第一話 限りある命
「だからって、カビの生えたパンしかくれないのは良くないと思わない?」
ステラは金色に輝く美しい髪をまとめ上げながら、自分の部屋の前に無造作に置かれた食事のトレーを見下ろした。カビのついたパンが三つと、冷め切ったスープだけ。ステラは青い瞳を細めて、パンをじっと見つめる。
アルデバラン王国には、たくさんの王子と王女がいた。婚姻によって周辺諸国と縁戚関係を結び、大陸で大きな力を得るためだ。国王には五人の妻がいて、ステラは、その三番目の妻スピカの唯一の子供だった。
そしてステラは、出来損ないの王女として、人間以下の扱いを受けていた。母親の病弱な体質を、そのまま受け継いでしまったからだ。おそらく子供は望めないだろう。つまり、政略結婚の駒にはならないのだ。
きっと母親のところにも、同じものが届けられているはずだ。それなら、身体の弱い母親のために、食事を確保しなければならない。
ステラは、王女とは到底思えないつぎはぎだらけのグレーのワンピースに、白いエプロンと三角巾をつけた。別館から本邸の厨房に忍び込むためだ。
本邸の厨房は、四つある。国王専用のものと、王妃のものと、王太子のものと、王妃の最愛の娘である第一王女のものだ。つまり、王妃の家族が優遇されるために作られた無駄な厨房ということだ。ステラはその中で、一番人目につきにくい第一王女の厨房に行くことにした。お姉さまは贅沢好きで性格が悪いから、毎晩食べきれないほどの料理を作らせては、気に入らないと手もつけずに捨てさせるのだ。
この時間はすでに王族の食事は終わっているため、人通りは少ないはずだ。
「性根の腐ったお姉さまが口にするには、贅沢すぎるものがたくさんあるのよね……」
ステラは堂々と厨房に続く道を歩く。下働きと同じ格好だから、誰もステラを不審には思わない。金色の髪は目立つけれど、三角巾で隠したから誤魔化せているはずだ。
「ええ! じゃあ、隣国の国王が殺されたって本当なの? なら、カペラ第一王女と、隣国の王太子との婚約はどうなるの?」
「王様が代わるなら、喪が明けたらすぐ結婚でしょ……仕事が増えそうで、やだわあ」
心臓が止まるかと思った。厨房に入る直前、背後から一際大きな声が聞こえ、ステラは固まった。幸いにも、声の主たちは厨房の手前で右に曲がっていったため、見つからずに済んだ。それでも、ステラの手のひらには汗がにじんでいた。
それにしても、国王が殺された? 暗殺ということだろうか。誰からも話しかけられずに過ごしていたため、そういった情報には疎い。笑えることに、今年成人なのに社交界デビューもしていないのだ。
ステラは大きくため息を吐いた。お母様も自分も、長くは生きられない。余命はお互い数年と言われている。だから社交界デビューしたところで意味がない。大人しく隠れるように過ごすべきなのは、わかっているのだ。
「せめて誕生日くらい、まともなご飯をくれてもいいでしょ」
食べきれないくらいに作られたサラダに、スープに、まだ温かいパン。鶏の丸焼きに、苺の砂糖漬け。どれもステラの好きなものだ。それが、どうせ捨てるのだと言わんばかりに、無造作に流し台に置いてある。
ステラは眉を寄せながら、母親の分と自分の分を、黙ってバスケットに詰めていった。
◇
帰り道、ステラは森の中を歩いていた。ステラたちが住む別館は、鬱蒼とした木々に囲まれた日陰の中にある。本邸から最も遠く、誰からも存在を忘れられている。月々入ってくる品位維持費が驚くほど少ないのも、誰かに着服されているとしか思えない。
今日は満月だ。しかも、月が赤い。
明るい夜道なのに、胸騒ぎがおさまらない。ステラは足早に森の中を進んだ。
「なんでこんなに、月が赤いのかしら。吸血鬼でも、出てきそう」
「……正解だ」
「きゃあ!」
いきなり背後から声がした。驚くほど冷たく、美しい声だった。ステラはバスケットを落として、尻餅をつく。ゆっくりと後ろを振り向くと、大きな木に寄りかかりながらこちらを見る男性がいた。すらりと高い背に、さらりと流れる腰までの黒髪。彫刻のように美しい顔立ちに、今日の満月のような、赤い瞳。
風が吹いた。次の瞬間、かすかに鉄の匂いがした。よく見ると、彼の白い袖口が、どす黒く汚れている。
「あ、あなたは……」
「見ればわかるだろう。吸血鬼だ」
虫でも見るかのように自分を見るその赤い瞳に、ステラは釘付けになった。
「きゅ、吸血鬼?」
「騒ぐなよ。面倒は嫌いなんだ。国王のいる場所を教えてくれたら、お前のことは殺さない」
ステラの胸が高鳴った。吸血鬼が目の前にいる。父親を殺しに来たと言っている。それはどうでもいいけれど、つまり、吸血鬼がいるということは――
「あなた、わたしを殺してくれる?」
ステラは誕生日に、一番望むものを手に入れられるかもしれないのだ。




