第58話 幸運が変えるダンジョンの形
侵入者を撃退した翌朝。
ダンジョンには、妙に静かな時間が流れていた。
昨日までの激しい戦闘が嘘のようだった。壊れた床をレグルが補修し、ガルドが戦闘で傷ついた身体を休め、セラは残された魔力の痕跡を確認している。クロウとルゥは周辺の警戒を続け、いつも通りのダンジョンへと戻りつつあった。
ただ、一つだけ気になることがある。
昨日の侵入者――ディルガが落としていった斧だ。
普通なら捨ててしまうところだが、ミレアが調べたところ、かなり質のいい魔法金属が使われているらしい。
「売れるかな?」
「おそらく。それなりの金額にはなると思います」
ミレアが斧を眺める。
「ただし、持ち主が生きている状態で奪ったものですから、外へ売るなら少し注意が必要ですね」
「じゃあ、ダンジョンで使えるなら使っちゃおうか」
私はそう言って斧を眺めた。
武器としては強力だ。
でも、今のダンジョンには斧を使うモンスターはいない。
「何か使い道があればいいんだけど」
その横で、ポヨンが斧へ近づいていく。
「ぽよ」
「ポヨン、それは食べちゃ駄目だよ」
「ぽよ?」
ポヨンは斧を見上げる。
しばらく眺めていたかと思うと、興味を失ったように離れていった。
「珍しい。今回は何もしないんだ」
私がそう言った瞬間。
ポヨンが足元の小さな魔石を踏んだ。
コロン。
魔石が転がる。
斧の柄にぶつかる。
カチッ。
「……」
斧の柄に刻まれていた魔法文字が、一瞬だけ光った。
「え?」
ミレアがすぐに駆け寄る。
「ちょっと待ってください」
斧を調べる。
すると、柄の内部から淡い魔力が流れ出した。
「これは……」
「何?」
「この斧、武器としてだけではありません」
ミレアが驚いた顔をする。
「魔力を蓄積する機能があります」
「魔力を?」
「はい。しかも、周囲の余剰魔力を吸収して蓄えるタイプです」
私は斧を見る。
ディルガが使っていたときには気づかなかった機能だ。
「じゃあ、ダンジョンに置いておけば魔力を溜められる?」
「理論上は可能です。ただ、効率はそれほど高くありません」
ミレアは斧を調べながら続ける。
「おそらく戦闘中に少しずつ魔力を回収し、持ち主の補助をするための機能でしょう」
「それなら、魔力の余ってる場所に置けばいいんじゃない?」
「そうですね。ただし――」
ミレアが言葉を止める。
斧の魔力吸収機構が、勝手に動き始めた。
「え?」
周囲の空気がわずかに揺れる。
ダンジョン内部を流れていた余剰魔力が、斧へ集まり始めた。
その量は少ない。
けれど、確実に吸収している。
「本当に動いてる……」
「どうやら、ポヨンが魔石を踏んだことで、魔法文字の一部が再起動したようです」
「つまり、ポヨンが起動した?」
「正確には、起動条件の一つを偶然満たしたのでしょう」
私はポヨンを見る。
本人は何も分かっていない。
「ぽよ」
ただ斧の周りを楽しそうに跳ねている。
そのときだった。
斧が吸収していた魔力が、一瞬だけ強くなり、そして、その魔力が地面へ流れ込む。
床に埋め込まれていた古い魔石が反応した。
「今度は何?」
淡い光が通路の先へ走っていく。
しかし、壁が開いたわけではない。
新しい部屋も出てこない。
代わりに、ダンジョンの各所にある魔力設備が次々と反応していった。
照明用の魔石。
水を浄化する魔道具。
魔力を循環させる設備。
そして、配合施設。
「これは……」
ミレアが目を見開く。
「ダンジョン内の魔力循環が、一時的に安定しています」
「どういうこと?」
「これまで魔力は場所によって濃淡がありました。濃すぎる場所では無駄な魔力が溜まり、逆に薄い場所では設備の効率が落ちていたんです」
ミレアが周囲を見回す。
「ですが、この斧が余剰魔力を一度吸収し、別の場所へ流したことで、偶然ながら全体の偏りが減っています」
私はダンジョンを見渡した。
たった一本の斧。
しかも侵入者が置いていったもの。
それが、思わぬ形でダンジョンの役に立っている。
「……これ、かなり便利じゃない?」
「はい。ですが、この程度の斧一本では、効果は限定的でしょう」
「そっか」
私は少し考えた。
だったら、もっと増やせばいい。
「似たような魔道具を集めて、ダンジョンの魔力循環に使えないかな?」
ミレアが頷く。
「可能性はあります。ただ、外から持ち込まれる魔道具には、それぞれ違う性質があります。相性の悪いものを繋げれば、逆に魔力が暴走する危険もあります」
「じゃあ、無理に繋げるのはやめよう」
私は斧を見る。
「まずはこれ一本で様子を見よう」
「それがいいと思います」
その直後、遠くから大きな音がした。
ガシャァン!
「何!?」
全員がそちらを見る。
クロウがすぐに走っていった。
しばらくして戻ってくる。
「グルッ」
「何かあった?」
クロウは私たちを振り返り、通路の先へ向かって歩き出した。
ついていく。
そこにあったのは、魔力を循環させる設備だった。
どうやら昨日の戦闘で少し壊れていたらしい。
だが、その設備には妙な変化が起きていた。
「これ……」
セラが設備へ近づく。
「壊れていた部分が、勝手に動いています」
「勝手に?」
「はい」
設備の内部で魔力が循環している。
昨日までは動作していなかった部分まで、正常に動いている。
ミレアが確認する。
「どうやら、さっきの魔力循環の変化で、内部に溜まっていた魔力が適切な場所へ流れたようです」
私はしばらく黙って設備を見る。
壊れていた。
だから直す必要があると思っていた。
ところが、別の場所で起きた偶然によって、勝手に復旧した。
「……ポヨン」
「ぽよ?」
ポヨンは何も知らない。
ただ、近くに落ちていた小さな魔石を見つけて、嬉しそうに眺めている。
「それは食べなくていいからね」
「ぽよ」
ポヨンは魔石から離れた。
今回は食べなかった。
それだけで私は少し感動した。
「成長した……!」
「そこですか?」
ミレアが呆れたように言った。
その頃、別の場所では変化が起きていた。
配合施設の魔力炉が、以前より安定している。
セラが試しに魔力を流すと、以前なら少し揺れていた魔力がほとんど乱れない。
「これは、配合にも使えそうですね」
ミレアが言った。
「魔力炉の安定性が上がれば、配合時の魔力損失を減らせます」
私はその言葉を聞いて、少しだけ嬉しくなった。
今までなら、新しい設備を作るために素材を探し、魔石を集め、何度も試していた。
それが今回は違う。
誰かが意図して作ったわけでもない。
侵入者が置いていった武器があり、ポヨンが偶然魔石を踏み、眠っていた機能が動き、余った魔力が循環し、壊れていた設備まで復旧した。
一つ一つは小さな偶然だ。
でも、それが繋がると、ダンジョン全体が少しずつ良くなっていく。
「これが……ポヨンの幸運なのかな」
ミレアが頷く。
「以前よりも、影響範囲が広くなっているように思えます」
「でも、ポヨン自身は何もしてないよね」
「そこが問題なんです」
ミレアが真剣な顔をする。
「ポヨンが何を狙っているのか、私たちには分かりません」
「本人も分かってないと思うけど」
「……それも問題です」
私は笑った。
そして、ダンジョンの中心を見る。
少しずつだが、確実に変わっている。
新しい部屋が増えたわけじゃない。
宝物が突然降ってきたわけでもない。
ただ、今あるものが少しずつ噛み合い始めている。
これなら悪くない。
私はそう思った。
「この斧、しばらくここで使おう」
「はい」
「それから、ダンジョンにある古い道具も一度全部確認しよう。使えないと思ってたものが、何かのきっかけで使えるかもしれないし」
「分かりました」
その会話を聞いていたポヨンが、突然こちらへ振り返った。
「ぽよ!」
そして、元気よく跳ねた。
ぽよん。
床に落ちた。
何も起きない。
「……」
私は思わず身構えていた自分に気づく。
「今回は何も起きなかったね」
「それが普通なんですよ」
ミレアがため息をつく。
私は苦笑しながらポヨンを抱き上げた。
幸運というのは、派手な奇跡だけじゃない。
何気ない偶然が重なって、気づいたときには以前より少しだけ良い場所になっている。
今のダンジョンは、そんな成長を始めていた。




