第36話 地下から聞こえる音
ポヨンが押した石が穴へ落ちてから、しばらくの間、ノアはその場から動けなかった。遠くで聞こえた「カチッ」という音は、明らかに何かの装置が作動した音だった。しかも聞こえてきた方向は、配合炉のある地下施設ではない。もっと奥。これまでノアがほとんど調べていなかった、洞窟のさらに深い場所からだった。
「……ミレア」
「はい」
「今の音、何?」
「現時点では特定できません」
「やっぱりそうだよね」
ノアはポヨンを抱き上げた。
「とりあえず、ポヨンは私の近くにいて」
「ぷる?」
「勝手に石を押したり、変なものを食べたりしないこと」
「ぷるぷる」
「……分かった?」
ポヨンはノアの腕の中で気持ちよさそうに揺れている。どう考えても理解している様子ではなかった。
ノアは諦めて歩き出した。
音がした場所へ向かう途中、洞窟の様子が少しずつ変わっていく。自然発生した魔物たちは、最近になって自分たちの居場所を作り始めていた。通路の隅にはスライムが集まり、ゴブリンたちは岩を積み上げて簡単な寝床を作っている。天井にはコウモリが巣を作り、小型の魔獣が餌を探して走り回っていた。
ノアはそれらを横目に見ながら進む。
「本当に増えたね」
「魔力環境が安定した影響でしょう。洞窟そのものが魔物の生息に適した環境へ変化しています」
「だったら、無理に雑魚を増やす必要はなさそう」
「はい。自然発生に任せるほうが、ノア様の負担も少なくなります」
ノアは頷いた。
今までなら、魔物が足りないことを心配していた。しかし、状況は変わった。弱い魔物は勝手に増えていく。ならばノアが力を注ぐべきなのは、ダンジョン全体を支える仕組みと、限られた精鋭たちの強化だ。
そのとき、前方からガルドが歩いてきた。
「ガルド?」
ガルドはノアの前まで来ると、地下の奥を指差した。
「そっちに何かあるの?」
ガルドが頷く。
「見つけたの?」
もう一度頷く。
ノアは少し考えた。
「じゃあ、一緒に行こう」
ガルドが先頭に立つ。
さらに奥へ進むと、明らかに人工的な通路が現れた。今まで歩いていた洞窟とは違い、壁がほぼ垂直に削られている。床にも一定間隔で浅い溝が刻まれていた。
「ここ……誰かが作ったのかな」
「自然洞窟ではありません」
ミレアが答える。
「古い施設の一部である可能性が高いです」
「配合施設とは別?」
「構造が異なります」
ノアは壁へ手を当てた。
冷たい。
そして、ごく僅かだが魔力を感じる。
「昔のダンジョンマスターが作ったのかな」
「可能性はあります」
ガルドが突然立ち止まった。
「どうしたの?」
低い唸り声。
その直後、前方から何かが走ってくる音が聞こえた。
タタタタッ。
ノアは反射的に身構える。
角から飛び出してきたのは、小型の魔獣だった。
「魔物?」
魔獣はノアたちを見ると、一瞬だけ足を止めた。しかし攻撃してくることはなく、そのまま横を通り抜けて逃げていった。
「……何だったんだろう」
「警戒している様子でした」
ノアはその方向を見る。
魔物が逃げてきたということは、さらに奥に何かいる。
「行ってみよう」
ガルドが斧を構えた。
少し進んだところで、通路が開けた。
そこには広い空間があった。
中央には、古びた石造りの台座。
その上には、奇妙な装置が置かれている。
「何これ……?」
ノアが近づく。
装置には三つの穴が開いていた。どれも同じ大きさではない。中央の穴だけが大きく、左右には小さな穴がある。
「魔力装置です」
ミレアが解析を始める。
「ただし、用途が不明です」
「配合炉じゃないんだよね?」
「構造が違います」
ノアは台座を一周した。
側面には古い文字が刻まれている。
「読める?」
「一部のみ解析可能です」
ミレアが文字を読み取る。
「『魔物の住処を守るもの』……そのような意味です」
「魔物の住処を?」
ノアは首を傾げる。
ダンジョンを守る装置なのか。
それとも、魔物を守るための装置なのか。
ノアが中央の穴を覗き込んだ。
すると、奥から小さな光が見えた。
「これ……魔石を入れる場所?」
「可能性があります」
ノアは腰袋から小さな魔石を取り出した。
「入れてみる?」
「慎重にしてください」
「分かってる」
ノアは魔石を中央の穴へ入れた。
カチッ。
昨日聞いた音と同じ音がした。
次の瞬間、台座の周囲に淡い光が走った。
地下へ向かって伸びていく。
「何が起きてるの?」
「魔力が洞窟全体へ流れています」
「危なくない?」
「現時点では危険な反応はありません」
光は洞窟の奥へ広がっていく。すると、遠くから魔物たちの声が聞こえてきた。
ゴブリン。
コウモリ。
小型魔獣。
それぞれの鳴き声が、いつもよりはっきり聞こえる。
「……魔物が反応してる?」
「おそらく」
しばらくすると、装置の光が弱くなった。
中央に置いた魔石は、ほとんど魔力を失っている。
「これで終わり?」
「はい」
ミレアが確認する。
「ただし、洞窟内の魔力循環が改善されています」
「それって、どういうこと?」
「魔力が一部に偏らず、洞窟全体へ流れやすくなったということです」
ノアは目を輝かせた。
「じゃあ、魔物ももっと住みやすくなる?」
「その可能性があります」
「それなら使えるね」
ノアは台座を見つめた。
配合炉を直すために必要な魔力。
魔物が自然発生する環境。
ダンジョン全体を安定させる仕組みが少しずつだが、それぞれが繋がり始めている。ただし、ノアは一つ気になることがあった。
「この装置、誰が作ったんだろう」
古い文字。
人工的な通路。
そして、ダンジョンの魔物を守るための装置。
この洞窟には、まだ自分が知らない場所がいくつもあるらしい。
ノアは立ち上がった。
「もっと調べよう」
そのとき、ガルドが突然、通路の奥を睨んだ。
「どうした?」
ガルドは斧を構える。
ノアもそちらを見る。
暗闇の向こうから、何かがこちらへ近づいていた。
足音は一つ。
ゆっくりと。
ズシン。
ズシン。
ノアの表情が引き締まる。
「……今度は、さっき逃げてきた魔物とは違うみたいだね」
ガルドが一歩前へ出る。
ノアはポヨンを後ろへ下ろした。
「ポヨン、そこにいて」
「ぷるっ」
暗闇の中で、二つの赤い目が開いた。




