第5話 楽しい拷問をしよう
妙に明るい部屋で、老婆が一人、書類を暖炉で燃やしている。
洋館の一室、暖炉、本棚、そして大きな机。机の上には、書類の山。ペン。そして金。札束。
背の小さな老婆は、書類を手に取り、一つ一つ、丁寧に、燃え残しが無いように、燃やしている。
「何を燃やしている?」
リリスは老婆に尋ねる。
老婆は驚いて飛び跳ねる。首が折れるんじゃないかという勢いで振り向く。
誰もいないはずの館。誰もいないはずの部屋で、突然話しかけられる。全く想定していなかった状況に。
そして、振り向いて、声のする方向を見ると、人が居た。男だ。
青い髪、海のような。オレンジ色のスーツ。蒼い目。
老婆は声も出なかった。
侵入者が居ることにではなく、
その侵入者が、壁に立ってる事に。
リリスは壁に対して、垂直に立っていた。
老婆から見れば、床と水平になっている。
明らかに、物理法則を無視している。
老婆は、自分が、幻覚を見ているのかと疑った。そこまで私は老いたのか。ついにここまで来たか、と思った。
呆然としながら、思考していると、その幻覚が喋る。
「女を探している。今日、この館に来た女だ。」
老婆は一瞬停止し、一つ深呼吸をして落ち着きを取り戻し、扉を開けて部屋を出ようとする。
「幻覚相手に喋るヒマは無いよ。」
これは幻覚だ。私の脳が生み出した幻像だ。私は疲れているんだろう。今日はもう休もう。
そう思い、扉を開けた。
扉の先には、何もなかった。
本来あるべき、廊下、通路、床、天井、それらが全て無くなっていた。
代わりにあるのは、真っ暗な空間だけ、どこまでも続く永遠の暗黒。遠くには船が浮いている。
難破船のような、中世の木造の船が崩れて浮いている。
なんだこれは。私はもう眠っていて、夢を見ているのか?と老婆は思う。
後ろを振り向くと、さっきの男が床に降りていた。
何をするかと思っていると、燃える暖炉に手を突っ込んだ。
だがその手もスーツも燃えることも焦げることも無く、何も影響が起きない。
そしてその手には、チリチリと何かが形作っていく。
紙だ。私が燃やした紙を復元している。塵が集まり、紙に戻っていく。
「ふむ・・・これは・・・履歴書・・・?名前、住所、電話番号・・・」
老婆はゆっくりと机に近づく。
リリスは老婆に、再び質問をする。
「もう一度聞く。今日、ここに、女が来たはずだ。ボクはその女を探している。
おばあさん。君に危害を加えるつもりはない。協力してくれたら礼はする。」
暖炉の前で座ったまま紙を読む。その姿勢のまま、顔をこちらに向けることなくリリスはじっとしていた。
パンッ
破裂音。
老婆は机から銃を取り出し、リリスの側頭部に銃弾を発射した。
「舐めるんじゃないよ。」
老婆は、この男が、幻覚なら銃で撃ってもかまわないし、もし幻覚じゃない侵入者なら、
射殺しても何の問題も無い、その考えに至り、護身用の銃で頭を撃ちぬいた。
が、銃弾は、リリスのこめかみに触れた瞬間、そのまま床に落ちた。
弾丸が潰れることなく、弾くでもなく、何の音もせずに落ちた。
リリスが顔を動かさず、目だけで老婆を見る。
「この国で銃の所持は違法だ。それを持ってるという事、書類を燃やして処分してる事、つまり・・・」
リリスはゆっくりと立ち上がる。
老婆は恐ろしさに、銃を連射する。しかし、銃弾はリリスに触れた瞬間、その場にポトリと落ちる。
外した弾丸は壁にめり込み穴を作る。
リリスはゆっくりと話しかける。
「今日、ここで、オーディションがあったね?」
老婆は反射的に答える。
「確かにあった。しかしお前は一体誰を探しているのだ。」
「ふむ・・・名前はわからない。ただここに来たことだけは確かだ。このくらいの身長で、髪は短くて、ダンサーをやってる。」
「あのねぇ、ダンサー募集のオーディションなんだから、ここに来るのはみんなそのくらいの身長で、髪は短くて女なんだよ。」
老婆の言う事ももっともだ。とリリスは思った。
「彼女は・・・人前で踊ることが苦手だった。」
老婆はそれを聞いた瞬間、誰かわかったようだ。
「ああ、あの子かい。今日は珍しく緊張しないで踊っていたよ。そしてオーディションに合格して、ここから出ていったよ。」
「ふーん。ウソじゃないようだね。」
「わかったらもう帰ってくれ。金が欲しいならその机の上のモノを持っていきな。これ以上は何にもないよ。」
リリスは顎に手を当て、考え込む。違法な銃、書類を燃やす行為。それらについてまだ説明が無い。それらをどうやって聞き出すか。
「君、なにか、隠してるね。」
老婆は顔色を変えずに、答える。
「銃は護身用のためだ。このご時世何があるかわからないからね。書類は不要になったら燃やすんだよ。捨てるにしたって金がかかるからね。」
老婆にとってこれは真実だ。ウソじゃない。
だが、突然、老婆の右手。その人差し指が、取れた。第一関節から先の、爪の突いている部分が、
ソーセージを包丁で切ったような、平面の切り口で、ポロリと落ちた。
「あ・・・?」
突然の状況に、老婆は自分の指を凝視する。痛みは無い。どうなってる?何が起きた?こいつが何かやったのか?
リリスはそれを一切気にせず、質問を続ける。
「君が隠している事を答えろ。」
老婆は答える。
「何も隠してなんかいない。全部話しただろう。」
そう言うと、今度は指の第二関節から指が取れる。
「なんじゃこれは・・・!」
老婆は叫ぶ。まさか、ウソを言うと、体が取れていくのか・・・?
「彼女はどこに行った。答えろ。」
まずい、答えるわけにはいかない。しかしウソを言う事もできない。
老婆が冷や汗を流しながら、黙っていると、取れた指が、床の上で、ボロボロと崩れていく。
「なっ・・・まさか・・・」
「・・・」
リリスは何も言わない。
まさか、ウソを言えば、体の末端から、切り離され、
時間がたてば、その切り離された体が元に戻らなくなっていくというのか。
「ワシが何をしたというんじゃ!!その女が一体何だというんじゃ!私には関係ない!」
そう言うと、今度は指の付け根からとれる。どんどん体の中心に近づいていく。まさか、これは、
だがリリスは何も説明しない。
ただ、淡々と質問をしてくる。
何なんだこいつは。魔法使い?超能力者?
答えなければワシは死ぬ。いまここで。しかし、答えたら・・・
「これには事情がある。喋れば私は殺される。」
指は落ちない。真実だからだ。
男は、コップの中の氷が解けるを見るような、どーでもいいという顔をしている。無表情。無関心。
どうする?どうすればこれを切り抜けられる?
黙っていると、床に落ちた指が崩れ落ちた。
もう元には戻らないだろう。だがまだ人差し指だけだ。まだ時間がある、と考えていると、リリスが机の上に腰かける。
「・・・」
まだ何も言わない。
老婆には、この世界で何十年生き抜いてきた経験があった。脅迫されたこともあった。銃で撃たれたこともある。
だがそれをすべて切り抜けてきた。
しかし、こんな物理法則を無視したやつは一人もいなかった。
老婆とリリスの間で長い沈黙の時が流れる。
リリスが口を開く。
「答えないのなら、仕方ない。裂くとしよう。」
「さく・・・?」
さく、とはなんだ。サク、咲く?柵?削・・・?裂く?
「君の外側を二つに裂いて、脳から直接情報を取り出すんだ。」
なんてことを言い出すんだ。この男は。しかし、この男なら出来るだろう。銃が聞かないどころか物理法則を無視している。この男なら。
怖い。怖いぞ。今私は根源的な恐怖に怯えている。
リリスが座っていた机から腰を下ろし、ゆったりと、一歩一歩、近づいてくる。
その表情に変化はない。何の感動も無く、ただ、ドアを開けるためにドアノブに手を伸ばすような、“作業”を行うだけの動き。
コイツは、本当にやる。やるという説得力がある。喋ればワシはあの男に殺される。しかし、喋らなければ、今ここで殺される。
「わかった。喋る。だから命だけは助けてくれ。」
喋った後は、この町から逃げなければ、金を持って。もはやなりふり構っている暇はない。
「殺さないよ。悪魔は人間を殺すことを禁止されてるからね。
人間、真っ二つになっても死なない方法はたくさんある。」
あ・・・悪魔?この男、今自分を悪魔と言ったか?いや・・・そうだろう。悪魔。こいつが悪魔なら、そりゃ私が手も足も出ない。
「オーディションに合格したのは本当だ。その後、ここを出ていったのも本当だ。」
「どこへ行ったか教えてほしいだけなんだ。」
人の指を切り落としといて、脅迫しといて、何を言っているんだこいつは。
老婆は心の中で怒ったが、この理不尽さを覆す方法は何もない。苦虫を噛み潰したような顔をして、話を進める。
「それは、このオーディションは人身売買も同時にやってるんじゃ。毎回一人、買っていく男がいる。
その買われた女がどうなるかは知らん。逆らうことはできない、その男は権力者だからだ。
私が知ってるのはその男が誰か、だけじゃ。その男は───」
真実を話した。これを話した以上、ワシはこの町にはいられない。しかし、ワシが恐怖したのはそこじゃない。
この男の顔だ。普通、こーいう事を知ったとき、人間なら、怒る、怯える、悲しむ、困惑する、事実を受け止められず狼狽える。
しかし、この男、何の表情も崩さない。無表情、というわけじゃない。
なんだ、まるで、人間じゃない何かが、人間の真似をしてるだけのような、
怖い。得体のしれない、という怖さ。
最後まで話終わった後。男はこういった。
「教えてくれてありがとう。お礼に、それは残していくよ。」
そう言って、男は扉を開けて、出ていった。
扉を見ると、暗黒の世界が消えて、元のただの扉に戻っていた。
ワシは今まで、恐ろしい幻覚を見ていたのか?
ふと自分の手を見ると、指が一本無くなっていた。
現実だ。
・・・いや、まて、
老婆は嫌な予感がした。
それは残していく?何を?何を残した?別に何も置いてはいない。
まさか、あの悪魔、この呪いを、残していったんじゃないんだろうな。
つまり、ウソをついたら、体が取れていく呪いを、
試すか?何かウソを言って・・・いや、それで取れるのは、次は、右手そのものか?
あの男・・・最悪だ。
ワシはこれから、ウソを付けないというのか?死ぬまで?
老婆は待て!と叫ぶ。
しかし、返事は帰ってこなかった。
いつも通りの、自分以外、誰もいない洋館。
老婆はその場でへたり込み、途方に暮れるしかなかった。




