第5話 初めての戦い、そして幸運
冒険者たちが洞窟の中へ足を踏み入れた瞬間、ノアは自分の心臓が異様な速さで鼓動していることに気づいた。昨日までなら、冒険者という言葉を聞いても物語の中に出てくる存在としか思えなかっただろう。しかし、目の前にいる三人は違う。剣を腰に下げ、革鎧を身につけ、こちらを警戒しながら少しずつ距離を詰めてくる。彼らにとって、この場所は探索する対象でしかない。そしてノアたちにとっては、ようやく手に入れた居場所そのものだった。
「ノア様、下がってください」
ミレアの声が低くなる。
「でも……」
「話し合いをするのであれば、こちらが不利な位置にいる必要はありません。相手は三人。こちらは戦闘可能な魔物が二体と、ポムです。ノア様自身には戦闘能力がありませんから、まず距離を取るべきです」
「……わかった」
ノアは素直に頷いた。
怖かったからではない。
もちろん怖かったが、それだけではなかった。
ミレアの言葉を聞いて、今の自分が戦場に立つこと自体が、魔物たちの邪魔になると理解したのだ。
ノアが後ろへ下がると、ガルドが前へ出た。
小さな身体。
粗末な木の棒。
昨日召喚されたばかりのゴブリン。
それでもガルドは逃げなかった。
「ガルド……」
「ガルド!」
ガルドが声を上げる。
先頭の冒険者が鼻で笑った。
「ゴブリン一匹か。こんなところにダンジョンがあるっていうから期待したんだが、拍子抜けだな」
後ろにいる若い男が剣を抜く。
「俺がやります。こいつなら一人で十分でしょう」
「油断するなよ」
「わかってますって」
若い冒険者がガルドへ近づいていく。
その足取りに迷いはない。
ガルドは木の棒を構えた。
ノアは思わず手を握りしめる。
「ミレア……」
「まだです」
「でも、ガルドが……」
「ガルドを信じてください」
その言葉に、ノアは息を止めた。
ミレアは冷静だった。
しかし、ただ冷静なだけではない。
「ノア様がガルドを仲間として扱ったからこそ、彼は今ここに立っています。ならば、彼がどう戦うのかを見届けてください」
「……うん」
若い冒険者が剣を振り上げる。
ガルドが動いた。
真正面から突っ込むのではない。
一歩横へずれた。
剣が空を切る。
「なっ……」
ガルドはそのまま相手の懐へ入り込み、木の棒を脇腹へ叩きつけた。
ドンッ。
「ぐっ!」
大した威力ではない。
しかし、冒険者は予想していなかった方向から攻撃を受け、体勢を崩した。
「今の、避けたの?」
ノアが驚く。
「ガルドは昨日からずっと訓練していましたから」
ミレアが答える。
「ただし、あれだけでは勝てません」
その言葉通りだった。
冒険者はすぐに体勢を立て直した。
「このっ!」
今度は横薙ぎ。
ガルドが後ろへ飛ぶ。
しかし、足元が少し滑った。
「ガルド!」
ノアが叫ぶ。
ガルドの身体がぐらつく。
冒険者が、その隙を逃さない。
「終わりだ!」
剣が振り下ろされた。
その瞬間。
ガルドの足元の土が崩れた。
「え?」
ノアの口から声が漏れる。
ガルドが落ちた。
だが、そこは昨日ノアが設置した落とし穴だった。
冒険者の剣が空を切る。
「なにっ!?」
ガルドが穴の底へ落ちる。
冒険者も勢い余って一歩踏み込んだ。
ズズッ。
「うわっ!」
片足が穴へ落ちた。
「しまった!」
男がバランスを崩す。
そこへガルドが穴の底から這い上がってきた。
「ガルド!」
木の棒が男の手首を叩いた。
「痛っ!」
剣が落ちる。
ガルドはすぐに距離を取った。
ノアは呆然と見ていた。
「……勝った?」
「まだです」
ミレアが即座に答える。
「相手は三人です」
そうだった。
残る二人が動く。
先頭にいた男が剣を抜いた。
「なるほど。罠まであるのか」
その目から、先ほどまでの余裕が消えていた。
「こいつはただの洞窟じゃない。警戒しろ」
女冒険者が周囲を見回す。
「でも、罠は一つだけかもしれない」
「そうとは限らない」
三人の動きが変わった。
今度は慎重だった。
ノアは唇を噛んだ。
「ミレア、どうする?」
「予定通り、奥へ誘導します」
「でも、罠は一つしかないよ」
「だからこそ、使い方が重要です」
ミレアがノアを見る。
「ノア様。昨日おっしゃったでしょう。強くないなら、相手に考えさせればいい、と」
「……うん」
「なら、こちらから答えを与えてはいけません」
ノアは頷いた。
ガルドが後退する。
ルゥが低く唸りながら、別の通路へ走った。
その姿を見た冒険者たちが反応する。
「逃げたぞ!」
「追う?」
「待て。誘っている可能性がある」
先頭の男が周囲を見回す。
ノアは息を殺した。
自分たちが強いと思わせてはいけない。
逆に、弱いと思わせすぎてもいけない。
難しい。
そんなことを考えている間にも、冒険者たちは少しずつ奥へ進んでいく。
ルゥが一度だけ振り返る。
その鼻がひくひくと動いた。
「ルゥ、何か感じた?」
ノアが小声で尋ねる。
ルゥは洞窟の横壁へ向かって走った。
そして、突然止まる。
「どうしたの?」
ノアもそちらを見る。
何もない。
ただの岩壁だ。
ところがルゥは、その場所を前足で引っ掻き始めた。
「ミレア?」
「……妙ですね」
ミレアが近づく。
そして岩壁に手を当てた。
「ここ、内部に空洞があります」
「え?」
「昨日の隠し部屋とは別です。かなり薄い岩壁のようです」
ノアは目を丸くした。
「そんなの、どうしてわかるの?」
「ルゥの嗅覚強化でしょう。内部から微かな魔力の匂いを感じ取っているのかもしれません」
ノアは岩壁を見つめた。
昨日は石ころが隠し部屋を教えてくれた。
今日はルゥが別の隠し場所を見つけた。
偶然なのか。
それとも――。
「ノア様」
「うん」
「どうしますか?」
ノアは考えた。
そして、岩壁を押してみる。
ぐらり。
「……動く」
「またですか」
ミレアが呆れたような声を出す。
岩壁の奥には、小さな空間があった。
そこには古びた石像と、一本の短剣が置かれている。
「武器?」
「魔力が込められています」
ミレアが確認する。
「ただの短剣ではありません。魔力を通すことで切れ味を高める簡易魔法剣です」
「これ、ガルドに使える?」
「サイズ的には問題ありません」
ノアは短剣を手に取った。
そしてガルドへ渡す。
「ガルド。これを使って」
ガルドは目を見開いた。
短剣を両手で受け取り、何度も眺める。
「ガルド……」
「うん。あなたの武器」
ガルドの目に力が宿った。
その瞬間、洞窟の奥から声が響いた。
「見つけたぞ!」
冒険者たちが追いついてきた。
先頭の男が剣を構える。
「その奥に何かあるようだな。そこをどけ」
ノアはガルドの前に立った。
怖い。
足が震える。
でも、今度は一人ではない。
ポムが横にいる。
ルゥがいる。
ガルドがいる。
ミレアもいる。
「嫌」
ノアははっきり答えた。
「ここは私たちの場所だから」
男が笑った。
「だったら、力ずくで通る!」
冒険者が踏み込む。
ガルドが構える。
ルゥが飛び出す。
ポムが身体を膨らませる。
ノアは後ろへ下がった。
そして、気づく。
冒険者が踏み込んだ足元。
そこには、昨日設置した落とし穴がある。
「……あ」
次の瞬間。
床が崩れた。
「うわあああっ!」
先頭の男が落ちる。
そのまま穴の底へ叩きつけられた。
「隊長!」
残る二人が叫ぶ。
だが、さらに悪いことが起きた。
落とし穴の縁が崩れた。
洞窟そのものが大きく揺れる。
「何!?」
ノアが叫ぶ。
ミレアの顔色が変わった。
「まずい。落とし穴の下に空洞があります!」
「え?」
「昨日設置した罠が、偶然その空洞を貫いたんです!」
岩盤が崩れる。
冒険者たちが逃げようとする。
しかし遅かった。
床が大きく割れ、先頭の男がさらに下へ落ちていく。
「待て!」
仲間が手を伸ばす。
だが届かない。
男の身体が暗闇へ消えた。
しばらくして、遠くから鈍い音が響いた。
そして――静かになった。
ノアは凍りついた。
「……ミレア」
「はい」
「今の……」
ミレアは答えなかった。
代わりに、ダンジョンコアが淡く光った。
【侵入者一名の死亡を確認】
その文字が、ノアの目の前に浮かぶ。
ノアは息を呑んだ。
初めてだった。
自分の作ったダンジョンで、人が死んだ。
しかも、自分が設置した罠が原因だった。
「私が……殺したの?」
声が震えた。
ミレアがノアの横へ来る。
「正確には、落とし穴が直接の原因です。しかし――」
「同じだよ」
ノアは目を逸らした。
「私が作ったんだから」
ミレアはしばらく黙っていた。
そして、普段よりもゆっくりと言葉を選ぶ。
「ノア様。今の出来事を軽く考える必要はありません。人が死んだという事実は変わりません。ただ、あなたが楽しんで殺したわけでも、最初から命を奪うつもりで罠を設置したわけでもありません。あなたはポムたちを守るために、生き残るために、できることをしただけです」
「でも……」
「これから先、同じことは何度も起こるでしょう。ダンジョンへ侵入する冒険者の中には、ノア様や仲間たちを殺そうとする者も現れます。そのときに、相手の命を奪う覚悟まで持てとは言いません。ですが、自分たちの命を守る覚悟だけは持ってください」
ノアは拳を握った。
目には涙が浮かんでいる。
それでも、逃げなかった。
「……うん」
やがて残った二人の冒険者が、恐怖に顔を歪めながら出口へ走り始めた。
ノアは追撃を命じなかった。
ガルドも、ルゥも動かない。
ただ、ポムだけが静かに跳ねていた。
そしてダンジョンコアが、再び光を放つ。
【侵入者一名死亡】
【侵入者二名、撤退】
【ダンジョン防衛報酬を獲得しました】
ノアはその文字を見つめる。
胸の奥が重かった。
けれど同時に、ひとつだけ理解した。
ここは本当にダンジョンなのだ。
そして自分は、本当にダンジョンマスターなのだ。
幸運だけで生き抜けるのかもしれない。
でも、幸運だけでは仲間を守れない。
ノアは涙を拭った。
「……もっと強くならないと」
ミレアが静かに頷く。
「はい。私も一緒に考えます」
ガルドが短剣を握りしめる。
ルゥがノアの足元へ寄り添う。
ポムが、いつものように小さく跳ねた。
その日。
ノアは初めて、人の死を目の前で経験した。
そして同時に、彼女のダンジョンもまた、初めて「冒険者を殺したダンジョン」になった。
だが、ノアはまだ知らなかった。
今回の死によって得たダンジョンポイントが、次の召喚石を手に入れるには十分な量になっていることを。
そして、その召喚石から現れる魔物が――この小さなダンジョンの運命を大きく変えることになる。




