第33話 また会った不思議な店
ノアは扉の前で固まっていた。さっきまでそこには、何もなかったはずだ。冒険者たちが逃げていったときにも、洞窟の入口にはいつもの岩壁しかなかった。それなのに今は、小さな木製の扉がぽつんと立っている。しかも扉の向こうから聞こえてきた声は、間違いなく前回の店主のものだった。
「……私のこと、覚えてる?」
「もちろんですとも」
扉の向こうから穏やかな笑い声が返ってくる。
「一度お買い上げいただいた大切なお客様を忘れるほど、私は物覚えが悪くありません」
「そっか」
ノアは少し安心した。前回の店では、魔力を育てる土と幸運草の種を購入した。特に魔力を育てる土から育った植物は、想像以上の効果を見せている。魔力を吸収して紫色の実をつけるようになり、今ではダンジョンの重要な資源の一つになっていた。
そして、その植物の実を食べたことで、野良だった小さな魔物――ポヨンにも変化が起こった。
ノアはちらりと後ろを見る。
そこには、いつの間にかポヨンがいた。
「……なんでついてきたの?」
ポヨンは答えない。ただ、いつものように身体をぷるぷると揺らしている。
「まあいいか」
ノアは扉に手をかけた。
チリン。
鈴の音が鳴る。
中へ入った瞬間、洞窟の空気が消えた。乾いた木材と薬草、それから少し甘い香りが鼻をくすぐる。棚には相変わらず、何に使うのか分からない商品が大量に並んでいた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥で店主が頭を下げる。
「本日は何をお探しですか?」
「配合炉を直すためのものが欲しい」
「ほう。前回より具体的になりましたね」
「地下に古い配合炉があるの。直せそうなんだけど、足りないものがあって」
「なるほど」
店主はしばらくノアを見つめた。
「では、こちらはいかがでしょう」
棚から取り出されたのは、細長い金属製の棒だった。
「魔力導線です。古い魔道具の修復には便利でしょう」
ミレアが鑑定する。
「古代式の魔力回路に適合する可能性があります」
「いくら?」
「銀貨十二枚です」
「……買える」
ノアは財布を確認する。
昨日の冒険者たちから手に入れたものや、これまで集めた素材を売った分もあり、銀貨には多少の余裕があった。
「じゃあ、これ」
「ありがとうございます」
店主は魔力導線を包んだ。
ノアは受け取った包みを見ながら、少し考える。
「これだけ?」
「もちろん、他にもございます」
「じゃあ見せて」
店主は笑った。
「では、こちらを」
次に出てきたのは、小さな鉄の箱だった。
値札には、
『一晩だけ魔物の寝床が快適になる箱 銀貨八枚』
と書かれている。
「……何これ?」
「箱を魔物の寝床の近くに置いておくと、翌朝まで周囲の温度や湿度が魔物にとって快適な状態に調整されます」
「便利じゃん」
「ノア様」
ミレアが冷静に口を挟む。
「今のダンジョンに優先して必要でしょうか?」
「……いらないね」
ノアは箱を戻した。
「次」
店主が別の商品を取り出す。
今度は小さな袋だった。
『食べると三分だけ声が二倍大きくなる飴 銀貨三枚』
「何に使うの?」
「遠くにいる仲間へ指示を伝える際などに」
「普通に叫べばいいんじゃない?」
「そうですね」
店主はあっさり商品を戻した。
「では、これはどうでしょう」
今度は黒い石。
前回見た魔石とは違い、表面に細い銀色の筋が入っている。
「魔力蓄積石です」
ミレアがすぐに反応した。
「これは……使えます」
「配合炉に?」
「補助電源として利用できる可能性があります」
ノアは値札を見る。
金貨一枚。
「……高い」
「それだけの価値はございます」
「今はやめとこうかな」
ノアは残念そうに石を見つめた。
すると、その横に置かれていた小さな瓶へポヨンが近づいた。
「ポヨン?」
ポヨンは瓶をじっと見つめている。
「これが欲しいの?」
ノアが瓶を手に取る。
値札には、
『魔物用・甘味液 銀貨二枚』
と書かれていた。
「甘味液?」
「魔物が好む味に調整された栄養液です」
「……ポヨン、これ食べたいの?」
ポヨンがぷるぷると身体を揺らす。
「じゃあ買おうかな」
「ノア様、必要性は?」
「仲間のおやつ」
「……」
ミレアが何か言いたそうに黙った。
「いいじゃん。銀貨二枚だし」
「否定はしません」
ノアが銀貨を二枚置く。
店主は瓶を渡した。
「こちらはサービスしておきましょう」
そう言って、小さな木の実を一つ追加した。
「これは?」
「ただの木の実です」
「ただの?」
「ええ」
ノアは少し怪しんだ。
「……本当に?」
「ええ」
しかし、ポヨンはその木の実を見るなり、ノアの手元へ近づいてきた。
「これも食べたいの?」
ポヨンがぷるぷると揺れる。
「じゃあ、あげる」
ノアが木の実を渡す。
ポヨンは嬉しそうにそれを抱え、その場で口に入れた。
「……普通だね」
ノアが呟く。
「そうですね」
ミレアも鑑定する。
「特別な効果はありません」
「じゃあ、本当にただの木の実なんだ」
ノアは気にせず店を見回した。
ところが、数秒後。
店の奥から、ガタンッという大きな音が響いた。
「え?」
ノアが振り向く。
棚の上に置かれていた箱が一つ、床へ落ちている。
「誰か触った?」
「いいえ」
ミレアが周囲を確認する。
「ポヨンは?」
「……あれ?」
ノアがポヨンを見る。
ポヨンは何事もなかったように、ぷるぷるしていた。
店主は箱を拾い上げると、何でもないように元の場所へ戻した。
「よくあることです」
「この店、よく箱が落ちるの?」
「ええ。たまに」
「そうなんだ……」
ノアは深く考えなかった。
店主はそんなノアを見て、ほんの少しだけ笑っている。
「ところで、ノア様」
「何?」
「配合炉を修復するのであれば、魔物の素材も必要になるでしょう」
「そうだね」
「ならば、こちらをおすすめします」
店主が棚の奥から取り出したのは、一枚の古びた紙だった。
「これは?」
「配合素材の相性表です」
ノアの目が輝いた。
「欲しい!」
「金貨一枚です」
「……高い」
「それだけの価値があります」
ノアは悩んだ。
配合は慎重に行わなければならない。
素材となる魔物は消える。
ならば、少しでも失敗を減らすために、相性を知っておきたい。
「……買う」
「ありがとうございます」
ノアは金貨を渡した。
紙を開く。
そこには、いくつもの魔物の名前と、組み合わせによって生まれやすい能力が書かれていた。
「これなら……」
ノアは食い入るように読む。
ガルドをさらに強くする方法。
セラの索敵能力を伸ばす方法。
クロウの能力を補助する方法。
そして、まだ見ぬ新しい精鋭を作る可能性。考えるだけで胸が高鳴る。けれど、ノアはすぐに紙を閉じた。
「まだ配合しない」
「賢明です」
「もっと素材を集めてからにする」
今いる仲間を消費して、適当な配合を試すつもりはなかった。
まずはダンジョンを大きくする。雑魚魔物を増やし、素材を集め、配合炉を修復する。その先で、本当に必要な精鋭を作る。
「よし」
ノアは満足して紙をしまった。
「今日はこれでいいや」
「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
ノアは扉へ向かった。
その後ろをポヨンがついてくる。
チリン。
扉を開ける。
洞窟の湿った空気が戻ってきた。
「……やっぱり変な店だなぁ」
ノアが振り返る。
そこにはもう扉はなかった。
「でも、役に立つものは買えた」
ノアは魔力導線と配合素材の相性表を見る。
「これで、配合炉の修復も少し進められそう」
そして隣を見る。
「ポヨンも満足そうだし」
ポヨンはお腹を丸く膨らませ、満足そうに揺れていた。
「ポヨン?」
突然、ポヨンが洞窟の奥へ走り出した。
「ちょっと、どこ行くの?」
ノアが追いかける。
ポヨンが向かった先には、魔力土から育った植物があった。
紫色の実が、いくつも枝に実っている。
ポヨンはその前で止まった。
「また食べたいの?」
ポヨンがぷるぷると揺れる。
「一個だけだよ」
ノアが紫色の実を一つ取って、ポヨンへ渡す。
ポヨンは嬉しそうに食べた、その瞬間、洞窟の奥から、ドンッという音が響いた。
「何?」
ノアが振り返る。
地下施設の方向だ。ミレアがすぐに確認する。
「ノア様。地下施設で魔力反応があります」
「え?」
「先ほど購入した魔力導線が反応しています」
ノアは目を丸くした。
「まだ何も使ってないよ?」
「そのようですね」
二人は顔を見合わせ、そしてノアは、ゆっくりとポヨンを見る。
ポヨンは何も知らないように、ぷるぷると揺れている。
「……まさか」
ノアは首を振った。
「いや、そんなわけないか」
ノアは地下施設へ走り出す。
その後ろから、ポヨンも嬉しそうについていく。
「待って、ノア様!」
ミレアが慌てて追いかける。その後ろをポヨンもぷるぷると跳ねながらついていく。
地下へ続く階段を駆け下りると、古びた配合施設の奥から、青白い光が漏れていた。
「本当に反応してる……」
ノアは足を止める。
壊れていたはずの配合炉。その一部に、淡い光が灯っている。
ノアはゆっくりと近づいた。
「これなら……もしかしたら直せるかもしれない」
配合炉を見つめるノアの顔に、久しぶりの期待が浮かんだ。その足元では、ポヨンが何事もなかったように、ぷるんと身体を揺らしていた。
洞窟の奥に、小さな機械音が響く。
カチッ。
そして、配合炉の中央にある魔力結晶の欠片が、ほんのわずかに光った。
ノアは息を呑んだ。
「……よし。明日から修理を始めよう」
新しい配合への準備が、ようやく始まった。




