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加美由  作者: 白崎由宇
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3

 一年生たちが環境に慣れるのに合わせて、練習内容は徐々に厳しさを増していったが、それは猛練習を避けてきた小宮も納得できる範囲内のものであった。

 練習時間は、きっちり三時間。延長はしない。ナイター照明の使用も、一時間まで。短い時間の中で、練習メニューに工夫を凝らした。

 例えば、月曜日は守備練習のみ、火曜日はバッティング練習のみ、水曜日は試合形式の練習のみと、それぞれテーマを絞って練習した。仕上げとして、週末に総括的な練習をするようになった。

 監督になった当初の岩見の指導はわかりやすいスパルタ方式で、部員からは「鬼軍曹」と恐れられていたほどだった。練習は長時間に及び、怪我人も続出した。大量の退部者を出してしまい、活動を休止せざるを得ない状況にまで追い込まれてしまった。

 猛省した岩見は、これまでの指導方針と練習内容をがらりと変えた。たまにOBが見学に訪れたりすると、先生も丸くなりましたね、と驚いていた。

 二、三年生たちは鬼軍曹時代の岩見をリアルタイムで目の当たりにしてきたので、いつ鬼が復活するか、と戦々恐々としていた。それを知らない小宮以外の一年生たちが、岩見に対して少しでも無礼な態度でもしようものなら、岩見が噴火しそうになる寸前で呼び出し、きつく叱っていた。特に無邪気な行動の目立つ横山は要注意で、上級生たちは常にアンテナを張っていた。

 小宮も、したたかな男だった。さすがの鬼軍曹も、大量に退部者を出してしまった後なら、もう激しい練習はやらないはず、と目論んでいた。

 加美由はというと、すぐにマネジャーの仕事全体を把握し、テキパキとこなしていた。

 水分補給に細心の注意を払い、いつでもすぐに飲めるようにスポーツドリンクをタイミングよく作った。球拾いはもちろんのこと、タイム計測、ライン引き、破れたユニフォームの補修、擦り傷の応急処置まで、何でもそつなくこなしていた。その傍らには、何をしていいのかわからず、右往左往している佐織がいた。

 佐織も、徐々にではあるが、加美由に教えてもらいながら、できることを増やしていった。早さでは加美由に遠く及ばないものの、佐織なりに不器用ながらも精一杯取り組んでいた。

「やっぱりすごいや、加美由は」

 水道でドリンクポットを洗いながら、佐織はため息交じりに呟いた。

「何をやっても完璧。私がお嫁さんにしたいくらい」

「私なんて、恵理と比べたらまだまだ」

 水をとめた佐織は、両手を振って水滴を飛ばした。

「そういえば、恵理さんの調子はどうなの」

「良いよ。大学にもまた行き始めたところ」

「それなら、久しぶりに会いたいな」

「恵理に言ってみるよ」

「嬉しい。絶対だよ」

 佐織は、白い歯をこぼした。


 日曜日。北田家、西川家が一堂に会し、北田家の庭を会場にして、夕刻からバーベキューが行われていた。

 肉を焼く前から敏郎も、佐織の父、幸一(こういち)もすでにでき上がっていて、二人でビールの注ぎ合いをしていた。同い年で、週末には同じ草野球チームで汗を流す二人は、そのうちキスでもするんじゃないか、と女性陣がヒヤヒヤしてしまうくらいに仲が良かった。

「お父さん、飲んでばかりいないで手伝いなさいよ」

 加美由の母の(みや)()が、たしなめる。

「まあいいじゃない。せっかくの休みなんだから」

 鉄板に油を引いていた佐織の母、慶子(けいこ)が、都子をなだめた。カカア天下な都子とは対照的に、慶子は夫に尽くす、お淑やかなタイプだった。夫のこれまでの大なり小なりの失敗にも、目を瞑ってきた。佐織は、母が父に対して怒っているところを、未だかつて見たことがない。

「まさか、佐織がねえ」

 缶ビール片手に、恵理はほろ酔いだった。

「加美由はともかく、佐織が野球部に入るとは。最初に聞いたときは、何かの間違いかと思ったよ」

「自分でも信じられないもん」

 キャベツや玉ねぎを焼きながら、佐織は嬉しそうだった。そのとなりで加美由は、黙々と肉をタレの中に漬けていた。

「大変だけど、毎日が充実していて楽しい。入ってよかったって思ってる」

「偉いぞ。佐織も成長したね」

 微笑んだ恵理は、缶ビールを飲み干した。

「恵理さんも元気になって良かった。本当に心配したんだから」

 佐織の表情から笑みが消え、今度は泣きそうになっている。

「もう大丈夫だよね、恵理さん」

 佐織が訊ねると、恵理は警官のごとく敬礼をした。

「はい。大丈夫なように頑張ります」

 おどける恵理を見て、佐織は吹き出して笑った。

「恵理さん、やっぱり面白い」

 二人のやり取りを横目に、加美由は下ごしらえを続けた。

 たくさん用意していたはずの肉もすっかり無くなり、母親二人は鉄板で締めの焼きそばを作り始めた。

「あれほど具を残しておいてって言ったのに、お父さんたちったらもう。これじゃ、かけ焼きそばじゃない」

 ぶつぶつ文句を言っている都子を、慶子はまあまあと穏やかになだめていた。父親二人はというと、そんなこともお構いなしに、恵理からお酌されてますます上機嫌になっていた。

「しかし、あれだね。恵理ちゃんもしばらく見ないうちに、だいぶ色っぽくなったね」

 赤ら顔の幸一は、となりに座る恵理に絡み出した。

「お父さん、やめなよ」

 だらしのない父親を佐織は叱ったが、娘の忠告はまったく届かなかった。

 こういうのは、あなたの役目でしょうが。

 佐織は、仏のような表情で焼きそばを炒めている母親に目をやった。

「本当ですか。褒めても何も出ませんよ」

 佐織の心配をよそに、恵理はまんざらでもなさそうだった。

「これじゃあ男はほっとかないだろう」

 幸一が何気ない一言を発した瞬間、佐織は、微笑んでいた敏郎の顔が一瞬強張ったように見えた。

「そんなことないですよ」

 恵理は、変わらず楽しそうに幸一の相手をしていた。

 佐織は、向かいに座っている加美由のことが気になった。紙コップに入れたオレンジジュースを飲みながら、加美由は二人のやりとりを静かに見ていた。

「どうしたの」

 佐織の視線に気づいた加美由が、訊ねた。

「何でもない」

 佐織は立ち上がり、奥のテーブルの上にある、焼きそばを盛るための紙皿を取りに行った。

 トイレに行ってくる、と言ってから、恵理がなかなか戻ってこないので、加美由は家の中へ入った。トイレに気配を感じなかった加美由は、玄関へ向かった。

 玄関を入って左側に、二階へ通じる階段がある。そこに恵理は膝を抱えてうずくまっていた。右手の人差し指と中指には、恵理がいつも吸っている銘柄のタバコが、火がついたままの状態で挟んであった。足元には、透明なガラス製の灰皿が置かれている。

「これ一本吸ったら、戻るから」

 恵理は顔も上げずに、消え入りそうな声で答えた。

 私は、何もしてあげられない。

 加美由は、そっと唇をかんだ。

 庭に戻ろうとすると、窓越しに佐織が不安そうな表情で立っているのが見えた。

「恵理さん、大丈夫」

「久しぶりに飲んだから、酔いが回っちゃったみたい。もう少ししたら戻るって」

「もう、お父さんが調子に乗って飲ませすぎたからだ」

 佐織は、酔い潰れて寝ている父親を睨んだ。

 それから十分ほど経った後、恵理はデザートを載せたお盆を持って庭に降りてきた。

「これ、私が作った杏仁豆腐。どうぞ召し上がれ」

 恵理がにこやかに言うと、先ほどまでいびきをかいて寝ていた父親二人は跳ね起きた。

「いよっ、待ってました」

 まるで事前に打ち合わせでもしていたかのように、父親二人は息もぴったりに拍手をした。

「酔っ払いのスタンディングオベーション」

 加美由がぼそっと言うと、賑やかな笑い声が上がった。

 恵理が入院したのは、それから一週間後のことだった。

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