第3話 初めてのダンジョン改造
翌朝、ノアは目を覚ますと同時に、昨日手に入れた魔石を確認した。木箱の中に眠っていた魔石は全部で六個。そのうち五個は一般的な魔石だったが、残る一個だけは明らかに質が違っていた。掌に乗せると淡い青白い光が内部を流れ、触れているだけで微かな魔力が伝わってくる。昨日の時点ではただの幸運だと思っていたが、一晩経っても、その魔石が本当に自分のダンジョンへ転がり込んできたことが信じられなかった。
「ミレア、この魔石って本当にそんなに価値があるの?」
ノアが尋ねると、朝からダンジョンコアの記録を確認していたミレアが顔を上げた。
「価値があります。正確には、魔石そのものの価値よりも、含まれている魔力が重要です。この一個だけで、現在のダンジョンが保有している魔力の数倍に相当します。換算すれば、昨日の時点では手が届かなかった設備をいくつか購入できますし、最低限の防衛設備を整えることも可能でしょう」
「じゃあ、すぐに使っちゃおう」
「待ってください」
即座に止められた。
ノアは魔石を持ったまま固まる。
「……駄目?」
「駄目というより、使い道を決めてからにしてください。昨日のように行き当たりばったりで資源を使っていたら、いくら幸運があっても追いつきません」
「それは……確かにそうかも」
「ノア様は昨日、幸運によって隠し部屋を発見しました。しかし、幸運が毎回同じ形で現れるとは限りません。もし次に冒険者が来たとき、幸運が起こる前にポムとガルドが倒されたら、そこで終わりです」
ノアは黙った。
ミレアの言葉は正しかった。
昨日は偶然が重なった。隠し部屋を見つけたことも、そこに魔石が残されていたことも、ノアが意図した結果ではない。
けれど、だからこそ怖い。
幸運を頼りにするだけでは、仲間を守れない。
「じゃあ、まずは防御だね」
「はい。私はその判断を推奨します。ただし、防御だけを考える必要もありません。ダンジョンは冒険者が訪れることで魔力を得られます。つまり、完全に閉じこもってしまえば成長する機会そのものを失います」
「なるほど……守るだけじゃ駄目なんだ」
「ええ。侵入者を退けるだけではなく、侵入者に挑戦させる価値のある場所にする必要があります。冒険者が『もう一度来たい』と思うようなダンジョンになれば、結果的にこちらも利益を得られます」
「それって、ちょっと商売みたい」
「実際、管理ダンジョンの運営は商売に近い部分があります。危険すぎれば誰も来なくなり、簡単すぎれば魔力を得られません。強さと報酬の釣り合いを考えなければ、長期的な運営は難しいでしょう」
ノアは腕を組んだ。
ただ魔物を強くすればいいわけではないらしい。
冒険者が来る。
魔物と戦う。
魔石や素材を落とす。
ダンジョンは魔力を得る。
その魔力で設備を増やし、魔物を召喚し、さらにダンジョンを成長させる。
そう考えると、ダンジョンとは一種の生態系なのかもしれない。
「だったら、最初から最強を目指す必要はないね」
「その通りです」
「まずは、入ってきた冒険者が簡単には進めない。でも、ちゃんと考えれば突破できる。そういう場所にする」
「……良い方針だと思います」
ミレアが頷いた。
ノアは少し嬉しくなった。昨日から何度もミレアに現実を突きつけられているが、こうして自分の考えを認めてもらえると、ダンジョンマスターとして一歩前に進めた気がする。
「じゃあ、最初に通路を変えよう」
「具体的には?」
「一本道のままだと、敵に一気に奥まで来られるから、途中に小さな部屋を作る。そこで一度、冒険者の進行方向を選ばせるの」
「分岐ですか?」
「うん。片方は正解。もう片方は遠回り。だけど、遠回りのほうにはちょっとした宝箱を置く。正解ルートを進めば早く奥へ行けるけど、宝箱を取るなら遠回りしなきゃいけない。冒険者が自分で選ぶようにする」
「なるほど。戦闘だけではなく、判断を要求するわけですね」
「そう。私たちが強くないなら、相手に考えさせればいい」
ミレアはしばらく黙ってノアを見ていた。
「……ノア様」
「なに?」
「昨日より、ずいぶんダンジョンマスターらしくなりましたね」
「本当?」
「はい。ただし、まだ一日しか経っていませんので、成長したと判断するには早いと思います」
「そういうところだよ、ミレア」
ノアは苦笑した。
それでも、少しだけ嬉しかった。
さっそくダンジョン改造を始める。
最初に購入したのは、小さな部屋を一つ作るための拡張機能だった。魔力を消費すると、洞窟の壁が淡く光り、岩盤がゆっくりと動き始める。轟音とともに壁が押し広げられ、これまで何もなかった場所に四方を岩壁で囲まれた空間が生まれていく。
ノアは目を輝かせた。
「すごい……。本当に部屋ができた」
「ダンジョンマスターの基本機能です」
「でもすごいよ。私が何も触ってないのに、洞窟が勝手に変わってる」
「ダンジョンそのものがノア様の管理下にありますから」
新しくできた部屋は、まだ何もない。
ノアはしばらく考えてから、壁際に小さな岩を置いた。
「ここに宝箱を置こう」
「宝箱を購入する余裕はありません」
「えっ」
「昨日の魔石を使っても、宝箱と中身を同時に用意すれば、残りの魔力がほとんどなくなります」
「……じゃあ、宝箱は後回し」
「そのほうが賢明です」
ノアは少し残念そうに頷いた。
続いて設置したのは、簡単な落とし穴だった。
深さはそれほどない。
落ちても大怪我をするほどではなく、這い上がるのに少し時間がかかる程度。
「これでいいの?」
「今の戦力なら十分です。冒険者が落ちれば、ガルドたちが距離を取る時間を稼げます」
「でも、ガルドはどうやって戦うの?」
ノアが振り返る。
ガルドは少し離れた場所で、木の棒を握っていた。
その姿を見たノアは、ふと眉を寄せる。
「……弱いよね」
「一般的なゴブリンですから」
「武器を作れないかな」
「素材が足りません」
「じゃあ、木を削るくらいなら?」
「それなら可能でしょう」
ノアはさっそく洞窟の奥へ向かった。
隠し部屋の近くには、地面から伸びている細い木の根があった。昨日見つけたものだ。ノアはその根の一部を切り取り、ガルドに渡した。
「これ、使える?」
ガルドは根を受け取ると、しばらく眺めた。
そして、木の棒と比べる。
「ガルド」
「うん。使ってみて」
ガルドは根を棒へ巻きつけた。
簡素な武器だった。
それでも、昨日までの木の棒よりは明らかに丈夫そうだ。
「どう?」
ガルドは数回振り回してから、満足そうに胸を張った。
「ガルド!」
「気に入った?」
「ガルド!」
ノアは笑った。
その様子を見ていたミレアが、ふと口を開く。
「ノア様は、魔物を強くすることより、魔物が生きやすい環境を作ることを優先するのですね」
「……そうかな」
「はい。普通のダンジョンマスターなら、まず戦闘能力の高い魔物を求めるでしょう」
「私は、ポムもガルドもまだ弱いからこそ、いきなり危ない目には遭わせたくないんだよ。強くなるのはこれからでいい。生きていれば、いくらでも強くなれるから」
ミレアは何も言わなかった。
ただ、しばらくノアを見つめていた。
やがて、ほんの少しだけ笑う。
「……それなら、私もできる限りお手伝いしましょう」
「うん。よろしく」
そのときだった。
洞窟の入口から、何かが落ちる音がした。
カラン、と乾いた音。
ノアとミレアが同時に振り向く。
ポムも動きを止めた。
ガルドはすぐに木の棒を構える。
「……何?」
ノアが小声で尋ねる。
ミレアが入口へ向かい、外の様子を確認した。
しばらくして、彼女が戻ってくる。
「何か落ちていました」
「何かって?」
「小さな革袋です」
「誰の?」
「わかりません」
ミレアが袋を開く。
中には銅貨が数枚と、小さな紙片が入っていた。
ノアは目を丸くする。
「……どうして入口に?」
「さあ」
ミレアが紙片を広げる。
そこには、簡単な地図が描かれていた。
ノアはそれを見た瞬間、背筋が冷たくなった。
地図には、このダンジョンの位置が記されていた。
そして、そのすぐ近くに小さな文字で書かれている。
――未調査洞窟。
「……誰か、この場所を知ってる」
「その可能性が高いですね」
ノアは革袋を握りしめた。
ダンジョンを作り始めたばかりなのに、もう誰かに見つかっている。
幸運だけで生き抜く。
そう決めたばかりだった。
けれど、どうやらこの世界は、ノアに準備する時間をそれほど与えてくれないらしい。
ミレアが静かに口を開く。
「ノア様。今日から、冒険者が来る可能性を現実的に考えたほうがよさそうです」
「……うん」
ノアは小さく頷いた。
そして、まだ小さなダンジョンを見渡す。
魔物は二体。
罠は一つ。
部屋は増えたばかり。
宝箱もない。
そして自分自身は、戦う力を持たない。
それでも。
「大丈夫。やれることはある」
ノアはそう言って、拳を握った。
その瞬間、洞窟の奥で小さな光が瞬いた。
誰も気づかなかった。
昨日発見された隠し部屋のさらに奥。
古びた岩壁の一部が、ほんのわずかに開いていた。
その向こうには、まだ誰にも発見されていない何かが眠っている。
そして、それが見つかるのも――そう遠い未来ではなかった。




