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『運だけで生き抜くダンジョンマスター』 ~召喚も配合も全部ラッキーでした~  作者: もかどら


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第108話 迫る偵察隊と、見えない戦争の始まり

 クロウが偵察から戻ってきたのは、副団長候補たちの実力試験を終え、ノアたちが訓練場の片づけを始めた直後だった。普段なら、クロウは危険がないことを確かめると、短く鼻を鳴らして報告を終える。しかし今回は違った。黒い毛並みを逆立て、額の角をわずかに光らせながら、ノアの前までまっすぐ駆けてきたのだ。


「クロウ? 何か見つけたの?」


 クロウは低く唸り、洞窟の入口がある方向へ顔を向けた。それから前足で地面を二度引っかき、続けて爪で細長い線を描く。少し離れた場所から様子を見ていたチクタが、ぴくりと耳を動かした。


「ええと……それ、道ですか? それとも、敵が来る方向?」


 クロウが短く吠えた。


「両方ですね。分かりました、分かりましたよ。そんなに急かさないでください。私の頭は一つしかないんですから!」


 チクタは文句を言いながらも、地面に描かれた線をじっと見つめた。やがて表情が変わり、いつもの落ち着きのない目つきが、わずかに鋭くなる。


「ノア様。人間が来ています。ただ、前回のような大軍じゃない。人数を絞った偵察隊か、何かを仕掛けるための小隊だと思います」


「何人くらい?」


「クロウの反応からすると、十数人から二十人程度でしょうか。正確な数は、まだ分かりません。でも……」


 チクタは地面の線を指でなぞった。


「この進み方が気になります。正面からこちらへ向かっているように見えますが、途中で一度、進路を変えている。しかも、こちらの入口を直接調べるより、周囲を回り込むように動いているんです」


 ノアは眉を寄せた。


「入口を探しているんじゃないの?」


「それなら、もっと近くまで来るはずです。彼らは一定の距離を保っている。たぶん、洞窟そのものを調べているというより、周辺の地形や、こちらが見張りを置いている場所を確認しているんでしょう」


 ミレアがクロウの報告を整理しながら口を開いた。


「前回の敗北を受けて、クロノアの戦力と防衛配置を調査しに来た可能性があります。あるいは、本隊が進軍する前の事前調査かもしれません」


「偵察だけなら、すぐに攻めてくるわけじゃないんだね」


「そうとは限りません。偵察隊の中に、破壊工作を担当する者が含まれている可能性もあります」


 その言葉を聞き、ノアは洞窟の入口へ視線を向けた。クロノアが国として名乗りを上げてから、まだそれほど時間は経っていない。食料の確保、住居の整備、採掘場の拡張、見張りの配置。ようやく国の形が整い始めたところだ。前回の戦いで勝利したとはいえ、すべてが完成しているわけではない。


 そして人間側は、こちらを独立した国として認めるどころか、降伏と武装解除を要求している。


「……やっぱり、諦めてくれないか」


 ノアが呟くと、ガルドが斧を肩に担いだ。


「当たり前だろ。あいつらは俺たちを倒して、ここを奪うつもりなんだ。偵察だろうが何だろうが、来たなら叩き返せばいい」


「待て、ガルド」


 レグルが静かに制した。


「敵の目的が分からないまま動くのは危険だ。こちらから姿を見せれば、相手が知りたい情報を与えることになる」


「じゃあ、ずっと隠れて見てろっていうのか?」


「そうは言っていない。相手の動きを把握したうえで、必要な場所だけを守る」


 ガルドは不満そうに鼻を鳴らしたが、それ以上は言い返さなかった。前回の戦いで、レグルの防御と部隊の連携がどれほど重要だったかは理解している。力で押し切れる相手ばかりではない。それを認めるのは、ガルドにとって少しばかり面白くないことだったが。


「トウガ、今の防衛配置で危険な場所はある?」


 ノアが尋ねると、岩甲設計獣のトウガは、すぐに持っていた地図を広げた。地図には洞窟周辺の地形だけでなく、採掘場、資材置き場、見張りの位置、物資の運搬路まで細かく記されている。


「大きな弱点はありません。ただし、外側の見張りが敵に発見された場合、そこから得られる情報をもとに、敵がこちらの巡回周期を推測する可能性があります。現在の巡回は規則的すぎます」


「規則的すぎる?」


「はい。決まった時刻に同じ場所を通れば、相手は安全な時間帯を計算できます。巡回時刻をずらし、担当区域を一部入れ替えるべきです。また、物資置き場への道も、一本だけを常用するのは危険です」


 トウガは地図の上に小さな石を置いた。


「こちらを主な運搬路として使っていますが、ここを見られれば、敵は物資の集まる場所を推測できます。普段の運搬路を一部変更し、空の荷車も別方向へ動かしましょう。敵に、どの道が本当の輸送路なのか判断させないためです」


「なるほど……。チクタが見つけた古い輸送路も使えるかな?」


「一部は使えます。ただし、すべてを開放するのは危険です。古い通路の中には、床が弱くなっている場所もあります。敵に使われる可能性も考慮し、通行できる区間だけを確認すべきです」


 トウガが地図を押さえると、チクタが横から口を挟んだ。


「それと、逃げ道は絶対に塞がないでくださいね! 敵を誘い込むのは結構ですが、誘い込んだあとに自分たちまで出られなくなったら、ただの集団自滅ですから!」


「分かっている。退路は確保する」


「本当ですね? あとから『ここを守れ』とか『お前だけ残れ』とか言いませんよね? 私はそういう感動的な自己犠牲の場面、見るのも参加するのも苦手なんです!」


「お前に残れと言うつもりはない」


 レグルが淡々と答えると、チクタはほっと胸を撫で下ろした。


「よかった……。いや、本当によかった。国を守るために知恵を貸すのはいいんです。でも、知恵を貸した本人が真っ先に死んだら、作戦の改善点を報告できないでしょう?」


「その理屈は正しい」


 ミレアが真面目に頷いた。


「えっ、そこは否定してくれてもいいんですよ?」


 チクタのぼやきに、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。しかし、ノアはすぐに表情を引き締めた。


「今回は、こっちから攻撃はしない。でも、好きに調べさせるつもりもない。クロウ、引き続き距離を保って監視して。ルゥにも協力してもらって、相手が通った場所や残した痕跡を確認してほしい」


 クロウが頷くように頭を下げ、すぐに踵を返した。ルゥもその後ろについていく。


「ネレウスとセラは、敵の魔力反応を調べて。もし通信や索敵の魔法を使っているなら、どんな仕組みか確認したい。ただし、こちらから大きな魔力を放つのは避けてね」


「承知しました、ノア様」


 セラが答えた直後、ネレウスが翼を広げた。


「当然です。こちらの存在を知らせるような魔力の垂れ流しは、三流の仕事ですから。もっとも、敵が三流である保証もありません。無駄に挑発して、相手の能力を測る前にこちらの手札を晒すような真似だけはしないでください」


「誰もそんなことはしないよ」


「なら結構です。あなた方が余計なことをしなければ、私の仕事は減りますので」


 ネレウスはそう言い残し、セラとともに魔力観測の準備へ向かった。セラは一瞬だけ眉をひそめたものの、反論する代わりに必要な器具を確認している。今は言い争うより、敵の情報を集めることが先だった。


 その頃、洞窟から離れた岩場では、人間の偵察隊が身を潜めていた。先頭に立つ男は、膝をついて地面を調べている。鎧は軽装で、背中には小さな弩があった。隊員たちの装備は統一されていたが、前回の討伐軍ほど重々しくはない。


「足跡はここまでだ。見張りがいるな」


 男が小声で言った。


「魔物の国という話でしたが、本当に組織立っているのでしょうか?」


 若い隊員が尋ねる。


「前回の報告を読んでいないのか。指揮系統があり、複数の強力な魔物が連携している。こちらの部隊を撃退した以上、単なる巣穴と考えるのは危険だ」


「ですが、王国は降伏を要求しています。あの魔物たちが従うとは思えません」


「だからこそ、情報が必要なのだ」


 男は懐から薄い金属板を取り出した。表面には細かな魔法文字が刻まれている。板の端には、小さな結晶が埋め込まれていた。


「ここに観測標を置く。魔力の流れを記録すれば、あの洞窟の規模や、内部にどれほどの魔力が集まっているか推測できる」


「これを使えば、こちらの位置も知られるのでは?」


「短時間なら問題ない。長く置く必要はない。記録が終われば回収する」


 男は岩の隙間へ金属板を差し込んだ。結晶が淡く光り、地面を伝うように細い魔力の線が伸びていく。線は洞窟の方向へ向かっていた。


 その直後、男の背後で小さな石が転がった。


 コトン。


 全員が一斉に振り返る。


「誰だ!」


 弩を構えた隊員が岩場へ狙いをつけたが、そこには何もいなかった。ただ、斜面の上から小石が一つ、もう一つと転がり落ちてくる。風が吹いたわけでもなく、動物が通った様子もない。


「……落石か?」


「この程度なら、珍しくもないでしょう」


 隊員の一人が肩をすくめた。


 しかし、観測標の近くにいた男だけは、すぐに笑わなかった。金属板の結晶が、一瞬だけ明滅したからだ。


「待て。記録が乱れている」


「故障ですか?」


「分からん。もう一度、設置位置を確認する」


 男が手を伸ばしたとき、斜面の上から比較的大きな石が滑り落ちた。石は観測標のすぐ横を通り過ぎ、金属板の端へぶつかる。乾いた音とともに板が傾き、埋め込まれた結晶が地面へ転がった。


「くそっ!」


 男が慌てて結晶を拾い上げる。観測標は完全には壊れていないが、魔力の線は消えていた。


「時間がない。記録はどこまで取れた?」


「半分ほどです。ですが、洞窟の周囲に複数の見張りがいることは確認できました」


「それだけでも収穫だ。残りは別の場所から調べる」


 男は観測標を回収し、隊員たちへ撤収を指示した。彼らは足跡をできる限り消しながら、岩場の陰へと姿を消していく。


 少し離れた木陰では、クロウがその様子を見届けていた。敵の姿が見えなくなってからも、すぐには動かない。しばらく耳を立て、周囲の音を確認したあと、ようやく洞窟へ向かって走り出した。


 その頃、ノアはクロウからの報告を待ちながら、チクタが描き直した地図を確認していた。偵察隊の移動経路は、古い輸送路の分岐点に近い。偶然通りかかっただけとは考えにくかった。


「人間側は、あの通路の存在を知っているのかな?」


「可能性はあります。ただ、正確な位置まで把握しているかは分かりません」


 ミレアが答える。


「前回の討伐軍が持っていた魔導兵器も、古い魔法回路に似ていたんだよね」


「はい。王国が独自に研究したのか、古代施設の記録を入手したのかは不明です。しかし、今回の偵察隊が魔力観測標を使用していたなら、単に地形を調べているだけではないでしょう」


 ノアは地図の一点を見つめた。人間側が欲しがっているのは、魔石や鉱石だけではない。こちらの魔力循環や、古代の技術そのものを調べようとしている可能性がある。


「もし、あの通路を使って大軍を送り込むつもりなら……」


「その場合、入口の封鎖だけでは不十分です。通路の途中で敵を察知できるようにし、複数の防衛線を設ける必要があります」


 レグルが答えた。


「ただし、今から全区間を固めるのは難しい。まずは敵が調べた場所を特定し、そこから先へ進ませないことが重要だ」


「なら、次に何をするべきかは決まったね」


 ノアは顔を上げた。


「敵が置いていったものを探す。何かを仕掛けたなら、それを見つける。クロウたちの報告を待って、必要なら古い輸送路の周辺も調べよう」


「承知しました」


 セラが頷く。ネレウスも、魔力観測の結果を記録した紙をくちばしで押さえながら言った。


「敵が使った魔力は微弱ですが、一定間隔で信号を送る仕組みだったようです。短時間とはいえ、こちらの魔力の揺らぎを記録できた可能性があります。次に同じ装置を見つけたら、壊す前に情報を抜き取るべきでしょう」


「できるの?」


「当然です。私を誰だと思っているのですか。ただし、敵の装置が私の想定より複雑だった場合は、解析に時間がかかります。過度な期待はしないでください」


「期待してるよ、ネレウス」


「……そういう無条件の信頼は、時に判断を鈍らせます。私は結果で評価されるべきです」


 そう言いながらも、ネレウスは記録をまとめる手を止めなかった。


 やがてクロウが戻ってきた。地面に前足をつき、偵察隊がいた場所と、観測標が置かれていた位置を示す。チクタはその動きを見て、すぐに地図へ印をつけた。


「ここですね。なら、敵が知りたいのは洞窟の入口だけじゃない。古い輸送路へ続く分岐点も調べようとしている」


「どうしてそう思うの?」


「この場所なら、こちらの見張りを避けながら分岐点を観察できます。もし単に洞窟の規模を知りたいだけなら、もっと近い場所から調べるはずです。つまり、彼らには別の目的がある」


 チクタは唇を結んだ。


「嫌な予感がします。私の経験上、相手がわざわざ危険な場所まで来て、何もせずに帰ることはありません。次はもっと大きな手を打ってくるかもしれませんよ」


 ノアは頷いた。


「分かった。見張りを増やそう。でも、相手にこちらの動きを悟られないようにね。今はまだ、向こうがどこまで知っているのか分からないから」


 ガルドは不満そうだったが、今回は何も言わなかった。敵が何を狙っているのか分からない以上、無闇に飛び出すのは得策ではない。バランもまた、いつものように前へ出ようとはせず、地図を見つめていた。


「次は俺も偵察に出る。敵の顔を見れば、どんな連中か分かるだろう」


「顔を見るだけなら、遠くからで十分です。近づいて捕まるのは、偵察ではなく失敗ですからね」


 チクタの言葉に、バランはむっとした顔を向けた。


「お前はいつも逃げることばかり考えているな」


「逃げ道を考えない者から死ぬんですよ! 私は死にたくないだけで、仕事をしたくないとは言っていません!」


「はいはい、二人とも。今は協力して」


 ノアが間に入ると、バランはしぶしぶ口を閉じ、チクタも小さく息を吐いた。


 敵はまだ本格的な攻撃を仕掛けてきていない。しかし、観測標を使ってこちらの魔力を調べようとしていたことは分かった。偵察隊が持ち帰った情報が王都へ届けば、次に来る部隊は前回よりも周到に準備されているだろう。


 クロノアは、ただ待っているわけにはいかない。


 ノアは地図を畳み、仲間たちを見渡した。


「次に来る敵は、こっちが何をできるのか知ったうえで攻めてくるかもしれない。だから、それまでに守りを整えよう。勝つためだけじゃない。ここで暮らしているみんなを守るために」


 その言葉に、レグルが静かに頷いた。セラは必要な魔力配分を考え始め、トウガは防衛計画の修正に取りかかる。ネレウスは観測標の解析を進め、チクタは逃走経路と物資輸送路の見直しを始めた。ガルドとバランも、訓練を再開するために武器を手に取る。


 偵察隊は撤退した。


 だが、それは戦いが遠ざかったという意味ではない。


 むしろ、人間側が次の戦いに向けて準備を始めたということだった。


 クロノアもまた、次の一手を考えなければならない。今度の敵は、ただ力で押し寄せてくるだけではないかもしれないのだから。

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