第118話 王を支える星守竜と、迫り来る選択
古代の交易拠点から戻った翌朝、クロノアの会議室には、いつもより多くの仲間が集まっていた。王国軍の侵攻に備えた防衛計画を見直すためだ。私が持ち帰った記録には、かつて人間と魔物が協力して交易を行っていたこと、そして魔力循環の異常が完全に調査される前に、王都の命令で交易路が封鎖されたことが記されていた。しかし、肝心の原因は分からない。管理者代理の認証札を使っても、閲覧できたのは一部の記録だけだった。
「つまり、王国が真相を知っているかどうかも、まだ分からないんだね」
ルナが確認するように言った。
「うん。王都に移された記録を見つけないと、これ以上のことは判断できないと思う。ただ、今の王国が私たちを滅ぼそうとしているのは事実だから、過去の協定だけを頼りにするわけにはいかないよ」
私が答えると、ルナは静かに頷いた。
その隣には、星守竜のシエルが控えていた。銀色の鱗に浮かぶ黒い模様が、窓から差し込む光を受けて淡く輝いている。まだ幼い姿ではあるものの、ルナが話す間も周囲の様子を注意深く見ていた。会議が始まってからずっと、シエルは私たちの会話を聞きながら、ときおりルナへ視線を向けている。
「シエルは、どう思う?」
ルナが尋ねると、シエルは小さな翼を一度だけ動かした。
「……過去の記録を知ることと、これからの判断を決めることは、分けて考えるべきだと思います」
幼い姿からは想像できないほど、落ち着いた声だった。
私は少し驚いた。シエルが人間の言葉で意見を述べるのは、まだそれほど多くない。けれど、ルナの問いに答えるとき、その声には迷いがなかった。
「昔の協定が正当なものだったとしても、それを現在の王国が認めるとは限りません。反対に、当時の封鎖に理由があったとしても、今の王国が私たちを攻撃してよいことにはなりません」
シエルはルナを見上げた。
「王が守るべきものは、過去の評価ではなく、今ここにいる者たちです。記録は判断の材料として必要ですが、記録の答えが出るまで国を危険にさらすべきではありません」
ルナはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「そうだな。私は真実を知りたい。人間と魔物が協力できた時代があったのなら、なぜ今は戦わなければならないのかも知りたい。だが、そのためにクロノアの者たちを危険にさらすわけにはいかない」
「はい。だからこそ、調査を続けながら、防衛を整える必要があります」
シエルの言葉に、私は頷いた。
これまでもシエルはルナのそばを離れず、何かあれば寄り添っていた。しかし、こうして王の判断を支える意見を聞くと、単なる守護種というだけではないことが分かる。ルナが王として決断するために、必要な視点を与えてくれる存在なのだ。
「ありがとう、シエル。お前の言葉は参考になる」
ルナが礼を言うと、シエルは少し照れたように頭を下げた。
「私は、あなたが守ろうとしているものを知っています。だから、あなたが判断を誤らないよう、できる限り支えたいのです」
その言葉を聞いたルナの表情が、わずかに和らいだ。
私は二体を見ながら、クロノアにとって必要なものが少しずつ揃ってきているのを感じた。ガルドたちは戦う力を伸ばし、レグルたちは守る力を整え、セラとネレウスは魔力や情報の分析を担う。そしてシエルは、王であるルナの判断を支える。役割は違っても、全員が同じ目的へ向かっている。
「それじゃあ、具体的な話に戻ろう。王国軍の動きについて、何か新しい情報はある?」
私が尋ねると、ミレアが地図の上へ視線を落とした。
「クロウとルゥからの報告では、山道の先にある街道で荷車の往来が増えています。通常の商隊にしては規模が大きく、護衛の数も多いようです」
「前に見つけた魔導兵器の部品と関係しているのかな」
「その可能性があります。破壊した兵器は一つですが、あれが単独で運用されるものだったとは限りません。王国軍が複数の兵器を用意しているなら、今回の荷車にも関連部品が含まれている可能性があります」
私は地図を見つめた。王国軍は一度、魔力を封じる兵器を使って私たちのダンジョンを弱体化させようとした。その計画は失敗したが、敵が諦めたとは思えない。むしろ、一度失敗したからこそ、次はさらに周到な準備をしてくるはずだ。
「今の段階で街道を襲うのは?」
ガルドが身を乗り出した。
「運搬中の兵器を壊せれば、敵の準備を遅らせられる。俺たちが先に叩けばいいだろう」
「護衛の規模も、運んでいる物資の全容も分かっていません」
セラがすぐに反論した。
「こちらから攻撃すれば、敵にクロノアの位置と戦力を改めて知らせることになります。兵器を運んでいるのが確実だとしても、今すぐ襲撃するのが最善とは限りません」
「だからといって、何もしないのか?」
「何もしないとは言っていません。まずは確認するべきです」
二人の意見がぶつかりそうになったところで、シエルが静かに口を開いた。
「攻撃するかどうかを決める前に、敵がその兵器をどこへ運ぼうとしているのかを調べるべきです。クロノアへ向かっているのなら、途中で破壊する価値があります。しかし、別の場所へ運んでいるのなら、兵器の目的や運用方法を探る機会にもなります」
ルナが頷いた。
「シエルの言うとおりだ。敵の目的を確かめてから決めよう」
私は地図の山道に印をつけた。
「クロウとルゥには、引き続き監視をお願いする。チクタは、荷車が通る道と、その周辺にある退避経路を確認して。敵がこちらに気づいた場合でも、安全に引き上げられるようにしたい」
「了解です。正面から見張って見つかるなんて、そんな間抜けなことはしませんよ。隠れる場所と逃げ道を先に押さえておけば、敵が何を運んでいるかくらいは調べられます」
チクタはそう言いながら、地図にいくつもの印をつけていった。
「ただし、護衛が多い場合は接近しません。情報を持ち帰るのが仕事ですからね。英雄になろうとして死ぬのは、割に合いません」
「そこは頼もしいんだけど、最後の一言がチクタらしいね」
「生きて帰って報告する。これが一番重要なんです!」
会議室に小さな笑いが起きた。張り詰めていた空気が少しだけ緩む。だが、笑っていられる時間がいつまで続くかは分からなかった。
会議が終わると、ルナはシエルとともに窓際へ移動した。洞窟の広間では、自然発生した魔物たちがそれぞれの生活を続けている。ゴブリンたちは採掘した鉱石を運び、スライムたちは水場の近くで跳ね、小型の魔獣たちは安全な場所を探していた。クロノアはまだ小さな国だ。それでも、そこには守るべき暮らしが確かに存在している。
「シエル」
「はい」
「私は、いつか人間と魔物が再び協力できる可能性を探したいと思っている。でも、今の王国が攻めてくるなら、戦わなければならない」
ルナの声には、王としての決意と、まだ幼い心に残る迷いが混ざっていた。
「それは矛盾しているのかな」
シエルはすぐには答えなかった。ルナの隣に座り、同じ景色を眺める。
「いいえ。協力できる可能性を信じることと、今の敵から仲間を守ることは両立します。誰かを守るために戦うことまで、未来の可能性を捨てることにはなりません」
「……そうか」
「ただし、戦うと決めたときは、迷いを理由に仲間を危険へさらさないでください。王が判断を下さなければ、代わりに判断する者がいなくなります」
ルナはシエルを見た。
「厳しいな」
「あなたを支えると決めていますから」
シエルは穏やかに答えた。
私は少し離れた場所から二体の様子を見ていた。ルナが王として成長するには、戦う力だけでなく、迷いながらも判断する力が必要になる。そして、その迷いを否定せず、必要なときには厳しい言葉を伝えられる存在がそばにいることは、大きな支えになるだろう。
そのとき、クロウの遠吠えが洞窟内に響いた。
私たちは一斉に顔を上げた。
続いて、見張り役の魔物が広間へ駆け込んでくる。敵が直接接近しているわけではない。しかし、クロウが発見したのは、山道からこちらへ向かってくる小さな光だったという。
「魔力信号です」
ミレアが報告する。
「以前、王国軍が使用していた観測装置と似ています。ただし、信号の間隔が異なっています。単純な観測用ではなく、何かを呼び出すための合図である可能性があります」
「敵が新しい装置を使い始めたってこと?」
「断定はできません。しかし、無視するべきではありません」
私は地図を広げた。信号が確認された位置は、山道と古代交易路へ続く経路の分岐点に近い。偶然にしては、場所が気になった。
「王国軍は、古代の交易路を探している。もしこの信号がそのためのものなら、敵は私たちと同じ場所へ近づこうとしているのかもしれない」
「なら、こちらも急ぐ必要があるな」
ルナが立ち上がる。
「ただし、敵の狙いを確かめるまでは、全軍を動かすべきではない。偵察を続け、確認できた情報をもとに次の判断を下そう」
「分かった。クロウとルゥには警戒を続けてもらう。必要ならチクタも同行させよう。こちらから攻撃するかどうかは、報告を聞いてから決める」
私は頷いた。
古代の記録は、過去の協力関係と封鎖の経緯を少しだけ明らかにした。しかし、今の王国が何を知り、何を狙っているのかは、まだ分からない。敵は着実に準備を進めている。こちらも、防衛を整えるだけではなく、相手の動きを読み、必要なときに先手を打てるようにしなければならない。
シエルがルナのそばへ戻り、小さな翼を畳んだ。
「王よ。次の判断が必要になったときも、私はそばにいます」
ルナはシエルを見つめ、静かに頷いた。
「ああ。頼りにしている」
私はそのやり取りを見て、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。クロノアには、戦う者だけでなく、判断を支える者もいる。だからこそ、私たちは少しずつ国として形を整えられるのだ。
けれど、山道で確認された謎の信号は、まだ止まっていない。
王国軍が何を呼び出そうとしているのか。それが分かるまで、私たちに残された時間は決して多くなさそうだった。




