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加美由  作者: 白崎由宇
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2

 その日の練習はシートバッティングがメインだからか、部員たちの表情は一様に明るかった。ピッチャーの竹下(たけした)がマウンドに立ち、キャッチャーの大橋(おおはし)を相手に肩慣らしをしている。

「三年から順番に打席へ入れ。一人五球までだが、ボールとファウルはノーカウントとする。残りは守備につけ」

 岩見が指示を飛ばすと、部員たちは駆け足で守備に散っていった。

 加美由と佐織は、ベンチに座って球磨きをしていた。昨日の練習はノックの途中で雨が降り出して中止になったので、球はひどく汚れたままだった。ただでさえ今日はシートバッティングだから、球をたくさん使わなければならない。二人は球についた泥をホースの水で洗い流し、乾いたタオルで素早く拭く作業を繰り返していた。

「これ、まだ泥がついたまま。やり直し」

 加美由は、佐織がカゴに入れた球を返した。

「厳しいですなあ、師匠」

 球を受け取った佐織は頬を膨らませたが、球を磨き直しているうちに、今度はクスクス笑い出した。

「どうしたの」

「いや、意外と早かったなって」

「何が」

「野球部入るの。あれから、すぐだったもんね」

 加美由は、顔を曇らせた。

「もうちょっと、時間かかると思ってたけど」

「私は、佐織が心配だから、こうして手伝いに来てるわけで」

「はいはい。わかりました、わかりましたよ」

 加美由の言葉を途中で遮った佐織は、再び汚れた球を掴み、ホースで水をかけ始めた。

 二人のあいだに、しばらく沈黙が続いた。キュッキュッと、球とタオルが擦れ合う音だけがした。

「後悔してる」

 沈黙を破ったのは、佐織だった。

「野球部に入ったこと」

 加美由は少し間を置いてから、静かに首を横に振った。

「よかった」

 手をとめた佐織は、にっこり笑った。

 球をすべて磨き終えた頃には、シートバッティングは中盤に差し掛かっていた。加美由たちは、三塁側のファウルゾーンに転がっている球を拾い集めた。

「竹下先輩って、コントロール良いよね」

「そうなの」

「逆球がほとんどないし、だいたい低めに集まっている。少なくとも、四球で自滅するようなタイプじゃない」

「ふうん」

「投球フォームもゆったりして、無駄な力が入っていない。これで体力がついたら、結構良いピッチャーになるよ、きっと」

「へえ」

 佐織の視線は、加美由と竹下のあいだを、行ったり来たりした。

「二年終わったな。じゃあ最後は一年だ。打順はお前らで決めろ」

 岩見の言葉に、外野を守っていた一年生たちは顔をほころばせ、ダッシュでベンチに戻った。

「竹下、まだいけるか」

「はい」

 返事とは裏腹に、竹下は肩で息をしていた。球数は、八十を超えていた。

「お願いします」

 威勢の良い声と共に、一年生の横山(よこやま)が右バッターボックスに入った。打ちたくてうずうずしているのか、構えたバットが忙しなく動いていた。

「どっちが勝つと思う」

 佐織は、加美由に小声で話しかけた。

「竹下先輩」

 加美由は即答した。

 横山は、ど真ん中に甘く入った球も大振りし、内野フライをポンポンと打ち上げていた。

「すごい。何でわかったの」

「あんな力みすぎのフォームじゃ打てっこない。トップの位置もバラバラだし」

 打ち終わった横山は、涙目になっていた。

 続くバッターも打ち上げ、引っ掛け、凡打を繰り返した。竹下にも一学年先輩としての意地があるのだろう。時折、内外角の低めギリギリの素晴らしいコースに球を放ったが、全体的な球威は落ちていた。

「最後は小宮(こみや)だな」

 岩見が言うと、小宮は左バッターボックスに入った。

「よろしくお願いします」

 竹下に軽く会釈をしてから、小宮は足元の土を均し始めた。

「打つよ」

「え」

 佐織が加美由のほうを向いた瞬間、乾いた金属音がグラウンドにこだました。

 打球は、右中間のフェンスへダイレクトでぶち当たった。グラウンドは一瞬、静寂に包まれた。

 球威は落ちていたが、決して甘い球ではなかった。内角低めの、ボール気味のストレート。普通なら打ってもファウルになりそうなほどの難しいコースの球を、小宮はいとも簡単にすくい上げ、右中間にまでもっていった。

「すげえ、すげえ」

 さっきまで落ち込んでいた横山が、目を輝かせて叫んだ。一年生たちは驚喜し、二、三年生たちは唖然としていた。

 その後も小宮は、すべてヒットゾーンへ綺麗に打ち分けた。よほどショックだったのか、投げ終わった竹下は、肩を落としながらベンチに戻っていった。

「竹下、よく投げた」

「え」

「小宮は、(たから)()シニアで四番を張っていたほどの男だ。打たれてもしかたがない。だが、打たれた球は、全部低めに集まっていた。気にすることはないぞ」

 岩見の言葉に、部員たちが一斉にざわつき始めた。

「宝田シニアの四番だってよ」

「何でそんな野球エリートがうちに」

 部員たちのざわめきは、収まりそうになかった。

「おら、今日の練習は終わりだ。さっさとダウンしてストレッチしろ」

 岩見が一喝すると、部員たちは慌ててスパイクをアップシューズに履き替え、クールダウンのランニングを始めた。

「後片付けしよ」

 加美由は、きょとんとしている佐織に声をかけた。

「説明してよ」

「何を」

「何って、小宮君のこと」

「宝田シニアの四番って、先生言ってたでしょ」

「それってすごいの」

「確か去年、全国制覇してる」

「ひゃあ、すごい」

 感嘆の声を上げた佐織は、外野のポールのあいだをランニングする小宮に目を向けた。

「でも、何でうちに入ったのかな」

「知らないよ。小宮君に聞かないと」

「それもそうか」

 しゃがんだ佐織は、足元に転がる球を手に取った。

「あ、そっか。加美由はそれを知ってて、小宮君が打てるってわかったんだ」

「だから知らないって。小宮君が宝田シニア出身だっていうのも、さっき初めて知ったし」

「え、じゃあ何で小宮君がバットを構える前に、足元をサッサッてやっているの見ただけで、打てるってわかったの」

 加美由は、拾い上げた球の縫い目を親指で撫でながら、

「雰囲気かな」

 と、呟くように言った。

「エスパーだ、加美由は」

 佐織は、あきれたように笑った。


 翌日。練習が終わり、一年生全員でグラウンド整備をしていたとき、佐織は加美由の腕を引きながら、一塁ベース付近をトンボで均している小宮の元へ向かった。

「訊きたいことがあるんだけど」

 手をとめた小宮は、露骨に面倒くさそうな顔をした。

「小宮君ほどのすごい人が、どうしてうちみたいな弱い高校に入ったの」

 佐織の直球の質問に、加美由のほうがハラハラした。小宮はしかたなくといった感じで、静かに語り出した。

「宝田シニアで一応レギュラーになって、全国制覇もできたんだけど、練習がすごくきつくてな。特に先輩の理不尽なしごきがつらかった。何度も辞めようとしたんだけど、結局辞められなくて、ズルズルいっちまった。先輩が引退したら少しは楽になるかと思っていたら、次の監督が管理野球を地でいくような人でさ。野球だけじゃなく私生活にまであれやこれやと指示されて、本当にうんざりしたんだ。まるで、野球が仕事みたいになった。全国制覇をしても、何の感慨もなかった。逆に、ああもう仕事をしなくて済む、と思ったくらいだよ。気づいたら、あれだけ好きだった野球が嫌いになっていた」

 野球が、嫌い。

 小宮の声が、加美由の頭の中で反響する。

「高校に行くときは、いろんな私立の強豪校から誘いを受けた。でも、そうしたらまた同じことの繰り返しになると思って、全部断った。もう、あんなつらい思いをするのはごめんだからな」

 何だか、私と似ている。

「高校では、野球はやらないつもりだった。でも、岩見先生が顧問の成田東が、部員不足で困っているって聞いてな。お世話になった人だし、何か力になれれば、と思って、ここを受験したんだよ」

「え、岩見先生って知り合いだったの」

「あ、そっか。お前らまだ知らないよな。岩見先生は、宝田シニアのOBなんだよ」

「そうなんだ」

「俺が中一の頃、よく臨時コーチとして練習に来てくれて、熱心に教えてくれたんだよ。俺のバッティングが良くなって、打てるようになったのも先生のおかげだ」

「へえ、そんなつながりがあったんだね」

「宝田シニアのチームメイトからは、馬鹿じゃねえの、って言われまくったけど、まあ今のところ後悔はしていないかな」

 トンボの平らなところで地面を叩きながら、小宮は笑みを浮かべた。

「こんなもんでいいか」

「うん。話してくれてありがとう」

「別に。もう何十回も他の奴にも同じ話したから」

「あ、ごめん」

「いいよ。気にすんな」

 小宮はトンボを肩に担ぎ、倉庫へ向かって歩き出した。

「小宮君って、しっかりしてるなあ。同級生とは思えないや」

 佐織は、感心したように独りごちた。

 逃げてるだけじゃん。

 私と、一緒で。

 加美由は、心の中でつぶやいた。

厳しい練習を避けてきた小宮と、野球そのものを避けてきた加美由。

 嫌なことから逃げてきた二人が同じ野球部に入るというのも、皮肉に思えてならなかった。

「どうしたの」

 我に返ると、佐織が首をかしげていた。

「戻ろう」

 加美由は、佐織の手を引いた。


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