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ペリヘリオンの夜  作者: よしなか
6章 ベテルギウスの落日
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残照に尾を曳いて

 週末、陽人は家へ向けて車を走らせていた。

 窓の外を、冬枯れの街路樹が流れていく。あの封筒を置いてから、まだ一週間ほどしか経っていなかった。

 バックミラーに目をやる。2台後ろに、黒い車が1台。あの冬の夜から、ずっと同じ距離にいる。

 2日前、宗玄はいつものように陽人を見据えていた。けれど、その目にかつての鋭さはなかった。

 信号で停まる。フロントガラスの手前で、紅い縁の眼鏡がその色を拾っていた。

 ――勝手な真似をすれば、二人とも消す。

「……決めた」

 青に変わった。

 アクセルを踏んだ。


 ◇


 その夜、陽人は自室で携帯を開いた。

 朔夜の名前を選ぶ。画面を少し遡ると、1月の一文が残っていた。

『――蛍とまた会えたのは、お前のお陰だ。ありがとう』

 しばらく眺めてから、入力欄に指を戻す。打っては消し、また打ち直す。

『来週末、三人でどこか遊びに行きませんか』

 送信する。すぐに返事が来た。

『蛍と二人で行けばいいだろう』

 陽人は息を吐いた。予想していた返事だった。

『三人で行きたいんです』

 今度は、少し間があった。

『……分かった。蛍も了承した』


 ◇


 ベッドに横になってから、しばらく朔夜は考えていた。

 もし俺が陽人なら、蛍と二人で遊びに行く。

 あいつは真面目だから、俺に一言断るくらいのことはするかもしれない。

 だが、それでも俺まで誘う理由にはならない。

 なぜ三人なんだ。

 ――蛍。

 ふと、頭をよぎるものがあった。

 つい先日、別邸を訪れた時に浮かんだことだ。

 いや、違う。もっと、ずっと前から、考えかけては打ち消してきたことだ。

 俺は、父さんとも、母さんとも、本当に血が繋がっているのか。

 蛍は、父親の違う妹のはずだ。

 もし、俺が母さんの息子でなかったとしたら、蛍とは――。

 朔夜は固く目を瞑った。

 今まで蛍に抱いてきたものに、名前がつきそうな気がして――。

 仮定の話は、無意味だ。

 答えなど、出ない。

 ――蛍とは、これまで通りで、いい。

 結局、陽人が何を考えているのか分からないまま、当日を迎えることになった。


 ◇


 約束の日は、雲ひとつなく晴れた。風は冷たく、吐く息がまだ白かった。

 入場ゲートの前で待っていた陽人は、人波の向こうに二人を見つけて手を上げた。

「陽人くん!」

 駆け寄ってくる蛍の後ろを、朔夜がゆっくり歩いてくる。休日だというのに、シャツの釦を一番上まで留めていた。

「おはようございます、朔夜さん」

「……ああ」

 ゲートの奥から、陽気な音楽と歓声が流れてくる。蛍はそちらを見上げたまま、しばらく動かなかった。

「蛍?」

「あ、ごめん。……私、遊園地って初めてで」

 陽人は一瞬、言葉に詰まった。それから、何でもないように笑ってみせる。

「そっか。じゃあ、今日は全部乗ろう」

「……俺もだ」

 ぽつりと落ちた声に、蛍と陽人が同時に振り向いた。

「……なんだ」

「いえ、何でもないです! じゃあ今日は楽しみましょう」

 陽人はチケットを3枚差し出した。


 ◇


 最初に乗ったコーヒーカップで、蛍がハンドルを回しすぎた。

 カップは止まる気配もなく回り続け、降りた時には朔夜の顔から血の気が引いていた。

「……二度と乗らない」

「兄さん、ごめんってば」

 笑いながら謝る蛍の隣で、陽人も肩を震わせている。

 次に蛍が指さしたのはジェットコースターだった。

「なんでお前はそういうのばっかりなんだ」

「面白そうだと思って」

「二人だけで行け。俺は保護者だと思ってくれていい」

「まだ30歳でしょ?」

「……もう30だ。20代のお前たちと一緒にするな」

「大丈夫ですよ、朔夜さん」

 陽人が左腕を掴み、朔夜を引っ張る。それを見た蛍も右腕を掴みジェットコースターへ連行しようとする。

「お前ら、やめろ!」

「あっ、珍しく兄さんが焦ってる!」

「楽しい――こほん、貴重な思い出になりそうだね」

「陽人……」

 睨みながらも、朔夜はずるずると引っ張られていく。

 けれど乗り場の手前で、その腕は二人の手からするりと抜けた。

 結局、ジェットコースターには蛍と陽人が乗った。朔夜は小さく息を吐き、近くのベンチで二人が戻るのを待っていた。


 ◇


 いくつかのアトラクションを回ったあと、三人は園内のクレープ店に立ち寄った。

 メニューを眺めた蛍が、迷わず苺のクレープを指さす。

「今日は僕が誘ったので」

 そう言って、陽人が財布を取り出した。朔夜は甘いものは要らないと言い、自販機の方へ向かった。

 蛍と陽人が店に並ぶ。先に焼き上がった一つを、陽人は蛍に手渡した。

「先に食べてて」

「うん、ありがとう」

 缶コーヒーを片手に、朔夜が先に丸テーブルの椅子に座っていた。蛍もその向かいに腰を下ろす。

「……また苺にしたのか」

「うん。美味しそうでしょ?」

 蛍が答えるや否や、テーブル越しに伸びた指が、いちばん上の苺をつまみ上げていた。

「あ!?」

「さっき、カップを回しすぎただろう。仕返しだ」

 朔夜はそれを口に放り込み、指先についたクリームに眉を寄せた。

「もう!」

 頬を膨らませる蛍を横目に、朔夜は缶コーヒーを開けた。一口飲んで、もう一度手を伸ばす。

「残りは私のだってば!」

「まだあるだろう」

 蛍が取られまいとクレープを右へ左へと逃がす。その攻防の途中で、ふと二人の目が合った。

 それから、どちらからともなく、噴き出した。

 その光景を、陽人は店の前から見ていた。

 受け取ったばかりのクレープは、包み紙越しにも温かかった。その温もりが手の中で冷めていくのに気づいたのは、しばらく経ってからだった。

 包み紙を持ち直して、テーブルへ向かう。

「お待たせ」

 声をかけると、二人の笑い声がぴたりと止んだ。

 朔夜は何事もなかったようにコーヒーを飲んだ。その向かいで、蛍が片手でクレープを持ったまま、反対の手をひらひらと振った。

「おかえり、陽人くん」

 陽人は手を振り返して、蛍の隣の椅子に腰を下ろした。

 しばらくして、「あ」と声を漏らす。

「蛍、ちょっと待って」

「ん?」

「クリーム、ついてるよ」

 言いながら、蛍の口元へ手が伸びる。頬に近いところの白いクリームを、指先がそっと拭った。

「……取れた」

「……ありがとう」

 くすぐったそうに、蛍は肩をすくめた。

 陽人は紙ナプキンで指を拭い、そのまま自分のクレープに戻る。

 その向こうで、缶を傾けかけた朔夜の手が止まっていた。


 食べ終わると、蛍は包み紙を集めて立ち上がった。

「捨ててくるね」

 ゴミ箱のほうへ駆けていく背中が、人の流れに紛れる。

 テーブルには二人が残された。

 園内の音楽が、どこか遠くで鳴っている。

 沈黙を破ったのは陽人だった。

「……朔夜さん」

「なんだ」

「変なこと、聞いてもいいですか」

 横顔を向けたままの朔夜に、陽人は体ごと向き直った。さっきまでの柔らかさは、その目から消えていた。

「……蛍のこと、どう思ってますか」

 朔夜は缶を膝の上に下ろし、息を吐いた。

「……お前が好きなら、やるが」

「そうじゃ、なくて……」

 静かな声だった。陽人は首を横に振る。

「僕が聞きたいのは、朔夜さんがどう思っているか、です」

 まっすぐな目だった。朔夜はそれを受けたまま、しばらく黙っていた。

「……妹、だが」

 返ってきた声は低かった。

「……嘘だ」

 ほとんど聞き取れないほどの呟きが落ちる。

 陽人は膝の上で指を組み、ひと呼吸置いてから口を開いた。

「……本当に、兄妹ですか」

 朔夜の目が細くなった。

 問いを置いたきり、陽人の視線は組んだ自分の指に落ちている。

 朔夜は何も答えなかった。

「もう一度聞きます。朔夜さんは、蛍のこと、どう思ってるんですか」

 顔を上げた陽人の目が、もう一度まっすぐ朔夜に向けられる。

 その眼差しから――朔夜は目を伏せた。

 陽人は組んでいた指をほどき、拳を握り締めた。

「あの、僕は――」

「お待たせ~」

 軽い足取りで、蛍が戻ってきた。

 朔夜は缶の残りを一息にあおり、立ち上がる。

「蛍。……行くか」

「うん。あっちに面白そうなのあったよ!」

 弾んだ声で指をさす蛍の隣を、朔夜は足早に歩き出した。振り返らないその背中は、どこか逃げるようにも見えた。

 陽人は椅子に座ったまま、遠ざかる二人を見送った。

 少し先で、蛍がくるりと振り返る。おいでよ、と大きく手を振っていた。

 陽人は手を振り返し、腰を上げた。

 そして、二人の背中を追って駆け出した。


 ◇


 夕方。

「最後に、あれ乗る?」

 蛍が観覧車を指している。かなりベタな提案だ。

 少しずつ伸びる影を追いかけるようにして、三人で列に並ぶ。

 一番後ろに並んでいた陽人は、夕焼けに照らされながら、自分の前で他愛のない会話をする二人を眺めていた。

 順番が来た。ゆっくりと降りてきたゴンドラに、蛍が乗り込む。

 続いて朔夜が足を踏み出し――止まった。

 振り返るなり、その手が陽人の襟首を掴む。

「――え!?」

 次の瞬間、陽人はゴンドラの中へ押し込まれていた。

「ちょっと、待っ――」

 乱暴に扉が閉まった。

 二人は窓ガラスに張り付いた。地上に残った朔夜の姿が、上昇とともに遠ざかっていく。

 係員が何か声をかけているのが見えた。朔夜は一度だけゴンドラを見上げると、背を向けて歩き出した。

「はあ……。あの人は全く……」

 蛍が呆れたように肩を落とした。

「高いところが苦手なら、素直にそう言えばいいのに……」

「……そうだね」

 蛍の見当違いな言葉に、陽人は苦笑した。

 西日が大きな窓から差し込み、狭い室内と二人の顔を茜色に染めていく。

 その中で蛍の横顔を見つめながら、さっきあの不器用な男に掴まれた襟首を、そっと正した。

 ――やっぱり、あなたは自分に嘘をつくんですね。

 本当に兄妹かと聞いた時、あの人は目を伏せただけだった。

 血のことも、自分の気持ちも。疑っているのに、確かめようとしない。

 傷つくのが怖いから?

 口にしたら、壊れるから?

 でもそれは、家族という形に甘えているだけだ……。

 ただの、兄妹じゃないくせに。

 僕の気持ちを知っていて、きっと同じものを抱えているのに、戦いもせずに譲ってくる。

 少し……ずるいと思う。

「あはは……。兄さん、あんなところにいる……」

 陽人もその視線を追った。小さな背中が見える。

「……観覧車って、結構高いところまで上るんだね」

「え?」

「ジェットコースターは一瞬だったけど。見下ろすとちょっと怖いかも」

「陽人くんも、高いところ怖いんだ」

「……うん。そうみたい」

 ――ああ、そうか。

 僕も、言うのが怖いんだ。今が壊れてしまうから。……あの人と、同じで。

 それでも、僕はその外側にいるから。きっと、二人より単純なんだ。

「陽人くん」

「……ん?」

「今日、楽しかった?」

「うん。……楽しかったよ」

「よかった」

「蛍は?」

「楽しかった。……また、行きたい」

 その呟きに、陽人は静かに頷いた。

「うん。……また、行こう」

 それを聞いた蛍は、何も知らない顔で、嬉しそうに外を眺めている。

「……ねえ、蛍」

「うん?」

 ゴンドラは、もうすぐ頂上に差しかかる。

「朝霧の水辺で言ってくれたこと、覚えてる?」

「……覚えてるよ」

 景色を眺めたまま、蛍は答えた。

 あの夜は、陽人の翳りを、ただ静かに受け入れてくれた。

「ホタルは、我儘を聞いてくれるんだよね」

「うん。……えっと?」

「……君に、聞いてほしい」

 蛍が振り向いた。

 ――口づけした。

「……」

 頬を紅くしたまま、蛍は何度も瞬きを繰り返した。その瞳を、陽人は逸らさずに見つめ返した。

「僕は、今も、君が好きだ」

「あ……えっ、と……」

「……応えなくていい。これは、僕が君に伝えたかったことだから」


 ◇


 駐車場に着くと、蛍は先に助手席へ乗り込んだ。

 朔夜が運転席へ回ろうとしたところで、背中に声がかかった。

「朔夜さん」

「……なんだ」

 振り返ると、陽人がまっすぐにこちらを見ていた。

「今日は、来てくれてありがとうございました。……昼は、変なこと聞いて、すみませんでした」

 言い終えると、少しばつの悪そうな顔になった。朔夜は答えず、陽人を見ている。

「それと」

 陽人の目が、一瞬だけ助手席の窓へ向く。蛍はこちらに気づかず、シートベルトを引いていた。

「……僕は、言えました」

 胸の奥が、微かに疼いた。

「……そう、か」

 それだけ返して、運転席のドアを開けた。

 エンジンをかけ、駐車場を出る。バックミラーの中で、陽人はまだ同じ場所に立っていた。角を曲がるまで、その姿は動かなかった。

 運転しながら、朔夜は助手席に目をやった。

 蛍はずっと遠い目をしながら、窓の外を流れる景色を眺めていた。


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