第二十一話 限りある時間
吸血鬼にとって時間とは、無限にあるものだった。だからこそ、価値がなかった。特にシリウスは、一族の中でも人間嫌いで有名で、限りある時間を生きるモノと関わることがなかった。一日が過ぎようが、一年が過ぎようが、変化のない日々。
「シリウス、アンタレスの王太子が出国するらしい」
夜も深まった時間に、窓枠から乗り込むように入ってきたジャックは、シリウスに焦ったように伝えてきた。人狼はアンタレスを滅ぼせなかった失態を挽回しようと躍起になっている。
「いつだ?」
アンタレスの太陽の石が手に入らなくなるのは痛手だった。だからこそ王太子を見せしめとして生かしていたが、ステラに近づいているのが気にかかる。このまま帰路に就くアンタレスの軍を襲撃するのもいいかもしれない。シリウスは、音もなく室内のソファに近づいてきたジャックに確認した。
「五日後に、この国の王女を連れていくみたいだ。間近に差し迫った婚約式を自国で行うんだと」
「五日後……」
もうすぐステラがいなくなる? シリウスは一瞬理解できなくて黙り込んだ。襲撃の計画を考えていると思ったのか、ジャックはここぞとばかりに身を乗り出す。
「今回、人狼が襲撃の先陣を切る! 前回の失敗の挽回をさせてくれ。族長にも許可は得ている」
「いや、襲撃はアルデバランの方だ。アンタレスの王太子は……俺一人でやる」
「何故だ、絶好の機会だぞ。アンタレスが特に吸血鬼を狙っていたんだ、先に叩くべきだ」
ジャックが種族をかけて必死に考えた計画を話していたが、シリウスはひどい苛立ちで思考がまとまらなかった。レグルスが、ステラを連れて行く。それも、数日後に。奥歯を音が出るほど噛み締める。
「俺がやる。……あいつとは、約束をしたんだ。それを果たさないといけない」
「約束? だが……」
「お前は情報をこれまで以上に念入りに調べてくれ。アンタレスに行くルート、人数、物資、全てだ」
「……わかったよ」
ジャックは不満そうに口を歪ませる。犬歯を覗かせて文句を言いかけて、やめた。自らの王に不満を言うのは人外にとっては御法度だ。一番強い者が王になり、種族全体を守る。ジャックは現れた時と同じように、軽やかに後ろに飛ぶと、窓から去っていった。
「人間はもう二度と、吸血鬼から奪ってはいけない」
シリウスは、ジャックが去っていった窓を見ながら、小さく呟いた。思わず出た、人外の王の言葉は、闇に吸い込まれていった。
◇
夜に紛れて生きる吸血鬼にとって、月や星の光は唯一の道標だった。それらと同じ輝きを持つ、ステラの存在。
シリウスはイチイの木に寄りかかりながら自分を待つステラを見下ろす。人間にとって、時間は黄金と同じ価値があるらしい。それを聞いたときは、なんてくだらない生き物なんだと思った。だが、そんな貴重な時間を使って、ステラはシリウスを待っている。
もう少しだけ、真下にある星の輝きを見たいと思った。そして、時間というものが限りあるものだということが、何となく理解できてしまった。
「シリウス?」
まさか気が付かれるとは思わなかった。返事をしないままステラの目の前に飛び降りると、彼女は満面の笑みでシリウスを迎え入れた。思わず眉を顰める。
「あなたの香りがしたから、もしかしてと思ったけれど本当にいたのね」
むせるような薔薇の匂いだった。同族の純血の吸血鬼でさえ、ここまでの強い香りは出さない。シリウスは手で口元を押さえて、酔いそうになるほどの匂いを防ぐ。
「シリウス、どうしたの?」
「もうすぐアンタレスに行くと、聞いた」
「あ……」
「行くのか?」
(行ってしまったら、契約を果たせないだろう)
シリウスは、本当はわかっていた。ステラの立場でできる協力など、ジャックやジンで事足りる範囲だ。それでも彼女が敵側に立つことが、どうにも許せなかった。
「知っているのね」
「そうだな」
ステラから笑みが消えたことが、癇に障った。その顔を見ないように、彼女の髪と同じ輝きを持つ星を見る。今日は満天の星空だった。
「わたしに拒否権はないわ。お母様が、いるもの」
「ならばアンタレスの王太子を殺してやる」
「シリウス……」
「お前はここで、俺に協力しないといけないだろう」
ステラが近づいてくる気配がする。シリウスの腕に、そっと彼女は手を置いた。思わずその手を見た。少しだけ震えていた手を、シリウスは自分の手で押さえる。
「レグルス王太子殿下は五日後に出国すると言ったわ。わたしができることは、彼の情報を流すことかしら」
「アンタレスに行ったら、だめだ。お前は俺に血を捧げて、お前の父親を殺す手助けをするんだろう?」
彼女の手を握りしめる。こちらを見つめる青い瞳が不安げに揺れた。
「わかっているわ、ただ……吸血鬼に血を飲まれた人間は、どうなるのかしら」
「なに?」
「いえ……何でもないの」
言いかけてやめたステラに、シリウスの動きが止まった。
吸血鬼が人間に血を与え続けると、紛い物の吸血鬼になる。力は得られず、多少寿命が延びるが、それだけだ。純血の吸血鬼の血を飲まなくなったら徐々に死ぬ。太陽の光でも死ぬ。人間には戻れないが、吸血鬼にもなれない。適合者以外は。
吸血鬼に血を飲まれ続けた人間は、回数が増えるにつれ弱り、やがて死ぬ。だが、ステラは太陽の石がある。死ぬことも弱ることもないはずだ。何も問題はない。
「レグルスに何か言われたか?」
「いえ……気になっただけよ。何も言われてないわ」
ステラがぎこちなく笑う。その笑顔に違和感を覚えたが、シリウスは言葉に出してステラにそれを伝える方法がわからなかった。
「俺はアンタレスも、アルデバランも、お前以外は殺す」
「……お母様は?」
「お前が望むなら一緒に逃がす」
ステラの望む言葉を伝えた。ステラはシリウスの手から、そっと自分の手を引き抜いた。一度空を見上げた彼女は、悲しそうに笑う。
「ええ、ありがとう」
(なぜ先ほどの笑顔ではないんだ)
ただ、シリウスはステラを笑顔にする方法がわからなかった。だから、重ねるように約束をする。
「五日後、ここに迎えに行く。お前と……母親を」
「……待ってるわ」
ステラは首にかけてある太陽の石を握りしめている。それがシリウスの感情を、小さく揺さぶった。
際限なく湧くような気持ちと、初めて感じる限りある時間への焦り。シリウスは誤魔化すように、ステラの首筋に唇を落とした。




