第109話 敵の置き土産と、王国が狙うもの
偵察隊が撤退した翌朝、クロノアでは普段より早く見張りの交代が行われていた。洞窟の入口付近だけでなく、採掘場へ続く道や、古い輸送路に接続する分岐点にも監視役が配置されている。前日の偵察隊がどこまで情報を持ち帰ったのか分からない以上、敵が調べた場所を放置するわけにはいかなかった。
ノアは中央広間に集められた地図を見下ろしながら、腕を組んでいた。
「敵が魔力を調べていたのは分かった。でも、どのくらいの情報を持ち帰られたんだろう?」
「観測標の記録が半分ほど残っていた場合、洞窟周辺の魔力濃度や、魔力の流れが強い場所は把握された可能性があります。ただし、装置が途中で停止したため、内部構造まで正確に解析できたとは考えにくいです」
ミレアの説明に、ノアは小さく息を吐いた。
「それなら、まだ間に合うかな」
「何をするにしても、まずは敵が残した装置を回収することです。観測標が一つだけとは限りません」
その言葉を聞いて、チクタがすぐに手を挙げた。
「賛成です。敵が一つ置いて帰ったということは、ほかにも置いている可能性があります。できれば私たちは安全な場所から探しましょう。危険な場所へ行くのは、危険がないと分かってからで十分です」
「危険がないと分かるまで、誰も行かないの?」
ノアが尋ねる。
「その場合は、私が遠くから観察します。私は慎重なんです。臆病とは違います。ここ、大事ですからね」
「分かった。じゃあ、クロウとルゥに周囲を確認してもらおう。チクタは地図を使って、敵が装置を置きそうな場所を絞ってくれる?」
「承知しました。ええ、もちろんです。安全な場所から考える仕事なら、私の得意分野ですから!」
チクタは胸を張った。もっとも、その直後には「現地確認は必要最低限にしてくださいね」と付け加えていた。
ノアは苦笑しながら、地図をトウガの前へ移した。
「防衛設備も見直したいんだ。敵が魔力を調べているなら、魔力貯蔵核や採掘場を狙ってくる可能性もあるよね?」
「その可能性は高いです。特に魔石の保管場所は優先して守るべきでしょう。現在の倉庫は運搬の効率を優先しているため、外から侵入された場合、奥まで進みやすい構造になっています」
「じゃあ、倉庫を移す?」
「いえ。今から場所を変えると、運搬路を整え直す必要があり、作業中に隙が生まれます。まずは保管場所を分割しましょう。高純度の魔石は奥の保管庫へ移し、通常の魔石は採掘場に近い倉庫へ残す。敵が一か所を襲っても、すべての資源を失わない構造にします」
トウガは地図の上に小さな石を三つ置いた。
「さらに、運搬路を一本に固定しないことです。普段使う道、予備の道、緊急時に使う道を分けます。すべての道を同じ頻度で使う必要はありませんが、使われていない道も通行できる状態に保つべきです」
「いいね。採掘場の魔物たちにも負担が偏らないようにしてほしい」
「承知しました。作業量も記録し、特定の個体に負担が集中しないよう調整します」
ノアは頷いた。国を守るための準備は、強い魔物を並べるだけでは終わらない。食料を運ぶ者がいて、道を整える者がいて、採掘をする者がいる。そうした魔物たちの生活が止まれば、どれほど強い軍隊がいても国そのものが立ち行かなくなる。
そのとき、入口の見張りを担当していた魔物が広間へ駆け込んできた。
「敵が残したものを見つけました!」
ノアはすぐに顔を上げた。
「観測標?」
「はい。ただし、昨日クロウが見つけた場所とは別です。岩場から少し離れた木の根元に、薄い金属板が挟まっていました」
「触った?」
「いえ、何もしていません。言われたとおり、見つけた場所を記録して戻りました」
「ありがとう。すごく助かったよ」
報告に来た魔物が嬉しそうに頷く。ノアはミレアとネレウスを呼び、発見場所へ向かう準備を始めた。
「私も行きます」
チクタが言った。
「えっ、現地確認は最低限にするんじゃなかった?」
「そうですよ。だからこそ、私が行くんです。危険な場所を見誤ったまま放置するほうが、あとで大勢が危険になりますから。……ただし、前衛は厚めにお願いします。私は敵の罠を見つける役であって、罠の上に立つ役ではありません!」
結局、現地へ向かったのはノア、ミレア、レグル、クロウ、ルゥ、ネレウス、そしてチクタだった。ガルドとバランは洞窟の防衛を担当し、セラとトウガは資源の移動と施設の点検を進めている。
発見場所は、洞窟から少し離れた岩場の近くにあった。クロウが先行して周囲の匂いを確かめ、ルゥが地面に残った足跡を追う。レグルはノアたちの前を守り、ネレウスは魔力の痕跡を探していた。
「この辺りです」
チクタが足を止める。
「木の根元。ここなら遠くから見えにくいし、洞窟の入口と古い輸送路の分岐点、その両方を観察できます。偵察隊がここを選んだのは、偶然ではないでしょう」
ノアが周囲を見回した。確かに、木々と岩が視界を遮っている一方で、少し高い場所へ登れば複数の道を見渡せる。ここに観測標を置けば、見張りの交代や物資の移動もある程度把握できるはずだった。
「ネレウス、魔力は?」
「残留反応があります。昨日の装置と同じ系統ですが、こちらは記録用というより、信号を中継するためのものに見えます」
「中継?」
「離れた場所にある装置へ情報を送る仕組みです。これ単体で大きな情報を収集するわけではありません。しかし、複数の装置を連携させれば、広い範囲を継続的に観測できます」
ノアの表情が曇った。
「じゃあ、昨日の偵察隊が帰ったあとも、私たちの様子を調べていた可能性がある?」
「可能性はあります。ただし、現在は動作していません。壊れたのか、送信を終えたのかまでは分かりませんね」
ネレウスが金属板へ近づこうとした、そのときだった。
「待ってください!」
チクタが声を上げた。
全員が動きを止める。
「そこ、踏まないでください。木の根の向こうに、細い溝があります」
ノアが目を凝らすと、確かに地面に不自然な筋が伸びていた。落ち葉に隠れているが、溝の一部には小さな金属片が埋め込まれている。
「罠かな?」
「罠というより、装置同士をつなぐための補助部品かもしれません。踏んだら爆発するようなものではなさそうですが、何が起きるか分からないものを、わざわざ踏む必要はありませんからね!」
チクタは長い枝を拾い、溝の脇にある落ち葉を慎重に払った。すると、細い金属線が地面に沿って伸び、その先が木の根元の金属板につながっていた。
ネレウスが目を細める。
「なるほど。魔力の流れを一定の場所へ誘導しているのですね。観測標を直接置くより、周囲の魔力変化を安定して拾える可能性があります」
「これ、回収できる?」
ノアが尋ねると、ネレウスは少し考えた。
「可能ですが、先に記録を取るべきです。敵がどのような情報を集めようとしていたのか、装置の構造から推測できるかもしれません」
「分かった。ミレア、記録をお願い」
ミレアが装置の形状と魔力反応を記録し始める。ネレウスは金属板の周囲を調べ、チクタは地面に埋められた部品の位置を地図へ書き込んでいった。
しばらくして、ネレウスが小さく舌打ちした。
「不愉快ですね。これは単なる偵察用の道具ではありません」
「どういうこと?」
「観測した魔力の変化を、あらかじめ設定された基準と照合する機能があります。たとえば、魔力の流れが一定量を超えたときや、特定の場所で急激な変化が起きたときに、別の装置へ信号を送る。そういう使い方ができる構造です」
ノアは息を呑んだ。
「それって、魔力貯蔵核が動いたことも分かるの?」
「正確な仕組みを知らなければ、稼働していることを推測する程度でしょう。しかし、こちらが大規模な魔力を使えば、反応を拾われる危険はあります」
レグルが低く唸った。
「つまり、敵は我々の防衛配置だけでなく、魔力を使う場所や時間まで調べようとしているのか」
「そう考えるのが自然でしょう」
ノアは金属板を見つめた。人間側は前回の敗北を受けて、ただ兵力を増やすのではなく、こちらの力を知り、それに対抗する準備を進めている。もし敵が魔力貯蔵核の位置や、ダンジョンの魔力循環の仕組みを把握すれば、そこを狙った攻撃を仕掛けてくるかもしれない。
「これを使って、敵に偽の情報を送れないかな?」
ノアが尋ねると、ネレウスは金色の目を細めた。
「発想は悪くありません。ただし、装置の仕組みを理解せずに信号を流せば、こちらの魔力の癖まで知られる危険があります。偽情報を送るなら、敵がどのような情報を受け取っているかを先に把握する必要があります」
「じゃあ、まずは解析だね」
「ええ。私に任せてください。少なくとも、こんな粗雑な装置にこちらの情報を好き放題に渡すつもりはありません」
ネレウスは金属板を慎重に外し、ミレアが用意した封印容器へ収めた。周囲の金属線も、地面を傷つけないように少しずつ取り外していく。チクタは作業の間、何度も周囲を確認し、敵が戻ってきていないか耳を澄ませていた。
「……よし。これで回収できたね」
ノアが言った、その直後だった。
ルゥが急に顔を上げた。
耳がぴんと立ち、鼻先が北側の林へ向く。クロウも同じ方向を見て、低く唸った。
「また敵?」
ノアが声を落とす。
ルゥは地面を嗅ぎ、数歩進んでから振り返った。どうやら新しい足跡を見つけたらしい。
チクタがすぐにしゃがみ込む。
「……新しいですね。昨日の偵察隊が残した足跡とは向きが違う。少なくとも一人、別の場所からここへ来ています」
「偵察隊の仲間が残っていたのかな?」
「それなら、もっと慎重に動くはずです。足跡がここまで分かりやすく残っているのは不自然です。わざと見せている可能性もあります」
ノアは周囲を見渡した。林の中は静かで、鳥の鳴き声すら聞こえない。だが、見られているような感覚が消えなかった。
レグルが前へ出る。
「戻ろう。ここに長く留まるのは危険だ」
ノアも頷いた。回収した装置は重要な情報になる。ここで敵の思惑に付き合い、無用な危険を冒す必要はない。
「クロウ、ルゥ。帰り道を確認して。何かあっても、追いかけないでいいからね」
二体は短く応え、先行して戻り始めた。
洞窟へ帰還したノアたちは、すぐに回収した装置の解析を始めた。セラも合流し、ネレウスとともに魔力回路の構造を確認する。二人は何度か激しく意見をぶつけ合ったが、今回は互いの専門知識が必要だと分かっているため、作業そのものは驚くほど早く進んだ。
「この回路、魔力の流れを記録するだけではありません。一定の反応を検知すると、信号を別の装置へ送る構造です」
セラが説明する。
「そうです。しかも、信号の送信先は一つとは限りません。複数の中継装置を通じて、かなり離れた場所へ情報を送れる可能性があります」
ネレウスが続けた。
「それなら、王国の本隊はもうこちらの情報を受け取っているのかな?」
「断定はできません。ですが、昨日の偵察隊が撤退する前に何らかの記録を送っていた可能性はあります」
ミレアの言葉に、ノアは唇を噛んだ。
敵がすでに情報を持っているなら、こちらが対策を整える時間は限られている。
「偽の魔力反応を送ることはできる?」
ノアが尋ねると、セラは回路を見つめた。
「可能性はあります。ただし、私たちの魔力循環をそのまま模倣すると、かえって本物との違いが目立つでしょう。別の魔力源を使い、反応の強さや周期を調整する必要があります」
「魔力結晶なら?」
「候補にはなります。ただし、結晶を使うだけでは不自然な反応になります。自然な揺らぎを再現するために、複数の結晶を異なる周期で制御する必要があります」
ネレウスが少しだけ嘴を上げた。
「ようやくまともな課題になりましたね。単に魔力を流すだけなら誰でもできます。重要なのは、相手が信じる程度に自然で、なおかつこちらの本当の状態とは異なる反応を作ることです」
「できそう?」
「やります。ただし、今すぐ完成するとは言いません。敵がどの基準で情報を判断しているか分からない以上、まずは回路を再現し、検証する必要があります」
「分かった。急がなくていいから、確実に進めて」
ノアは二人に任せることにした。
その日の夕方、クロノアの防衛計画は大きく見直された。魔石の保管場所は分散され、運搬路の使用時刻も変更された。見張りは規則的な巡回をやめ、交代の時刻をずらす。古い輸送路の分岐点には、トウガが選んだ崩落しにくい場所を中心に、簡易的な遮蔽物と警報用の仕掛けが設けられた。
ただし、敵を誘い込むための大掛かりな罠は作らなかった。相手の兵力も目的も分からない段階で、こちらから危険を増やす必要はない。今は敵の目を欺き、次の攻撃に備えることが最優先だった。
夜、ノアは中央広間でルナと向き合っていた。ルナは古代の記録装置から得た情報を確認しながら、静かに話を聞いている。小さな黒い身体はいつもと変わらないが、その瞳には王としての意志が宿っていた。
「人間たちは、また来ると思う?」
ノアが尋ねると、ルナは少しだけ目を細めた。
「来るだろう。前回の敗北で諦めるような者たちなら、最初からあのような軍を送ってはこない」
「やっぱりそうだよね」
「彼らは我々を国として認めるつもりがない。資源を求め、支配しようとしている。こちらが何を望むかではなく、こちらをどう利用するかを考えているのだ」
ノアは拳を握った。
「じゃあ、私たちは守るしかないね。ここで暮らしている魔物たちも、みんな」
「そうだ。強い者だけを守ればいいのではない。弱い者も、働く者も、戦えない者も、すべてクロノアの民だ」
ルナの言葉に、ノアは深く頷いた。
そのとき、広間の入口からチクタが顔を出した。
「ノア様、ひとつ報告があります。回収した装置の設置場所と、敵が残した足跡を照らし合わせたところ、少し気になることが分かりました」
「何?」
「敵は洞窟の入口だけを調べていたわけではありません。古い輸送路の分岐点を挟むように、観測地点を選んでいるんです。つまり、彼らは通路を通る方法を探しているか、少なくとも、こちらの物資がどこから来るのかを知りたがっている」
ノアは地図を受け取った。そこには三つの地点が印されていた。どれも古い輸送路に近く、互いに見通せる位置ではない。しかし、魔力観測標を連携させれば、通路周辺の変化を広い範囲で調べられる配置だった。
「……本隊が来る前に、通路の場所を特定するつもりなのかな」
「その可能性が高いと思います。もし通路を見つければ、正面から攻めずに内部へ侵入できるかもしれません。もっとも、私たちが使っている通路の全容を彼らが把握しているとは限りませんが」
チクタは地図の端を指で叩いた。
「だから、次にやるべきことは一つです。敵が通路を探す前に、こちらが通路の防衛を整える。それと、通路を知っている人間がほかにいないか、警戒することです」
ノアは頷いた。
「分かった。明日、古い輸送路の点検をしよう。ただし、敵がどこかに潜んでいる可能性を考えて、少人数では動かない。必ず護衛をつける」
「賛成です。危険な場所へ一人で行くのは、勇気ではなく準備不足ですからね!」
チクタは強く頷いたあと、少しだけ声を落とした。
「……それに、もし敵が通路を見つけたら、私たちが守ってきたものが、一気に危険にさらされます。私は逃げ道を確保したいだけじゃありません。逃げなくても済むように、先に危険を見つけたいんです」
その言葉に、ノアは静かに微笑んだ。
「うん。頼りにしてるよ、チクタ」
「……そ、そういうことを急に言わないでください。調子が狂います!」
チクタは耳を赤くして、そそくさと地図を抱え直した。
窓のない洞窟の中では、外の夜がどれほど深くなったのか分からない。それでもノアには、時間が刻一刻と過ぎていることがはっきりと感じられた。
王国は次の攻撃に向けて、情報を集めている。
クロノアもまた、敵の狙いを探り、防衛を整えなければならない。
次の戦いは、前回のように敵が正面から押し寄せてくるとは限らない。見えないところで情報を奪い、通路を探り、こちらの弱点を見つける。そうした準備そのものが、すでに戦いの一部なのだ。
ノアは地図に描かれた三つの印を見つめた。
「今度は、相手の思いどおりにはさせない」
その声は小さかったが、迷いはなかった。




