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『運だけで生き抜くダンジョンマスター』 ~召喚も配合も全部ラッキーでした~  作者: もかどら


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第106話 逃げ足だけは一流? 臆病な策士チクタ

 最後の召喚石が光り始めたのは、ネレウスがセラの魔法陣に次々と改善案を書き込み、ついにはセラから「一度黙っていただけますか」と言われた直後だった。


「……あの二人、放っておいて大丈夫かな」


 私は地下施設の入口から、まだ言い争っている二人を振り返った。


「問題ありません。少なくとも、互いの指摘を無視しているわけではありませんので」


 ミレアはそう答えたが、声には少し疲れがにじんでいた。


 ネレウスは能力こそ申し分ないものの、口の悪さまで含めて扱いが難しい。セラも普段は冷静だが、自分の仕事を一方的に否定されれば黙ってはいない。二人が本気で協力できるようになるまでには、しばらく時間がかかりそうだった。


「次の子は、もう少し穏やかだといいなあ」


「その希望については、召喚石に伝えることができません」


「分かってるよ……」


 私は苦笑しながら、最後の召喚石を魔法陣の中央へ置いた。今回探しているのは、ポヨンを支える幸運軍の副団長候補だ。ポヨンの幸運は強力だが、発生する現象を事前に予測することは難しい。偶然起きたことを見極め、戦場で利用できる形へ変える判断力が必要だった。


「召喚対象の適性を確認します」


 ミレアが魔力を流すと、床に淡い緑色の魔法陣が広がった。光はゆっくりと中央へ集まり、やがて小さな影を形作る。


 現れたのは、二本の足で立つ小柄な魔物だった。丸みのある身体に、灰褐色の毛並み。大きな耳と黒い目、長い尻尾が特徴的で、腰には小さな革袋をいくつもぶら下げている。身体の大きさはゴブリンより少し小さい程度だが、目だけは忙しなく動き続けていた。


 魔物はまず天井を見た。


 次に壁を見た。


 最後に私たちを見た。


 そして、私と目が合った瞬間、全身の毛を逆立てた。


「ひっ! ま、待ってください! 私は食べてもおいしくありません! 骨も細いですし、肉も少ないです! それに、私はまだ何も悪いことをしていません!」


「……え?」


 私は思わず固まった。


 魔物は両手を上げ、じりじりと後ずさっている。


「ほ、本当にです! 召喚されたばかりです! 召喚されたばかりの者を襲うのは、規則違反ではありませんか!? 違いますか!? 違いますよね!?」


「誰も食べるなんて言ってないよ!」


「そ、そうですか……。よかった……」


 魔物は胸をなで下ろした。


 しかし、安心したのも束の間、今度は背後にいるレグルの巨体を見つけて悲鳴を上げた。


「ひゃあああっ! 今度は大きいのがいるぅっ!」


 逃げようとした魔物は自分の尻尾を踏み、派手に転んだ。


 べしゃっ。


 数秒間、誰も言葉を発しなかった。


 最初に口を開いたのは、ネレウスだった。


「……ずいぶんと立派な登場ですね。敵が現れる前に自分で転ぶとは、敵の手間を省く才能でもあるのでしょうか」


「うるさいですよ! そこの鳥! あなた、絶対に性格が悪いでしょう!」


「おや。自分の失態を指摘されただけで、相手の性格を批判するのですか。なかなか興味深い思考回路ですね」


「うわぁぁん! もう帰りたい!」


 私は慌てて二人の間に入った。


「はい、そこまで! あなたも落ち着いて。ここでは誰も無理に食べたりしないからね」


「ほ、本当ですか?」


「本当だよ。私はノア。このダンジョンの管理をしているの」


「ダンジョン……?」


 魔物は恐る恐る周囲を見回した。ガルドは腕を組み、レグルは静かに立ち、セラは魔法陣を片付けている。クロウは入口付近で警戒を続けていた。


 その光景を見た魔物は、再び青ざめた。


「……あの、質問してもよろしいでしょうか」


「うん。何?」


「この中で、一番弱い方はどなたでしょうか」


「え?」


「いえ、誤解しないでください! 戦うつもりはありません! ただ、万が一、逃げる必要が生じた場合に、どちらへ向かえば生存率が高いのかを確認したいだけでして!」


 私は思わず額を押さえた。


「逃げることを前提にしてるんだ……」


「当然です! 生きていなければ、次の手を考えることもできません! 勇敢に突っ込んで死ぬより、臆病でも生き残るほうが合理的です!」


 その言葉だけは、妙に力強かった。


 ミレアが鑑定結果を確認する。


「種族は継ぎ目渡り。名前はチクタです。危険察知、地形把握、隠密移動、物資や情報の流れを読む能力に優れています。直接戦闘能力は低いものの、状況分析と退路の確保に高い適性があります」


「退路の確保……」


 私はチクタを見た。


 臆病なのは間違いない。しかし、戦場で退路を確保できることは重要だ。敵の攻撃を受けたとき、味方をどこへ下がらせればいいのか。どの道が塞がれ、どこなら安全に移動できるのか。それを瞬時に判断できるなら、大きな戦力になる。


「チクタ。あなた、戦うのは苦手?」


「大の苦手です!」


 即答だった。


「できれば一生、戦場には近づきたくありません! 安全な場所で食事をして、暖かい寝床で眠り、危険がなくなった頃に働く。それが私の理想です!」


「……正直だね」


「嘘をついても仕方ありませんから!」


「じゃあ、どうして召喚に応じてくれたの?」


 チクタは言葉に詰まった。


 大きな耳が、ぴくりと動く。


「……それは」


 彼は自分の腰にぶら下がった革袋を握りしめた。


「召喚された以上、何か役に立てることがあるかもしれないと思ったからです。私だって、ただ逃げ回っているだけではありません。危険な場所から人を逃がしたこともありますし、追っ手の目を欺いたこともあります。食料が尽きかけた集団を、物資のある場所まで案内したことだってあります」


 先ほどまでの怯えた様子とは違い、その声には少しだけ誇りがあった。


「……ただ、正面から戦うのは無理です。そこだけは期待しないでください」


 私は頷いた。


「分かった。無理に戦わせるつもりはないよ。あなたの得意なことを教えてほしい」


「本当ですか!?」


 チクタの顔がぱっと明るくなる。


「はい! それならお任せください! 私は危険を避けることに関しては、なかなかのものです! 敵が来る前に逃げ道を作り、敵が来たら別の逃げ道へ移動し、さらに追ってきたら――」


「結局、逃げるんだね」


「生き残るためです!」


 チクタは胸を張った。


 その姿を見て、私は少し笑った。


 ポヨンが近づいてくる。


 いつものように、丸い身体を揺らしながら、チクタの足元をくるくる回った。


「ぽよ?」


「ひゃっ! な、何ですか、この丸い方は!?」


「この子がポヨン。幸運に関する特殊な能力を持っているんだ」


「幸運……?」


 チクタはポヨンを見つめた。


 ポヨンもチクタを見つめる。


 しばらくして、チクタはそっと一歩近づいた。


「……あの、ポヨンさん。あなたは危険な方ではありませんよね?」


「ぽよ!」


「そうですか。よかった。では、私はあなたの近くにいれば安全ということで――」


 そこまで言った瞬間、チクタの背後にあった木箱が、ぐらりと傾いた。


「うわっ!?」


 チクタが飛び退く。


 木箱は倒れかけたが、積まれていた木材の一本が床の溝に引っかかり、ぎりぎりのところで止まった。


 その木材が押し出した小さな石が、床を転がる。


 コロコロ……。


 石は壁際の古い装置へぶつかった。


 カチッ。


 壁の一部が光り、これまで点灯していなかった小さな表示板が浮かび上がる。


『物資搬送路――閉塞確認』

『迂回経路――候補三箇所』


「……何か出たね」


 私は表示板へ近づいた。


 ミレアが内容を読み取る。


「この装置は、地下施設の物資搬送路を管理するためのものです。長期間停止していたようですが、簡易的な経路情報が残っています」


 私はチクタを見た。


「これ、戦場でも使えそうじゃない?」


「えっ? いや、私は何もしていません! 木箱が勝手に傾いただけです! それに、装置を起動したのは石です! 私ではありません!」


「うん、分かってるよ」


「本当ですか? 責任を押しつけられたりしませんか?」


「しないってば」


 チクタはようやく安心したように息を吐いた。


 しかし、表示板の地図を見た瞬間、その表情が変わった。


「……待ってください。この経路、妙ですね」


「何が?」


「こちらの通路は物資搬送用とありますが、幅が狭すぎます。大型の荷車は通れません。逆に、こっちの経路は幅が広いのに、途中で急に細くなっています。荷車を通すなら不自然です」


 チクタは表示板へ近づき、指先で地図をなぞった。


「おそらく、搬送路として使われていたのは、この二つだけではありません。こちらの小さな通路は、荷物を運ぶためではなく、運搬中に何かが起きた場合の退避路だったのでは?」


 ミレアが地図を確認する。


「……可能性があります。地形の高低差と通路の幅を考えると、確かに退避用の通路として設計された可能性が高いです」


「ほ、本当ですか!?」


 チクタは目を輝かせた。


「つまり、いざというときに逃げられる道があるということですね! 素晴らしい! 逃げ道は多ければ多いほど安心です!」


「いや、まだ全部が使えるか分からないよ」


「では、確認しましょう! 安全を確認するだけです! 決して危険なことはしません! 危険があれば即座に引き返します!」


 勢いよく話し始めたチクタだったが、通路の奥から風が吹いてくると、すぐに私の背後へ隠れた。


「……ちなみに、確認はノア様とレグル様が先頭でよろしいでしょうか?」


「自分で行くんじゃないの?」


「情報を持ち帰る者が真っ先に危険へ飛び込むのは、組織運営上、極めて非効率です!」


 ネレウスが横から口を挟む。


「要するに、あなたが一番安全な場所にいたいだけでしょう」


「その通りです! 何か問題でも!?」


「ここまで開き直られると、批判する気も失せますね」


「ありがとうございます!」


「褒めていません」


「それでも結構です!」


 私はとうとう笑ってしまった。


 臆病で、口が達者で、自分が危険な目に遭うことを何より嫌がる。けれど、チクタは地図を見ただけで退避路の可能性を見抜いた。戦う力がなくても、戦場で役に立つ方法はあるのだ。


「チクタ。ポヨンのそばで、周囲の変化を観察してくれる?」


「周囲の変化、ですか?」


「うん。ポヨンが何かを起こしたとき、それがどういう結果につながるのかを見てほしい。危険があれば知らせて、使えそうなことなら私たちに教えてほしいんだ」


 チクタはポヨンを見た。


 ポヨンは、何も考えていないような顔でぷるぷる揺れている。


「……この方の近くにいると、いろいろ起きそうですね」


「うん。かなりね」


「安全でしょうか?」


「保証はできないかな」


「そこは保証してくださいよぉ!」


 チクタは頭を抱えた。


 それでも、逃げ出そうとはしなかった。ポヨンの近くへそろそろと歩み寄り、少し離れた場所に座る。


「……分かりました。引き受けます。ただし、危険が迫った場合には退避を優先します。無謀な命令には従いません。あと、食事と寝床はきちんと用意してください」


「もちろん。仲間なんだから」


 私が答えると、チクタは一瞬だけ目を丸くした。


 それから、照れ隠しのように咳払いをした。


「……そ、そうですか。仲間なら仕方ありませんね。では、私の知恵を存分に活用してください。もっとも、私が生きていることが大前提ですが!」


 ポヨンが嬉しそうに跳ねた。


 ぽよん。


 その拍子に、チクタの革袋から小さな地図が落ちた。


「ああっ! 私の大事な地図が!」


 チクタが慌てて拾い上げる。


 地図には、細かな道筋と、いくつもの逃げ場所が書き込まれていた。どうやら彼は、今まで訪れた場所の退路を記録してきたらしい。


 私はその地図を見て、少し驚いた。


「すごいね。こんなに詳しく記録してるんだ」


「当然です! 道を覚えるだけでは不十分です。塞がれた場合の代替経路、身を隠せる場所、水場、食料を確保できる場所。生き残るために必要な情報は、すべて記録しておくべきです!」


 チクタは胸を張った。


「……まあ、何度か命の危険に遭ったので、二度と同じ失敗をしないようにしただけですが」


 その声は、最後だけ少し小さかった。


 私は地図を返しながら頷いた。


「その経験、クロノアでも役に立つと思う。これからよろしくね、チクタ」


「……はい。よろしくお願いします、ノア様」


 チクタは少しだけ姿勢を正した。


 こうして、幸運軍の副団長候補が加わった。ポヨンが偶然を引き寄せ、チクタがその中から意味のある変化を見つける。まだ実戦でどこまで通用するかは分からないが、少なくとも、これまでのクロノアにはなかった役割を担える可能性がある。


 ただし、彼が本当に副団長にふさわしいかどうかは、これから確かめなければならない。


 その日の夕方、四軍団長と副団長候補たちを集め、私は今後の方針を話し合った。バランは腕を組み、トウガは地図と資材表を用意し、ネレウスは会議が始まる前から資料の不備を指摘していた。チクタはというと、出入口に一番近い席を確保し、いつでも逃げられるように椅子の向きを調整していた。


「チクタ、どうして扉のほうを向いて座っているの?」


「緊急時にすぐ退避するためです!」


「会議中に何か起きる予定はないよ?」


「予定がないときに備えるのが、優秀な危機管理というものです!」


 ネレウスが冷たい目を向ける。


「会議から逃げる準備まで危機管理に含めるとは、ずいぶん便利な理論ですね」


「あなたは口を閉じる準備をしたほうがいいですよ!」


「ほう。召喚されて間もないあなたが、私にその口を利くとは」


「ひぃっ! す、すみません! でも、事実です!」


 チクタは椅子ごと私の背後へ移動した。


 私は額を押さえた。


 この二人が同じ会議に出るだけで、何かが起きそうな気がする。


 けれど、バランの無鉄砲さも、トウガの細かすぎるこだわりも、ネレウスの容赦ない指摘も、チクタの臆病な危機管理も、それぞれに意味がある。全員が同じ性格だったら、きっと同じ失敗を繰り返してしまうだろう。


「よし。まずは副団長候補として、それぞれの得意分野を確かめながら、四軍団の連携を整えていこう。王国軍がいつ攻めてきても対応できるようにね」


 私の言葉に、ガルドが力強く頷いた。レグルも静かに同意し、セラはネレウスと視線を交わしてから資料へ目を落とした。ポヨンはいつも通り、チクタの足元で丸くなっている。


 チクタはその姿を見て、少しだけ安心したように息を吐いた。


「……とりあえず、今夜は何も起きませんよね?」


 ミレアが答える。


「保証はできません」


「そんなぁ……!」


 クロノアの新しい仲間たちは、まだ正式な副団長ではない。それでも、それぞれの個性と能力が少しずつ形になり始めていた。


 戦争に勝つためには、強い者を集めるだけでは足りない。敵を倒す者、仲間を守る者、魔法を操る者、そして予想外の出来事を利用する者。そのすべてが連携して初めて、クロノアの軍団は本当の力を発揮できる。


 私は集まった仲間たちを見渡した。


「みんな、これからよろしくね」


 返事はそれぞれ違った。


 ガルドは豪快に笑い、レグルは静かに頷き、セラは丁寧に頭を下げた。ネレウスは「足を引っ張らないでください」と言い、トウガは「まずは会議室の机の配置を見直す必要があります」と告げた。そしてチクタは、私の背後から小さく手を挙げた。


「……あの、できれば危険な仕事は少なめでお願いします」


 私は笑った。


「努力はするよ」


「その返事、全然安心できません!」


 チクタの悲鳴が、地下施設に響き渡った。

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