ザマァな私
――ピチャン。ピチャン。
天井のひび割れた石から、汚れた冷たい水滴が絶え間なく落ちてくる。
ここは王宮の最下層、かつて拷問や重罪人の幽閉に使われていたという「奈落」と呼ばれる地下牢だ。
光など、一筋たりとも届かない。あるのは、湿ったカビの臭いと、汚物の腐臭、そして時折暗闇を走り抜けるネズミの足音だけ。
「う……ぅ、うぅ……冷たい、寒いよぉ……っ」
私は湿った藁のベッドの上に丸まり、骨と皮ばかりになった身体をガタガタと震わせていた。
全身を覆っているのは、かつて身にまとっていたあの贅沢なピンク色のシルクドレス――の、泥と糞尿にまみれてボロボロになった「雑巾」のような残骸だ。
カサカサに乾ききり、深いシワが刻まれた自分の両手を、見たくもないのに撫でる。
指先は冷え切り、爪は割れて泥が詰まっている。
かつて多くの男を狂わせ、王太子ジュリアンのペニスを握ってとろけさせていた、あの白く滑らかで柔らかかった私の手は、もうどこにも存在しない。
「おい、エルザ……。腹が減った。お前の分のパンをよこせ」
暗闇の向こう、鎖で繋がれたもう一つの影から、掠れた老人特有の不快な声が聞こえてきた。
かつてこの国の女性たちの憧れの的であり、金色の髪をなびかせていた王太子、ジュリアンのなれの果てだ。
彼はすっかりハゲ散らかし、歯も抜け落ち、腰の曲がった醜悪な老いぼれと化していた。
強制老化の呪いは、私たちの肉体だけでなく、精神の尊厳すらも徹底的に破壊していた。
「嫌よ……! なんで私が、あなたなんかにパンをあげなきゃいけないのよ! これは私のよ、この役立たず!」
「何だと、この売女が! お前があの時、ベッドの上で私をそそのかさなければ、私は今頃、王位に就いて、コレットと共に豊かな国を支配していたのだ! すべてはお前の淫らな肉体と、あの卑しい嘘のせいだ!!」
ジュリアンは暗闇の中で鎖をガタガタと鳴らし、私に向かって汚い唾を吐きかけた。
「あはは! 本当に見苦しいわね、元王太子殿下! 自分の意志で私の身体を求めて、私のあざといおねだりにデレデレして、コレットを追い出したくせに! 自分の無能さを女のせいにするなんて、本当に最低のオス! あなたなんか、あのベッドの上で私のおもちゃにされていた、ただの去勢犬だったのよ!!」
「おのれぇぇぇっ! 殺してやる! この牝狐、引き裂いてやるぅぅぅっ!」
ジュリアンが鎖の限界まで突進してくるが、私には届かない。
私たちは毎日、毎日、この暗闇の中で互いを呪い、罵り合い、醜く傷つけ合っていた。
かつて「甘い蜜」と「夜の技術」で結ばれていた私たちの絆は、今や、互いの首を絞め合うためだけの「汚い毒の鎖」へと変わっていたのだ。
あざとさだけで生き抜いてきた私の、これが本当の結末。
何もかも失い、若さも美貌も奪われ、ただ醜い老いぼれとして、かつて愛し合った男と一生憎み合いながら死んでいく。
これ以上の地獄が、この世にあるだろうか。
◇ ◇ ◇
数年後。
地下牢の厚い鉄扉が、重々しい音を立てて開いた。
年に一度、新しい囚人の連行や、生存確認のために看守がやってくる日だ。
「おい、大罪人ども。大人しくしていろ」
入ってきた帝国兵の看守は、私たちの姿を見てあからさまに鼻を摘んだ。
看守の手には、一枚のクシャクシャになった街の瓦版(新聞)が握られていた。
「おい、お前たちの元婚約者……いや、本物の『大聖女』様が、今どうなっているか知りたいか?」
看守は意地悪な笑みを浮かべ、牢屋の格子の前にその紙面を放り投げた。
私は這いつくばるようにして格子にすがりつき、薄暗いランプの光を頼りに、その瓦版を食い入るように見つめた。
そこには、言葉を失うほどに美しく、神々しい「本物」の姿が描かれていた。
コレット・フォン・アルベルト。
彼女は今、帝国の「筆頭国聖女」として、かつてないほどの栄華の極みにあった。
彼女の張る結界は、大陸の半分を覆うほどに強大化し、魔獣の脅威を完全に排除したという。
さらに、彼女の慈愛の光は、病に苦しむ何万もの平民たちを無償で救い続け、世界中の人々から「生ける女神」として崇め奉られていた。
そして、その紙面の中央。
コレット様の隣には、若く、極めて端正な容姿を持った、帝国の第ニ皇子殿下が並び立っていた。
皇子殿下は、コレット様の腰をそっと抱き、この上ない敬意と深い愛を湛えた瞳で彼女を見つめている。
コレット様もまた、以前のあの鉄仮面のような冷たさは消え失せ、心からの、優しくも凛とした「本物の幸福」に満ちた微笑みを浮かべていた。
「大聖女コレット様と、我が国の第二皇子殿下の御婚約が正式に発表された。来月には、大陸史上、最も豪華な婚礼の儀が執り行われるそうだ」
看守はそう言うと、嘲笑を残して立ち去り、鉄扉を乱暴に閉めた。
再び、静寂と暗闇が支配する。
「あ……あ、ああ……っ」
私は瓦版を握りしめ、ボロボロと涙をこぼした。
その涙は、シワだらけの頬を伝い、冷たい泥の中に吸い込まれていく。
(どうして……どうしてよ……)
私がどれだけ身体を売り、あざとい笑顔を振り撒き、嘘を重ねて手に入れようとしても掴めなかった「本当の愛」と「絶対的な幸せ」。
それを、コレット様は、一切媚びることなく、ただ己の力と、凛とした気高さだけで、すべて手に入れてしまった。
私があのベッドの上で、ジュリアンから奪い取ったと思っていた王太子妃の座なんて、コレット様が今手にしている「世界を支配する大帝国の皇妃」という栄誉に比べれば、ただの泥の塊に過ぎなかったのだ。
「コレット……コレットぉぉお!! 頼む、私を、私を許してくれ! 私は王太子だ! あの輝かしい結婚式の場に、私がいるはずだったんだぁぁぁああ!!」
隣の檻で、ジュリアンが狂ったように壁に頭を打ち付け、血を流しながら泣き叫んでいた。
だが、その叫びが地上に届くことは、二度とない。
「あはは……あはははは……!」
私は、枯れ果てた声で笑い続けた。
涙も、鼻水も、泥も、すべてが混ざり合った、狂気の笑いだ。
私は「嘘つきの聖女」。
男の欲望をくすぐる甘い毒で、一時の夢を見ただけの、哀れな見習い巫女。
私が奪い取ったと思った玉座は、ただの幻。
私が最後に手に入れたのは、この冷たく、暗い、泥濘の底の檻と、一生消えない「本物の後悔」だけだった。
「冷たい……寒いよぉ……っ、ジュリアン様、ねえ……もっと、私を、温めて……?」
私はシワだらけの身体を丸め、二度と戻らない、あの淫らで黄金色のベッドの夢を見ながら、暗闇の奥深くへと沈んでいった。
――本物の聖女が、世界の光となって輝き続ける陰で。
偽りの聖女は、誰に知られることもなく、泥の中で静かに朽ち果てていくのだった。
完




