第二十三話 引き裂かれた契約
突然の訪問者に、母は嬉しそうに声を上げた。
「まあ、レグルス王太子殿下! ステラに会いに?」
「ええ、それにお義母様にお渡ししたいものもありまして」
レグルスは荷物が運び出された後の踊り場を見渡して、ステラと目が合い笑みを深くする。ステラは自分の惨めな格好を見られたようで、俯きながら前髪をいじった。
「……ステラ王女殿下はお義母様をとても心配されているのです。あと二日で見知らぬ土地に行く不安もあるのでしょう」
「二日?」
ステラはレグルスの言葉に顔を上げた。レグルスはステラを嬉しそうに見つめながら、ポケットから包装された小さな箱を取り出す。
「お義母様の体調はだいぶ良くなったようですが、やはりお守りは必要でしょう?」
「まあ、何かしら」
母は手渡された箱をすぐさま開けた。お守りという単語が気になり、ステラは母とレグルスの間に割って入った。
「なんて素敵なのかしら、これは、ルビー? ダイヤまで付いていて……」
「ロイヤル・ルビーと言います。我が国の特産物で、病魔を吸い取るのです。色が暗くなったら効力がなくなっている印なので、その都度お送りいたします」
「殿下、待って、何を……」
ステラは母の手に渡った赤い石を見て、青ざめた。母はステラを気にかける様子もなく、自分の首元のネックレスを外す。母のネックレスの石は、確かに以前より暗い色になっていた。
「うそ……」
ステラは自分の首元の太陽の石も見た。その石は熱く光っていたけれど、僅かに暗い色になっているようにも感じた。
「古いネックレスは、私の方で処分しましょう」
「ええ、ありがとう。ステラがくれたお守りが、私の病魔を吸い取って暗い色になったのね」
母はステラに感謝をしながら、それをレグルスに差し出した。レグルスは胸ポケットから取り出したハンカチで、シリウスの太陽の石を受け取る。
「だめよ……それはわたしのものなの」
「大丈夫ですよ、ステラ王女殿下。ロイヤル・ルビーは私の手元にたくさんあります。あなたがアンタレスの王妃である限り、お義母様もあなたもずっと健康でいられます」
レグルスは優しく語りかける。ステラと母を幸せにする、そう言っているはずなのに、ずっと脅されているようだった。
ステラは熱くなる太陽の石を握りしめながら、幸せそうに笑う母親と丁寧に母を扱うレグルスを見つめた。近くにいる二人が、水面に映った景色のように、遠く感じられた。
ステラは現実を直視できなくて、顔を背けて気づいた。玄関ホールの横の窓の外では、アンタレスの騎士たちが門扉の横に並び別館を取り囲んでいる。
「なんで……」
「あなたは王妃になる尊い存在です。お義母様もいなくなる今、出発までの二日間我が国の騎士がステラ王女殿下をお守りしますよ」
レグルスは胸ポケットに太陽の石を仕舞いながら、そう答えた。ステラは血の気が引いた。自分の唇が震えるのがわかった。
「何か問題でも?」
「どうして、ここまで」
「当たり前です。あなたは……ステラは私の大切な人なんですから」
◇
そんなに見張りたいなら、いっそ本人がここに泊まればいいじゃない。遠回しに監視するより余程わかりやすい。
窓の外から差し込んでくる松明の灯りに、ステラは抜け出してシリウスに情報を伝えることを断念した。すでに母は暁の別館とやらに行っている。娘がこれから幸せになると信じて疑わない姿を思い出し、今になって無性に腹が立った。もちろん自分に。
「お母様が太陽の石なしでは生きていけないなら、レグルスに従うしかないの?」
現状は八方塞がりだ。ステラは大きなため息を吐いて、膝にうずくまるミラの白い毛並みを撫でた。ミラはステラの手に顔を擦り付けて喜んでいる。
ステラはシリウスから贈られた赤いリボンを髪から解くと、そこに机の上にあったペンで文字を書き込んだ。
『出発の日にちが五日後から半月の夜に変更。ステラ』
ミラにリボンを結びつける。純白の毛並みが赤のリボンによく似合い、思わず笑った。
「ミラ、イチイの木にこのリボンを持っていってくれない? 無理難題なのはわかっているけど……」
ステラはミラを抱きしめて、一緒に階段を降りた。裏手の小さな扉を少し開けて、ミラをそっと外に出す。ミラは不思議そうな顔をしてこちらを見た後、ステラの願いも虚しく、元いた腕の中に戻ってきてしまう。
「やっぱり無理よね……」
当たり前だ。こんなに臆病な動物が松明の火を怖がらずに外に出るわけがない。ミラに顔を埋めて、裏手の庭に座り込んで次の一手を考える。このままではシリウスは急に消えたステラを疑うだろう。それだけは嫌だった。
「レグルスのばかやろう……」
「初めて名前を呼んでくれたのに、喜べないのは複雑ですね」
びくりと肩が揺れた。ミラから顔を離すと、濃厚な甘い香りがした。目の前には困ったように笑う翠の瞳の彼がいた。両手いっぱいの白い百合の花束を抱えていて、固まるステラを見て視線を合わせるようにしゃがむ。
「可愛らしいウサギですね。その子もアンタレスに?」
「……殿下」
「どうぞ、さっきのようにレグルス、と」
「……失言でした」
レグルスはふっと笑った。珍しくくだけたような笑顔で、ステラはミラを抱えた手の力を抜く。すると、ミラは飛び出してレグルスの足元に行った。
「ミラ!」
「ああ、女の子なんですね」
レグルスは自分の足元で首を擦り付けてくるミラを撫でる。赤いリボンを取って欲しそうにしているミラの仕草にステラは焦った。
「ミラこっちに来て」
「あなたにはこちらを」
ミラをひっ捕まえようとしたステラの腕に、レグルスは百合の花束を押し付けてきた。咄嗟に受け取ったステラを尻目に、レグルスはミラを抱きかかえた。自然な仕草で赤いリボンを解いた彼は、そこに書かれた文字に目を細める。
「レグルス殿下、返して……」
「レグルス、と」
「返してください」
レグルスはミラを丁寧に撫でたあと、地面に下ろす。しかしリボンは返してくれない。立ち上がって、近くにあった松明のところまで歩く。そのまま優雅な動作でリボンを燃やしてしまう。
「なんてことを!」
「出発は、半月の夜ですね。それまでの時間で、あなたは赤いリボンも白いドレスも、その薔薇の香りも消さないといけない」
「薔薇の香り……?」
「吸血鬼との契約は消し去らないといけないでしょう?」
レグルスは松明の光を浴びて、美しく微笑んだ。ステラは不覚にも、とても綺麗な笑顔だと思ってしまった。




