第14話 森の中の追跡者
洞窟の外から聞こえてくる足音に、ノアは息を潜めた。ここは森の奥で偶然見つけた、ただの自然洞窟だ。ノアたちが普段暮らしているダンジョンからはかなり離れているため、ここが自分たちの本拠地だと知られる心配はない。とはいえ、今のノアにとっては、それ以上に重要な問題があった。外から近づいている人間たちは、明らかにこのグレイウルフを追っている。
クロウが入口近くまで移動し、岩陰から外の様子を窺う。ガルドは短剣を抜き、ノアの前に立った。ポムとルゥもノアの周囲へ集まり、レインはノアの肩に乗って小さく身体を揺らしている。治療したばかりのグレイウルフは、まだ警戒を解いていないものの、ノアから離れることはなかった。
「ミレア、何人いる?」
「確認できているのは三人です。ですが、後方にもう一人いる可能性があります。装備から判断すると、全員が冒険者でしょう」
「やっぱり……」
ノアは自然洞窟の入口を見る。薄暗い森の向こうから、人間の話し声が近づいてくる。
「血の跡はこっちだ!」
「洞窟があるぞ。中を探せ!」
「待て。怪我をしているとはいえ、特殊個体だ。まだ油断するな」
その言葉を聞いた瞬間、ノアはグレイウルフを見た。
「特殊個体……?」
「おそらく、このグレイウルフのことです」
ミレアが静かに答える。
「先ほど鑑定した結果と一致します。彼らも、この個体が特殊個体であることを知っているのでしょう」
「じゃあ、あの人たちはこの子を捕まえに来たんだ」
「その可能性が高いです」
ノアはグレイウルフの傷を思い出した。深い傷だった。自分が治療しなければ、歩くことさえできなかったほどだ。それでも冒険者から逃げ続けて、この場所まで辿り着いたのだろう。
「……渡したくない」
「ノア様」
「この子は私が助けた。もう傷つけさせない」
ミレアはしばらくノアを見つめたあと、小さく頷いた。
「分かりました。ただし、無理な戦闘は避けてください。この自然洞窟はダンジョンではありません。ダンジョンコアの支援も、地形操作もできません。ここで大きな戦闘になれば、私たちのほうが不利です」
「うん。分かってる」
ノアが頷いた直後、洞窟の入口に一人の男が姿を現した。
二十代後半ほどだろう。革鎧を身につけ、腰には剣を差している。その後ろには弓を持った女と、大きな盾を持った男が続いていた。三人とも森で魔物を追跡することに慣れているらしく、洞窟へ入った瞬間に周囲を警戒した。
「……いたぞ」
剣士の男がグレイウルフを見つける。
グレイウルフが牙を剥いた。
「動くな」
男が剣を抜く。
「その魔物は俺たちが追っている。大人しく渡してもらおう」
ノアはグレイウルフの前に立った。
「嫌」
男が眉をひそめる。
「……何?」
「この子は渡さない」
「お嬢ちゃん、この森は遊び場じゃない。そいつは普通の魔物じゃないんだ。俺たちは命を懸けて追ってきた。横から勝手に持っていかれちゃ困る」
「でも、あなたたちが傷つけたんでしょ?」
男は一瞬黙った。
「魔物なんだから当然だろ」
「私は嫌だよ」
ノアははっきりと言った。
「怪我をしていたから治したの。だから、この子は私の仲間」
弓使いの女が驚いたようにノアを見る。
「治したって……あなたが?」
「うん」
「その魔物を?」
「そうだよ」
女は少し困ったような顔をしたが、剣士の男は納得していない。
「それなら話はもっと簡単だ。治療できるなら、その魔物を捕まえたところで別に問題ないだろう」
「問題あるよ」
「なぜだ?」
「仲間だから」
ノアの答えは短かった。
男は呆れたように息を吐いた。
「話にならないな」
そのとき、洞窟の外から新しい声が聞こえた。
「どうした? まだ仕留めていないのか?」
三人の後ろから、大柄な男が入ってくる。厚い革鎧を身につけ、背中には大きな斧を背負っていた。明らかに先ほどの三人より強そうだった。
「隊長。この子が邪魔をしていまして」
「子供?」
大男がノアを見る。
そして、ノアの周囲にいる魔物たちへ視線を移した。
クロウ。
ガルド。
ポム。
レイン。
モラ。
そしてグレイウルフ。
大男の表情が変わった。
「……なるほど」
「何?」
「お前、どうしてそんなに魔物を連れている?」
ノアは答えなかった。
ミレアが小声で言う。
「ノア様。彼らはまだ、この自然洞窟がダンジョンではないことを理解していません」
「うん」
「できれば、その誤解を維持したまま撤退したいところです」
ノアも同じことを考えていた。
ここで戦えば勝てるかもしれない。
だが、勝ったとしても意味がない。相手に自分たちの本当のダンジョンを知られる可能性を少しでも高めるべきではない。
「この子は私たちと一緒に行く」
ノアはグレイウルフを見た。
「だから、諦めて」
大男が笑った。
「なるほど。随分と自信があるな」
「自信じゃないよ」
「では何だ?」
「この子を守りたいだけ」
大男の笑みが消えた。
「……なら、力ずくで奪うしかないな」
大男が斧へ手を伸ばした。
その瞬間、クロウが前へ出た。
低い唸り声が洞窟内に響く。
ガルドも短剣を構えた。
グレイウルフはノアの横へ立つ。
「ミレア」
「はい」
「勝てる?」
「正面から戦えば危険です。ただし、この洞窟は狭いため、相手の人数を活かしにくい地形です。クロウとグレイウルフが前衛になり、ガルドとルゥが隙を作れば、撤退する時間くらいは稼げるでしょう」
「逃げる?」
「はい。今回の目的は戦闘ではありません。特殊個体の確保はすでに成功しています。これ以上危険を冒す必要はありません」
ノアは頷いた。
「分かった」
ノアはクロウを見る。
「クロウ、入口まで押し返して」
クロウが頷いた。
次の瞬間、飛び出した。
「来るぞ!」
剣士が叫ぶ。
クロウが剣を避けながら懐へ潜り込む。男が慌てて剣を振るが、洞窟の狭さが邪魔をして十分な力を乗せられない。クロウはその隙に肩へ体当たりを叩き込み、男を後ろへよろめかせた。
同時にグレイウルフが盾持ちへ襲いかかる。こちらも狭い場所では盾を構えにくく、男は防戦一方になった。弓使いは仲間の背後にいるため矢を放てず、大男が前へ出ようとするが、ガルドがその足元へ飛び込んで動きを止める。
「このっ!」
大男が斧を振り下ろす。
ガルドが横へ飛ぶ。
斧が地面へ突き刺さった。
「ガルド、戻って!」
ノアの声に、ガルドがすぐさま距離を取る。
ポムが大男の足へ飛びついた。
「ぷるっ!」
粘液が靴にまとわりつく。
「なんだ、このスライムは!」
大男が足を振る。
その隙にルゥが背後へ回り、ふくらはぎへ噛みついた。
「ぐっ!」
「今だよ!」
クロウとグレイウルフが同時に前へ出る。
冒険者たちは押し込まれ、ついに洞窟の入口まで下がった。
「一旦、外へ出ろ!」
隊長らしき大男が叫ぶ。
冒険者たちが森へ飛び出していく。
ノアは追わなかった。
「みんな、戻って!」
魔物たちがノアの周囲へ集まる。
大きな怪我はない。
ガルドの腕に小さな切り傷がある程度だった。
「よかった……」
ノアは安堵した。
グレイウルフも無事だった。
その姿を確認して、ようやくノアは緊張が解ける。
「もう大丈夫だからね」
グレイウルフがノアの手に鼻先を押しつける。
ノアはその頭を撫でた。
「……名前、まだ決めてなかったね」
グレイウルフが首を傾げる。
「どうしようかな」
「ノア様」
ミレアが声をかける。
「先ほどの冒険者ですが、まだ遠くへは行っていません」
「え?」
「森の中に気配は残ってます」
ノアの表情が変わる。
「追ってくる?」
「可能性は高いでしょう」
「じゃあ、見つからないように早く帰ろう」
ノアは立ち上がった。
長居する理由もない。
ノアたちは森の中を慎重に進み、来た道を戻っていく。クロウが先頭に立ち、モラが地中から周囲の気配を確認する。グレイウルフはノアのすぐ隣を歩き、レインはその背中に乗っていた。
やがて、木々の向こうに見慣れた岩場が現れた。
入口が見えた瞬間、ノアは大きく息を吐いた。
「帰ってきた……」
「お疲れ様でした」
ミレアの声が少し柔らかくなる。
「外はどうでした?」
「怖かった」
「でしょうね」
「でも、楽しかった」
「それは何よりです」
ノアは振り返る。
森の向こうには、先ほどの冒険者たちがいるかもしれない。
けれど、今のところ本当のダンジョンの位置までは知られていない。
ノアは入口をくぐった。
そして、グレイウルフもその後に続く。
ダンジョンへ入った瞬間、ダンジョンコアが反応した。
【新規魔物を確認】
【所属登録を行いますか?】
ノアは迷わず答えた。
「うん」
【所属登録】
【種族:グレイウルフ】
【個体情報を解析】
【解析中……】
数秒後。
【特殊個体】
【種族変異:確認】
【固有能力:魔力感知】
【固有能力:高速再生】
【潜在能力:非常に高】
ノアは目を輝かせた。
「すごい……」
ミレアも表示を確認する。
「レインに続く二体目の特殊個体です」
「うん」
ノアはグレイウルフの頭を撫でた。
「じゃあ、名前を決めよう」
少し考えてから、ノアは笑った。
「セイル。どうかな?」
グレイウルフが尻尾を振った。
「気に入った?」
もう一度、尻尾が大きく揺れる。
「じゃあ、今日からあなたはセイル」
セイルはノアの横に静かに伏せた。
その光景を見ながら、ミレアが古代配合炉の表示を確認する。
【特殊個体:二体】
【レイン:登録済み】
【セイル:登録済み】
【特殊配合条件――一部達成】
ノアはその表示を見て、少しだけ笑った。
あと必要なのは、高品質魔力結晶十個。
残る問題は、高品質魔力結晶だけだった。
しかし、その夜。
ノアたちが眠りについた頃、森の中では四人の冒険者が焚き火を囲んでいた。
「隊長、どうします?」
「明日もう一度行く」
「でも、あの魔物たちはかなり強かったですよ」
「だからこそだ」
隊長は自然洞窟の方向を見る。
「あの洞窟は妙だ。魔物が複数いるだけじゃない。あの少女が魔物を従えていた」
「ダンジョンマスターだと思いますか?」
「分からん。だが、可能性はある」
男は立ち上がった。
「もし本当にダンジョンなら、まだ俺たちが知らない魔物や財宝が眠っているはずだ」
彼らは知らない。
その洞窟が、ただの自然洞窟であることを。
そしてノアたちがすでに別の場所へ帰っていることを。
冒険者たちは明日、何も知らずに再び森の奥へ向かう。
一方、ノアは自分のダンジョンの中で、次なる問題に頭を悩ませていた。
「……高品質魔力結晶、十個かぁ」
幸運だけでは、そう簡単には集まらない。
少なくとも、ノアはそう思っていた。




