第50話 王位継承候補
翌朝、ノアは配合施設の隅で腕を組みながら、古びた記録装置を眺めていた。昨夜、ポヨンが偶然起動させた装置に表示された文字――『特殊配合個体・王位継承候補』。その言葉が頭から離れない。王位とは何なのか。誰の王なのか。そして、なぜルナがその候補として記録されているのか。分からないことだらけだった。
「やっぱり、これだけじゃ何も分からないな」
ノアが装置をひっくり返して裏側まで調べていると、横からミレアが覗き込んだ。
「記録装置そのものが古すぎます。残っている情報も断片的ですね。ただ、昨夜の表示は偶然出たものではありません」
「どういうこと?」
「この施設がルナを認識したわけではありません。配合施設に保存されていた古いデータが、ルナの魔力反応を検知したことで自動的に呼び出された可能性があります」
ノアは眉を寄せた。
「つまり、ルナがその条件に当てはまったから表示された?」
「おそらく」
視線の先では、当のルナが何事もなかったように丸くなって眠っている。黒い毛並みの小さな身体が規則正しく上下していた。昨日の騒ぎなど完全に忘れてしまったような寝顔である。
「……この子が王様ねぇ」
ノアが呟くと、ルナが片目だけを開けた。
「ニャ」
「聞こえてたの?」
ルナは答える代わりに、また目を閉じた。
その様子にノアは苦笑する。今のルナには王様らしさなど微塵もない。だが、それが逆に気になった。過去の配合で生まれた特殊個体であることは分かっている。それでも、普通の魔物とは違う何かがあることだけは確かだった。
「ノア様」
背後からセラの声がした。
「朝食の時間です」
「……分かった」
「それから、本日の予定ですが」
「うん」
「魔力を使う予定は三つありますね」
「そんなにあったっけ?」
「洞窟中央部の魔力流確認、配合施設の魔力循環調整、そして昨日の記録装置の解析です」
「それなら普通に――」
「すべて私がやります」
ノアは振り返った。
セラが真剣な顔で立っている。
「ノア様は休んでください」
「いや、私もダンジョンマスターなんだけど」
「だからこそです。ダンジョンマスターが魔力不足で倒れたら、本末転倒です」
「……」
セラの言っていることは正しい。
正しいのだが、昨日の配合以来、この調子なのだ。
ノアが少しでも魔力を使おうとすると止める。食事を抜こうとすると止める。少し長く歩いただけでも休憩を勧めてくる。しかも本人は大真面目である。
「セラ、ちょっと過保護になってない?」
「過保護ではありません。最適管理です」
「その言い方がもう変なんだよな……」
そこへガルドが現れた。
「ノア、今日は鍛錬を――」
「駄目です」
セラが即座に遮った。
「ノア様は本日、激しい運動を禁止します」
「俺じゃなくてノアが鍛えるんだが?」
「禁止です」
ガルドが黙った。
数秒後、豪快に笑い始める。
「ハハハ! セラ、お前変わったな!」
その声を聞きつけ、レグルまでやってくる。
「何があった?」
「セラがノアを鍛錬禁止にした」
「……それは正しい」
「レグルまでそっち側!」
ノアが抗議する。
しかし、レグルは真顔だった。
「ノアを守るのも俺たちの役目だ」
「なんでみんな急に私を子供扱いするの……」
そのやり取りを、少し離れた場所からクロウが見ていた。
黒い毛並みの狼型魔物。額に生えた角が淡く光っている。クロウはしばらくノアとセラを交互に見たあと、鼻を鳴らしてから洞窟の奥へ歩き出した。
その後をルゥが追う。
ルゥはクロウとは違い、鼻を地面へ近づけながら慎重に進んでいる。二体は同じ索敵系でもやり方が違う。クロウが視界や魔力反応から周囲を監視する一方、ルゥは優れた嗅覚で匂いの痕跡を追う。
そして、その二体の少し後ろからモラが姿を現した。
小さな身体で地面を掘りながら進んでいる。
突然、モラが動きを止めた。
「キュ?」
前足で地面を叩く。
クロウが振り返った。
ルゥも鼻を上げる。
何かを感じ取ったらしい。
その直後、モラが勢いよく地面へ潜った。
「どうしたの?」
ノアが近づこうとする。
「ノア様、動かないでください」
またセラである。
「分かったよ……」
ノアが止まる。
数秒後、少し離れた地面が盛り上がった。
モラが飛び出してきた。
口に何かを咥えている。
「魔力結晶?」
ミレアが驚く。
だが、それは普通の魔力結晶ではなかった。
透明度が異常に高い。
内部に青白い光がゆっくりと流れている。
「これは……かなり純度が高いですね」
ミレアが鑑定する。
「高純度魔力結晶です。しかも、かなり大きい」
「モラが見つけたの?」
ノアが尋ねると、モラは胸を張った。
「キュッ!」
得意げに鳴く。
「すごいじゃない」
ノアが頭を撫でると、モラは嬉しそうに目を細めた。
セラも結晶を確認する。
「この純度なら、私の魔法研究にも使えます」
「やっぱりセラの配合に使える?」
「もちろんです。ただし――」
セラはノアを見る。
「ノア様が勝手に使うのは駄目です」
「使わないって」
そんな会話をしていると、突然、洞窟の奥から低い音が響いた。
ゴゴゴゴゴ……。
空気が震える。
ノアの表情が変わった。
「何だ?」
クロウが即座に身構える。
ルゥも鼻を上げる。
バルガが遠くから駆けてきた。巨大な身体を持つロックホーンが地面を踏みしめるたび、洞窟に重い振動が伝わる。
その直後、地面の一部が崩れた。
だが、そこから出てきたのは魔物ではなかった。
古い石造りの階段だった。
「……地下?」
ノアが目を見開く。
ミレアが魔力を探る。
「下から強い魔力反応があります」
「また新しい場所が見つかったの!?」
ノアは興奮した。
しかし、セラが前に出る。
「危険確認をします」
「私も――」
「駄目です」
「……はい」
ノアは大人しく引き下がった。
クロウが先頭に立つ。
ルゥがその後ろを追う。
さらにモラが地面を確認しながら進み、バルガが最後尾についた。
四精鋭が直接出る必要もないほど、今の洞窟には役割を持った仲間がいる。
その事実を、ノアは改めて実感していた。
やがてクロウが階段の途中で立ち止まった。
低く唸る。
ルゥも同じ方向へ鼻を向けた。
そこには巨大な石の扉があった。
扉には古い文字が刻まれている。
ミレアが読み上げた。
「……『王位継承者のための試練』」
ノアは黙り込んだ。
王位継承候補。
昨日、記録装置に表示された言葉。
そして今、ルナの存在を示すような古い扉。
「まさか……」
ノアが振り返る。
そこには、いつの間にかルナがいた。
黒い子猫が階段の上からこちらを見ている。
「ルナ?」
ルナは小さく鳴いた。
そして、ゆっくりと階段を下りていく。
扉の前まで来ると、ルナは前足を一度だけ石の床へ置いた。
その瞬間だった。
扉に刻まれていた文字が、青白い光を放ち始める。
ゴゴゴゴゴ……。
重い音とともに、巨大な石扉が動き始めた。
「開いた……」
ノアが呟く。
扉の向こうには、広大な地下空間が広がっていた。
壁一面に古代文字。
中央には巨大な魔法陣。
そして、その最奥には一つの玉座が置かれている。
ルナは玉座を見つめていた。
普段の子猫らしい雰囲気とは違う。
ほんの一瞬だけ、その黒い瞳に強い光が宿った。
ノアは息を呑む。
「……ルナ」
小さな黒猫は振り返り、何事もなかったように鳴いた。
「ニャア」
ノアは思わず笑った。
「まあ、急ぐ必要はないか」
まだルナは小さい。
王様になる未来があるとしても、それはずっと先の話だ。
今は、このダンジョンを少しずつ強くしていけばいい。
そう思ったところで、セラがノアの肩を軽く叩いた。
「ノア様」
「何?」
「今の階段を見て、興奮して魔力を使おうとしましたね?」
「……ちょっとだけ」
「禁止です」
「やっぱり?」
「はい」
ノアが肩を落とす。
その横でガルドが笑い、レグルが頷き、ポヨンが楽しそうに跳ねる。
そして洞窟の新たな地下空間には、まだ誰も知らない古代の仕組みが眠っていた。
ただ一つ確かなのは、この日を境に、このダンジョンは少しずつ「ただの洞窟」ではなくなっていくということだった。




