第116話 不思議な店の古い商品と、失われた協定
洞窟の入口近くに現れた木製の扉を見て、私は思わず足を止めた。木目の浮いた古い扉。小さな真鍮の取っ手。そして、扉の上にぶら下がった鈴。以前訪れた不思議な店と、何一つ変わっていない。
「本当に現れたんだね」
「案内が届いた時点で、可能性は考えていました。ただし、出現場所や時刻を予測できない点は相変わらずです」
ミレアが扉を観察する。私はポケットから、昼間に見つけた紙切れを取り出した。そこには『古いものを探すなら、古いものを売る店へ』と書かれている。
「今回は聞きたいことがはっきりしてる。古代の交易路と、封鎖された理由。それから、旧協定の管理者について」
「店主が答えてくれるとは限りませんが、試す価値はあります」
「うん。でも、また変な商品を買わされないようにしないと」
そう言いながら、私は扉を開けた。
チリン、と鈴が鳴る。
店内には、以前と同じように用途の分からない品物が並んでいた。透明な瓶、古びた鍵、見たことのない鉱石、文字の消えかけた本、何に使うのか分からない金属製の道具。棚の隅には『昨日の失敗を一度だけ別の失敗に変える布』という札まである。
「……相変わらず、よく分からないものばかりだね」
「商品名だけで判断しないほうがよろしいかと」
「ミレア、それって買ってみたほうがいいって意味?」
「いいえ。目的を忘れないでください、という意味です」
私は苦笑し、店の奥へ進んだ。
カウンターには、いつもの店主が立っていた。私たちを見ると、まるで来店を予想していたかのように静かに頭を下げる。
「いらっしゃいませ。今回は、ずいぶんとはっきりした目的をお持ちのようですね」
「古代の交易路について知りたいんです。昔、人間と魔物が協力していた記録を見つけました。でも、魔力循環の異常が起きて、交易路が封鎖されたみたいなんです」
店主は少しだけ目を細めた。
「なるほど。失われた協定をお調べなのですね」
「知っているんですか?」
「この店には、長い年月を経ても価値を失わない品が流れ着きます。人間が忘れたものも、魔物が手放したものも。ですが、すべてを知っているわけではございません」
期待したほど簡単には答えてくれないらしい。
「では、何か手がかりになる商品はありますか?」
「ございます」
店主は即答すると、カウンターの下から細長い木箱を取り出した。
箱の表面には、古代文字らしき模様が刻まれている。蓋を開けると、中には薄い金属板が一枚収められていた。金属板の中央には、円形の紋章が刻まれている。左右に人間の手を模した図柄があり、その間に小さな魔石のような意匠が描かれていた。
「これは『旧協定の記録片』です。かつて人間と魔物が共同で管理していた交易拠点で使用されていたものです」
「記録片?」
「はい。協定の全文ではありませんが、管理者の認証や、交易路の運用に関する情報が一部保存されています。適切な装置に接続すれば、記録を読み出せる可能性があります」
私は身を乗り出した。
「それがあれば、封鎖された理由も分かるかもしれない?」
「可能性はございます。ただし、現在の状態では記録のすべてを読み出せる保証はありません」
金属板を手に取ろうとしたところで、店主が値札をこちらへ向けた。
『金貨三枚』
「……高い!」
思わず声が出た。
以前、月喰い花の種を買うために金貨一枚で苦労したことを思い出す。今は魔石の採掘量も増え、資源には多少の余裕がある。それでも、金貨三枚は気軽に払える金額ではない。
「値引きは?」
「できません」
「即答なんだ……」
私は財布を確認した。やはり足りない。
店内の品物を見回しても、簡単に売れそうなものは見当たらない。魔石を持ち込めば査定してくれるだろうが、必要な分まで売ってしまうわけにはいかない。
「今回は諦めるしかないか……」
「記録片を購入できなくても、ほかに手がかりがないか調べることはできます。焦る必要はありません」
「そうだね。せっかく来たんだし、ほかにも何かないか見てみよう」
私は気持ちを切り替えて、店内を見回した。
そのとき、背後でポヨンが動いた。
ぽよん。
「ポヨン、今日は商品にぶつからないでね」
「ぽよ?」
ポヨンは返事をするように身体を揺らすと、棚の下へ転がっていった。
止める間もなく、棚の脚に身体が当たる。
コツン。
何かが外れるような、小さな音がした。
カタッ。
棚の下にあった古い引き出しが、指一本分ほど開いた。
「……何?」
私は近づいて中を覗いた。
引き出しの中には、用途の分からない金具や、文字の消えかけた札、ひびの入った小さな魔石などが雑然と詰め込まれていた。その奥で、何かが引っかかっている。
ポヨンがもう一度、棚の脚へ身体を寄せた。
コトン。
引き出しがわずかに傾き、中にあった木片が滑り落ちる。その拍子に、奥へ押し込まれていた小さな木製の札が転がり出てきた。
ころころ。
札は床を滑り、ポヨンの身体に当たってから、私の足元で止まった。
「……これも商品なのかな?」
拾い上げると、表面には古代文字が刻まれていた。
裏返す。
そこには、かすれた文字で『管理者代理』と記されていた。
カウンターの向こうで、店主の手が止まった。
「……これは、懐かしいものが出てきましたね」
「知っているんですか?」
「ええ。旧協定の管理者が、代理人に持たせていた認証札です。正式な管理者が不在のとき、限られた範囲の記録や設備を扱うために使われていたものでしょう」
「じゃあ、これがあれば古代の記録を読める?」
「それは接続先の状態によります。認証装置が残っていれば、閲覧できる記録があるかもしれません。ただし、この札だけですべての権限が得られるわけではありません」
私は札を見つめた。
旧協定の管理記録。交易路の封鎖。魔力循環の異常。
今、私たちが調べていることにつながる手がかりかもしれない。
「これ、譲ってもらえませんか?」
店主はすぐには答えなかった。
代わりに、引き出しの中を覗き込む。
「この引き出しは、長い間、整理していなかったのです。古い品が別の品の陰に入り込むこともございます。私も、そこに残っていたとは気づきませんでした」
「じゃあ、売るつもりで置いていたわけじゃないんですね」
「少なくとも、今すぐお売りするつもりで保管していた品ではありません」
店主は札を見てから、私へ視線を戻した。
「ですが、あなた方が旧協定の記録を調べているのなら、その札が必要になる可能性はあります。持ち帰って調べることには、意味があるでしょう」
「本当に?」
「ええ。ただし、認証札を手に入れたからといって、必ず記録を読めるとは限りません」
私は頷いた。
「それでも、試してみたいです」
店主は少し考えたあと、静かに札を私の手元へ押し出した。
「では、お持ちください。今回は商品としてお売りするのではなく、調査に必要な品を預ける、と考えることにいたしましょう」
「ありがとうございます!」
店主が無条件で何かを譲るというのは、少し意外だった。けれど、札を眺めていると、単なる古い木片には見えなくなってくる。かつて人間と魔物が同じ場所で働き、交易路を管理していた時代。その一端を担った誰かが、実際に身につけていたものなのだ。
店主は、そんな私の考えを見透かしたように続けた。
「ただし、ひとつだけ覚えておいてください。古い協定の記録を読むことと、その協定を現在も有効だと証明することは別です。記録は過去を示しますが、今の人間たちがそれを認めるとは限りません」
その言葉は、妙に重く響いた。
「分かっています。私たちは、王国が何を言ってもクロノアを守ります。そのためにも、昔のことを知っておきたいんです」
「それならば、調べる意味もあるでしょう」
店主はそれ以上、何も語らなかった。
私は認証札を大切に収納した。
振り返ると、ポヨンは棚の脚のそばで、何事もなかったように身体を揺らしている。
「……ポヨン、今回はいいものを見つけてくれたね」
「ぽよっ!」
得意げな返事が返ってきた。
もっとも、本人が何を見つけたのか理解しているかどうかは、かなり怪しかった。
店を出る直前、私はもう一度だけ振り返った。
「また何か分かったら、ここに来てもいいですか?」
「もちろんです。必要なものがあるときには、扉が現れるかもしれません」
「……相変わらず、場所も時間も分からないんですね」
「この店は、必要とされる場所に現れることもございます。ただし、必ずしもお客様の望む形で現れるとは限りません」
私は苦笑して扉を閉めた。
チリン。
次の瞬間、そこにはいつもの洞窟の壁しかなかった。
地下施設へ戻ると、ミレアたちがすぐに認証札を調べ始めた。まず、札に刻まれた文字と紋章を、以前の交易拠点で確認した古代記録の情報と照合する。完全に一致するわけではないものの、共通する記号がいくつも見つかった。
「この札が本物である可能性は高いです」
ミレアが慎重に告げた。
「以前見つけた記録装置には、旧協定の管理者を認証する機構が残っていました。今回の札が対応しているなら、管理記録へアクセスできるかもしれません」
「じゃあ、あそこへ戻ればいいんだね」
「はい。ただし、認証装置が正常に動く保証はありません。札が認識されても、記録の閲覧には別の条件が必要になる可能性があります」
セラも頷いた。
「それに、王国軍が古い水路を探している以上、移動には注意が必要です。記録を調べている間に敵が接近する事態は避けたいところです」
「分かった。調査と防衛準備を並行して進めよう。クロウとルゥには、引き続き周辺の監視をお願いする。敵の動きが確認されたら、調査より防衛を優先するよ」
「承知しました」
私は会議室の地図へ目を向けた。
王国軍の侵攻準備は続いている。こちらが古代の歴史を調べている間にも、敵は兵力を集め、武器を整え、クロノアを滅ぼすための準備を進めているかもしれない。昔の協定がどれほど立派なものだったとしても、それだけで今の王国軍が手を引くとは思えなかった。
それでも、過去を知る意味はある。
なぜ人間と魔物は協力していたのか。なぜ交易路は封鎖されたのか。そして、王国が古代技術を欲しがる理由は何なのか。そこに今の戦争を止める手がかりがあるとは限らない。けれど、敵の狙いを知ることができれば、クロノアを守るための選択肢は増えるはずだ。
「ミレア、出発できるように準備を進めて。認証札を試す小隊は、必要最低限の人数にしよう。残りはここで防衛を続ける」
「承知しました。調査班の選定と、帰還経路の確認を進めます」
「お願いね」
私は認証札を収納した場所を、そっと確かめた。
不思議な店で手に入れたのは、武器でも魔石でもない。古い木製の札が一枚。それでも、今の私たちにとっては、敵の兵器よりも重要な情報へつながる可能性がある。
次に向かうのは、かつて人間と魔物が交易を行っていた拠点だ。あそこに残る記録装置が、この札を認識してくれれば、封鎖の真相へ一歩近づけるかもしれない。
私は仲間たちを見渡した。
「準備ができたら出発しよう。昔のことを知るためにも、今のクロノアを守るためにも」
誰も反対しなかった。
古代の記録が、私たちに何を教えてくれるのかはまだ分からない。けれど、王国が侵攻を続ける以上、知らないままでいるわけにはいかなかった。




