第二話 赤い瞳の吸血鬼
吸血鬼はステラの言葉に反応しなかった。ただ、じっと赤い瞳でこちらを見ている。
「人間の自殺に付き合う暇はない。お前は……」
「綺麗な瞳の色ね」
思わず呟いた言葉に、吸血鬼は怪訝そうにこちらを見つめる。その瞳は、ステラが一番好きな赤い薔薇より深い赤だった。
「……なんだって?」
「その赤、なんて素敵なのかしら。わたしの唯一の友達と同じ瞳の色だわ」
ステラは地面に手をついて、立ち上がった。吸血鬼は驚いた顔をしていた。少なくとも表情筋は生きているようだった。ずっと無表情だから、吸血鬼に感情はないのかと思ったのだ。
「お前の、友人……?」
「そうよ、美しい赤い瞳なの。あなたそっくり」
「もしかして――」
吸血鬼が何か言いかけた。ステラにゆっくり近づいてきて、止まった。そのまま後ろを振り返り舌打ちをする。何か怒らせただろうか。目を瞬かせて、吸血鬼を見ていたステラは、急に視界から吸血鬼が消えて息を呑んだ。
「えっ」
「また、来る」
吸血鬼は木の上にいた。ステラをじっと見ながら、苦虫を噛み潰したような顔をしてそのまま消えた。そのあと、数人の兵士がこちらにやって来た。それまでの数分間、ステラは吸血鬼が消えた方向をひたすら見つめていた。ずっと見つめていた。
◇
それから数日間、ステラの日課は変わった。夜にお姉さまの厨房から頂戴する料理は三人分。いったん母親に料理を届けてから、吸血鬼と出会った場所でピクニックの準備をする。
兵士たちが言っていた。不審者が正門の上から侵入したため、警備を五倍にしたと。なら、警護の対象外で、忘れられた場所にある別館の側からしか本邸には入れない。彼は、また来るのだ。
そして、五日目の夜、月が形を変え始めた頃。
「来ると思ったわ!」
ステラは飛び跳ねるように立ち上がった。木の上からこちらを見下ろす吸血鬼は相変わらず人外の美しさだった。
鬱蒼とした森の闇の中で、赤い瞳だけが光っている。
「お前に聞きたいことが、山ほどある」
「奇遇ね。わたしもたくさんあるわ」
ステラは、木の上から降りてきてこちらを睨む吸血鬼を見て、笑った。すごい形相。か弱い令嬢なら気絶してしまうのではないかしら。
「まずは、名前を教えて。わたしはステラっていうの」
「お前の友人とは吸血鬼か?」
「あなたの名前を教えてくれたら答えるわ」
吸血鬼はため息を吐く。とりあえず苛立ちはしているみたいだけれど、すぐに手を出す乱暴者ではないようだ。ステラは無意識に入れていた身体の力を抜いた。
「……シリウス」
「シリウス! 素敵な名前ね。わたしの友達はミラというの」
「質問に答えろ。そいつは吸血鬼なのか?」
「会ってみる?」
ステラは笑った。吸血鬼――シリウスはどうやら仲間を探しているようだ。理由はわからないけれど、ミラに会いたいなら会わせてもいい。
「今から会わせるわ。でも、せっかくピクニックの準備をしたの」
「吸血鬼は、人間の食べ物なんか食べない」
シリウスは、バスケットの中身を汚いものを見るように一瞥した。ステラはめげずに敷物の上に置いてあるワインを取り出す。
「ワインは?」
「……」
バスケットからグラスを取り出してワインを注ぐ。シリウスはこちらを少しも見ない。仕方がないから、注いだワインを彼の目の前に差し出した。
「飲んで」
「飲んだら、ミラを連れてこい」
「わたしがサンドウィッチを食べ終わったらね」
シリウスは、満面の笑みのステラを見てぐっと言葉を呑み込む。彼女の隣に座り、ワインを飲み出した。ステラは、吸血鬼がワインを飲むことを知っていた。嬉しくなって、口元を緩める。冷め切ったパサパサのパンだったけれど、口に入れたサンドウィッチは久しぶりに美味しく感じた。
◇
「なんだこいつは」
約束通り、ミラを連れて戻ってきたステラを見たシリウスからは、殺気が立ちのぼっていた。か細い声で鳴いて、小さなミラはステラの腕の中に顔を隠す。
「やめてよ、ミラが怯えるわ」
「ふざけるな。吸血鬼じゃないなら初めから言え」
風が強く吹いた。吸血鬼は天候も操れるのだろうか。木々に止まっていた無数の鳥たちが鳴きながら逃げ出して、月が雲の中に消えた。
腕の中の白いウサギは震えている。ステラは大きくため息を吐いた。
「本物のミラは死んだもの。これは彼女がくれたの」
「……どういうことだ?」
「ミラも、あなたと同じ赤い瞳をしていたの。数年前に死んだ」
シリウスは怪訝そうな顔をしている。彼の美しい瞳を見ながら、ステラは腕の中のウサギを撫でた。木々が揺れて葉が擦れる音が聞こえる。遠くでフクロウの鳴き声がした。
「ミラも仲間をずっと探していたわ。あなたと同じ、吸血鬼だった」




