翻る日常 3
兎翔は自分の席へ向かったが、そこには先客がいた。
二人の女子生徒が、兎翔の机を囲んで話している。
一人は兎翔の机に座り、もう一人は前の自分の椅子に座っていた。
「…………」
少し待ってみる。
二人とも兎翔に気づいているようだったが、話をやめる素振りはない。
「あの……俺の席なんだけど」
声をかけると、二人がこちらを見た。
「あー……はいはい」
机に座っていた女子生徒は気だるげに立ち上がり、悪びれる様子もなく、二人はその場を離れていく。
兎翔は小さく息を吐き、鞄を机に置いた。
そのとき。
「別にちょっと座ってたくらいよくない?」
「ね。細か」
離れていく二人の声が聞こえた。
聞かせるつもりなのか、聞こえても構わないと思っているのか。
どちらにせよ、兎翔の耳には十分届く声量だった。
――なんだそれ。自分の席だから声をかけただけだ。
むっとしながら、離れていく二人を目で追う。
短い丈のスカートが、歩くたびに揺れた。
膝よりかなり上まで露わになった脚に、思わず視線が吸い寄せられそうになる。
――まずい。
兎翔は慌てて視線を切って、素知らぬ顔で始業の準備を始める。
別に、女子が嫌いなわけではない。
むしろ、可愛いと思うことの方が多い。
ただ、そんな目で見ていることを相手に悟られるのが、どうにも怖かった。
何事もなかったように教科書を開く。
「…………」
ふと、机を見る。
いつの間にか、机の縁に手を伸ばして触れていた。
ーーいや、何やってんだ俺は
兎翔は我に返ると、視線を黒板へと向けた。
やがて授業が終わり、休み時間になった。
兎翔が教科書を片づけていると、聞き慣れた声が飛んできた。
「兎翔うさと」
学がにこやかにこちらへ歩いてくる。
「前も言ったけど、バレー部戻る気無いならやっぱサッカー部入れよ」
「あー、その話か」
「いいじゃん。一緒に切磋琢磨しようぜ」
学はそう言って、兎翔の前の席に腰を下ろした。
「バレーとサッカー全然違うじゃん」
「ボールとネットあるから大体同じだろ」
「なわけないだろ」
「まあ、体験はいつでも待ってるぜ」
「ありがとうな」
実際、バレー部を辞めてから、学校へ来る理由が一つ減った。
正確には、理由というより――楽しみだったのかもしれない。
実際、学校へ通う意欲が少し落ちていると感じていた。
勉強が好きなわけでもない。
今の兎翔にとって、学校で楽しいと思える時間といえば、学たち友人と話している時と、あとは、女子を横目で見る時間。
「...俺、学校に何しに来てんだろ」
「ん?」
「なんでもない」
そのとき、教室の前方でドアが開き、一人の女子生徒が入って来るのが見えた。
その手には、何枚かの紙とテープが握られていた。
「失礼します」
よく通るのに、どこか柔らかい声。
教室にいた何人かが自然とそちらを見る。
つられて、兎翔も顔を上げた。
川本雪
そう名乗った彼女は華奢な体つきで、薄いクリーム色の長い髪が、どこか儚げな雰囲気をまとわせていた。
派手なタイプではない。
それでも、その整った容姿はひっそりと周囲の視線を集めていた。
彼女は教室の掲示板の前まで行くと、持っていた紙を広げる。
『美術部 新入部員募集』
兎翔も何気なく貼り紙を見る。
学が会話を再開した。
「美術部、部員足りてないのか。兎翔は絵描けたっけ?」
「下手なの知ってるだろ」
「やれば上達するんじゃねえか?」
そんな二人の会話が聞こえたのだろう。
掲示板に紙を貼り終えた雪が、ふとこちらを振り返った。
「……部活、探してるの?」
突然話しかけられる。
「あ……まあ、何かしないといけないとは思うけど、いまいち踏ん切りがつかなくって」
自分でも意外なほど、すんなりと言葉が出た。
雪は兎翔を見て、それから手元の部員募集の紙を目の前に差し出した。
「……それなら、うちはいつでも大歓迎」
雪は小さく微笑んだ。
「見学だけでも大丈夫だから」
兎翔は思わず雪の顔を見る。
静かな雰囲気も相まって、どこか触れれば消えてしまいそうな印象がある。
「……考えとく」
「うん」
雪はそれ以上強く勧めることもなく、教室を後にした。
「…………」
細い腕を精いっぱい伸ばして、黙々と貼り紙を貼っていた姿。
柔らかな声。
そして、最後に見せた小さな笑顔。
「お前、女子に言われたらオーケーするのな」
学の呟きで我に返る。
「……そういうんじゃないけど」
「ほんとか?」
「そういうんじゃないって」
そう答えながら、兎翔は雪が出ていった教室のドアへ、もう一度だけ目をやる。胸には微かに余韻が残っていた。




