第九話 欲深い奇跡
シリウスは仲間が味わった苦痛を、無言で読み続けていた。蝋燭が燃える音と、紙が擦れる音だけがする。ステラは見ていられなくて、俯いた。彼の顔を見ることができないほど、恥ずかしくて辛かった。これをしたのが自分の父親だと思うと、消えてしまいたくなった。
「……これは、カストル・ヴァン・ローゼと、ポルックス・ヴァン・ローゼの記録だ」
「カストル……」
「俺の、配下の者だった」
平坦な声だった。ステラの方を見もせずに、シリウスは話し続けた。書類を持つ彼の指に力が入って、紙が歪んでいる。
「何千年もの付き合いだった。数年前に消息を絶つまでは……」
何も反応できなかった。シリウスは、黙り込むステラを気にした様子はなかった。その冷たさが、怖かった。蝋燭が風もないのに揺らめいて、ステラとシリウスの影を歪めた。
「人間はよほど吸血鬼が好きらしい。迷惑な話だ」
全てに目を通し終わったのか、シリウスは書類を握りつぶした。紙の潰れる音と共にステラの方を見る。
「俺は、人間が憎い」
「そうね、当たり前よ」
「お前も……人間だ」
「そうよ、人間だわ」
シリウスは何かを言いかけて、やめた。彼の反応を直視できなかった。ステラはシリウスの視線から逃げるように下を向き、三回深呼吸した。
言えば、軽蔑されるだろう。自分は無害だと判断されて生かされている。彼の気まぐれで、母を助けてくれただけだ。自分の父親が、あの人であることをこんなにも呪ったことはない。
言わなければ、このままでいられる。それでも言わないといけない。これ以上彼を裏切ってはいけない。
こちらを見ているシリウスの視線を感じる。ステラは顔を上げて、赤い瞳を真っ直ぐ見つめた。
瞳の奥が熱い。ここで泣いてはいけない。泣いていいのは傷つけられた人たちであって、首謀者の娘は泣いてはいけない。眉を寄せて、溢れそうな涙を堪えた。
「わたしは、人間だわ。しかも、この国の王女よ。あなたの、憎むべき相手なの」
「王女?」
やはり気づいていなかったようだ。そして今、ステラが宿敵だと、知った。
シリウスは、わずかに目を見開いている。そのままステラに手を伸ばそうとして、ステラが身体に力を入れたのがわかったからか、ゆっくりとその手を下ろした。
今ここで、殺されても仕方ない。彼が死ねと言うなら、自ら命を絶ってもいい。それでも、殺される前に言わなければいけないことがある。
ステラは、眉を寄せてこちらを見ている吸血鬼に、わずかに震える唇を開いた。
「あなたは、仲間にこんな扱いをした人の娘を救ってくれた。ごめんなさい、こんな欲深いわたしに、あなたは奇跡をくれたのに」
「……」
「殺されてもいい、あなたの仲間がされたような仕打ちをしてもいいわ。お父様の首を取ってこいと言うなら、何とかする。あなたの役に立てるなら、何だって、する」
頬を、涙が伝う。身体が熱くなって、息が荒くなった。心臓が強く脈打つ。
「わたしたちが、仲間を奪って、ごめんなさい。わたしの大切なものを救ってくれたのに、あなたの大切なものが……」
「お前は……」
ステラは言葉がそれ以上出なかった。謝っても、償っても消えない罪がステラに重くのしかかる。代わりに涙だけが止まらなかった。心臓の音が、鼓膜を震わせる。眩暈がして、目の前のシリウスが霞んできた。
力が抜けそうになる足を、歯を食いしばって耐える。心臓が脈打つたびに、胸が強く痛み出す。それでも彼の仲間の痛みに比べれば、なんてことない痛みのはずだ。
「シリウス、なんでもするわ。だから、どうか……」
「おい、お前……」
「ごめんなさい。できることなら……あなたの苦しみを、わたしにも」
わたしにも、分けて欲しい。そう言おうとして、目の前が真っ暗になった。
「おい……ステラ!」
遠くから、何度も自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。そして、冷たくなる自分の身体を支える、彼の腕の温もりを感じた。
(名前、覚えててくれたんだ)
ステラは、意識を失いながら、そう思った。




