第24話 初めての侵入者
森の奥から聞こえてくる人間たちの声を聞きながら、ノアは洞窟の入口から少し離れた岩陰に身を潜めていた。胸の奥が妙に騒がしい。昨日のグラトニー・ベアとの戦いとは違う緊張だった。あの魔物は見るからに危険で、こちらを喰らおうとしていた。だから戦うことに迷いはなかった。だが、今度やって来るのは人間だ。自分と同じ言葉を話し、仲間と会話しながら歩き、武器を持っている。ノアが生まれ育った世界なら、こうして洞窟へ入ってくる人間を「敵」と考えることなどなかっただろう。しかし、ここはダンジョンだ。そして彼らは、武器を手にして自分たちの住処へ踏み込もうとしている。
「ノア様、かなり緊張されていますね」
頭の中に響いたミレアの声に、ノアは小さく息を吐いた。
「うん。魔物と戦うのとは、やっぱり違うよ。あの人たちにも生活があって、帰る場所があるんだろうなって考えると……殺すって決めるのが怖い」
「では、逃がしますか?」
ノアは答えられなかった。
ミレアは急かさず、しばらく黙っていた。やがて洞窟の入口から、枝を踏み折る音が聞こえてくる。四人の冒険者が姿を現した。先頭にいるのは二十代半ばほどの剣士で、使い込まれた革鎧を身につけている。その後ろには大きな斧を背負った巨漢、弓を持った女、そして杖を持つ魔術師らしき男が続いていた。装備は決して一流ではないが、少なくとも素人の集団ではない。先頭の剣士が洞窟の入口を確認すると、仲間へ振り返った。
「間違いない。ここだ。昨日、森で見つけた足跡もこの中へ続いている」
「地図に載ってない洞窟だってのに、妙に魔力が濃いな」
斧使いが入口から中を覗き込む。
「魔石が採れるなら、かなり儲かるかもしれないぞ」
「依頼は周辺の魔物調査だろ。欲張って奥まで行くなよ」
弓使いがそう言ったものの、その声には緊張感よりも期待のほうが強かった。魔術師が杖を掲げ、周囲の魔力を探る。
「内部に複数の魔力反応がある。少なくとも魔物の巣になっているな。規模はそれほど大きくないようだ」
その言葉を聞いたノアは眉を寄せた。
小さいと思われている。
当然だった。まだ洞窟のダンジョンは発展途上だ。大きな建造物もなければ、威圧的な罠が並んでいるわけでもない。外から見れば、魔物が棲みついた普通の洞窟と大差ない。
「セラ」
ノアが小声で呼ぶと、少し離れた場所にいた白銀のムーンホーンラビットが顔を上げた。セラはすぐに耳を立て、入口の向こうへ意識を集中させる。
「何人?」
セラは前脚で地面を四回叩いた。
「四人ね。分かった。じゃあ、もう一度確認するよ。武器を持った人間が四人。こっちへ向かっている。逃げる様子はない」
セラが頷く。
「ありがとう。今回は無理に戦わなくていいから、危なくなったらすぐ戻ってきて」
セラは再び頷くと、入口近くの暗がりへ移動した。
ノアは仲間たちを見回した。クロウはすでに岩陰へ身を隠し、ルゥは天井近くの狭い裂け目へ入り込んでいる。ガルドは最初の広間で待機し、バルガはさらに奥で身体を伏せていた。モラとポムは安全な場所へ退避させてある。ルナだけはノアのすぐ隣にいた。
「ルナ、今回は勝手に出ていかないでね」
「にゃ」
「本当にだからね。昨日みたいに突然飛び出したら駄目だよ」
ルナはノアを見上げると、何食わぬ顔で毛づくろいを始めた。
「……聞いてる?」
「にゃ」
「絶対聞いてないでしょ」
思わず苦笑したところで、冒険者たちが洞窟へ入ってきた。
先頭の剣士が周囲を見回す。入口付近にはノアたちが昨日作ったばかりの簡単な罠がある。床に埋め込んだ魔力石が、侵入者を待って静かに魔力を蓄えていた。
「気をつけろ。魔物の巣なら罠があるかもしれない」
「こんなところに?」
「用心するに越したことはない」
剣士は慎重だった。足元を確認しながら進んでいく。しかし、四人が入口から十数メートルほど進んだところで、最後尾の魔術師がわずかに足を止めた。
「待て」
「どうした?」
「魔力反応がある」
全員が身構える。
だが、魔術師が指したのは床だった。
「魔力石だ。罠かもしれない」
ノアは岩陰で息を呑んだ。見つかった。もう少し進ませてから発動させるつもりだったが、相手もそれなりに経験があるらしい。
剣士が慎重に近づき、剣の先で床を探った。
カチッ、と小さな音が響いた。
「来る!」
床から魔力の鎖が飛び出し、剣士の右足へ絡みついた。予想していたよりも反応が早かったため、剣士は一瞬よろめいたものの、すぐに剣を振り下ろして鎖を断ち切る。
「大した罠じゃない。進むぞ」
斧使いが笑った。
「この程度なら、たいしたダンジョンじゃなさそうだな」
ノアは少し悔しそうに唇を噛んだ。
「……簡単に壊されちゃった」
「罠は敵を倒すためだけのものではありません」
ミレアが静かに答える。
「相手に警戒させるだけでも意味があります。次からは、目の前の罠だけではなく、周囲のすべてを疑うようになるでしょう」
「そっか」
ノアは頷いた。
冒険者たちは進んだ。最初の罠を抜けたことで、彼らの警戒心はむしろ強くなっている。ノアは少し迷ったが、ここで予定を変更することにした。
「クロウ、お願い」
暗闇の中で、二つの目が光った。
次の瞬間、クロウが横の通路から飛び出した。
「来たぞ!」
弓使いが素早く弓を引き、矢を放つ。クロウは身体を捻って矢を避け、そのまま弓使いへ向かって飛びかかった。しかし、その進路へ斧使いが割り込んだ。巨大な斧が振り下ろされ、クロウは地面を蹴って後方へ退く。斧が床を叩き、石片が飛び散った。
「速いな!」
「追うな! この辺りは罠がある!」
剣士の判断は冷静だった。
クロウはすぐに距離を取った。冒険者たちは追わない。互いの背中を守るように固まり、慎重に奥へ進もうとしている。
ノアは少し焦った。敵は強い。しかもこちらの罠を警戒している。正面から戦えば、クロウ一体では危険だ。
そのときだった。
ノアの足元にいたルナが、何かを見つけたように耳を動かした。
「ルナ?」
次の瞬間、ルナはノアの制止を聞くことなく走り出した。
「ちょっと、ルナ!」
黒い小さな身体が岩陰から飛び出す。
冒険者たちが一斉に振り返った。
「猫?」
弓使いが目を丸くした。
「ダンジョンの魔物か?」
ルナは敵意を見せることなく、冒険者たちのほうへ歩いていく。ノアは頭を抱えた。
「なんで出ていくの……」
弓使いがしゃがみ込む。
「ただの猫じゃないか。こんなところに迷い込んだのか?」
彼女が手を伸ばした。
ルナはその手の匂いを嗅ぐように鼻先を近づける。そして次の瞬間、小さなくしゃみをした。
「にゃっ……くしゅ!」
ルナの前脚が床に触れる。
カチッ。
ノアの顔が引きつった。
「……あ」
床が崩れた。
「うわあああっ!」
冒険者四人の身体が一斉に落下する。昨日作ったばかりの簡易落とし穴だった。深さは数メートル程度なので致命傷にはならないが、四人が落ちた衝撃で、底に仕込んであった魔力拘束装置まで作動した。魔力の鎖が四人の腕や足へ絡みつき、武器を構えることすら難しくなる。
「何だこれ!」
「動けない!」
「くそっ、鎖を切れ!」
斧使いが無理やり腕を振り、鎖を引きちぎろうとする。
その隙にガルドが穴の縁へ現れた。
巨体が影を落とす。
「まずい!」
斧使いが顔を上げた瞬間、ガルドの拳が振り下ろされた。地面が大きく揺れ、斧使いの身体が吹き飛ぶ。剣士が拘束されたまま剣を抜こうとするが、その前にクロウが穴へ飛び込んだ。
剣士は最後まで抵抗しようとした。だが、足を拘束されている状態では十分な力を出せない。クロウが喉元へ食らいつき、剣士の身体から力が抜けていく。ノアはその光景から目を逸らさなかった。怖かった。それでも、ここで目を逸らせばいけないような気がした。
「……死んだ?」
ミレアが確認する。
「はい。死亡しています」
ノアは唇を噛んだ。
「そう……」
弓使いは必死に拘束を解こうとしていた。仲間を助けようとするのではなく、自分だけでも逃げようとしている。彼女は短剣を抜き、魔力の鎖を切ろうとした。
「ここから出る!」
だが、その瞬間、暗闇からルゥが飛び出した。
弓使いが驚いて後退する。
その足が、偶然にも崩れかけていた岩盤へ乗った。
岩が崩れる。
彼女の身体が大きく傾いた。
「きゃあっ!」
頭を岩壁へ打ちつけ、弓使いはその場に倒れた。ミレアが確認すると、生命反応はすでに消えていた。
「二人目も死亡しました」
ノアは黙って頷いた。
残るのは斧使いと魔術師だけだった。斧使いは負傷しながらも拘束を破り、穴から這い上がろうとしている。そこへバルガが現れた。
巨大な魔物の姿を見た瞬間、斧使いの表情が凍りつく。
「嘘だろ……」
バルガが低く唸った。
「こいつ……昨日の森で見た獣か?」
斧使いが震える手で斧を構える。
そして、そこでノアは気づいた。
斧の柄に巻かれている革。
そこから漂う匂い。
「……それ」
ノアが呟いた。
「バルガの傷と同じ匂いがする」
ミレアが即座に鑑定する。
「昨日のグラトニー・ベアの素材が使われています。おそらく、牙か爪を加工したものです」
冒険者たちは昨日のグラトニー・ベアを討伐したわけではない。それでも、その素材をどこかから手に入れて武器に加工していたらしい。
斧使いがバルガへ向かって突進する。
「こいつを倒せば、もっと高く売れる!」
斧が振り下ろされた。
バルガが真正面から受け止める。
衝撃で地面が砕けた。
互いに一歩も引かない。
だが、ノアはバルガの目を見ていた。
「バルガ、下がって!」
バルガが一歩退く。
斧使いが勢い余って前へ出た。
その足元には、昨日ノアが作った三つ目の拘束罠があった。
カチッ。
魔力の鎖が足へ絡みつく。
「なっ……!」
斧使いが体勢を崩した。
そこへバルガが突進する。
巨体に弾き飛ばされた斧使いは、壁へ叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「三人目……」
ノアは静かに呟いた。
最後に残った魔術師は、完全に怯えていた。それでも杖を構え、震える声で呪文を唱え始める。
「近づくな……来るな……!」
杖の先に炎が集まっていく。
「ノア様、危険です!」
ミレアの警告が響く。
ノアは咄嗟に岩陰へ身を隠した。
炎が放たれる。
しかし、その直前、魔術師の足元に小さな石が転がった。
魔術師の足が滑る。
身体が僅かに傾き、放たれた炎の軌道が逸れた。
炎は天井へぶつかり、そこから跳ね返った。
さらに、その炎が偶然、壁に埋め込まれていた魔力石を直撃する。
爆発が起きた。
魔術師の身体が吹き飛び、床へ落ちる。
動かない。
ミレアが確認する。
「生命反応、ありません。四人目も死亡しました」
洞窟に静寂が戻った。
ノアはしばらく動けなかった。
四人。
全員が死んだ。
自分が命令したからだ。
クロウたちは自分たちの住処を守っただけだ。冒険者たちは侵入し、魔物を殺そうとした。その結果として戦闘になり、死んだ。それは分かっている。
それでも、人間が四人も死んだという事実は重かった。
「……ミレア」
「はい」
「私、間違ってないよね」
少しの沈黙の後、ミレアが答えた。
「それを私が決めることはできません。ただ、彼らがこの洞窟へ侵入し、こちらの魔物を殺すつもりだったことは事実です。そしてノア様は、最後まで自分から攻撃することを躊躇していました」
ノアは目を閉じる。
「……そうだね」
やがて、ゆっくりと立ち上がった。
「ここは私たちの家だから」
ノアは倒れた冒険者たちを見る。
「次に来る人たちにも、ちゃんと警告できるようにしたい。でも、それでも入ってくるなら……」
一度だけ息を吐く。
「そのときは、守る」
足元でルナが「にゃ」と鳴いた。
ノアが振り返る。
「ルナ」
黒猫は何事もなかったようにノアの足へ身体を擦りつけている。
「……今回の最後の炎、ルナが何かしたの?」
「いいえ。ルナはその場にいませんでした」
「じゃあ、完全に偶然?」
「そのようです」
ノアは苦笑した。
「私の幸運って、こういうことなのかな」
ミレアはすぐには答えなかった。
その一方で、冒険者たちの荷物を整理していたガルドが、一枚の地図を見つけた。そこにはこの周辺の森と洞窟の位置が簡単に描かれており、少し離れた場所には赤い印が付けられている。
そこには、
『古代遺跡・立入注意』
と書かれていた。
ノアは地図を覗き込む。
「古代遺跡……?」
「どうやら、この冒険者たちはそこから来たようですね」
ミレアが言う。
「そして、その遺跡について調べるために、この周辺を探索していたのでしょう」
ノアは地図を折りたたんだ。
冒険者たちは死んだ。
けれど、彼らが持ってきた情報まで消えたわけではない。
そして、その古代遺跡が、この森には存在しないはずの奇妙な扉と繋がっていることを。
それは後に彼女が初めて訪れることになる、不思議な商品を売る謎の店への道標だった。




