第66話 妹を救うための一歩
三人が洞窟の奥へ進むにつれて、空気が少しずつ重くなっていった。壁面には淡い魔力の光が浮かび、足元には小さな魔石がいくつも転がっている。エドはそれらを拾うことなく、慎重に先へ進んでいた。今回の目的はあくまで魔力結晶の確保だ。余計な時間を使って魔物を刺激する必要はない。
「なあ、エド」
後ろからダグが声をかける。
「なんだ?」
「本当に妹さんの薬って、そんなに高いのか?」
「ああ」
エドは少しだけ歩調を落とした。
「一月分で金貨二枚。今の俺たちじゃ、かなり厳しい」
「二枚か……」
「だから今回、少なくとも高純度の魔力結晶を一つは持って帰りたい。ギルドで買い取ってもらえれば、薬代くらいにはなる」
リナが黙ってエドの背中を見つめる。
彼女はエドの妹が病気になった経緯を知っている。
まだ三年前のことだった。
エドが冒険者になる前、三人は同じ村で暮らしていた。エドと妹の二人は両親を早くに亡くしており、兄妹だけで小さな家を守っていた。エドは村の鍛冶屋で働き、妹は近所の家の手伝いをしながら兄を支えていた。
裕福ではなかった。
それでも、二人で暮らすには十分だった。
生活が変わったのは、妹が倒れた日からだった。
最初はただの風邪だと思っていた。ところが熱が下がらず、身体から魔力が少しずつ失われていく奇病だと分かった。幸い、治療薬は存在していた。ただ、その薬の材料には希少な魔力結晶が必要だった。
村では手に入らない。
街へ行っても高価すぎて買えない。
そこでエドは冒険者になった。
最初の頃は薬草採取ばかりしていた。朝早くから森へ入り、日が暮れるまで薬草を集め、わずかな報酬を受け取る。稼いだ金はほとんど薬代に消えた。
それでも妹は笑っていた。
『お兄ちゃん、無理しないでね』
その言葉を聞くたび、エドは頷いていた。
『大丈夫だ。すぐ治るから』
だが、三年経っても妹の病気は治っていない。
薬を飲んでいる間だけ症状が抑えられる。
薬が切れれば、また悪化する。
その繰り返しだった。
「エド!」
突然、リナの声が響いた。
エドが顔を上げる。
次の瞬間、巨大な岩が頭上から落ちてきた。
「伏せろ!」
ダグがエドの肩を掴み、強引に引き倒した。
轟音とともに岩が地面へ叩きつけられる。
土煙が舞い上がる。
「大丈夫か?」
「ああ!」
エドが立ち上がる。
「助かった、ダグ」
「気にするな。昔からそうだろ」
ダグは斧を構えながら笑った。
「俺は前に出て、お前が後ろから考える。それで何度も切り抜けてきた」
エドも笑う。
ダグとは五年前からの付き合いだった。
初めて会ったのは、まだエドが駆け出しだった頃だ。
森でゴブリンに囲まれ、一人ではどうにもならなくなったエドを助けたのがダグだった。
そのときダグは言った。
『死にたくなきゃ、仲間を作れ』
それが始まりだった。
以来、二人は何度も依頼をこなしてきた。
そして妹が病気になったときも、ダグは離れなかった。
『薬代が足りねえなら、俺も手伝う』
そう言ってくれた。
リナも同じだった。
最初は依頼で一緒になっただけだったが、妹の事情を知ってからは、報酬の一部を黙ってエドへ渡すようになった。
だからこそ、エドは二人を危険な場所へ連れてきたくなかった。
だが、二人とも自分からついてきた。
「来る!」
リナが叫ぶ。
土煙の向こうから巨大な影が現れた。
全身が岩で覆われ、その身体の一部には青白い魔力結晶が埋め込まれている。
「ロックゴーレム……!」
ダグが斧を握り直す。
「俺が抑える! エド、結晶を狙え!」
「分かった!」
ダグが飛び出した。
ロックゴーレムの拳が振り下ろされる。
ダグは斧を盾のように構えて受け止めた。
衝撃で地面が砕ける。
「ぐっ……!」
「ダグ!」
「こっちはいい! 早くしろ!」
エドは走った。
ゴーレムの身体を回り込み、剣を振る。
だが、岩の身体は硬い。
剣が弾かれた。
「くそっ!」
その瞬間、別の岩が飛んできた。
「エド、右!」
リナの魔法が飛び、岩を撃ち落とす。
「ありがとう!」
「前だけ見て!」
リナの声を聞きながら、エドは走る。
昔もそうだった。
妹が倒れたあの日も、エドは何もできなかった。
医者から治療薬の話を聞いても、金がなくてどうしようもなかった。
そのとき妹は、苦しそうにしながら笑っていた。
『お兄ちゃんが冒険者になる必要なんてないよ』
エドは首を横に振った。
『ある』
『でも……』
『俺が治す』
あの日から、エドは何度も危険な場所へ入った。
森で魔物に襲われた。
崖から落ちた。
仲間を失いかけたこともある。
それでも、諦められなかった。
「俺は……!」
エドはロックゴーレムの懐へ潜り込んだ。
「妹を助けるんだ!」
剣を振り上げる。
その瞬間、ゴーレムの胸に埋め込まれた魔力結晶が淡く光った。
「そこだ!」
エドの剣が結晶へ突き刺さる。
だが、完全には砕けない。
「まだか!」
ゴーレムが腕を振り上げる。
エドは逃げようとした。
しかし、間に合わない。
「エド!」
ダグが横から飛び込み、斧でゴーレムの腕を受け止めた。
「今だ!」
リナの魔法が結晶へ直撃する。
パキィン!
ひびが走った。
エドは最後の力を込めて剣を押し込む。
魔力結晶が砕けた。
同時に、ロックゴーレムの身体から力が抜け、その場へ崩れ落ちた。
しばらく、誰も動かなかった。
「……勝った?」
リナが呟く。
エドは荒い息を吐きながら、地面に転がった魔力結晶の欠片を拾った。
かなり純度が高い。
これなら――。
「これは薬代の足しになる」
エドが呟く。
その声は震えていた。
ダグが肩を叩く。
「まだ終わってねえぞ」
「ああ」
「目的の魔力結晶を探すんだろ?」
「ああ!」
エドは顔を上げた。
その表情には、さっきまでの疲労とは違う光が宿っていた。
しかし、その戦いを見ていた存在がいた。
岩陰に潜むクロウ。
さらに奥には、強化されたガルドが立っている。
クロウはエドたちを観察していた。
敵意はある。
だが、これまでの侵入者とは何かが違う。
そしてガルドも、三人の姿を静かに見つめていた。
強くなった自分なら、この三人を一瞬で倒せる。
それは間違いない。
だが――。
ガルドはまだ動かなかった。
一方、ダンジョンの奥ではノアがミレアから報告を受けていた。
「ロックゴーレムを倒しました」
「三人で?」
「はい。連携も悪くありません」
「そっか」
私は少し驚いた。
ミレアが続ける。
「ただ、彼らの目的は戦闘ではありません。魔力結晶の採取です」
「妹さんの薬のため?」
「その可能性が高いです」
私は少しだけ考えた。
「……なら、もう少し見てみよう」
侵入者だからといって、すぐに排除する必要はない。
彼らが何をするのか。
どこまで進むのか。
そして――どんな人間なのか。
それを見てからでも遅くはない。
その頃、エドたちはまだ知らなかった。
自分たちが倒したロックゴーレムは、このダンジョンにとって本当の脅威ではない。
そして、そのさらに奥には、さっきまでとは比べものにならないほど強大な存在が待っていることを。
エドは剣を握り直した。
「行こう」
三人は再び歩き出す。
妹を救うために。
仲間と生きて帰るために。
そして、彼らは少しずつ、ダンジョンの核心へ近づいていった。




