第110話 侵入者への裁きと、初めての殲滅命令
翌朝、ノアはレグル、トウガ、チクタを連れて、古い輸送路へ続く分岐点の点検に向かった。人間側が観測標を設置していた以上、この通路の存在を探っている可能性は高い。ここを突破されれば、敵は洞窟の正面を攻めることなく、クロノアの内部へ侵入できてしまう。採掘場も倉庫も、そして暮らしている魔物たちも、直接危険にさらされることになる。
「この先が古い輸送路だね」
「はい。以前確認した区間に異常はありません。ただし、入口付近の魔力反応に微細な変化があります」
ミレアの報告に、ノアは足を止めた。
「変化って?」
「誰かが魔力を流した痕跡です。装置を設置したか、あるいは通路の封印に干渉した可能性があります」
トウガが地図を広げ、周辺の地形と照らし合わせる。
「この場所なら、岩陰から通路の入口を観察できます。敵が昨日の偵察隊とは別に人員を残していた場合、ここから接近する可能性があります」
「つまり、もう近くにいるかもしれないってこと?」
「断定はできません。しかし、警戒すべきです」
チクタは耳を立て、周囲を見回した。
「……嫌な感じがします。こういう場所は、見張る側にとっても危険なんですよ。見張りを見張る者がいれば、こちらが確認に来ることまで読まれているかもしれません」
「だったら、どうする?」
「まずは姿を見せずに確認です。敵がいるなら、位置と人数を把握する。こちらが先に見つけたのに、わざわざ相手へ知らせる必要はありません」
ノアは頷いた。
「分かった。クロウたちの報告を待とう」
その直後だった。
少し離れた岩場の向こうから、かすかな金属音が響いた。
カン。
続いて、誰かの小声が聞こえる。
「……ここで間違いない。昨日の装置が拾った反応は、この奥へ続いている」
ノアの表情が変わった。
レグルが片手を上げ、全員へ静止を促す。トウガは地図を畳み、チクタは素早く岩陰へ身を隠した。
岩場の向こうから現れたのは、人間の兵士たちだった。数は八人。軽装の兵が六人、魔術師らしい男が一人、そして指揮官と思われる鎧姿の男が一人。兵士の一人が金属製の器具を取り出し、通路の壁へ押し当てている。
「封印の反応が弱い。内部の魔力循環が戻っているなら、ここを通れる可能性がある」
「本隊に報告しますか?」
「いや、先に確認する。通路が使えると分かれば、正面の防衛を無視して内部へ入れる。魔物どもが気づく前に入口を確保するぞ」
ノアの胸の奥が冷たくなった。
彼らは調査だけに来たのではない。
クロノアの防衛線を迂回し、内部へ侵入するつもりだった。
指揮官はさらに続けた。
「王命は変わらん。魔物の王と幹部を排除し、魔力貯蔵核と魔石を確保する。抵抗する個体はすべて処分しろ。使えるものだけを残せばいい」
その言葉を聞いた瞬間、ノアの中で何かが切り替わった。
弱い魔物も、採掘をしているゴブリンも、洞窟の隅で眠っている小さな魔獣も、彼らにとっては邪魔なものか、利用するための資源でしかない。
降伏を求める一方で、抵抗する者は殺し、国の中身を奪うつもりなのだ。
「……ミレア」
「はい、ノア様」
「これ、侵略行為だよね」
「間違いありません。クロノアへの無断侵入に加え、王族および住民の排除、資源の強制接収を計画しています」
ノアは岩陰から兵士たちを見つめた。
「警告は必要ない。ここで逃がしたら、また仲間を連れて戻ってくる」
レグルが静かに頷く。
「命令を」
ノアは一度だけ深く息を吸った。
「全員、倒して。武器を捨てて逃げようとする者も、こちらの位置を知らせるために動こうとする者も、見逃さないで。クロノアの民を殺すつもりで来た敵を、これ以上自由に歩かせるわけにはいかない」
「了解した」
レグルの声に迷いはなかった。
チクタは一瞬だけ顔を青くしたが、すぐに地図を取り出した。
「敵は通路の入口に集中しています。逃げるなら、後ろの岩場を抜けて北側へ向かうはずです。ただ、あの斜面は足場が悪い。追い詰められた兵士が散開するなら、そちらへ回り込むのが確実です」
「チクタ、無理はしなくていいよ」
「分かっています。私は戦う役ではありませんからね。ですが、逃げ道を把握するのは得意です。敵に逃げ道を使わせないためにも、必要な情報は出します」
ノアは小さく頷いた。
「お願い」
まず動いたのはクロウだった。
岩場の反対側から、低い唸り声が響く。兵士たちが一斉に振り向いた瞬間、クロウが岩陰から飛び出し、最後尾の兵士へ襲いかかった。兵士が剣を抜くより早く、その身体は地面へ倒れ込む。
「敵襲!」
指揮官が叫んだ。
同時に、レグルが正面から踏み込んだ。巨体が地面を揺らし、兵士たちの前に立ちはだかる。先頭の兵士が槍を突き出すが、レグルの装甲には傷一つつかない。
「化け物め!」
兵士が槍を引こうとした瞬間、レグルの腕が動いた。盾ごと兵士を弾き飛ばし、岩壁へ叩きつける。鈍い音が響き、兵士はその場に崩れ落ちた。
「隊列を組め! 魔術師、援護しろ!」
指揮官の命令に、魔術師が詠唱を始めた。
だが、その魔力が形になる前に、岩場の上から青い光が走った。
「詠唱が遅い。構成も粗雑。戦場で使うには、あまりにも隙だらけですね」
ネレウスだった。
彼の放った魔力干渉が、魔術師の術式を横から崩す。火球は形を保てず、空中で弾けて消えた。
「な、何をした!」
「あなたの魔法を失敗させただけです。理解できましたか? できないでしょうね」
ネレウスが翼を広げる。
魔術師が慌てて別の術式を組み立てようとしたが、今度は魔力の流れそのものが乱れた。術式の中心が崩れ、逆流した魔力が腕を焼く。
魔術師は悲鳴を上げて膝をついた。
その隙に、ルゥが側面から走り込み、兵士の足元へ飛びついた。兵士が体勢を崩したところへ、ガルドの斧が振り下ろされる。
ガギンッ!
鎧が砕け、兵士は地面へ倒れた。
「敵を一人も通すな!」
ガルドの咆哮が響く。
その後ろから、バランが突進した。赤褐色の鱗が光り、太い尾が兵士たちの隊列を薙ぎ払う。兵士たちは互いにぶつかり、隊列が崩れた。
「俺の前に立つな!」
「バラン、追いすぎるな! 隊列を崩したら戻れ!」
ガルドの声が飛ぶ。
バランは一瞬だけ不満そうに歯を剥いたが、すぐに進路を変え、逃げようとした兵士の前へ回り込んだ。以前なら勢いのまま追撃していたところだ。今は味方の位置を確認し、敵を逃がさない場所を選んでいる。
「逃げ道はないぞ、人間ども!」
兵士たちは完全に混乱していた。
正面にはレグル。
側面にはガルドとバラン。
魔法はネレウスに妨害され、後方ではクロウとルゥが退路を塞いでいる。
それでも指揮官は剣を抜き、ノアたちがいる岩陰へ向かって走り出した。
「魔物の王を討ち取れば、形勢は変わる!」
ノアが姿を現す。
「私が王に見える?」
「黙れ、魔物の手先め!」
指揮官が剣を振り下ろした。
その一撃を受け止めたのはレグルだった。重い衝撃が装甲へ伝わるが、レグルは微動だにしない。
「ノア様に近づくな」
レグルの腕が動き、指揮官の剣を弾き飛ばした。続けて胴体を強く打ち、男を地面へ倒す。
指揮官は這うように後退した。
「待て……! 我々は王命に従っただけだ! 話し合いの余地はある!」
ノアは男を見下ろした。
「さっき、抵抗する魔物はすべて処分しろって言ってたよね」
「それは……」
「私たちの国に勝手に入って、みんなを殺して、資源を奪うつもりだった。今さら自分だけ助かろうとするの?」
男の顔が引きつった。
「我々を殺せば、王国が黙っていないぞ! 必ず大軍を送り込む!」
「もう送り込むつもりなんでしょう?」
ノアの声は静かだった。
「なら、あなたたちを逃がしても結果は変わらない。ここで生きて帰す理由はないよ」
指揮官は立ち上がろうとした。
しかし、その背後にはレグルが立っている。
「最後に何か言い残すことはあるか」
「くそっ……!」
男は隠し持っていた短剣を抜き、ノアへ突き出そうとした。
その瞬間、レグルの一撃が男を打ち倒した。
指揮官は二度と立ち上がらなかった。
残る兵士たちも、武器を捨てて降伏する者はいなかった。二人は最後まで抵抗し、ガルドとバランに倒された。一人は逃走を試みたが、クロウが先回りし、逃げ道を塞いだ。魔術師もネレウスの干渉で術式を封じられたあと、レグルによって戦闘不能にされた。
戦いは、わずかな時間で終わった。
岩場に残ったのは、破損した武器と金属板、そして二度とクロノアへ侵入することのない八人の兵士だった。
ノアはしばらく黙ってその場を見つめていた。初めて人間を相手に、明確に殲滅を命じた。命令を出す前に迷いがなかったわけではない。だが、彼らの言葉を聞いたあとでは、ためらい続けることのほうが危険だと理解していた。
クロノアを守るには、敵が何をするつもりなのかを見極めるだけでは足りない。侵略を実行に移した者を、確実に止めなければならない。
「ノア様」
ミレアが声をかけた。
「全員の戦闘停止を確認しました。こちらの負傷者は軽傷が二名。命に別状はありません」
「そう……。よかった」
ノアは小さく息を吐いた。
「装置は?」
ネレウスが破損した金属板を拾い上げる。
「回収できます。しかも、昨日のものより新しい型です。こちらには、信号を送るだけでなく、受信した情報を保存する回路も組み込まれています」
「じゃあ、王国が何を調べているか分かるかもしれない?」
「可能性はあります。少なくとも、これを設計した者は、魔力の流れを観測するだけでは満足していないようです」
チクタが地面に残った道具を調べ、顔をしかめた。
「こちらの通路を探すための目印もありました。小さな魔力反応を追いながら、少しずつ進むつもりだったんでしょう。もし放置していたら、数日後には入口の近くまで来ていたかもしれません」
「見つけられてよかったね」
「本当にそうです。ですが、これで終わりとは思わないほうがいいでしょう。敵が八人を送り込んできたということは、失敗しても本隊への影響が小さい規模で試したということです。次はもっと大勢で来るかもしれません」
ノアは頷いた。
「装置と資料を持ち帰ろう。ここに残しておく理由はない」
レグルが静かに答える。
「了解した。周囲の安全を確認してから戻る」
帰路につく前、ノアはもう一度だけ岩場を振り返った。人間側がこの場所を調べたのは、クロノアを攻めるためだった。こちらが何も知らずに暮らしていれば、彼らは気づかれないうちに侵入路を見つけ、弱い魔物たちから先に殺していっただろう。
それを止められたことに、後悔はなかった。
洞窟へ戻ると、ルナが中央広間で待っていた。ノアたちの姿を見るなり、黒い尻尾をゆっくりと揺らす。
「敵を排除したか」
「うん。通路を調べていた兵士たちだった。ここを見つけて、内部へ侵入するつもりだったみたい」
「生かして帰した者は?」
「いないよ」
ノアは正直に答えた。
ルナはしばらくノアを見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「それでよい。侵略を命じ、民を殺すつもりで踏み込んだ者を止めたのだ。こちらが何もせずにいれば、次に死ぬのは戦えない者たちだった」
「……うん」
「だが、次はもっと大きな軍が来るだろう。今回の部隊は、王国にとっては捨て駒に近い。彼らが戻らなかったと分かれば、王国は我々を危険な敵と判断する」
「それでも、守るよ。みんなが暮らしている場所だから」
ルナは目を細めた。
「ならば、守るための力を整えよう。敵が次に何を持ち込むのか、どこから攻めるのか、何を狙うのか。そのすべてを想定して準備するのだ」
ノアは頷き、回収した金属板をミレアへ渡した。
「ネレウスとセラに解析してもらって。トウガには、通路と資源置き場の防衛計画を見直してほしい。チクタは、敵がほかに使いそうな侵入経路を洗い出して。ガルドとバランは訓練を続けて、レグルは防衛隊をまとめてほしい」
「承知しました、ノア様」
それぞれが動き始める。
その夜、クロノアの見張りはさらに増えた。弱い魔物たちは安全な区画へ移され、資源の保管場所も分散された。古い輸送路の入口には監視用の魔力結晶が置かれ、侵入者が近づけばすぐに分かる仕組みが整えられた。
そして、回収された金属板の内部には、まだ消えていない記録が残されていた。
そこには、洞窟の周辺地図だけでなく、王国側の部隊配置を示す断片的な情報も含まれていた。
ミレアが読み取った文字の一つを見て、ノアは表情を変えた。
「……次の部隊、もう準備されているの?」
「はい。正確な出発日は分かりませんが、記録には大規模な兵站準備と、魔導兵器の追加配備が示されています」
ノアは地図を見つめた。
今回の八人は、王国が送り込んだ侵略の先触れにすぎなかった。
次に来るのは、もっと大きな軍。
そして彼らは、前回の敗北から学んだうえで攻めてくる。
「……なら、こっちも本気で準備しないとね」
ノアの声に、迷いはなかった。
クロノアはもう、ただ洞窟の中で暮らす魔物たちの集まりではない。守るべき国であり、侵略者に立ち向かうための軍を持つ場所だ。
次に人間が踏み込んでくるとき、彼らは知ることになる。
クロノアの領土へ侵入するということが、どれほど危険な選択だったのかを。




