第16話 幸運の次にやってきたもの
ダンジョンの入口へ続く通路に、低い振動が響いていた。最初は遠くで何かが倒れた程度に思えたが、次第にその間隔が短くなっていく。地面がかすかに揺れ、天井から細かな砂が落ちてきた。ノアは古代配合炉の前から離れ、仲間たちとともに入口へ向かった。セイルはすでに先頭に立ち、鼻先を上げて外の気配を探っている。クロウも隣へ並び、いつでも飛び出せるように身体を低くしていた。
「ミレア、何が来てるの?」
「まだ距離があります。ただ、魔力の大きさだけなら、これまでこの周辺で確認した魔物とは比較になりません」
「強い?」
「かなり」
ミレアの答えを聞いて、ノアは思わず足を止めた。
「……逃げたほうがいい?」
「それが最も安全です」
「即答なんだ」
「ノア様のダンジョンには、まだ強敵と正面から戦えるほどの戦力はありません。特に現在は特殊配合を目前にしています。ここで戦力を失うのは避けるべきです」
ノアは頷いた。自分も同じことを考えていた。強そうな魔物を見つけたからといって、何でもかんでも戦えばいいわけではない。ダンジョンマスターになったばかりなのだから、まずは生き残ることが最優先だ。
「じゃあ、入口を閉じよう」
「その必要はないかもしれません」
「え?」
ミレアが外へ視線を向ける。
「魔力反応が止まりました」
ノアも耳を澄ませる。
確かに、さっきまで感じていた地響きが消えている。
「……帰った?」
「分かりません」
セイルが突然、低く唸った。
次の瞬間、森の木々が大きく揺れた。
ズシン。
ズシン。
何かが歩いている。
今度ははっきり分かった。
ノアは入口の岩陰から外を覗く。
木々の向こうから巨大な影が現れた。
四本の脚。
岩のように分厚い身体。
頭部には二本の大きな角。
そして、全身を覆う灰褐色の毛。
「……大きい」
ノアが呟く。
「ロックホーンです」
ミレアが鑑定結果を伝える。
「成体。推定レベルは四十前後。非常に高い防御力を持っています」
「レベル四十……」
ノアの顔が引きつった。
自分たちの主力であるクロウやセイルとは、明らかに格が違う。
ロックホーンは森を歩き、やがてノアたちのダンジョン入口の前で足を止めた。
「……見つかった?」
「おそらく」
ロックホーンが鼻を鳴らす。
そして、地面を前脚で掻いた。
ドン!
地面が揺れる。
「ひっ!」
ノアが思わず一歩下がる。
ロックホーンが頭を低くした。
「突っ込んでくる!」
クロウが前へ出る。
セイルも横へ並んだ。
「待って!」
ノアが叫ぶ。
「戦わないで!」
ロックホーンがこちらを睨む。
そして――。
突然、身体を横たえた。
「……え?」
ノアは目を丸くした。
ロックホーンは敵意を見せるどころか、その場に伏せたまま動かない。
「どういうこと?」
「私にも分かりません」
ミレアが慎重に魔力を探る。
「……怪我をしています」
「え?」
「右前脚です。かなり深い傷があります」
ノアは目を凝らした。
確かに、右前脚から血が流れていた。
「昨日のセイルと同じ?」
「似ています。ただし、こちらのほうが傷は大きいです」
ノアはしばらくロックホーンを見る。
巨大な身体。
鋭い角。
強大な魔力。
どう考えても危険な魔物だ。
それなのに、攻撃してこない。
むしろ、自分から傷を見せるように横たわっている。
「……治してほしいのかな」
「その可能性はあります」
ノアは少し迷った。
「でも、治したら仲間になってくれるとは限らないよね」
「もちろんです。治療と従属は別問題です」
「だよね」
ノアは一歩、外へ出た。
「ノア様!」
「大丈夫」
「危険です」
「分かってる。でも、今のこの子は私を襲ってこない」
ロックホーンがノアを見る。
その目には、敵意よりも疲労が滲んでいた。
ノアはゆっくり近づく。
ロックホーンが少しだけ頭を持ち上げる。
「怖いけど……痛いんだよね?」
返事はない。
ノアは手を伸ばした。
そして、角には触れず、傷ついた脚へ近づく。
「治すよ」
治癒魔法を発動する。
淡い光が傷口を包んだ。
ロックホーンの身体が一瞬だけ強張る。
「お願いだから、動かないでね」
ノアが集中する。
傷口が少しずつ塞がっていく。
出血が止まる。
裂けていた肉が元に戻り、最後には薄い傷跡だけが残った。
ロックホーンは自分の脚を見た。
何度か足を動かす。
痛みが消えたことを確認したのだろう。
そして、ゆっくりとノアへ顔を向けた。
「……どう?」
ロックホーンが立ち上がった。
ノアは少し身構える。
だが、ロックホーンは攻撃しなかった。
巨大な頭をノアの目の前まで下げる。
そして、鼻先をノアの手へ押しつけた。
「……ありがとうってこと?」
ロックホーンが鼻を鳴らす。
ノアは思わず笑った。
「よかった」
ミレアが隣へやってくる。
「ノア様」
「何?」
「鑑定結果が更新されました」
「え?」
「このロックホーン、通常個体ではありません」
ノアの表情が変わった。
「特殊個体?」
「いえ、それとは少し違います」
ミレアが表示を確認する。
「どうやら長期間にわたって大量の魔力を蓄積していたようです。魔力密度が異常に高い。さらに――」
「さらに?」
「体内に魔力結晶があります」
「え?」
ノアはロックホーンを見る。
「もしかして……」
「はい。かなり高品質なものです」
ノアの目が輝いた。
だが、すぐに首を振る。
「……取っちゃ駄目だよね」
「もちろんです」
「だよね」
ノアは少し残念そうにした。
その瞬間、ロックホーンが地面へ何かを落とした。
カラン。
小さな音がする。
「……?」
ノアが見る。
そこにあったのは、青白い結晶だった。
ミレアが鑑定する。
「高品質魔力結晶です」
「え?」
「ロックホーンの身体から剥がれ落ちたものと思われます。体内で形成された結晶の一部が、角質とともに自然に脱落したのでしょう」
ノアは結晶を拾い上げた。
「……これ、もらっていいの?」
ロックホーンが鼻を鳴らす。
そして、もう一つ。
カラン。
「え?」
地面に結晶が落ちた。
さらにもう一つ。
カラン。
「ちょ、ちょっと待って」
ノアが慌てる。
ロックホーンは何食わぬ顔で身体を揺らしている。
そのたびに小さな結晶が落ちていく。
「これ……全部、高品質魔力結晶?」
「はい」
「なんで?」
「私にも分かりません」
ミレアが真顔で答える。
「ただ、ノア様」
「うん」
「これは……」
ノアは地面に転がる結晶を見つめた。
今日、それを探しに出かけた。
そして偶然、地中に眠っていたものを見つけた。
帰ってきたと思ったら、今度は巨大な魔物が自分からやってきて、さらに結晶を落としている。
「……私の幸運、ちょっと怖くない?」
「私もそう思い始めています」
ノアは苦笑した。
しかし、ロックホーンはそんな二人を気にする様子もなく、ノアの前でゆっくりと頭を下げている。
ノアはその頭を撫でた。
「助けてよかった」
ロックホーンが目を細める。
「ねえ、名前をつけてもいい?」
ロックホーンが鼻を鳴らす。
「じゃあ……バルガ」
ロックホーンが尻尾を一度だけ振った。
「気に入った?」
もう一度。
「ふふっ。じゃあ、バルガね」
ノアは新しい仲間を見る。
レイン。
セイル。
クロウ。
ガルド。
モラ。
ポム。
ルゥ。
そして、バルガ。
少しずつ、本当に少しずつだが、ダンジョンが賑やかになってきている。
だが、ノアはまだ知らなかった。
バルガがこの場所へやってきたのは、単なる偶然ではない。バルガは森のさらに奥にある何かから逃げてきたのだ。
そして、その何かは今、、、ノアたちのダンジョンへ向かっていた。




