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加美由  作者: 白崎由宇
9/26

8

 いつものようにベンチ前に整列した部員たちは、目の前の光景に唖然とした。

 岩見のとなりに、練習用のユニフォームを着た加美由が立っていた。

「今日から、北田も練習に参加するようになった。以上」

 岩見がそれだけ言うと、加美由は帽子を脱いで頭を下げた。もともと短かった髪は、さらに短くなっていた。

 状況を飲み込めない部員たちは、ガヤガヤと騒ぎ出した。

「おら、喋ってないで早くアップを始めろ」

 岩見の一喝で、部員たちは慌てて走り出した。加美由も、最後尾にくっついた。

「どういうことだ」

「さっぱりわからねえ」

 ランニングしながら、部員たちはまだざわついていた。時折後ろを向いて、見慣れないユニフォーム姿の加美由に目をやった。加美由はうつむきがちに、淡々と自分のペースで走っていた。

「なあなあ」

 横山が加美由のとなりに並び、声をかけた。

「いきなりどうした」

「別に」

「別にって。それじゃあ、意味わかんねえよ」

 加美由は、口をつぐんだ。舌打ちした横山は、先頭集団に戻っていった。

 ウォーミングアップが終わり、部員たちは輪になってストレッチを始めたが、どうしても視線は加美由のほうに向いてしまう。ストレッチにも、まったく身が入らなかった。加美由は部員たちの好奇の視線を浴びながらも、ゆっくりと腿の筋肉を伸ばした。

「知っていたのか」

 ベンチ前でその様子を眺めていた岩見は、後ろでドリンクを作っている佐織に訊ねた。

「何をですか」

「北田が、野球やりたがっていたこと」

「はい」

「いつからだ」

 佐織は、蛇口を捻って水をとめた。

「知り合った頃から、ずっと」

 返す言葉もなかった。

 ストレッチが終了すると、部員たちは一旦ベンチに戻り、グラブを手に取ってから、再び外野の芝のほうへ駆けていった。

 加美由のグラブは、練習への参加が認められてすぐに、近所のスポーツ用品店に行って品定めをしたものだった。手入れの行き届いたそのグラブは、加美由の手にしっとりと馴染んでいた。

「北田、やろうぜ」

 声をかけたのは小宮だった。部員たちは、弾かれたように小宮のほうを向いた。加美由は、黙ってうなずいた。

「あの二人、付き合っているのか」

「さあ」

 部員たちはまた騒ぎ出したが、岩見の鋭利な視線を感じると、慌ててキャッチボールを始めた。

 加美由は、少し汚れている球を握った。

 不思議。

 同じ球のはずなのに、球拾いをしているときの感触と明らかに違う。

「いいぞ」

 小宮がグラブを振って呼ぶと、加美由はゆっくりと左足を上げ、球の縫い目に指をかけて右腕を振った。スピンの効いた球が小宮のグラブに吸い込まれると、軽やかな音がグラウンドに響いた。

「ナイスボール」

 グラブから球を取り出した小宮は、にっこり笑った。部員たちはそのキレのある球に、目を見張った。

「やっぱりな」

「え」

「お前、朝倉リトルの四番だろ」

 球を受け取った加美由は、観念してうなずいた。

「ユニフォーム姿を見たら、ピンときたよ。何で今まで隠してたんだ」

 加美由はその問いには答えずに、小宮に球を投げ返した。その球は、より速度を増して小宮のグラブに収まった。

「まあ、どういう経緯かは知らねえけど、一緒に野球ができるのは嬉しいな。何てったって、当時のお前は雲の上の存在だったからよ」

「は」

「リトルの頃、俺は身長も低くてガリガリで野球もヘタクソだったから、万年補欠で試合に出られなかった。でも、朝倉リトルの四番は俺よりも小さくて痩せてて、しかも女なのに、バンバンヒット打ってよ。そりゃあたまげたもんだ」

 加美由は五年生のときに小宮のチームと対戦していたが、いくら思い返しても、小宮のことは記憶になかった。それもそのはずで、小宮は試合に出場しておらず、ベンチで声出しをしていただけだった。

「そのときから、野球の考え方が変わった。ああいう風にうまくなりたいって。練習嫌いだったけど、俺なりに努力したよ。おかげで六年生のときにはレギュラーになれた」

 小宮はやや強めに投げ返したが、加美由は事もなげにキャッチした。

「言ってみれば、北田は俺の恩人だ。これからよろしくな」

 小宮が白い歯をこぼすと、加美由は小首をかしげた。

 いつの間にか二人の距離は、他の部員たちよりも随分離れていた。

「小宮、離れすぎだぞ」

 白石が、慌てて注意する。

「大丈夫ですよ、たぶん」

 小宮が答えるやいなや、加美由が放った球が一直線に小宮のグラブに飛び込んだ。

 俺より速いかもしれない。

 竹下の顔は、青ざめていた。

 部員たちも、岩見も、加美由の一挙手一投足に釘づけとなった。佐織だけは、さも当然といった表情で目を細めた。

 岩見が、ノックバットを手に取った。

「どこでもいいから守備につけ」

 はい、と返事をした加美由は、ベンチからグラウンドに向かった。

「おいおいおい」

 横山の視界に、加美由が迫ってくる。三塁ベースの後方まで来た加美由は、身体を反転させてホームのほうを向いた。

「何しに来たんだよ」

 横山は苦笑いを浮かべた。

「岩見先生が、どこでもいいから守備につけって」

 加美由は、三塁ベースに付いていた土を手ではらった。

「どうしてサードなんだ」

「慣れてるから」

「慣れてる。どういうことだ」

 それ以上は答えずに、加美由は口をつぐんだ。

「内野ボール回し、いくぞ」

 キャッチャー大橋の掛け声に、内野陣は大きな返事をした。大橋からファーストの三輪へ球が渡り、二塁ベース上で構える白石に渡った。白石は岩見に内野の適性を見出され、レフトからセカンドへコンバートされていた。白石の投げた球はやや上ずり、三塁ベース上の横山は軽くジャンプしてキャッチした。

「白石。ちゃんと胸へ投げろ」

「すみません」

 白石は、岩見に頭を下げた。

 加美由が来て動揺したのか、横山の送球も右に大きく逸れた。大橋は腕を伸ばしてキャッチし、体勢を立て直して三輪の胸へ放った。三輪からの送球を、今度はサードからショートへコンバートされた木田がキャッチした。木田は球を握り直し、三塁ベースを見た。

「あっ」

 投げる瞬間、三塁ベース上にいつもの横山ではなく、加美由が立っていたため焦ってしまい、指先に力が入ってしまった。

 球はベースの手前でバウンドしたが、加美由はそれをいとも簡単にすくい上げてキャッチし、素早くホームへ放った。真正面に返された球を掴んだまま、大橋は茫然と立ち尽くした。

「マジかよ」

 木田が呟いた。後逸してもおかしくない球なのに、加美由はそのバウンドを予期していたかのように、軽やかにキャッチした。他の内野陣も、キャッチボールをしていた外野陣も、動きがピタリととまった。

「まだ終わってないだろうが」

 岩見の怒号で我に返った大橋は、ミットから球を掴み、一塁に投げた。

 加美由の後ろで、横山は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「内野、バックホーム」

 大橋の掛け声とともに、内野陣は腰を落とし、岩見のノックに備えた。

 佐織から球を受け取った岩見は、ファーストから順々に球を打った。セカンド、ショートと続き、サードの横山の番となった。岩見はやや強めの打球を放ったが、横山は腰を更に落として丁寧に捕球し、ホームへ投げ返した。夏の頃までは捕球に雑なところも見られたが、秋になってからは落ち着いて捌けるようになっていた。

 加美由の番となった。果たしてどんな守備をみせるのかと、部員たちは固唾を飲んで見ていた。岩見がバットを振る。横山のときと同じぐらいの速度の打球が飛ぶがかなりショート寄りで、レフト前に抜けるヒットでもおかしくなかった。

 しまった。

 岩見は打った瞬間にそう思ったが、加美由は打球の方向を完全に読み切っていた。グラブを伸ばし、悠々とキャッチすると、身体をくるりと回転させ、ホームに矢のような返球をした。スピンのかかったその球は、大橋の胸元にきっちり返ってきた。

 再び、グラウンドは静まりかえった。

「先生」

 佐織が声をかけると、岩見はぎこちなく振り返った。

「知っていたのか」

「何をですか」

「北田の、野球の実力」

「はい」

「いつからだ」

「さっきも言ったじゃないですか。知り合った頃から、ずっとです」

 微笑んだ佐織は、あっけにとられる岩見に球を手渡した。

 練習が終わる頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。

 加美由と佐織は、二人並んで自転車を押しながら歩いた。

「ああ、面白かった」

「何が」

「みんなのリアクション。口あけてぽかんとしてた。岩見先生も、あんな細い眼がまん丸になってたよ」

 佐織は指でまぶたを押し上げて、岩見の顔真似をした。

「どうだった。練習初日は」

「初日にしては動けてたかな」

「あれだけ動ければ十分でしょ」

 夏の大会が終わってから、加美由は素振りだけでなく毎朝のジョギングを欠かさず続けており、鈍らないよう絶えず身体を動かしていた。ただ、ノックを受けるのはリトル以来だったので、しっかり対応できるか加美由自身も多少の不安は抱えていたが、勘は鈍っておらず、自分でも思っていた以上に動けていたので充実感はあった。

「明日はバッティング練習だよ。楽しみでしょ」

「自信ないなあ」

「またまた。謙遜しちゃって」

「本当だって。人が投げる球を打つの、久しぶりだし」

「でも、一番得意なのはバッティングでしょ。加美由なら大丈夫。また、みんなをぽかんとさせちゃえ」

 佐織は、屈託なく笑った。

「佐織」

「ん」

「ありがとう」

 照れくさくなった佐織が強めに背中を叩くと、加美由はゴホゴホとむせた。

 佐織と別れた加美由は、自転車に跨って漕ぎ始めた。佐織の家から加美由の家まで、およそ五百メートル離れていた。

 半分まで行ったところで、今朝、都子から言われたことを思い出した。

 今日は仕事で帰りが遅いから、夕飯は適当に食べておいてね。

 今からスーパーに戻って食材を買ってこようかとも考えたが、久々の練習で身体が疲れていたのもあり、そのまま帰ることにした。冷蔵庫に残っている食材で、簡単な物を作って食べようと思った。

 自転車を駐車場の端に停めて家の門扉を開けたとき、誰も居ないはずなのに一階の明かりが煌々とついていることに気がついた。

 お母さん、仕事が早く終わったのかな。

 玄関のドアを開けると、奥からテレビの音が聞こえてきた。少し遅れて、香辛料のいい香りが漂ってきた。微かに、メンソールのタバコの匂いもする。北田家でタバコを吸うのは、ひとりしかいない。

 靴を無造作に脱ぎ、リビングに向かった。

 台所にはエプロン姿の恵理がいて、大きな鍋の中をお玉でかき回していた。

「恵理」

「あ、お帰り」

 恵理は手をとめ、振り向いた。

「もう、いいの」

「うん。思っていたより調子良くて。先生も、通院に切り替えても大丈夫でしょう、って言ってくれて。お昼に退院してきた」

「本当に、本当」

「何を疑ってるの。ここにいるでしょ」

 苦笑する恵理を見てほっとした加美由は、リビングのソファに倒れ込むようにして座った。

 恵理が家にいるというだけで、たまっていた疲れが一瞬にして吹っ飛んだような気がした。

「ご飯先に食べる。お風呂も沸かしてあるよ」

「先に食べたい」

 ソファから起き上がった加美由は、食卓のそばにある食器棚から皿やコップを取り出した。

 二人は対面で座り、カレーを食べ始めた。

 都子の作るカレーよりも香辛料が多めで辛口なのだが、加美由は恵理が作ってくれるこのカレーの味が大好きだった。

「おいしい」

「よかった」

 練習終わりで極限まで腹を空かせていた加美由は、大盛りのカレーをあっという間に平らげた。恵理は少しずつ口に運びながら、その様子を微笑ましく見つめた。

「おかわり」

「相変わらずよく食べるね」

 米粒一つも無くなった皿を受け取ると、恵理はご飯とカレーをよそいに台所へ入った。

「加美由もよかったね」

「え」

「野球、できるようになったんでしょ」

「何で知ってるの」

「顔を見れば、すぐにわかるよ」

 よそい終わった皿を持って食卓に戻り、加美由の目の前に置いた。

 佐織は加美由のことをエスパーだと言うが、加美由から言わせてもらえば、本当のエスパーは恵理だった。加美由が考えていること、悩んでいることを、ものの見事に当ててしまう。

 恵理に隠し事は絶対にできない。

 加美由は、半ば諦めていた。

「やってみてどうだった」

「楽しかった」

「でしょ。まったく、加美由は人に気を遣いすぎなんだよ」

 恵理は食卓の上のタバコに手を伸ばし、一本取り出した。

「佐織にも同じこと言われた」

「確かに、社会人になったら、そういうことは必要かもしれない。でも、加美由はまだ高校生でしょ。自分探しの大切な時期なんだから、やりたいことは思いきってやったらいいの。失敗したっていいじゃない。やらない後悔より、やったときの後悔のほうがよっぽど楽だよ」

 恵理はタバコをくわえて火をつけると、加美由に当たらないよう天井に向けて煙をはいた。

「なんてね。私も、偉そうに言える立場じゃないんだけどさ」

 恵理は、灰皿の中にタバコの灰を落とした。

「まだ、言ってなかったね」

「ん」

「お帰り」

「ただいま」

 恵理は、照れくさそうに笑った。

「こらあ。靴脱ぎっぱなし。ちゃんと揃えなさい」

 玄関から都子の声が聞こえると、二人は顔を見合せ吹き出した。


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