第二十五話 強いられた幸福
半月の夜を馬車の中から仰ぐ。もう数時間も馬車の中でレグルスと二人きりだった。会話は、ない。膝の上にはミラが丸くなって寝ていた。ステラは白い毛並みを撫でながら窓に頭を預けている。
レグルスはステラの正面に座りながら、書類を読んでいた。紙が擦れる音が規則正しく聞こえてくる。
「……何故ミラは人間であることをやめたのでしょうか」
ステラはレグルスの方を見た。彼はいつの間にか書類を隣の席に置き、ステラの膝の上のウサギを見ていた。
「ミラは人間ではありませんよ、生まれてからずっとウサギです」
わかっていたけれど、とりあえずとぼけてみた。レグルスは困ったように笑う。
「ミラ・セティアは、カストル・ヴァン・ローゼの為に人間であることを捨てて死んだでしょう?」
「……なんでもご存じなんでしたね」
「調べ尽くしましたから。私は執念深いのです」
ミラの最期なら、知っている。ステラはそう言いかけて、レグルスとの会話をやめた。ミラの最期を、吸血鬼を憎むひとに言いたくはなかった。
「彼女は、アルデバランの研究所の職員だったのです。だから知っていたはずです。吸血鬼の血を飲むと、紛い物の吸血鬼になり、カストルの血がないと死んでしまう存在になることを……」
レグルスはミラのことを話していながら、違う人のことを思い出しているようだった。おそらく彼の姉のことだろう。
「お名前、なんて言うんですか?」
「え……?」
「レグルス殿下のお姉様のお名前」
レグルスは固まった。そんなに変な質問だっただろうか。もしかしたら急に話題を変えたことを不自然に思ったのかも。ステラは頭を窓から離して姿勢を正した。
「あ、そうですね……名前はポリマ。私と同じ日に生まれた腹違いの姉でした。同じ日に生まれた人は運命を分け合うと言われていて、幼い頃は、同じ日に生まれた姉とは一心同体だと思ったほどです。成人の日に……ちょうどあなたくらいの時に亡くなりました」
「ポリマ王女とは仲が良かったのですか?」
「……私は王妃の長男でした。いつもお祝いは盛大で、常に周りに人がいた。姉はその真逆だったので、嫌われていたかもしれません」
「でも、あなたがいたのでしょう? それは羨ましいことです」
ステラは本心からそう思った。自分の死を悲しんで、その元凶に復讐するほどの感情を持ってくれる相手なんて、自分にはいない。思わず、少しだけ強い口調になってしまった。
レグルスは珍しく視線をステラから逸らして、窓の外を見ていた。彼は落ち着かない様子で、手を握ったり開いたりしている。
「羨ましい……ですか。そんなことはない……嫌われていたはずだ」
「周りに人がいなかったなら、なおのこと、側にいる人の大切さがわかるものなんです。まあ、この気持ちはレグルス殿下にはわかりませんよ……」
「いえ! あ、すみません。いえ、わかります。私は姉が側にいることが嬉しかったので」
普段の如才ない会話とは程遠い反応だ。ステラの方を見ては、目が合うと視線を膝に向ける。気まずい話題を振ってしまったことが、少しだけ申し訳なかった。
「無理に話さなくてもいいですよ」
「……違うのです。我が国ではもう何年も、姉の話は禁句だったので……」
「禁句? なんで、そんな、王女様が」
よほどの犯罪者でもそこまでの扱いは受けない。ステラはミラを撫でる手を止めた。レグルスは深く息を吐くと、自分の感情を整理したかのように、いつもの完璧な貴公子に戻る。
「人間が吸血鬼になるなんて、禁忌そのものでしょう? だから、ステラ、あなたも気をつけないといけない」
「わたしは、吸血鬼ではありません」
シリウスの血を飲んだことなどない。首にかけた太陽の石を握りしめながら、レグルスを見る。彼の綺麗な笑顔が、ステラの不安を大きくする。
結局、夜明けに国境沿いの宿に着くまでの移動中、なされた会話はそれだけだった。
◇
よく言えば丁寧にもてなされている。悪く言えば厳重すぎる監視。アルデバランを出てから、二回目の宿泊場所はアンタレスの辺境伯の離宮だった。手入れの行き届いた客室で、ステラは三人の侍女から髪や肌を整えられ、お腹が空く暇もないほど食べ物や飲み物を用意され、常に会話を振られ褒めちぎられていた。
ずっとこんな調子だ。ステラはすっかり気疲れしていた。アンタレスに入ったあと、隙を見て逃げ出そうとしたけれど、侍女に四六時中張りつかれて計画を断念したほどだ。
今日は、シリウスとの約束の日だ。ステラは侍女たちをやっと追い出し、大きな窓のカーテンを開けて空を見上げる。半月より少し膨らんだ月は、暗闇を優しく照らしていた。
「シリウス、怒っているかしら」
王都に入ったら婚約式の準備のため、侍女たちはそれぞれ先に王宮に帰ると言っていた。そのときは流石に監視の目は緩むはずだ。逃走したところで、成功するかわからない。ただ、一言シリウスに伝えたかった。
小さな黒い布の巾着を寝巻きのポケットから取り出す。これはレグルスから贈られている宝石の中でも、すぐに換金できそうな小ぶりなものを数個入れたものだ。王都に入ったら隙を見て逃げ、宝石を換金してミラと逃げる。上手くいくとは思えないけれど、やるしかない。
ステラは拳を握りしめ、気合を入れて、今後の計画を考えだした。
◇
アンタレス王国の首都シャウラは、大国の都そのものだった。行き交う人は活気に溢れ、白色のレンガがアンタレス独特の雰囲気を醸し出していた。
白い城壁が幾重にも連なり、その向こうには尖塔の並ぶ城がそびえている。道には塵一つなく、通りを歩く騎士たちの鎧が日の光を反射していた。都の人々は、新しい王の婚約式が間近に迫っているからか、お祝いの準備で忙しそうだ。
「ステラ王女殿下、これよりレグルス王太子殿下は先に王宮に戻るとのことです。王女殿下は、一旦王都にて休憩していただくことになりますが……」
侍女が馬車を止めて声をかけてきた。ステラは興味のないふりをして小さく返事をする。
「わかったわ、少し疲れたから休憩させて」
「畏まりました」
しばらくして馬車が動き出す。そのままステラは馬車の揺れに身を任せながら、そっと窓の外を眺めた。見知らぬ都の景色が流れていく。けれど、何を見ても心は弾まなかった。
(レグルスのお姉様は、なんで死んだのかしら……)
ふと、レグルスとの会話を思い出した。彼の口調が乱れたのをそのとき初めて見た。レグルスの姉は、愛した吸血鬼に殺されたと言っていた。
吸血鬼の血を飲むと、紛い物の吸血鬼になることは、ミラも言っていた。レグルスの姉は吸血鬼に血を捧げて死んだらしい。
(本当に吸血鬼に殺されたのかしら……)
馬車が止まったのは、王族専用の迎賓館だった。王宮での謁見に先立ち、ステラはここで身支度を整えることになっていた。
ステラは騎士の一人にエスコートされながら馬車を降りると、王族をもてなすにふさわしい優美な佇まいの宮殿を見上げる。以前なら入ることも叶わなかったような、壮麗な建物。
エスコートをしてくれた騎士が丁寧にお辞儀をすると少し後ろに下がった。ステラは支えるものがなくなった己の手を見た。シルクの白い手袋をつけている。洗濯や料理で荒れた手を保護するために、侍女が用意してくれた。
用意されたドレスは、いつもレグルスと揃いの意匠、同じ色。身につける宝石は翠色が選ばれていた。太陽の石は格が釣り合わないと没収されかけたけれど、こっそり持ち歩いていた。
馬車の中で確かめたとき、石の赤はこの数日でさらに暗くなっていた。
ステラはドレスの内側、胸元に隠した太陽の石を握りしめる。ゆっくりと開かれた扉から、温かい風がステラを迎え入れた。
迎賓館の中に入ると、高い天井には精緻な装飾が施され、壁には歴代の王族を描いた肖像画が並んでいた。一番手前にはレグルスの肖像画がある。
(これはレグルスのお父様とお母様、ああ、弟や妹もいたのね……)
肖像画の下には、名前とその時の年齢も刻まれている。ただ、どこを探してもポリマ王女の名前は見当たらなかった。
レグルスと第二王女デネボラの間だけが、不自然に空いている。そっと手でその場所をなぞると、後ろから騎士が咳払いをしてくる。
(びっくりした……少しポリマ王女の肖像画を探しただけじゃない)
わざとらしく注意をするその態度に、無性に腹が立った。こんな腫れ物を扱うように、いや、存在そのものを消し去るようにするなんて。ポリマ王女殿下のことを思うと、文句の一つでも言いたくなる。ステラは唇を噛み締めると、後ろを振り向かずに早歩きで廊下を歩くことにした。
後ろで慌てた様子で、騎士がついてくる。ステラは制止する声を無視すると、適当な部屋に入った。
「ステラ王女殿下! そちらは……」
「着替えるので入ってこないでください!」
何故こうも苛立つのかわからないまま、ステラは力いっぱい扉を閉めた。着替えると言ったので、騎士は遠慮がちにノックをするけれど入ってくることはなかった。
このまま、気持ちが落ち着くまでここにいよう。ステラは室内を見渡しながら、随分と放置されていたであろう古びた壁紙や家具を見る。優美な調度品が並んでいた迎賓館には相応しくないような部屋だ。
「物置なのかしら……」
一定の間隔で響き渡るノックの音を無視して、ステラは家具の中身を物色した。もはや癖になっている。
「女の人のお部屋だったようね」
引き出しの中からは放置されたように、宝石や香水の瓶が出てきた。ただ、完全に放置されているわけではなく、最低限の空気の入れ替えや掃除はされているようだ。
ステラは遠慮することなく一番手前の扉を開けてみる。そこは衣裳室だった。中には数十着ほどの淡い色ばかりのドレスが掛けられており、デザインからして、それは数年前のもののようだった。ステラは広い衣裳室の中に入って、よく中身を見てみた。
(やっぱり……)
ドレスの奥から、美しい金髪と新緑を思わせる瞳の女性の肖像画が出てきた。絵の下の部分には『ポリマ・フォン・アンタレス』と書かれており、額縁も外されていた。上の部分には、燃やされた跡もある。
ステラは絵の前に座り込んで、燃え跡をなぞる。無表情のまま、こちらを見つめる美しい王女。しばらくその肖像画を眺めていると、絵の下部が盛り上がっていることに気づいた。ステラは手を絵の後ろに回して、そこにある物を触る。
(ガラスの、瓶……?)
糊か何かで貼り付けられている瓶を慎重に剥がす。その拍子に絵がステラの方に倒れてきた。慌てて瓶を持っていない方の手で受け止めると、肖像画の裏側が見えた。
ステラは書かれていた文字を見て、息をのむ。
『わたしは、強いられた幸福を生きるくらいなら、自由な死を選ぶ』
ステラの手には、瓶の中に入った白い灰があった。これはポリマ王女の遺灰だ。ステラは、そう確信した。




