第104話 盾の副団長候補と、譲れないこだわり
王国からの宣戦布告を受けた翌朝、クロノアの訓練場には、朝日が昇る前から怒声が響いていた。
「もう一度だ! 今度は真正面から受け止めてみろ!」
「望むところだぁっ!」
ガルドの声に応じて、赤褐色の鱗を持つ魔物が地面を蹴った。太い尻尾を振り、短い角を前へ向け、一直線に突っ込んでいく。その勢いは凄まじく、地面には深い足跡が刻まれていた。
紅牙戦竜のバランである。
召喚されたばかりの彼は、昨日からずっとガルドに勝負を挑んでいた。攻撃軍の副団長候補として力を試すという名目だったが、本人にとっては、ガルドを倒すことが何より重要らしい。
「うおおおっ!」
「甘い!」
ガルドは正面から斧を構え、バランの突進を受け止めた。激突音が訓練場に響き、周囲の小石が跳ね上がる。バランは歯を食いしばりながら押し込もうとするが、ガルドの足は一歩も動かなかった。
「くそっ! なんで動かねえんだ!」
「力を全部前に出しているからだ。ぶつかる瞬間に身体が浮いてるぞ!」
「そんな細かいこと知るか!」
「だから負けるんだ!」
ガルドが押し返すと、バランは地面を転がった。だが、すぐさま立ち上がり、土を払うことすらせずに再び構える。
「もう一回!」
「何回でも来い!」
私は少し離れた場所から二人を眺め、思わず苦笑した。
「朝から元気だね……」
「バランは強さを重視する性格のようです。ただし、現時点では攻撃の威力に比べて、状況判断と味方との連携に課題があります」
隣に立つミレアが淡々と報告する。
「副団長にするなら、そのあたりも身につけてもらわないとね」
「はい。強いだけでは軍団をまとめられません。ガルド様の指示を理解し、周囲と連携できるかどうかが重要です」
「まあ、本人は今のところ、ガルドに勝つことしか考えていないみたいだけど」
ちょうどそのとき、バランが再び吹き飛ばされた。
「まだだ! 次こそは!」
「おう、いい根性だ!」
ガルドも楽しそうに笑っている。二人の訓練は、しばらく終わりそうになかった。
私は召喚石を入れてある箱を取り出した。昨日のバランに続いて、もう一体、副団長候補を召喚するつもりだったからだ。
王国軍がどれほどの規模で攻めてくるのか、正確な情報はまだない。しかし、前回のような部隊を相手にするだけで済むとは思えなかった。クロノアに暮らす魔物たちを守るには、四軍団長だけに負担を集中させず、各軍団の中で指示を出せる仲間を増やす必要がある。
「次は防衛軍の副団長候補を探したいね」
「レグル様の補佐ですね。防衛軍には、前線を守る力だけでなく、陣地の構築、避難経路の確保、負傷者の退避などを考えられる人材が必要です」
「うん。敵の攻撃を受け止めるだけじゃなくて、みんなが安全に動けるようにしてくれる仲間がいいな」
私は箱から召喚石を一つ取り出した。表面には淡い灰色の模様が浮かんでいる。石を床に置き、魔力を流すと、訓練場の中央に魔法陣が広がった。
光が収束する。
現れたのは、四本の短い脚で身体を支える、ずんぐりとした魔物だった。背中は厚い岩板のような甲殻に覆われ、頭部には小さな角が二本生えている。大きさはレグルより一回り小さいが、身体の重さは見た目以上にありそうだった。
魔物は周囲を見回すと、まず訓練場の地面をじっと見つめた。
次に、壁を見た。
そして、私たちの足元を見た。
「……これは、ひどい」
「え?」
私は思わず聞き返した。
魔物は深いため息をつき、前脚で地面を指した。
「この訓練場、水平が取れていません。右奥が沈み、左側は石材の並びが不揃い。壁の補強も不十分です。これでは防衛陣地として使う場合、想定外の荷重がかかった瞬間に崩壊する恐れがあります」
「……えっと、初対面の感想がそれ?」
「事実を申し上げました」
魔物は真剣な顔で答えた。
ミレアが鑑定を始める。
「種族は岩甲設計獣。名前は……トウガ、ですね。防御能力に加え、地形の把握、構造物の補強、障害物の配置に関する高い適性を持っています。知性も高く、人間の言葉を理解し、会話することが可能です」
「トウガか。よろしくね、私はノア。ここのダンジョンマスターだよ」
「トウガです。よろしくお願いいたします、ノア様。ところで、こちらの壁はいつ補修されますか?」
「えっ、そこから?」
「崩れる前に直すべきです。崩れてからでは、修復に必要な資材も労力も増えます。さらに、避難経路を塞ぐ可能性もあります」
言っていることは正しい。正しいのだけれど、召喚された直後から、まるで現場監督のように問題点を指摘されるとは思わなかった。
そこへ、訓練を中断したレグルが歩いてきた。
「お前が防衛軍の副団長候補か」
「はい。あなたがレグル様ですね。お会いできて光栄です。まず確認したいのですが、防衛時の隊列はどのように組まれていますか?」
「……隊列?」
「はい。前衛、中衛、後衛の配置基準です。魔物の体格、移動速度、耐久力を考慮せずに並べているのであれば、早急に見直す必要があります」
レグルはしばらく沈黙した。
「……俺は、敵の攻撃を受け止めるのが役目だ」
「存じています。だからこそ、受け止めた後のことも考える必要があります。敵の攻撃を防いでも、後ろにいる仲間が動けなければ意味がありません」
レグルの表情が少し変わった。
彼は防御を担当する軍団長だ。ただ攻撃を受けるだけではなく、味方が戦える場所を維持し、被害を抑えることも役割に含まれる。その点をトウガは召喚されたばかりなのに理解しているらしい。
「……なるほど。話を聞かせてくれ」
「では、まず地図を用意してください。正確な寸法が必要です。できれば縮尺も統一してください。以前の測量記録があれば、そちらも確認したいですね」
「地図はあるが、そこまで細かいものはない」
「では、作り直しましょう」
「今からか?」
「今からです」
トウガは当然のように答えた。
私は思わずミレアを見た。
「ねえ、この子、休むことある?」
「現時点では不明です。ただ、構造物の不備を放置することに強い抵抗を示しているようです」
「それ、性格の説明としては分かるけど、ちょっと大変そう……」
トウガは私たちの会話など気にせず、地面に転がっていた石を拾い上げた。そして、訓練場の端に置かれていた木材を見つけると、二本を並べ、間隔を測り始めた。
「この資材の置き方も改善できます。種類ごとに分けて積み、使用頻度の高いものを手前へ配置するべきです。運搬経路と交差しているので、事故の原因になります」
「……確かに」
私が周囲を見回すと、採掘から戻ったゴブリンたちが運んできた鉱石や木材を、空いている場所へ適当に積み上げていた。今までは資材が足りなかったし、置き場所を細かく決める余裕もなかったのだ。
しかし、これから戦争になるのなら、そんな部分も見直す必要がある。
「トウガ。もし副団長になったら、そういう管理もお願いできる?」
「もちろんです。ただし、権限と責任の範囲を明確にしてください。誰が資材を管理し、誰が移動を許可し、誰が最終確認を行うのか。曖昧なままでは、問題が発生したときに責任の所在が分からなくなります」
「分かった。そこは一緒に決めよう」
「ありがとうございます。では、最初に訓練場の測量を――」
「待って。まずはレグルと話をして、防衛軍の仕事を知るところから始めようね」
私がそう言うと、トウガは少しだけ不満そうに眉を寄せた。
「……分かりました。ですが、測量は必要です」
「うん、必要なのは分かったから」
そのやり取りを聞いていたレグルが、低く笑った。
「面白い奴だな。俺はこういうのは得意じゃない。お前の知識を貸してくれるなら助かる」
「お任せください。防衛は力任せに行うものではありません。敵の進路を限定し、味方が動きやすい場所を確保し、守るべきものを守り切る。それが基本です」
「そうだな。俺も、もっと考えなければならない」
レグルは真剣に頷いた。
バランが力と勢いで敵を打ち破る攻撃軍の候補なら、トウガは準備と配置で被害を減らす防衛軍の候補だ。二体とも、方向性はまったく違う。それぞれの得意分野を伸ばせば、軍団長を支える存在になれるかもしれない。
ただし、召喚しただけで副団長に決めるつもりはなかった。実際に働いてもらい、仲間との相性や判断力を確かめる必要がある。配合によって能力を伸ばす方法もあるが、まずは本人が何を得意とし、何を苦手としているのかを知ることが先だ。
私は訓練場の外に目を向けた。洞窟の入口付近では、見張りを担当する魔物たちが周囲を警戒している。クロウとルゥも偵察から戻り、ミレアへ新しい情報を伝えていた。
王国軍は、きっとまた来る。
今度は前回より大きな軍勢を送り込んでくる可能性が高い。王国にとって、クロノアは話し合いで認める相手ではなく、排除すべき脅威なのだ。こちらが国を名乗り、仲間たちの暮らしを守ろうとするほど、向こうは支配を強めようとするかもしれない。
「ミレア、偵察の報告をまとめておいて。王国軍の動きが分かったら、すぐに全軍へ伝えられるようにしたい」
「承知しました。各軍団の連絡手段についても、トウガ様の意見を聞けば改善できるかもしれません」
「うん。まずはみんなで相談してみよう」
私は二人の新しい仲間を見た。バランはまだガルドに勝てず、悔しそうに拳を握っている。一方のトウガは、すでに地面へ線を引き、訓練場の簡単な見取り図を作り始めていた。
「……本当に、個性的な子たちが来たね」
「戦力の増強だけでなく、軍団の運営面でも期待できそうです」
「そうだね。あとは、みんなが一緒に働けるようになればいいんだけど」
そのとき、トウガが顔を上げた。
「ノア様、一つお願いがあります」
「何?」
「訓練場の端に置かれている、あの斧の予備置き場ですが、通路から近すぎます。誰かがぶつかれば倒れる可能性がありますので、移動させてもよろしいでしょうか」
私は、ガルドが置いた予備の斧を見た。確かに、少し危なそうな場所にある。
「……分かった。お願いするよ」
「ありがとうございます。では、資材置き場も含めて配置を見直します」
トウガは満足そうに頷き、すぐに作業へ戻った。
私は小さく息を吐いた。
戦争の準備は、武器を揃えて強い魔物を増やすだけでは終わらない。仲間が安全に動ける場所を作り、連絡手段を整え、必要な資材を必要な場所へ届ける。そうした地味な積み重ねが、いざというときに命を守るのだ。
そして、クロノアに必要なのは、強い軍団だけではない。
この国で暮らす魔物たちを、戦いの外でも守れる仕組みだった。
訓練場では、再びガルドの声が響いた。
「バラン! 次は味方が横にいるつもりで動いてみろ! お前一人で突っ込むな!」
「分かってる! 次は絶対に――」
「返事だけじゃなく、動きで示せ!」
その隣では、トウガが訓練場の見取り図に新しい線を引いている。
私はその光景を眺めながら、少しだけ笑った。
攻める力と、守りを整える知恵。二つの歯車が噛み合えば、クロノアは今よりずっと強くなれるはずだ。
もちろん、それで王国軍との戦争が簡単になるわけではない。
だからこそ、次に必要なのは、魔法軍を支える人材と、四軍団が連携するための仕組みだ。王国が次の一手を打つ前に、私たちも準備を進めなければならない。
「よし。みんな、無理はしないでね。強くなるのも大事だけど、怪我をしたら休むこと!」
「ノア様、それはバランにも伝えておいたほうがよろしいかと」
ミレアの言葉に、私は訓練場へ視線を戻した。
バランはまた吹き飛ばされていた。
「……うん。あとでちゃんと言っておくよ」
クロノアの朝は、今日も騒がしく始まった。




