第18話 黒猫は、ダンジョンの王様?
古代配合炉の前には、まだ特殊配合の余韻が残っていた。床に刻まれた古代文字は淡い光を保ち、炉の内部からは微かな熱気が漂っている。その中央に立っていたノアは、腕の中にいる小さな黒猫を見つめていた。ついさっきまで、そこにはレインとセイルがいた。二体の魔力を使って配合を行い、その代わりに生まれたのが、この小さな魔物だ。だから喜びだけでなく、胸の奥には寂しさもあった。
「……ルナ」
呼びかけると、腕の中の黒猫が顔を上げる。
「にゃ?」
小さな声。
ノアの表情が緩んだ。
「やっぱり猫だよね」
「外見だけなら、ほぼ完全に猫です」
隣でミレアが鑑定結果を確認している。
「ただし、普通の猫と同じだと思わないほうがいいでしょう。先ほどから何度鑑定しても、種族情報が取得できません」
「でも、鑑定できないだけで、すごく強いとは限らないんじゃない?」
「もちろんです。『測定不能』という結果は、必ずしも『最強』を意味しません。能力が特殊すぎる、既存の分類に存在しない、あるいは成長前で情報が確定していないなど、複数の可能性があります」
「じゃあ、今は分からないってことか」
「はい」
ノアはルナの額を指先で撫でる。
白い星形の模様が、ほんの少しだけ光った。
「……可愛いからいいか」
「判断基準がかなり雑になっていますよ、ノア様」
「だって、こんなに可愛いんだよ?」
「否定はしませんが」
ミレアが少し困ったように笑う。
そのときだった。
「ぐるる……」
低い唸り声が響いた。
振り返ると、バルガが入口に立っている。
巨大なロックホーンは、ルナをじっと見つめていた。
「バルガ?」
ノアが呼びかけても動かない。
ただ、敵意を向けているわけでもない。
むしろ警戒しているようだった。
バルガがゆっくりとルナへ近づく。
ノアは少し身構えた。
いくら仲間になったとはいえ、バルガは非常に強力な魔物だ。生まれたばかりのルナとは体格も戦闘力も比較にならない。もし何かの拍子に攻撃でもしたら、ノアが止められる保証はない。
「バルガ、どうしたの?」
バルガはノアの前で立ち止まり、ルナを覗き込んだ。
ルナもバルガを見返す。
しばらく沈黙が続いた。
やがてバルガが鼻を近づける。
ルナは怖がるどころか、小さな前脚を伸ばした。
ちょん。
鼻先に触れる。
バルガが固まった。
ルナはもう一度触れる。
ちょん。
バルガの尻尾がゆっくり揺れた。
「……仲良くなった?」
ノアが笑う。
するとバルガはその場に伏せた。
巨大な身体が地面へ沈み、ルナとほぼ同じ高さになる。
ルナはノアの腕から飛び降り、バルガの頭の上へ乗った。
「えっ」
そのまま、てくてく歩く。
バルガは何もせず、じっとしている。
「ふふっ」
ノアは笑ってしまった。
「ルナ、バルガが気に入ったのかな」
「どうやら、そのようです」
ミレアも微笑む。
「大型魔物と生まれたばかりの魔物が、これほど早く警戒を解くのは珍しいでしょう」
ルナはバルガの頭の上で丸くなった。
完全に気に入ったらしい。
ノアはそんな二匹を見ながら、ふと気づいた。
「……レインとセイルがいなくなったんだよね」
ミレアが静かに頷く。
「はい」
「配合って、こういうものなんだね」
「そうです」
「仲間を使って、新しい仲間を作る」
「正確には、二体の存在を素材として新たな個体へ受け継がせる方式です。ルナの中には、レインとセイルの魔力特性が何らかの形で存在している可能性があります」
「じゃあ、二人が完全に消えたわけじゃない?」
「個体としては消滅しています。ただし、受け継がれたものまで消えたとは限りません」
ノアはルナを見る。
額の白い星。
黒い毛並み。
そして、時々見せる鋭い目。
「……そっか」
ノアはルナを抱き上げた。
「だったら、大切に育てないとね」
ルナが小さく鳴いた。
「にゃ」
「うん」
ノアは笑う。
そのとき、ダンジョンコアが突然輝いた。
【特殊配合個体の成長環境を確認】
【必要条件を算出中】
「え?」
ノアがコアを見る。
新たな表示が浮かんだ。
【個体名:ルナ】
【成長段階:幼体】
【次段階への条件】
【魔力摂取:不足】
【経験値:不足】
【特殊条件:未発見】
「成長条件が出た!」
ノアが目を輝かせる。
「やっぱり育てられるんだ」
「はい。ただし、特殊条件についてはまだ分かりません」
「魔力摂取っていうのは?」
「魔力を含んだ食事や、魔力の濃い環境などが考えられます」
「じゃあ、魔石を食べさせたらいい?」
「普通の魔物なら可能性はあります。ただし、ルナは特殊配合個体です。何を食べるかによって成長方向が変わる可能性があります」
ノアは考え込んだ。
「じゃあ、適当に食べさせるのはやめよう」
「それが賢明です」
「でも、お腹は空くよね」
その瞬間。
「にゃあ」
ルナが鳴いた。
ノアの顔が固まる。
「……お腹空いてる?」
「おそらく」
「何を食べるんだろう」
ノアがルナを床へ下ろす。
ルナは鼻を動かした。
そして、ゆっくり歩き出した。
「どこ行くの?」
ノアたちが後を追う。
ルナはダンジョンの通路を進み、モラたちが暮らしている区画を抜け、さらに奥へ進んだ。
そして、ノアがこれまでほとんど使っていなかった古い保管庫の前で止まった。
「ここ?」
ルナが扉を見る。
ノアが扉を開ける。
中には、古い素材がいくつも保管されていた。その中の一つ。小さな黒い鉱石にルナが突然走り出した。
「ちょっと!」
黒い鉱石へ飛びつく。
そして――。
ぱくっ。
「……食べた?」
ノアが固まる。
「食べましたね」
ミレアも呆然としている。ルナは満足そうに鉱石を飲み込んだ。
直後。
額の白い星が、強く輝いた。ダンジョンコアが反応する。
【魔力摂取を確認】
【適合素材を確認】
【成長条件の一部を達成】
「ええっ!?」
ノアが慌てて鑑定する。
【個体名:ルナ】
【成長段階:幼体】
【魔力適合率:非常に高い】
【特殊条件:一部解放】
「……その石、何だったの?」
ミレアが保管庫を調べる。
「これは……古い魔力鉱石ですね。以前の配合士が研究用に保管していたもののようです」
「じゃあ、ルナはこれを食べたかった?」
「その可能性が高いでしょう」
「なんで分かるの?」
「分かりません」
「また?」
「はい。また分かりません」
ノアはルナを見る。
黒猫は何事もなかったように毛づくろいをしている。
「……謎だらけだね」
「ええ」
ミレアは少し笑った。
「ですが、今までのノア様の幸運を考えると、これも偶然とは思えません」
「そうかな」
「私は、かなり怪しいと思っています」
ノアは苦笑した。
「じゃあ、しばらくルナを観察しよう」
「賛成です」
その頃、ダンジョンの外。
森の奥から、一匹の魔物がこちらへ向かっていた。
巨大な爪が地面を抉る。木々が倒れる。その魔物は、バルガが逃げてきた方向から現れた。
そして――。
ノアのダンジョンから漏れ出す、ルナの魔力を感じ取っていた。
低い唸り声が森に響く。
ダンジョンの中では、ノアが何も知らずにルナを抱き上げていた。
「今日はもう遅いし、寝ようか」
「にゃ」
「おやすみ、ルナ」
ノアは笑う。




