第115話 壁の向こうの古代記録と、不思議な店の気配
古い水路の入口を調べ終えた翌朝、私はトウガからの報告を受けて、避難区画の奥へ向かっていた。昨日、ポヨンが偶然見つけた補助通路。その周辺を詳しく調べたところ、壁の内部にもう一枚、古い金属板が埋め込まれていることが分かったらしい。
「今度は何が出てくるんだろうね」
「期待よりも警戒を優先してください、ノア様」
隣を歩くミレアが、いつもの落ち着いた声で答えた。
「分かってるよ。分かってるけど、ポヨンが見つけたものって、だいたい普通じゃないんだもん」
「その点については否定できません」
通路の奥では、トウガが壁の寸法を測り、レグルが崩落しないよう周囲を支えていた。ポヨンは二体の近くで、何も知らない顔をして身体を揺らしている。
「ノア様、こちらです。金属板の周囲に古代文字が刻まれています。以前の避難区画とは別の機構かもしれません」
トウガが壁の一部を指した。灰色の石材の隙間から、黒ずんだ金属が細く覗いている。その表面には、ほとんど消えかけた文字が並んでいた。
セラが魔力を流して調べると、金属板の縁に淡い光が走った。
「記録装置の一種です。ただし、現在は停止しています。破損しているわけではなく、何らかの認証を待っているようです」
「認証って、ルナのこと?」
「可能性はあります。王位継承者を認識する装置は、これまでにも複数確認されていますから」
私はルナを見た。
ルナはシエルと一緒に通路の少し奥に座っていた。こちらの話を聞いていたのか、ゆっくり立ち上がり、金属板の前まで歩いてくる。
「これに触ればいいのか?」
「まだ分からないよ。危険がないか確認してからにしよう」
「分かった」
ルナは素直に下がった。
そのとき、ポヨンが動いた。
ぽよん。
小さな身体が石材の端に当たり、壁際に置いてあった測定器が傾いた。測定器は床を滑り、金属板の下にある小さな窪みに収まる。
カチッ。
金属板が一度だけ光った。
「……また?」
私は額に手を当てた。
しかし、今回は壁が開くことも、何かが転がり出てくることもなかった。代わりに、金属板の表面に古代文字が次々と浮かび上がっていく。
『旧協定管理記録――閲覧権限を確認』
『王位継承者――認証済み』
『記録の一部を再生します』
空中に淡い光が広がり、映像のようなものが浮かび上がった。
そこに映っていたのは、現在の洞窟とはまったく違う景色だった。
石造りの広場を、人間と魔物が行き交っている。人間は金属製の道具や薬品の入った箱を運び、魔物たちは魔石や鉱石、薬草の束を台車に積んでいた。互いに武器を向ける様子はなく、荷物を確認しながら取引を進めている。
「これが……昔の交易の様子?」
私が呟くと、ミレアが頷いた。
「はい。人間と魔物が共同で管理していた交易拠点の記録と思われます」
映像の中では、巨大な魔物が人間の技術者と一緒に装置を調整していた。別の場所では、人間の子供が小型の魔物へ食べ物を差し出している。魔物もそれを受け取り、穏やかに身体を揺らしていた。
今の世界しか知らない私には、少し信じられない光景だった。
「昔は、こんなふうに暮らしていたんだね」
「少なくとも、この記録が示す時代には、一定の協力関係が成立していたようです」
映像が切り替わった。
今度は、同じ広場が騒然としていた。魔力測定器が異常な数値を示し、装置の周囲で人間と魔物が慌ただしく動いている。壁には警告の文字が浮かび、何人かの技術者が装置を停止させようとしていた。
『魔力循環異常を確認』
『原因の特定には追加調査が必要』
『交易路の一時閉鎖を提案』
その後の記録は途切れ途切れだった。人間側の管理者が封鎖を命じ、魔物側の代表が抗議している。だが、原因が特定される前に、交易路は閉じられてしまったらしい。
「やっぱり、事故が起きたから封鎖されたんだ」
私は映像を見つめた。
「でも、原因が分かる前に閉鎖したんだよね?」
「はい。以前見つけた記録とも一致します。人間側の中央管理機関は、調査を継続するよりも、危険の拡大を防ぐことを優先したようです」
ルナが静かに口を開いた。
「それだけなら、封鎖した理由は分かる。でも、なぜその後、交易を再開しなかったんだ?」
「記録が足りないから、まだ断定できないよ」
私は答えた。
「事故の原因を解決できなかったのかもしれない。あるいは、別の事情があったのかもしれない。今の王国が何を考えているのかも含めて、まだ調べる必要があるね」
映像の最後に、古代文字が浮かび上がった。
『旧協定管理者の認証待ち』
その文字は以前、記録箱で見たものと同じだった。
「管理者がいれば、もっと詳しい記録を見られるのかな?」
「その可能性があります。ただし、管理者の所在は不明です。王国の中央部に記録が移された可能性もあります」
私は小さく息を吐いた。
古代の人間と魔物が協力していたことは分かった。交易路が封鎖された経緯も、少しだけ見えてきた。けれど、なぜ今の王国が魔物を一方的に敵とみなし、クロノアを滅ぼそうとしているのか。その答えはまだ見つかっていない。
「ノア」
ルナが私を見上げた。
「昔、協力できていたからといって、今の人間たちも同じとは限らない」
「うん。分かってるよ」
「それでも、記録は残しておきたい。私たちが何を守ろうとしているのか、忘れないためにも」
私は頷いた。
「そうだね。昔のことを知るのは、仲良くするためだけじゃない。敵が何を狙っているのか、どうして争いが起きたのかを知るためでもある」
セラが記録装置を保存するための準備を始めた。トウガは壁を傷つけないよう周囲を補強し、ネレウスは記録に含まれていた魔力回路を解析している。こうした情報は、今後の防衛にも役立つかもしれない。
そのときだった。
ポヨンが、いつものように身体を揺らした。
ぽよん。
そして、床の隅に転がっていた小さな紙切れにぶつかった。
「……紙?」
私は拾い上げた。
そこには、見覚えのある文字が書かれていた。
『本日、営業中』
私はしばらく紙を見つめたあと、ミレアへ視線を向けた。
「これって……」
「以前訪れた不思議な店の案内と思われます」
「こんなところに落ちてるの?」
「通常の店舗とは異なる空間に存在しているため、出現場所に規則性がないのかもしれません」
私は紙を裏返した。裏には、小さく一文が追加されていた。
『古いものを探すなら、古いものを売る店へ』
「……ずいぶん意味深だね」
ミレアは慎重な表情になった。
「現在の調査内容と関係がある可能性はあります。ただし、店主が何を知っているかは分かりません」
私は少し考えた。
今すぐ王国との戦いを止めることはできない。防衛準備も続けなければならない。けれど、古代の記録を調べる手がかりが増えるなら、店を訪れる価値はある。
「今夜、時間を作ろう。店が現れたら、古代の記録や交易路について聞いてみたい」
「承知しました。ただし、前回までの経験から、商品の購入だけで済むとは限りません」
「……ポヨンがいるから?」
「はい」
私は足元を見た。
ポヨンは紙切れを見上げ、嬉しそうに身体を揺らしている。
「ぽよっ!」
「君は本当に、どこからこういうものを見つけてくるんだろうね」
ポヨンは答えず、もう一度だけ跳ねた。
その拍子に、紙切れの端から小さな黒い粉が落ちた。粉は床に触れる前に淡い光へ変わり、壁の古代文字へ吸い込まれていく。
記録装置が、再び一瞬だけ光った。
『追加記録――未解放』
ミレアが息を呑む。
「ノア様。今の反応を記録しました。あの案内に付着していた物質が、古代装置へ何らかの影響を与えた可能性があります」
「じゃあ、不思議な店は古代施設のことを知っているのかな?」
「断定はできません。ただ、店主が何かを知っているなら、聞いてみる価値はあります」
私は案内を大切に収納した。
王国軍の侵攻が迫る一方で、古代の記録も少しずつ明らかになってきた。そして、そこへ再び現れようとしている不思議な店。
何が手に入るのかは分からない。役に立つ道具を買えるかもしれないし、またポヨンが騒動を引き起こすかもしれない。
それでも、今度はただ珍しい品物を探すために行くわけではない。
「昔、人間と魔物がどうして一緒に暮らせなくなったのか。少しでも手がかりが見つかるといいね」
ルナは静かに頷いた。
「ただし、王国が攻めてくることを忘れないで。私たちは、過去を調べながら今を守らなければならない」
「もちろん」
私は仲間たちを見渡した。
クロノアの防衛準備は続く。古代の記録も調べる。そして、機会があれば不思議な店へ向かう。
やることは多い。
でも、今の私たちなら一つずつ進めていけるはずだ。
その夜、洞窟の入口近くに小さな木製の扉が現れた。
チリン。
どこからともなく、鈴の音が響いた。




