第26話 必要になったときに現れる扉
翌朝、ノアは昨日見つけた銀色の硬貨を机の上に置き、しばらく眺めていた。古代遺跡の調査に向かうつもりで見つけたものではない。そもそも、昨日の冒険者たちが残した地図がなければ、あの隠し通路を見つけることすらなかった。そこへルナが妙な金属片を拾ってきて、さらに壁の向こうからこの硬貨が出てきた。偶然がいくつも重なった結果として、ノアは今ここにいる。
問題は、その硬貨が何なのかということだった。
「ミレア、これって本当にただの硬貨?」
「鑑定結果だけを見るなら、銀貨に似た魔力媒体です。金銭としての価値はほとんどありません。ただし、内部にかなり特殊な魔力が込められています」
「特殊って?」
「私にも判別できません」
ノアは硬貨を指先で転がした。表面には見たことのない模様が刻まれている。王冠にも紋章にも見えず、植物の蔓が絡み合ったような不思議な模様だった。裏面には数字らしきものが一つだけ刻まれている。
「これ、昨日の部屋にあった紙には何も説明がなかったよね」
「はい。『運のいいお客様へ。次の扉は、必要になったときに現れます』。それだけです」
「……不親切すぎない?」
「商品説明がない店というのは、確かに不便ですね」
「いや、まだ店すら見てないんだけど」
ノアがため息をつくと、ミレアは珍しく少しだけ笑った気配を見せた。
昨日の壁に浮かび上がった線は、今朝になって確認すると完全に消えていた。ノアが手で触れても何の反応もない。銀色の硬貨を近づけても同じだった。どうやら、昨日だけ偶然現れたものらしい。
ノアはしばらく考えた末、硬貨を小さな袋に入れた。
「まあ、今すぐ使うものじゃないよね」
「それが賢明です」
「でも、あの紙……気になるんだよなぁ」
ノアは机に頬杖をついた。
必要になったときに現れる扉。
その言葉がどうしても引っかかっていた。
とはいえ、今のノアには別に欲しいものがあるわけではない。ダンジョンはまだ小さく、魔物も十分な数が揃っていない。昨日初めて侵入者を撃退したばかりなのだから、まずは洞窟そのものを整えることが先だった。
「今日は防衛設備を増やそう」
ノアが立ち上がる。
「昨日の冒険者たちは、入口の罠をかなり簡単に突破してた。今のままだと次は危ない」
「同感です。ですが、罠を増やす前に、魔力の供給量を確認することをおすすめします」
「魔力?」
「はい。昨日の戦闘でダンジョン内の魔力がかなり消費されています。自然回復はしていますが、現状では大規模な罠を複数設置すると、魔力不足に陥る可能性があります」
ノアはそこで、ダンジョンコアへ近づいた。
洞窟の奥に設置されたコアは、以前よりも僅かに大きくなっている。透明な鉱石のような表面の内側で、淡い光がゆっくりと循環していた。
「戦ったから魔力が減るだけじゃなくて、魔物が住み着いたことで増える分もあるんだよね?」
「はい。ダンジョン内に魔物が増え、生態系が形成されるほど、少しずつですが魔力の循環効率も上がります」
「じゃあ、雑魚モンスターを増やすのは意味があるんだ」
「もちろんです。スライム一匹が生む魔力など微々たるものですが、それが百匹、二百匹となれば話は変わります。さらに魔物が植物や他の魔物を食べ、排泄し、死に、土へ戻ることで、ダンジョン内部の生態系が循環します」
ノアは周囲を見渡した。
少し前までは何もなかった場所に、今では小さなスライムが群れを作っている。壁には苔が広がり、その苔を食べる小さな虫が増え、さらにその虫を狙って洞窟コウモリが飛び回っている。ゴブリンたちは勝手に洞窟の一角を巣にしており、最近では木の枝や石を集めて簡単な住居まで作り始めていた。
「私が頑張らなくても、勝手にダンジョンが育ってる……」
「それが理想的な状態です」
「なんか複雑」
ノアが苦笑したとき、奥の通路から大きな音が聞こえた。
ガタン!
「何?」
ノアが振り返る。
直後、ゴブリンが二匹、何かを取り合いながら走ってきた。
「ギャッ!」
「ギギッ!」
「ちょっと、喧嘩しないの!」
ノアが声をかけると、ゴブリンたちはぴたりと止まった。
二匹が奪い合っていたのは、昨日の冒険者が残した干し肉だった。
「……それ、食べ物?」
ゴブリンが頷く。
「じゃあ半分ずつにしなよ」
ノアが干し肉を取り上げ、二つに裂く。
ゴブリンたちはそれぞれ受け取ると、満足そうに奥へ戻っていった。
「……本当に大家さんみたい」
ノアが呟くと、ミレアが答えた。
「大家としては優秀なのでは?」
「そうかな」
「少なくとも家賃を要求しない大家は、魔物からすれば優良物件でしょう」
ノアは笑った。
だが、その日の午後。
洞窟の入口付近に新たな足跡が見つかった。
ノアはしゃがみ込んで地面を確認する。
「これ……昨日の人たちのじゃないよね」
「違います。数は二人。人間です」
ノアの表情が変わった。
「もう来たの?」
「正確には、洞窟へ入る前に引き返したようです」
「どうして?」
「昨日の戦闘跡を見つけたのでしょう」
血の跡や壊れた岩、戦闘によって削れた壁を見れば、ここで何が起きたかはある程度分かる。
ノアは入口の外を見た。
「じゃあ、昨日の四人が死んだことは、もう知られてる?」
「その可能性が高いです」
ノアは黙った。
これからは、もっと冒険者が来るかもしれない。
しかも昨日のような調査目的ではなく、最初からこの洞窟を狙って来る者が現れる可能性もある。
「……強くならないと」
ノアはダンジョンコアを見る。
「でも、どうやって?」
「配合炉の完成を急ぐべきでしょう」
ミレアの言葉に、ノアは頷いた。
配合炉。
これまで何度か話題に上がっていたが、まだ完成していない。今の洞窟には、配合に必要な設備が足りない。
「魔力結晶が必要なんだよね」
「はい。現在、ノア様が所持しているものを一つ使用すれば、炉の基礎部分は作れます。ただし、完成させるためには追加の魔力結晶が必要です」
「つまり、また探さないといけない」
「そうなります」
ノアは少し考えた。
魔力結晶を探すために洞窟の外へ出る必要がある。だが、外には冒険者がいる可能性がある。危険は増えている。
そのときだった。
ノアの腰に吊るしていた袋が、突然揺れた。
「え?」
中に入れていた銀色の硬貨が、淡く光っている。
ノアが袋を開ける。
硬貨が浮かび上がった。
「……ミレア」
「はい」
「これって、もしかして」
硬貨がゆっくりと床へ落ちる。
カラン。
転がった先は、昨日とはまったく違う壁だった。
何もないはずの場所に、細い線が浮かび上がる。
そして、ゆっくりと扉が現れた。
ノアは目を丸くした。
「……必要になったから?」
「そのようですね」
ノアは恐る恐る扉へ近づいた。
昨日の扉とは違う。
こちらは木製だった。
古びた木の扉に、小さな看板が掛かっている。
そこには、見慣れない文字でこう書かれていた。
『欲しいものがある方へ』
「……怪しすぎる」
「はい」
「帰ろうかな」
「それも選択肢です」
ノアは扉を見つめた。
配合炉を作るための魔力結晶。
強くなるための力。
そして、謎の店。
どう考えても関係がありそうだった。
「……でも、ちょっとだけ見てみよう」
ノアが扉へ手を伸ばす。
取っ手に触れた瞬間、向こう側から鈴の音が聞こえた。
チリン、と小さく澄んだ音だった。
扉がひとりでに開く。
その向こうには、洞窟とは明らかに異なる空間が広がっていた。
棚が並んでいる。
瓶、箱、袋、石、種、奇妙な杖。
見たこともない品物が、ところ狭しと並べられている。
そして店の奥。
カウンターの向こうに、顔のよく見えない人物が座っていた。
「いらっしゃいませ」
穏やかな声が響く。
「お客様は……ずいぶん運の良い方ですね」
ノアは固まった。
「……私のこと、知ってるの?」
店主は笑った。
「いいえ」
そして、棚の奥から小さな箱を一つ取り出す。
「ただ、あなたのようなお客様が来るのを、少し待っていただけです」
ノアは箱を見つめた。
その箱には、短い文字が刻まれていた。
『魔力を育てる土』
配合炉の材料を探していたノアにとって、それはあまりにも魅力的な商品だった。
しかし――。
箱の横には、小さな注意書きがある。
『使用方法を間違えた場合、責任は負いかねます』
「……これ、絶対に何かあるよね?」
ノアが呟く。
店主は答えなかった。
ただ、楽しそうに微笑んでいた




