第13話 初めてのダンジョン外
翌朝、ノアはダンジョンの入口に立っていた。
これまで何度も見てきた景色なのに、今日はまるで別の場所に見える。入口の向こうには深い森が広がっている。木々は朝露に濡れ、薄い霧が地面を這うように流れていた。鳥の鳴き声が遠くから聞こえ、時折、森の奥から低い唸り声が響いてくる。ノアがこのダンジョンへ閉じ込められてから、初めて自分の意思で外へ出ようとしているのだ。
「本当に行くんだよね」
「昨日、ご自分で決めたことですよ」
隣に立つミレアが答える。
「そうだけど、外って怖いじゃん」
「ノア様はダンジョンマスターです。外へ出る必要があるとき以外、無理に出る必要はありません」
「でも、仲間を増やしたい」
ノアは森を見る。
「このまま洞窟の中だけにいても、いつか限界が来ると思う。食料も必要だし、魔石も必要だし、何より冒険者が来たときに守ってくれる仲間がもっと欲しい」
「その判断は正しいと思います」
ミレアは少しだけ表情を緩めた。
「では、改めて今回の目的を確認しましょう」
「二体目の特殊個体を探す」
「それだけではありません」
「え?」
「周辺の地形確認。魔物の生息状況。資源の有無。そして、人間の活動痕跡の確認です」
「……いっぱいあるね」
「当然です。ダンジョンの外へ出るということは、それだけ危険も増えるということですから」
ノアは小さく息を吐く。
「分かった。全部見る」
クロウが一歩前へ出た。
森の匂いを嗅ぎ、周囲を確認する。
ガルドは短剣を腰に差し、ポムとレインを守るように立っている。ルゥはその周囲を忙しそうに走り回り、モラはノアの足元に張り付いていた。
「じゃあ、出発」
ノアが森へ足を踏み入れた。
最初の数分は何も起こらなかった。
ダンジョンの外とはいえ、入口付近は意外なほど静かだった。
「思ったより普通だね」
「静かな場所ほど警戒してください」
「……そういうこと言うと何か出てきそう」
「では、何も言わないほうがよかったですね」
「そうして」
二人がそんな会話をしていた直後。
ガサッ。
茂みが揺れた。
「……」
「……」
ノアとミレアが同時に黙る。クロウが前へ出る。ガルドが短剣を抜いた。茂みの奥から、何かが飛び出した。
「きゃっ!」
ノアが身を引く。
だが、現れたのは――小さなウサギだった。
白い毛。
赤い目。
耳が長い。
「……ウサギ?」
「普通の野生動物ですね」
ミレアが確認する。
ウサギはノアたちを一瞬だけ見つめると、森の奥へ走っていった。
「びっくりした……」
「緊張しすぎではありませんか?」
「初めての外なんだから仕方ないでしょ」
ノアが胸を撫で下ろす。
しかし、クロウはウサギが消えた方向をじっと見つめていた。
「どうしたの?」
ノアが近づく。クロウが地面の匂いを嗅ぐ。そして、小さく唸った。
「何かいる?」
「魔物の可能性があります」
ミレアが周囲を確認する。
「ですが、かなり遠いですね」
「追う?」
「いえ。目的地を決めずに追跡するのは危険です」
「そっか」
ノアは頷いた。
そのまま森を進んでいく。
しばらくして、小さな川を見つけた。
「水だ」
ノアが駆け寄る。
「飲んで大丈夫?」
「クロウに確認してもらいましょう」
クロウが川辺へ近づき、水の匂いを嗅ぐ。
少し舐める。
問題ないらしい。
「よかった」
ノアも水を手ですくった。
冷たい。
洞窟の中で使っていた水よりずっと新鮮に感じる。
「この川、ダンジョンの近くまで続いてるのかな?」
「おそらく」
「じゃあ、水源として使えるかも」
「はい。これは重要な発見です」
ミレアが地図へ記録する。
ノアは川沿いを眺めた。
「資源もありそう」
川辺には薬草が生えている。
さらに少し離れた場所には鉱石らしきものも見える。
「……外に出るだけで、こんなに色々あるんだ」
「ダンジョンの中だけで暮らしていたら見つけられなかったでしょう」
「うん」
ノアは嬉しくなった。もっと早く外へ出ればよかった。そんなことを考えていた、そのとき、レインが突然、ぴょんと跳ねた。
「レイン?」
レインは川の上流を向いている。
ぷる。
ぷるる。
「何か見つけた?」
レインが何度も身体を揺らす。
「魔力反応でしょうか」
ミレアが確認する。
「おそらく」
ノアは少し迷った。
「行ってみよう」
「警戒しながらですよ」
上流へ進む。川幅が少しずつ狭くなる。森の木々も密集していく。そして、二十分ほど歩いたところで、クロウが突然立ち止まった。
低い唸り声。
「また?」
ノアが周囲を見る。
何もいない。
しかし、レインは明らかに何かを感じ取っている。
ぷる。
レインが右側の茂みへ向かって跳ねた。
「そっち?」
ノアが追う。
茂みを抜けた先には、小さな洞穴があった。
入口は狭い。
だが、奥から強い魔力を感じる。
「……ここ?」
「はい」
ミレアが答える。
「かなり濃い魔力反応です」
ノアは緊張した。
「特殊個体かな?」
「可能性はあります」
クロウが先頭に立ち、ガルドが続く。ノアはその後ろ。洞穴へ入る。内部は暗い。
だが、レインの身体が淡く光り、周囲を照らしてくれる。
「レイン、便利だね」
ぷるっ。
奥へ進む。
そして――。
何かがいた。岩陰に身体を伏せている。
小型の魔物。
四本足。
灰色の毛。
しかし、こちらへ向けられた目は明らかに敵意を持っていた。
クロウが唸る。
魔物も唸り返す。
「……オオカミ?」
「ウルフ系ですね」
ミレアが鑑定する。
【グレイウルフ】
【状態:重傷】
【生命力:低下】
ノアは目を見開いた。
「怪我してる」
魔物の後ろ脚には深い傷があった。
血が流れているせいで動けないのだろう。だが、近づけば噛みついてくる可能性がある。
クロウが一歩前へ出る。
するとグレイウルフは牙を剥いた。
「待って」
ノアが止める。
「敵じゃないよ」
グレイウルフは警戒を解かない。
ノアはゆっくりしゃがんだ。
「痛いんだよね?」
返事はない。
「治してあげようか?」
グレイウルフが低く唸る。
「……無理かな」
ミレアが口を開く。
「治療魔法を使う場合、警戒を解かせる必要があります」
「どうすればいい?」
「食べ物を与えるのが一般的です」
「でも、持ってきた食料は少ないよ」
「そうですね」
ノアは考えた。
そして、持っていた干し肉を一枚取り出した。
「これでいい?」
「十分でしょう」
ノアはグレイウルフから少し離れた場所へ干し肉を置く。
「食べていいよ」
グレイウルフは動かない。ノアも動かない。
しばらくして――。
グレイウルフがゆっくり近づき、干し肉を咥える。そして、一歩下がる。
ノアは笑った。
「食べてくれた」
グレイウルフは干し肉を食べ始めた。その間に、ノアは魔力を集める。自分の魔力は少ないので、治療魔法を使えば、かなり消耗するだろう。
それでも。
「……治してあげたい」
ノアの手から淡い光が生まれた。
グレイウルフが顔を上げる。光が傷口を包み込む。血が止まる。傷が少しずつ塞がっていく。
ノアの額に汗が浮かんだ。
「もう少し……」
魔力が尽きそうになる。それでも最後まで治療を続ける。
やがて――。
グレイウルフの傷が完全に塞がった。
「……終わった」
ノアはその場に座り込んだ。
ミレアが心配そうに声をかける。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと疲れただけ」
グレイウルフが立ち上がる。
さっきまで動けなかった身体が、しっかりと四本の脚で立っている。
そして、ノアの前まで歩いてきた。
「……」
ノアが見上げる。
グレイウルフはしばらくノアを見つめたあと、頭をゆっくり下げた。
ノアの手に鼻先を押しつける。
「……ありがとう、ってこと?」
ミレアが微笑む。
「そうかもしれません」
グレイウルフはノアの横へ座った。クロウも隣へ来る。二匹の狼が並んだ。
ノアは思わず笑った。
「仲良くできそう?」
クロウが尻尾を振る。グレイウルフも小さく尻尾を振った。
その瞬間。
レインが突然、グレイウルフの身体へ飛びついた。
「レイン!?」
ぷるん。
レインがグレイウルフの毛に乗る。グレイウルフは驚いたように目を丸くした。だが、嫌がる様子はない。むしろ、そのままレインを背中に乗せている。
「……なんか、気に入られたね」
「ぷるっ!」
ノアは笑った。
そして、ミレアがグレイウルフを鑑定する。
次の瞬間。
「……ノア様」
「どうしたの?」
「このグレイウルフですが……」
ミレアが表示を見つめる。
「特殊個体です」
ノアの笑顔が止まった。
「……え?」
ミレアは続けた。
「しかも、通常の特殊個体よりもかなり珍しいようです」
ノアはグレイウルフを見る。グレイウルフは何も知らず、ノアの手を舐めた。
「……また?」
ミレアが静かに頷く。
「はい」
ノアは頭を抱えた。
「まだ外に出て、一時間くらいしか経ってないよ?」
ミレアは少し遠い目をした。
「……そうですね」
だが、そのときだった。洞穴の外から、複数の足音が聞こえた。
人間の声。
「この辺りだ。血の跡が続いている」
「グレイウルフを見失ったぞ」
「まだ遠くへは行ってないはずだ」
ノアの表情が変わった。
ミレアも気づく。
「……冒険者です」
クロウが立ち上がる。ガルドが剣を抜き、グレイウルフが牙を剥く。ノアは初めて理解した。
この森は、魔物だけが住んでいる場所ではない。
そして――。
冒険者との戦いが、すぐそこまで迫っていた。




