を無差別に殺しているわけではなかった。危険な状況でもポヨンを逃がすために残り、巨大魔物の注意を引きつけようとしていた。
その姿勢を見ていると、単純な敵として扱うことに迷いが生まれる。
「ガルドには、あの魔物を倒した後、エドたちを傷つけないように伝えて」
『すでに指示を受けています』
「さすがミレア」
『私はまだ何もしていません』
「先回りしてくれたってことで」
『都合のよい解釈ですね』
そんなやり取りをしている間にも、戦いは終わりへ近づいていた。
岩石の魔物は、胸部の魔力結晶を守ろうとしていた。両腕を失いながらも、身体を丸めて結晶を隠し、周囲の岩を取り込んで再生しようとしている。
だが、ガルドはその動きを見逃さなかった。
赤い魔力が、さらに濃くなる。
ガルドの背後に、炎の獣を思わせる幻影が浮かび上がった。
「グルァァァァッ!」
咆哮とともに、ガルドが跳躍する。
巨大な身体が宙を舞い、炎をまとった爪が岩石の魔物の胸部へ突き刺さった。
魔力結晶に亀裂が走る。
岩石の魔物が最後の力を振り絞り、身体を爆発させようとした。
「危ない!」
リナが叫ぶ。
しかし、その前にガルドの魔力が結晶を包み込んだ。
炎は周囲へ広がらず、魔力結晶の内部だけを焼き尽くしていく。
次の瞬間、結晶が砕けた。
岩石の魔物の身体から力が抜け、巨大な岩の塊が崩れ落ちる。
洞窟に、静寂が戻った。
ガルドは砕けた岩の上に立ち、ゆっくりと周囲を見回した。
エドたちは動けなかった。
ダグは斧を下ろし、リナは杖を握ったまま固まっている。エドだけが、ガルドの視線を正面から受け止めていた。
ガルドは三人を見つめた後、低く唸った。
「グルル……」
その声に敵意はなかった。
だが、友好的でもない。
ただ、
ここから先へ進むな。
そう告げているように聞こえた。
エドはしばらく黙っていたが、やがて剣を鞘へ戻した。
「……分かった」
「エド?」
「俺たちじゃ、あの魔物には勝てない。あの魔物が守っているものに手を出すのも無理だ」
エドはガルドの背後へ視線を向けた。
そこには、巨大な魔力結晶がある。
先ほどの戦闘で一部が露出し、強烈な魔力を放っていた。
「でも、俺たちはまだ帰れない」
エドは袋の中にある結晶を確かめた。
「妹の薬は、これだけじゃ足りない」
ダグがため息を吐く。
「エド、無茶はするなよ」
「分かってる」
「その言葉を信じていいのか?」
「……努力する」
「信じられんな」
ダグが苦笑する。
リナもエドの隣へ歩み寄った。
「だったら、別の道を探そう。ここにある結晶を奪わなくても、まだ何か見つかるかもしれない」
「リナ……」
「それに、私たちはもう十分に危険な目に遭った。これ以上進むなら、三人で相談して決める。エド一人で勝手に決めないこと」
「分かった」
エドは素直に頷いた。
そのとき、ガルドが突然、三人の横を通り過ぎた。
エドたちは身構えたが、ガルドは攻撃してこなかった。
ただ、彼らが来た方向とは反対側へ歩いていく。
そして、少し先で立ち止まり、振り返った。
「……ついて来いってことか?」
ダグが首を傾げる。
ガルドは答えない。
ただ、もう一度だけ低く唸った。
エドはリナとダグを見た。
「どうする?」
「罠かもしれない」
リナはそう言ったが、ガルドの周囲に敵意がないことも感じ取っていた。
「でも、さっき助けられたのは事実だ」
ダグが斧を背負う。
「ついていくなら、警戒しながらだ。少しでも危険を感じたら戻るぞ」
「分かった」
三人はガルドの後を追い始めた。
その様子を見ながら、私は少しだけ驚いていた。
「……ガルド、案内するつもりなの?」
『推測ですが、彼らを別の通路へ誘導しているようです』
「どうして?」
『ノア様が傷つけないよう指示したためではないでしょうか』
「ガルドがそこまで考えてるとは思わなかった」
『配合によって知性や判断力に変化が生じる可能性は、以前から説明されています』
「そうだったね」
私は画面を見つめた。
ガルドはただ強くなっただけではない。
もしかすると、ブレイズグリフォンとの配合によって、判断力や感覚にも変化が起きているのかもしれない。
これまでのガルドなら、危険な魔物を倒した後、ただその場に残っていた可能性もある。
けれど今は、侵入者たちを別の場所へ導こうとしている。
それがノアの命令によるものなのか、ガルド自身の判断なのかは分からない。
ただ一つ確かなのは、配合によって変わるのは、力だけではないということだった。
その頃、ポヨンは巨大な魔力結晶の前に戻っていた。
クロウが少し離れた場所から見張っている。
ポヨンは結晶を見上げ、前足を伸ばした。
「ぽよ……」
そして、また触れた。
巨大な結晶の内部で、今度はこれまでとは違う光が走る。
結晶の奥。
誰にも見つからなかった場所に、古い紋様が浮かび上がった。
それは、ダンジョンの魔力循環装置にも、不思議商店で見た商品にも似ていない。
もっと古く、もっと深い場所に繋がるような紋様だった。
ポヨンは何も知らず、首を傾げる。
「ぽよ?」
その瞬間、洞窟のさらに奥で、何かが目を覚ました。




