シーツ上の聖域
朝、ステンドグラスから差し込む柔らかな光が、王宮の一室にある豪華なベッドを照らし出す。
私の隣では、この国の時期国王であるジュリアン様が、絵に描いたようなだらしない寝顔で眠っていた。昨夜、私のテクニックで何度も果てさせたせいで、完全に疲れ切っている。
私はベッドから音を立てずに抜け出し、姿見の前に立った。
鏡に映る私は、ふんわりとした癖毛、少しタレ気味の大きな瞳、そして男が「守ってあげたい」と本能的に思うような、華奢で柔らかな体つきをしている。
(うん、今日も完璧に可愛いわ、私)
私はそっと自分の首元や鎖骨を指でなぞる。そこには、昨夜ジュリアン様が理性を失って残した、赤い愛の痕跡がいくつも散らばっていた。
これこそが、この国の絶対権力者を支配しているという、何よりの証拠だ。
「……ん、エルザ……? どこへ行くんだ……」
背後でベッドが軋む音がして、ジュリアン様がシーツを引きずりながら手を伸ばしてきた。寝起きの、少し掠れた声。王太子としての威厳など微塵もない、ただの私に飢えたオスの顔だ。
「あ、ジュリアン様、起こしてしまいましたか? ごめんなさい……。殿下がお仕事に行かれる前に、少しでもお側を離れるのが寂しくて、お顔を見つめていたんですぅ」
私はわざとシーツを胸元まで引き上げ、少し寒そうに肩をすくめながら、トボトボとベッドに戻った。そして、彼の差し出した腕の中に進んで滑り込む。
「ふふ、殿下の胸の中、すごく温かいです……。ずっとこうしていられたら、どんなに幸せかしら。でも、殿下には国を護るお仕事がありますものね。私のような日陰の女が、引き止めてはいけませんよね……」
「そんなことはない……。エルザ、お前は日陰の女などではない。私の心は、常に共にある」
ジュリアン様は愛おしそうに私の額にキスをし、そのまま私の体に手を伸ばそうとした。朝の、男特有の衝動。それを受け入れるのも私の役目だけれど、今日はもっと「効果的」な甘え方をする。
私は彼の胸を小さな両手でそっと押し止め、困ったように眉を八の字にした。
「だめですよぉ、ジュリアン様。今朝は……コレット様と、国境の結界維持に関する大事な会議があるのでしょう? 早く行かないと、またコレット様に『王太子の自覚が足りません』って、冷たい声で怒られてしまいますぅ……」
わざとらしく「コレット」の名前を出し、怯えるように肩をすくめる。
その瞬間、ジュリアン様の顔が不快そうに歪んだ。
「チッ……またあの女か。顔を合わせるだけで、説教ばかりで息が詰まる。国境の結界維持など、神殿の神官どもにやらせておけばいいのだ」
「でも、コレット様の魔力がないと、結界は維持できないのでしょう? コレット様はすごいです。私なんて、毎日お掃除をしながら、ただ殿下のことばかり考えているおバカさんなのに……」
私はジュリアンの顎を指先で優しくなぞり、潤んだ瞳で見つめた。
「どうして、神様は私に魔力をくださらなかったのかしら。もし、私に素晴らしい魔力があったら、殿下をお手伝いして、もっとお役に立てたのに。そうすれば、コレット様のように殿下を冷たく責めたりせず、いつも笑顔で、優しく包み込んで差し上げられたのに……っ」
ぽろり、と計算し尽くされたタイミングで、大粒の涙を頬にこぼす。
これにはジュリアン様もたまらなかったようだ。彼は弾かれたように私を強く抱きしめ、熱い口づけを何度も浴びせてきた。
「そんな風に泣くな、エルザ! お前は今のままで完璧だ! あんな冷酷な結界など、お前のこの柔らかい体、私を全肯定してくれる優しい微笑みに比べれば、何の意味もない! 私が欲しいのは国を護るだけの機械ではない、私を愛してくれる本物の聖女……お前なのだ!」
「じゅ、ジュリアン様……っ。あぁ、そんなに激しく……っ」
ジュリアン様は私の太ももを強引に割り開き、飢えた獣のように重ねてきた。
朝の光の中で、私たちは激しく交わる。
私の耳元でジュリアン様が「あ、あ、エルザ、お前だけだ……! コレットなど、もう見たくもない……っ、は、はぁっ!」と喘ぐのを聞きながら、私は悦楽と勝利感に浸っていた。
(そうよ、もっとコレットを嫌いになって。あの女がどれだけ真面目に働いても、あなたの心の中には、私のこの淫らな肉体しか残らないのよ)
◇ ◇ ◇
数時間後。
朝の営みを終え、満足しきったジュリアン様を送り出した後、私は巫女の服に着替え、神殿の廊下を歩いていた。
足取りは軽い。頭の中では、ジュリアン様から新しくプレゼントされる予定の宝石のデザインを考えていた。
「――エルザ」
低く、透き通った冷たい声が、背後から私を呼び止めた。
振り返ると、そこに立っていたのはコレット様だった。
長い白銀の髪をきっちりと結い上げ、乱れのない聖女の法衣を身にまとった彼女は、相変わらず非の打ち所がない美しさだった。しかし、その瞳には一切の感情が宿っておらず、まるで穢れたものを見るかのような冷徹さで私を見下している。
「コ、コレット様……! ごきげんよう。あの、お掃除の途中だったのですが……」
私はすぐに「怯える哀れな見習い巫女」の仮面を被り、両手を胸の前でギュッと握りしめて身を縮めた。
「エルザ。あなたが昨日、神殿の買い出しと称して、半日以上も仕事を怠けていたと聞いています。それだけではありません。最近、あなたが王太子殿下の寝宮に頻繁に出入りしているという噂も耳にしています」
コレット様の声には、嫉妬の感情すら含まれていなかった。ただ、神殿の規律を乱す不純物を排除しようとする、事務的な冷たさだけがある。
「そんな……! 私、殿下にお呼び出しされて、お茶のお相手をしていただけで……。殿下が『お仕事でお疲れだから、私の顔が見たい』とおっしゃるから、お側でお話を聞いていたんですぅ。私、お断りしたのですけれど、殿下が寂しそうな顔をなさるから……っ」
わざとおろおろと手を振り、涙ぐんで見せる。
並の男ならここで「なんて健気なんだ、悪いのは呼び出した王太子だ」と思うだろう。
けれど、コレット様はピクリとも表情を変えなかった。
「殿下は次期国王です。あなたのような見習い巫女が私情で時間を奪い、公務を疎かにさせることは、国家の損失以外の何物でもありません。殿下に甘えるのはおやめなさい。これ以上、見苦しい振る舞いを続けるのであれば、神殿から追放します」
「……っ、そんな、追放だなんて……私、行くところがありません……っ」
私は顔を覆って泣き崩れるフリをした。
しかし、コレット様はそんな私の姿に一瞥もくれず、背を向けて立ち去ろうとした。その凛とした、隙のない後ろ姿を見て、私の心の中に黒くドロドロとした怒りが湧き上がる。
(何よあの鉄仮面! 私をただの『泥棒猫』として見下してるのね。自分が王太子の婚約者だからって、偉そうに!)
「コレット様ぁ……」
私は涙を拭い、すれ違いざまに、彼女の耳元にだけ聞こえる声で囁いた。
いつもの甘い声ではない。極めて邪悪で、粘り気のある、女の本性を剥き出しにした声だ。
「お堅いおばさん。そんなにつんつんしてたら、ジュリアン様に嫌われちゃいますよ? 知ってます? 殿下、ベッドの上では、私のことを『私の可愛い聖女』って呼んで、何度も私の名前を喘ぎながら求めてくださるんですよぉ?」
コレット様の足が、ピタッと止まった。
彼女がゆっくりと振り返る。その顔には、怒りではなく、底冷えするような深い「哀れみ」が浮かんでいた。
「……愚かな女。魔力も持たぬあなたが、その肉体だけでいつまでその地位を保てると思っているのですか。殿下が求めているのは、国を護るための力。あなたが施す『夜のお遊び』など、いつか飽きられる一時的な毒に過ぎません」
「ふん、負け惜しみはおやめなさいな。殿下はもう、私の毒なしでは生きられないのよ」
私はふっと不敵に笑い、再び「泣き出しそうな被害者」の顔に戻って、その場から走り去った。
向かう先は、もちろんジュリアン様の執務室だ。
「ジュリアン様ぁ……っ! う、うう……っ!」
ノックもせずに部屋に駆け込み、驚くジュリアン様の胸に飛び込む。
「どうした、エルザ!? 何があったのだ!」
「コレット様が……コレット様が私を神殿から追い出すって……! 私が殿下を誘惑して、お仕事を邪魔している『泥棒猫』だって、皆の前で罵られたんですぅ……っ。私、ただ殿下の心が安らげばいいと思ってお側にいたのに……もう、殿下とお会いできないなんて、嫌です、嫌ですぅ……っ!」
ジュリアン様の腕の中で、私は激しく泣きじゃくった。
ジュリアン様の全身から、怒りのオーラが立ち上るのが肌を通して伝わってくる。
「あの女……! 自分の婚約者である私を無視し、私の愛するエルザを傷つけるとは、どこまで傲慢なのだ! 聖女の地位にあぐらをかきおって!」
「ジュリアン様、私、怖いです……コレット様が、冷たい目で私を睨みつけて……私、消されてしまうかもしれません……」
「そんなことは絶対にさせない! エルザ、お前は私が守る。コレットなど、もう私の婚約者でも何でもない。……そうだ、お前が私の隣に立てばいいのだ」
ジュリアン様は私の肩を掴み、狂信的な光を宿した瞳で見つめてきた。
「私がコレットとの婚約を破棄し、お前を新たな王太子妃、そして『真の聖女』として国に認めさせる。お前をいじめるあの女は、国から叩き出してやる!」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳内で勝利の鐘がうるさいほどに鳴り響いた。
(やった……! やったわ! ついに言わせた!)
「まあ……! でも、私にはコレット様のような魔力はありませんわ……」
「気にするな。結界など、魔石の力で維持すればいい。お前のその愛らしさと、私への献身こそが、真の奇跡なのだから」
「ジュリアン様……! 嬉しい、私、ずっと殿下のお側でお仕えしますぅ……!」
私はジュリアン様の首にしがみつき、熱い口づけを交わしながら、コレットが去った後の贅沢で華やかな未来を思い描いていた。
何の能力もない私が、あざとさと肉体だけで、この国の頂点に立つ。
お堅いだけの本物の聖女から、すべてを奪い取って。
第3話へ続く。




