翻る日常 6
昼休み。
ーー疲れたからか、お腹空いたな。食堂か購買、どっちにしようか
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、壁際で談笑する女子生徒たちが目に入った。その中の一人に、見覚えがある。
――あれ? あの子、今朝の…。
そう思ったときには、声が出ていた。
「あの、朝のときにさ――」
「っ!? ちょっといいですか!」
「え?」
最後まで言い切るより先に、おさげの少女が兎翔の手を掴んだ。
そのまま引っ張られ、人目の少ない階段の踊り場へ連れていかれる。
「いきなりすいません。でも……気づく人は少ない方がいいと思って」
背丈は百五十センチもないだろう。小柄な少女は、気まずそうに視線を泳がせた。
「その……胸元から、見えてるので。ボタン、閉めてください!」
「見えてるって、何が?」
「えっ!?」
少女が目を見開く。
「まさか……わざとだったんですか?」
「わざとって言われても、見せちゃ駄目なものなんて……」
そう言いながら、兎翔は自分の胸元を覗き込んだ。
――あ、インナー着るの忘れてたな。
でも、それ以外には何も見当たらない。
よく分からないまま、両手でシャツの胸元を広げようとする。
「ちょ、ちょっと!」
少女が慌てて顔を逸らした。
「そういう人だったんですね! そういうの、危ないと思います!」
「えぇ……」
何故か怒られた。
けれど、その声は少し震えていた。
横を向いたままの頬は真っ赤で、目元にはうっすらと涙まで浮かんでいる。
さすがに、からかわれているわけではなさそうだ。
――考えろ。
今朝、昇降口で自分を見た瞬間に真っ赤になった。
今も、わざわざ人目のないところまで連れてきた。
胸元を開けているとみえるもの。
そして――。
今朝、自宅で見つけたものを思い出す。
自分の名前が書かれた、ブラジャー。
「……あ」
一つの答えに辿り着く。
「そういうことか」
兎翔はシャツのボタンを閉める。
「助かったよ。ありがとう。全然気づいてなかった」
「あ……えっと、そうだったんですね」
少女はほっと息を吐き、恐る恐る兎翔の方を見た。
「よかったです……。それでは、失礼します」
「あ、待って」
戻ろうとする彼女を、今度は兎翔が引き止めた。
「メモ帳、落としてない?」
「え?」
「朝、昇降口に落ちてたんだけど」
ポケットからメモ帳を取り出す。
それを見た途端、少女の頬がゆるんだ。
「それ、私のです! ありがとうございます!」
「よかった。一応だけど、中身は見てないから安心して」
すると少女は、ふっと頬をほころばせた。
「ふふ。新しく買った、バイトのオーダー用メモなので、まだ何も書いてないから大丈夫です!」
「……そうだったんだ」
兎翔も小さく息を吐いた。
ーーそういえば、名前すら知らない。
「俺は乃木 兎翔。二年生。君は?」
「茶振 絵美。一年生です」
自己紹介までは自然にできたが、何を話せばいいのか考えていなかった。
女子との会話になると、やっぱりこうなる。
先に絵美が口を開いた。
「あの……先輩がよかったら、今度バイト先の喫茶店に来てください」
「喫茶店?」
「はい。珈琲がとっても美味しいんですよ」
「じゃあ、今度行かせてもらおうかな」
「ぜひ!」
絵美は嬉しそうに笑う。
「それじゃあ、失礼します」
軽くお辞儀をすると、絵美は友人たちのもとへ戻っていった。
その後ろ姿を見送る
。
――喫茶店って、店の名前も場所も聞くの忘れたな。
少し考えてから、まあいいか、と歩き出す。
――でも、可愛かったな。
そして数歩進んだところで、ふと自分の胸元を見る。
「今の俺って…元の世界でいう、ノーブラでインナーも着てない女子みたいなもんか」
想像する。
「それは危ないわな」
納得した兎翔は、今度こそ食堂へ向かって歩き出した。




