第28話 魔力を吸う植物と妙な魔物
翌朝、ノアは目を覚ますとすぐに異変へ気づいた。洞窟の中が妙に明るい。朝日が差し込んでいるわけではない。淡い紫色の光が、壁や床をぼんやりと照らしているのだ。寝ぼけた頭で周囲を見回したノアは、昨日植えた幸運草の前で立ち止まった。
「……大きくなりすぎじゃない?」
昨日の昼頃には小さな芽だった。それが一晩のうちに、ノアの腰ほどの高さまで成長している。茎は細いのに妙に丈夫そうで、何本もの蔓が周囲へ伸びている。葉は四つ葉どころか六枚、七枚と増え、葉脈の中を淡い光が流れていた。そして中央には、拳ほどの大きさになった紫色の実がぶら下がっている。
「ノア様、起きましたか」
「起きたよ。それより、これどうするの?」
「昨夜から現在までの魔力消費量を計算したところ、ダンジョン全体の魔力のおよそ十二パーセントが、この植物に吸収されています」
「十二パーセント!?」
ノアは飛び上がった。
「昨日は数時間で数パーセントだったよね?」
「はい。成長速度が上がっています。おそらく植物自身が魔力を蓄え、その魔力によってさらに成長し、成長した根がより広い範囲から魔力を吸収するという循環に入ったのでしょう」
「それ、放っておいたらどうなるの?」
「最悪の場合、ダンジョンコアの魔力まで吸収する可能性があります」
「最悪すぎる!」
ノアは慌てて植物の根元へ駆け寄った。しかし、手を伸ばしたところで止まる。切ってしまえばいいのかもしれないが、せっかく手に入れた貴重な魔力資源でもある。問題は、どこまでなら安全なのか分からないことだった。
「ミレア、魔力を吸収しすぎないようにする方法は?」
「いくつかあります。まず根を一部切断する方法。ただし、植物が傷つくことで予想外の反応を起こす可能性があります。次に土ごと別の場所へ移す方法。ですが、根がすでに岩盤の隙間へ入り込んでいるため、こちらも簡単ではありません」
「じゃあ、魔力が少ない場所へ移動させれば?」
「可能性はあります」
ノアは周囲を見渡した。洞窟の奥は魔力が濃い。入口に近づくほど薄くなる。ならば、そこへ植え替えればいい。
「よし、移そう」
ノアが植物へ近づく。
その瞬間、蔓の一本がぴくりと動いた。
「……今、動いた?」
「はい」
「植物って動くものだっけ?」
「この世界では珍しくありません」
「そういう大事なことはもっと早く教えてよ」
ノアが恐る恐る蔓を掴む。
すると植物は抵抗するように蔓を引いた。
「えっ、嫌なの?」
引く。
「嫌なの?」
さらに引く。
「……これ、意思があるんじゃない?」
「その可能性は否定できません」
ノアと植物の奇妙な綱引きが始まった。
「こっち!」
ノアが引っ張る。
植物も引っ張る。
「お願いだから来て!」
蔓がさらに伸びる。
「なんで植物と力比べしてるの、私……」
その光景を少し離れた場所から見ていたルナが、興味深そうに首を傾げている。セラも隣でじっと植物を観察していた。
そして、そこへ小さな影が近づいてきた。
昨日、洞窟の入口付近から植物を眺めていた魔物だった。
丸い身体に短い手足。大きな目を持ち、毛とも皮膚ともつかない柔らかな灰色の表面をしている。大きさはノアの膝ほどしかない。種族としては、洞窟に自然発生した低級魔物――小さな「ポヨン」と呼ばれる魔物だった。
ポヨンはノアと植物を交互に見ている。
「……何?」
ノアが気づく。
ポヨンは答えない。
ただ植物を見ている。
「お腹空いてるの?」
ポヨンが頷いた。
「これ食べたい?」
さらに頷く。
「でも、これ食べたら駄目だよ。今、調整中だから」
ポヨンはしょんぼりと肩を落とした。
その姿を見たノアは少し困った。
「……一口だけなら」
ミレアが即座に警告する。
「ノア様。魔力濃度が高すぎます。低級魔物が摂取すれば、魔力暴走を起こす可能性があります」
「だよね」
ノアはポヨンを見る。
「ごめんね。これは食べさせられない」
ポヨンはさらにしょんぼりした。
そして次の瞬間。
植物の蔓が、ポヨンの頭の上へ伸びた。
「え?」
ノアが見上げる。
蔓の先に、紫色の実がぶら下がっている。
「まさか……」
実がぽろりと落ちた。
ポヨンの頭へ直撃する。
「ぽよっ!?」
ポヨンが転がった。
「ちょっと!」
ノアが慌てて駆け寄る。
しかし、ポヨンは起き上がると、頭の上に落ちた実をじっと見つめた。
そして。
ぱくっ。
「食べた!?」
ノアが叫ぶ。
「ノア様、止めてください!」
「もう食べてる!」
ポヨンは紫色の実を丸ごと飲み込んだ。
数秒間、何も起きない。
「……大丈夫?」
ポヨンがノアを見る。
「ぽよ」
「平気なの?」
「ぽよ」
どうやら何ともないらしい。
ノアは胸を撫で下ろした。
「よかった……」
ところが、ミレアが突然黙り込んだ。
「どうしたの?」
「魔力反応が……妙です」
「妙?」
「ポヨンの体内に入った魔力が、急速に変質しています」
ノアがポヨンを見る。
すると、その身体が少しだけ膨らんだ。
「……?」
さらに膨らむ。
「ちょっと待って」
もう一度膨らむ。
「待って待って」
ポヨンの身体が、まるで風船のように丸くなっていく。
「ぽ、ぽよ……」
次の瞬間。
ポヨンが跳ねた。
ぽよん。
壁にぶつかる。
ぽよん。
反対側の壁へ跳ね返る。
「何してるの!?」
ぽよん。
床へ落ちる。
ぽよん。
天井へ飛ぶ。
ノアが慌てて追いかける。
「止まって! 止まってってば!」
だが、ポヨンは止まらない。
しかも跳ねるたびに、身体から小さな魔力の火花が飛び散っている。
「危険です!」
「分かってる!」
「壁に当たるたびに魔力が拡散しています!」
「もっと早く言って!」
ノアは必死にポヨンを捕まえようとした。
しかし、手を伸ばした瞬間、ポヨンが跳ね返ってきた。
「ぽよっ!」
「わっ!」
ノアの胸へ直撃する。
そのまま二人一緒に転がった。
「いたた……」
ノアが起き上がる。
ポヨンはノアの頭の上に乗っていた。
「……」
「ぽよ」
「降りて」
「ぽよ」
「降りなさい」
「ぽよ」
ノアはポヨンを掴んで床へ下ろした。
ところが、その直後。
洞窟の奥から大きな音が響いた。
ゴゴゴゴ……。
「何!?」
ノアが振り返る。
植物の根が、岩盤の奥へさらに伸びたらしい。魔力を吸収したことで、周囲の地面が僅かに隆起している。
「植物まで暴れ始めた……」
ミレアが分析する。
「どうやら先ほどポヨンが跳ね回ったことで、植物の周囲に魔力が散乱しました。その魔力を植物が吸収しています」
「つまり?」
「ポヨンが魔力をばら撒き、植物がそれを吸収し、さらに成長するという循環が発生しています」
ノアは頭を抱えた。
「最悪の組み合わせじゃん……」
ポヨンが嬉しそうに跳ねた。
ぽよん。
植物が揺れる。
魔力が散る。
根が伸びる。
さらにポヨンが跳ねる。
ぽよん。
「……」
ノアはしばらく無言で二人を見つめた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「ミレア」
「はい」
「この子、危険?」
「現時点では戦闘能力も低く、制御不能な魔力を撒き散らしているだけです」
「それって危険じゃないの?」
「ですが……」
ミレアが少し間を置いた。
「ノア様の幸運と組み合わさった場合、非常に興味深い結果を生む可能性があります」
「興味深い?」
「はい。意図しない行動によって、結果的にノア様へ利益をもたらす可能性があります」
ノアはポヨンを見る。
ポヨンは何も考えていないような顔で、床に落ちた小石を見つめていた。
「……この子、何も考えてなさそうだけど」
「それが問題なのです」
ノアは思わず笑った。
「そっか」
そのとき、ポヨンが突然小石を口に入れた。
「ちょっと、何食べてるの!?」
ノアが慌てて口から取り出す。
だが、その小石はただの石ではなかった。
冒険者が落とした、極小の魔石だった。
ノアがそれを確認する。
「これ……魔石だ」
ポヨンがもう一度手を伸ばす。
「駄目!」
ノアが取り上げる。
するとポヨンは、今度は別の場所へ走っていった。
「待って!」
ノアが追いかける。
ポヨンは壁際へ到着すると、突然立ち止まり、前脚で床を叩いた。
コン。
その瞬間、床の一部が崩れた。
「え?」
地下から風が吹き上がってくる。
ノアが覗き込む。
そこには、今まで誰も知らなかった空間が広がっていた。
「……地下室?」
ミレアが沈黙する。
「どうしたの?」
「いえ……」
ミレアの声に、わずかな驚きが混じった。
「ノア様。あの空間には、かなり強い魔力反応があります」
ノアは目を輝かせた。
「もしかして、魔力結晶がある?」
「可能性はあります」
ノアはポヨンを見る。
「……この子が見つけたの?」
「結果だけを見れば、そうなります」
ポヨンは何も分かっていない様子で、床の穴を覗き込んでいた。
「ぽよ」
ノアはその小さな魔物を抱き上げる。
「ねえ、ポヨン」
「ぽよ?」
「君、もしかしてすごく運がいいんじゃない?」
ポヨンは首を傾げた。
そして、ノアの腕の中で盛大なくしゃみをした。
「ぽよっくしゅ!」
その拍子に、ポヨンの身体が跳ね上がる。
ノアの手から離れたポヨンは、そのまま天井へ飛び、壁を跳ね返り、床へ落下し――。
偶然にも、ノアの足元へ転がってきた小さな魔石を弾き飛ばした。
魔石は床を転がり、地下空間へ落ちていく。
カラン、カラン……。
そして地下から、巨大な金属音が響いた。
ゴゴンッ!
ノアとミレアは顔を見合わせた。
「……今、何か動いたよね?」
「はい」
「魔物?」
「分かりません」
ノアは地下を見つめる。
そして腕の中のポヨンを見る。
「……とりあえず、この子は放っておけないかも」
ポヨンは嬉しそうに鳴いた。
「ぽよ!」
こうしてノアは、まだ正式には仲間として認めていないものの、妙に運のいい小さな魔物を一匹、手元に置くことになった。
そして地下空間の奥では、何百年も眠っていた何かが、ゆっくりと目を覚まし始めていた。




