第29話 地下に眠るもの
地下から響いた金属音は、一度きりではなかった。しばらくすると、洞窟の床を通して低い振動が伝わってくる。ノアは腕の中のポヨンを抱えたまま、開いた穴を覗き込んだ。穴の向こうには自然にできた洞窟とは明らかに違う空間が広がっている。壁は平らに削られ、ところどころに古びた石柱が立っている。長い年月を経て崩れたのか、床には瓦礫が散らばっていたが、人の手によって作られた場所であることは間違いなかった。
「ここ、昨日見つけた隠し通路とは別の場所だよね?」
「はい。構造が一致しません。おそらく、この洞窟ができるより以前から存在していた地下施設でしょう」
「じゃあ、ここにも昔は誰かが住んでたのかな」
「その可能性はあります。ただし、人間の遺跡と断定するのは早いでしょう。魔族や亜人、あるいは古代のダンジョンマスターが利用していた施設という可能性もあります」
ノアは穴の縁から身を乗り出した。地下から吹き上がってくる空気はひんやりとしていて、少しだけ鉄のような匂いが混ざっている。危険な場所だということは分かる。それでも、ここまで来て何もせずに戻るという選択肢はなかった。
「調べてみよう」
「当然、慎重に行動してください」
「分かってる。今回は私一人じゃ行かないから」
ノアは周囲を見る。クロウはすでに穴のそばまで来ており、鼻を動かしながら地下の匂いを探っている。セラも耳を立てて周囲を警戒していた。ガルドとバルガには地上側を守ってもらい、ルゥには別の通路から地下へ続く道がないか確認させる。ポヨンはノアの腕の中で、なぜか地下を見ながら楽しそうに身体を揺らしていた。
「ポヨン、君は絶対に勝手に飛び込まないでよ」
「ぽよ」
「昨日から信用がないんだからね」
「ぽよ……」
ポヨンがしょんぼりした顔をする。
「……そんな顔しても駄目」
ノアはポヨンを地面へ降ろした。
するとポヨンは大人しくその場に座った。
「お利口じゃん」
ノアが頭を撫でる。
次の瞬間、ポヨンは地面に落ちていた小石を見つけ、勢いよく飛びついた。
「……」
ノアは無言で目を閉じた。
「ミレア」
「はい」
「この子、やっぱり私の言葉を理解してないよね」
「理解している可能性はあります。ただし、理解したうえで従うとは限りません」
「それ、一番困るやつだよ」
ノアは苦笑しながら地下へ降りることにした。
地下施設へ入ると、空気がさらに冷たくなった。壁には古い文字が刻まれている。ノアには読めないが、ミレアならある程度解析できるらしい。先頭をクロウに任せ、セラが周囲の魔力を探る。ノアは二匹の後ろを歩きながら、足元に注意して進んだ。
「ここ、何か変じゃない?」
しばらく進んだところで、ノアが足を止めた。
「何がでしょう?」
「音がしない」
ミレアが黙る。
確かに、地下へ入ってから魔物の気配がほとんどない。虫の音も、水滴が落ちる音もない。まるで、この場所だけ時間が止まっているようだった。
「生物が長期間にわたって存在していなかった可能性があります」
「じゃあ、さっきの音は?」
「不明です」
ノアは嫌な予感を覚えた。
そのとき、クロウが立ち止まった。
耳がぴんと立っている。
「何かいる?」
クロウが低く唸る。
セラも同じ方向を向いた。
通路の先には、大きな扉があった。
石で作られた巨大な扉。その中央には、見覚えのある紋章が刻まれている。
昨日の隠し部屋で見つけた金属片。
そして、謎の店へ繋がる扉にあったものとよく似ている。
「……また、この印」
ノアが近づく。
「ミレア、何か分かる?」
「魔力の流れを確認しています。どうやらこの扉は、単純な鍵では開かないようです」
「じゃあ、どうやって開けるの?」
「おそらく、何らかの条件が必要です」
ノアが扉を調べていると、背後から小さな足音が聞こえた。
「ぽよ」
「……」
ポヨンだった。
「なんで来たの?」
ノアが尋ねる。
ポヨンは扉の前まで歩いていく。
「待って。触らないで」
ノアが止める。
しかしポヨンは、扉に向かって跳ねた。
「ぽよっ!」
「だから駄目だって!」
ポヨンの身体が扉にぶつかる。
ドンッ。
何も起こらない。
「ほら。何ともないじゃ――」
ノアが言い終わる前に、扉の中央へ淡い光が走った。
ギィィィ……。
重い音を立てて、石の扉が開き始める。
ノアは固まった。
「……」
ミレアも沈黙している。
「……開いたね」
「はい」
「ポヨンが?」
「結果だけを見れば」
ポヨンは何も分かっていない様子で、扉の向こうへ入っていく。
「待って!」
ノアが追いかける。
扉の向こうには、広い円形の部屋があった。
中央には巨大な装置が置かれている。
何本もの金属製の柱が円状に並び、その中心には透明な球体が浮かんでいた。球体の内部には、淡い青色の光が渦巻いている。
「……魔力装置?」
「そう見えます」
ミレアが慎重に解析する。
「かなり古いものですが、完全には壊れていません」
「これ、まだ動くの?」
「おそらく」
ノアが一歩近づく。
すると、中央の球体が反応した。
青い光が強くなる。
そして、部屋の壁に文字が浮かび上がった。
『ダンジョンの核を持つ者へ』
ノアの表情が変わる。
「私?」
文字が続く。
『この施設は、かつて魔物を生み出し、育て、改良するために使われていた』
「魔物を……?」
ノアは息を呑んだ。
「じゃあ、ここって」
「配合施設の可能性があります」
ミレアの声が少しだけ強くなる。
ノアは部屋を見渡した。
壁際にはいくつもの空の容器が並んでいる。大きなものから小さなものまであり、中には液体を入れていたと思われる跡が残っている。さらに、その奥には金属製の台座があり、そこには古い魔石がいくつも埋め込まれていた。
「配合炉……?」
「現在の設備とは異なる形式ですが、原理は近いと思われます」
ノアの胸が高鳴った。
自分たちが必要としていたもの。
配合炉を作るための知識が、ここに残っているかもしれない。
しかし、その直後だった。
中央の球体から、低い音が響いた。
ゴゴゴゴゴ……。
「また?」
ノアが身構える。
球体の内部にあった青い光が一気に収束していく。
そして、部屋の奥にある巨大な容器へ流れ込んだ。
「何が始まるの?」
「魔力が集中しています!」
ノアが後退する。
容器の中に残っていた黒い液体が、ゆっくりと動き始めた。
まるで何かが、その中で目を覚ましたように。
クロウが唸る。
セラも耳を伏せた。
ポヨンだけが、興味深そうに容器へ近づいていく。
「ポヨン、来ちゃ駄目!」
ノアが叫ぶ。
だが、ポヨンは聞かない。
容器へ近づき、その表面を前脚で叩く。
コン。
黒い液体が揺れた。
そして――。
容器の中から、巨大な目が一つ開いた。
「……!」
ノアは息を呑んだ。
黒い液体の中から、何かがゆっくりとこちらを見ている。
ミレアの声が緊張する。
「ノア様。あれは……生物です」
巨大な目がノアを見つめる。
そして、その直後。
部屋の奥から、低い咆哮が響き渡った。
グオオオオオッ!
ノアは反射的に後退した。
「クロウ!」
クロウが前へ出る。
「セラ、逃げ道は?」
セラが耳を動かし、左側の通路を指す。
「分かった。危なくなったら、すぐに逃げるよ!」
ノアが身構える。
ところが――。
ポヨンが突然、ノアの足元へ転がってきた。
「ぽよ!」
「ちょっと、今それどころじゃ――」
ポヨンがノアの足にぶつかる。
ノアの身体がよろめく。
「わっ!」
倒れかけたノアが、とっさに近くの金属製の台座へ手をついた。
カチッ。
何かが作動した。
部屋全体が青白く光る。
巨大な容器の前に、魔法陣が浮かび上がった。
「……え?」
魔法陣から大量の光が噴き出す。
黒い液体の中にいた巨大な影が苦しそうに身をよじった。
そして――。
容器の底が開いた。
「逃げるよ!」
ノアが叫ぶ。
だが、出てきた魔物はノアたちへ襲いかからなかった。
魔物の身体から黒い液体が剥がれ落ち、床へ流れていく。
その下から現れたのは、巨大な獣だった。
四本の脚。
鋭い爪。
頭部には一本の角。
全身を覆う黒銀の毛並みには、青い魔力の線が走っている。
獣はゆっくりと頭を上げ、ノアを見つめた。
「……強そう」
ノアが思わず呟く。
ミレアが鑑定する。
「種族名は……『ヴァルグレイヴ』。古代の戦闘用魔獣として設計された個体のようです」
「戦闘用……」
ノアは警戒する。
ヴァルグレイヴが一歩踏み出す。
クロウが唸る。
セラが魔力を集中させる。
ガルドも地下へ降りてきた。
しかし、その瞬間。
ヴァルグレイヴが突然、膝を折った。
「……え?」
巨大な獣がノアの前で頭を下げた。
ミレアが困惑した声を出す。
「ノア様……どうやら、あの魔法陣が原因のようです」
「どういうこと?」
「古代の制御装置が、起動した際に最初に触れたダンジョンマスターを登録した可能性があります」
ノアは自分を指差した。
「私?」
「はい」
ヴァルグレイヴが低く唸る。
敵意はない。
むしろ、従う意思を示しているようだった。
「……仲間になってくれるの?」
ヴァルグレイヴは静かに頭を下げた。
ノアは少し迷った。
強力な魔物だ。
間違いなく、今の洞窟にいる魔物たちとは格が違う。
だが、ノアはすぐに結論を出さなかった。
「名前、つけないとね」
ミレアが尋ねる。
「どのような名前に?」
ノアは獣の青い魔力線を見つめる。
「……レグル」
ヴァルグレイヴが顔を上げた。
「今日から、あなたはレグル」
レグルは一度だけ、低く鳴いた。
その声は地下施設全体を震わせた。
ノアは少しだけ笑った。
こうして、偶然と幸運が重なった結果、ノアのもとへ新たな強力な魔物が加わった。
そして、その一方で。
地下施設の片隅に残された古い装置が、もう一つの重要なものを記録していた。
『配合炉・設計情報――一部保存』
ノアがそれを見つけるのは、もう少し先のことだった。




