第22話 初めての召喚石
翌朝、洞窟のダンジョンには普段とは少し違った空気が漂っていた。昨日までなら、ノアが朝起きて最初にすることは魔物たちの様子を確認し、簡単な食事を用意してからダンジョンの状態を確認することだった。しかし今日は違う。保管庫の奥に並べられた素材を見ながら、ノアは腕を組んで考え込んでいた。グラトニー・ベアから手に入れた魔力核、三個の魔力結晶、それから召喚石を加工するために必要な魔力容器。どれも昨日のうちに揃っている。
「本当にこれで作れるんだよね?」
「はい。素材そのものに問題はありません。問題があるとすれば、召喚石がどのような性質を持つものになるかです」
ミレアが素材を一つずつ確認する。
「召喚石は単純に魔物を呼び出す道具ではありません。使用する核や魔力結晶の性質によって、召喚対象の傾向が変化します。攻撃型になりやすいもの、防御型になりやすいもの、特殊能力を持つ魔物が出やすいものなど、いくつかの種類が存在します」
「じゃあ、この魔力核だと?」
「グラトニー・ベアのものですから、強い魔力を持つ魔物が出る可能性はあります。ただし、必ずしも戦闘向きとは限りません」
「なるほど」
ノアは魔力核を見つめた。
「つまり、何が出てくるかは使ってみないと分からないんだ」
「はい」
「……それ、ちょっと怖いね」
「ですが、ノア様は召喚石を使わなければ新しい魔物を増やせません。配合には既存の魔物が必要ですし、今のダンジョンにはまだ空きがあります」
「うん。分かってる」
ノアは頷いた。
現在の洞窟のダンジョンにいる魔物は七体。クロウ、ガルド、モラ、ポム、ルゥ、バルガ、そしてルナ。
仲間が減ったわけではない。
新しい命が生まれた。
それでも、ダンジョンを守る戦力として考えれば、もう少し魔物が必要だった。
「じゃあ、作ろう」
ノアは配合炉の隣に置かれた小さな加工台へ向かった。
召喚石の製造は配合とは違う。魔物を組み合わせるのではなく、魔力核を中心として複数の素材を圧縮し、一つの石へと変換する。ミレアの指示に従い、魔力核を中央へ置く。その周囲に三個の魔力結晶を並べ、魔力容器を接続する。
「最後にノア様の魔力を流してください」
「どのくらい?」
「まずは少量で構いません。召喚石が必要とする魔力量を超えないよう、こちらで調整します」
「分かった」
ノアが手を置く。
ゆっくりと魔力を流す。
すると、魔力核が淡く光った。
周囲の三個の魔力結晶も次々に光り始める。
「順調です」
ミレアの声に、ノアは少し安心する。
しかし次の瞬間だった。
魔力核が突然、強く脈打った。
「え?」
「魔力の流れが変わりました!」
加工台から黒い光が噴き出す。
「止められる?」
「いえ、もう加工が始まっています!」
「ええっ!?」
光が渦を巻く。
三個の魔力結晶が浮かび上がり、魔力核の周囲を回転する。ノアは慌てて一歩下がった。配合炉でルナが生まれたときとは違う。今回は魔物を作るわけではない。それなのに、加工台全体が激しく震えている。
「これ、大丈夫?」
「おそらく……」
「おそらく!?」
「今のところ爆発する兆候はありません!」
「それならよかった……」
ノアが胸を撫で下ろした瞬間、加工台から小さな音がした。
カチン。
黒い光が一気に収束する。
そこに残っていたのは、一個の石だった。
手のひらに収まる程度の大きさ。
表面は黒に近い灰色で、中央には赤い光が細い線のように走っている。
「完成……?」
「はい」
ミレアが鑑定する。
「召喚石として完成しています」
「やった!」
ノアは石を手に取った。
温かい。まるで生き物のように、微かに脈打っている。
「これを使ったら、魔物が出てくるんだよね?」
「はい。ただし、注意してください」
「何?」
「召喚される魔物は、必ずしも最初から従順とは限りません」
ノアの手が止まる。
「……敵になることもある?」
「可能性はあります。召喚石は魔物を呼び寄せるものですが、契約石ではありません。召喚された個体がノア様を認めるかどうかは、その魔物次第です」
「じゃあ、召喚した瞬間に襲われることも……」
「あります」
ノアは召喚石を見つめ、そして周囲を見る。
クロウは入口近くでこちらを見ている。ガルドは腕を組み、モラとポムは加工台の周囲を興味深そうに跳ねている。ルゥは少し離れたところから警戒している。バルガは巨大な身体を起こし、何が起こるのかを見守っていた。
ルナだけはノアの足元に座っている。
「……一人じゃないもんね」
ノアが小さく呟いた。
「そうですね」
「もし危険な魔物が出ても、みんながいる」
「ただし、過信は禁物です」
「分かってる」
ノアは召喚石を握り直した。
「使う」
「承知しました」
召喚石を床に置き、魔力を流す。
石が光った。
洞窟全体に風が吹き抜ける。
「何か来る……」
ノアが息を呑む。
光の中から、最初に二本の足が現れた。
続いて細い身体。
長い耳。
そして――。
「……兎?」
そこに現れたのは、一匹の小さな魔物だった。
白銀の毛。
長い耳。
赤い瞳。
大きさは大型犬ほど。
しかし普通の兎とは明らかに違う。額には小さな角が一本生えている。
「鑑定します」
ミレアが解析する。
「種族名、ムーンホーンラビット。月属性の魔力を持つ希少種です」
「強い?」
「戦闘能力は中程度。ただし……」
「ただし?」
「魔力感知能力が非常に高いようです」
ノアが目を輝かせた。
「それなら探索に使えそう」
ムーンホーンラビットは周囲を見回している。
そしてノアを見る。赤い瞳と視線が合った。
「……こんにちは」
ノアが恐る恐る声をかけ、魔物はじっとノアを見つめる。
数秒。
そして――。
ぺこり。
小さく頭を下げた。
「……え?」
ノアが固まる。
ミレアも黙っている。
ムーンホーンラビットはもう一度、ぺこりと頭を下げた。
「……友好的みたい」
「そのようですね」
ノアがしゃがみ込む。
「仲間になってくれる?」
ムーンホーンラビットはノアの手へ鼻先を近づけ、くんくんと匂いを嗅ぎ、そして、ノアの手を舐めた。
「……可愛い」
ノアの顔が一気に緩む。
「名前、どうしようかな」
その瞬間、ルナが近づいてきた。黒猫がムーンホーンラビットの前に座る。白銀の兎と黒猫が向かい合う。しばらく互いを見つめたあと、ルナが尻尾を一度振った。
ムーンホーンラビットも耳を揺らす。
「仲良くできそう?」
「おそらく問題ないでしょう」
ミレアが答える。ノアは少し考えてから、白銀の魔物を見た。
「じゃあ、セラ」
ムーンホーンラビットの耳がぴくりと動いた。
「セラって呼んでもいい?」
今度は、はっきりと頷いた。
「決まり!」
ノアが笑う。
「今日からよろしくね、セラ」
こうして、洞窟のダンジョンに新たな仲間が加わった。
だが、その瞬間。
ノアの持っていた召喚石が、突然ひび割れた。
「え?」
カチッ。
石が崩れ、灰になっていく。
「召喚石って、一回使ったらなくなるの?」
「はい。通常は一回限りです」
「そっか」
ノアは少し残念そうに灰を見た。しかし、ミレアが何かに気づいた。
「……お待ちください」
「どうしたの?」
「召喚石の残骸に、魔力が残っています」
灰の中から、小さな赤い欠片が現れた。
「これは……?」
「召喚石の残核です。普通なら消滅するはずですが、なぜか残っています」
「また幸運?」
「……おそらく」
ノアは苦笑した。
「本当に、私の運ってどうなってるんだろう」
足元ではルナが尻尾を揺らし、その隣でセラが静かに座っていた。洞窟のダンジョンに、新しい仲間が一体増えた。
そしてノアはまだ知らない。
その召喚石の残核が、後に彼女のダンジョンで初めての特殊召喚石を作るための重要な素材になることを。




