第25話 死者が残した地図
四人の冒険者が死んだ翌朝、洞窟の中には妙に静かな時間が流れていた。いつもなら、スライムが湿った地面を這う音や、洞窟コウモリが天井を飛び交う音が聞こえてくる。しかし今日は、ノア自身がその静けさを意識してしまっているせいか、何もかもが遠く感じられた。昨日までなら、冒険者が来たこと自体が大事件だった。ところが実際に戦いになり、四人全員が命を落としたことで、ノアはようやく理解した。ここはもう、ただの隠れ家ではない。外の世界から見れば、魔物が棲む危険な場所であり、冒険者にとっては攻略対象になる場所なのだ。
「……死体、どうするの?」
ノアが尋ねると、ミレアが少し考えてから答えた。
「そのままにしておけば、臭いにつられて別の魔物が集まる可能性があります。装備品については、ダンジョンの資源として利用できますが、人間の死体まで保存する必要はないでしょう。外へ運び出すか、地下深くへ埋めるのが妥当です」
「じゃあ、埋めよう。装備は……使えるものだけ残す」
「よろしいのですか?」
「うん。死んだ人たちには悪いけど、私たちも生き残らないといけないから」
ノアはそう言いながらも、冒険者たちが持っていた剣や弓をすぐに触ろうとはしなかった。自分が暮らしていた世界では、武器は道具でしかなかった。しかし、この世界では武器一本一本に持ち主の命が結びついているような気がする。昨日まで誰かが握っていた剣を、今日から自分たちが使う。その現実には、まだ慣れそうになかった。
結局、四人の遺体は洞窟の奥にある、普段は使っていない空間へ運ぶことになった。ガルドとバルガが大きな岩を動かし、ノアがその場所を確認する。墓と呼ぶには粗末すぎるが、少なくとも魔物に荒らされる場所ではない。簡単な穴を掘り、四人を埋めたあと、ノアはしばらくその場に立っていた。
「……せめて、名前くらい分かればよかったね」
冒険者たちの身分証らしきものは残っていた。だが、ノアにはこの世界の文字を完全に理解できるわけではない。ミレアなら読み取れるものの、あえて今は聞かなかった。
「帰りたかったんだろうな」
ノアは小さく呟いた。
「でも、私もここを失いたくない。だから……ごめん」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
その日の昼頃になると、洞窟の雰囲気は少しずつ元に戻っていった。雑魚モンスターたちは冒険者たちの死など気にしていない。小さなスライムが昨日の戦闘跡に残った魔力を吸収し、洞窟コウモリが天井から様子を窺っている。数匹のゴブリンまで姿を現し、倒れた木箱を勝手に漁っていた。
「……こうして見ると、やっぱり魔物って逞しいね」
「彼らにとっては日常なのでしょう。強い個体が死ねば、別の個体が空いた場所へ移る。それを繰り返しながら、ダンジョンの生態系が形成されていきます」
「私が全部管理しなくてもいいんだ」
「むしろ、すべてを管理しようとすれば破綻します。ノア様が直接面倒を見るべきなのは、重要な魔物だけで十分でしょう」
ノアはその言葉を聞きながら、洞窟の中を見渡した。
たしかに、以前より魔物が増えている。最初はほとんど何もいなかった洞窟に、今では小さなスライムの群れやコウモリ、ゴブリンなどが自然と棲みついている。ノアが一匹ずつ召喚したわけではない。それでも、魔力が溜まり始めた洞窟では、魔物が自然発生するようになっているらしい。
「じゃあ、こういう子たちは放っておいても大丈夫なんだね」
「危険な増殖や生態系の崩壊が起きた場合を除けば、基本的には問題ありません」
「なんだか、私がダンジョンマスターというより、大家さんみたい」
「家賃を徴収してはいかがですか?」
「魔物から?」
「はい」
「……スライムから何を取ればいいの?」
「知りません」
ミレアが即答したので、ノアは思わず笑ってしまった。
「もう。そういうところだけ急に投げるんだから」
少しだけ空気が軽くなった。
だが、ノアには一つ気になっていることがあった。昨日、冒険者たちから回収した地図である。古代遺跡と書かれた場所は、洞窟からそれほど遠くない。歩いて半日もかからない距離だった。
地図を広げ、ノアはミレアに尋ねる。
「この遺跡、調べてみたい」
「危険です」
「分かってる」
「昨日、四人の冒険者が死亡しました。その四人が調査していた場所です。安全とは到底言えません」
「だからこそ気になるんだよ」
ノアは地図の赤い印を指でなぞった。
「昨日の冒険者たちは、私たちの洞窟を目的地にしてたわけじゃない。もっと大きな目的があって、その途中でここを見つけたんだと思う。だったら、その目的だった遺跡には何かあるかもしれない」
「罠や強力な魔物がいる可能性もあります」
「それなら、まず遠くから見るだけにする」
「ノア様は、そう言って危険な場所へ入っていく傾向があります」
「……否定できない」
ノアは苦笑した。
そこで、少し離れた場所から「にゃ」という声がした。
ルナだった。
黒い身体を揺らしながら、こちらへ歩いてくる。その口には何かを咥えている。
「ルナ、それ何?」
ノアがしゃがみ込むと、ルナは咥えていたものを床へ落とした。
小さな金属片だった。
「……これ、冒険者の荷物?」
ミレアが鑑定する。
「装備品の一部ですね。おそらく戦闘中に落ちたものでしょう」
「そっか。じゃあ、捨てて――」
ノアが拾い上げた瞬間、金属片の表面に薄い光が走った。
ノアの手の中で、金属片が微かに震える。
「え?」
次の瞬間、地図に描かれた古代遺跡の赤い印が淡く光った。
ノアとミレアが同時に地図を見る。
「……連動しています」
「どういうこと?」
「その金属片が、遺跡と何らかの関係を持っている可能性があります」
ノアは金属片と地図を交互に見た。
ルナはそんな二人の様子など気にもせず、床に転がった小石で遊んでいる。
「まさか……ルナが拾ってきたこれが鍵?」
「可能性はあります」
「ルナ」
「にゃ?」
「これ、どこで見つけたの?」
ルナは首を傾げる。
そして突然、くるりと振り返ると、洞窟の奥へ走り出した。
「ちょっと待って!」
ノアが慌てて追いかける。
ルナは冒険者たちを埋葬した場所とは反対側の細い通路へ入り込み、さらに奥へ進んでいく。ノアは初めて通る場所だった。どうやら、今まで岩に隠れて気づかなかった小さな横穴があるらしい。
「こんなところ、あったんだ……」
ミレアが周囲を探る。
「古い通路ですね。自然にできたものではありません。誰かが掘った跡があります」
ノアは慎重に進んだ。
通路の先には、小さな空間があった。
そこには何もない。
ただ、壁に古びた文字が刻まれていた。
「読める?」
「一部だけですが……」
ミレアが文字を解析する。
「『迷いし者よ。欲しいものがあるなら、扉を探せ』……とあります」
「扉?」
ノアは周囲を見渡した。
壁しかない。
しかし、ルナはその場に座ると、壁の一点を前脚で叩いた。
コン。
乾いた音が響いた。
「……そこ?」
ノアが壁に手を当てる。
すると、ほんの僅かに冷たい風が指先へ触れた。
「空洞になってる」
ノアが力を込めると、壁の一部がゆっくりと奥へ沈み込んだ。
その向こうには、古びた石の扉があった。
ノアは息を呑んだ。
「これ……昨日の地図と同じ印がある」
扉の中央には、地図に描かれていたものと同じ赤い印が刻まれている。
ノアが金属片を近づける。
カチッ。
扉の奥で、何かが動いた。
重い音を立てながら石の扉が開いていく。
しかし、その先にあったのは遺跡へ続く道ではなかった。
小さな部屋だった。
部屋の中央には古びた机があり、その上には一枚の紙と、奇妙な銀色の硬貨が置かれている。
そして紙には、たった一行だけ書かれていた。
『運のいいお客様へ。次の扉は、必要になったときに現れます』
「……何これ?」
ノアは紙を見つめた。
ミレアも黙り込んでいる。
ルナだけが銀色の硬貨に近づき、前脚でちょんと触れた。
すると硬貨が転がり、部屋の隅へ向かっていく。
カラン、カラン、と音を立てながら転がった硬貨は、何もない壁の前でぴたりと止まった。
その瞬間。
壁に、細い線が浮かび上がった。
まるで、そこに最初から存在していたかのように。
ノアは思わず一歩後退した。
「……また扉?」
ミレアが答える。
「おそらく」
「開ける?」
「やめておいたほうがいいでしょう」
「だよね」
ノアはしばらく悩んだ末、銀色の硬貨だけを拾った。
「今は帰ろう」
まだ何も分からない。
けれど、昨日の冒険者が残した地図をきっかけに、洞窟の中に眠っていた何かが動き始めた。
そしてノアはまだ知らなかった。
この奇妙な扉の先にあるものが、ダンジョンを強化するための力を与える一方で、使い方を間違えれば、ダンジョンそのものを危険に晒す品々を売る謎の店へと繋がっていることを。
ただ一つ確かなのは、ノアがこの場所へ辿り着けた理由だった。
地図を拾ったのも偶然。
金属片を見つけたのも偶然。
そして、その金属片を持ってきたのはルナだった。
「……やっぱり、私って運がいいのかな」
ノアが呟く。
その隣で、ルナが何でもない顔をして尻尾を揺らしていた。




