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ペリヘリオンの夜  作者: よしなか
5章 凍てつく冬、導くは聖夜の星
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ベツレヘムの導き(後編)

 陽人と共に移動を始めてから、4日が経った。

 その日の夕暮れ。車はそれまでより大きな町に入った。

 駅前の通りに差し掛かったところで、渋滞に捕まった。

「……すごい人」

 助手席にいた蛍は、窓の外に目を奪われた。

 歩道を、人が埋めていた。腕を組んで歩く男女。紙袋を提げて足早に行き交う人々。ケーキ屋の前では、赤い帽子に白い髭をつけた店員が、声を張り上げて呼び込みをしている。道路に並んだ街路樹一帯に電飾が巻かれ、夕闇の中でいっせいに瞬いていた。

 通りの先の広場には、大きな樹が立っていた。枝の先まで光をまとい、その頂に、ひときわ明るい星がひとつ灯っている。

「……今日って」

 蛍の呟きに、陽人がハンドルを握りながら答えた。

「……クリスマスイブ、か」

 装いの変わらない北の村では、日付の感覚が無かった。南へ下る間も、どの道を通るか。そのことしか考えていなかった。いつの間にか、街はこんなに明るくなっていた。

「……今頃、私のメモは兄さんの元に届いたかな?」

「きっと大丈夫だよ」

 前の車が、わずかに動いた。陽人はブレーキから足を浮かせた。


 ◇


 渋滞を抜け、駅前を外れた頃だった。

「……蛍」

 陽人の声が、低くなっていた。

「サイドミラー、見て」

 蛍は言われるまま、サイドミラーに目をやった。

 後方を走る黒塗りの車。

 自分たちの車から二台ほど間を空け、一定の距離を保っている。

 陽人は一度、車線を変更した。

 黒い車も、少し遅れて車線を変える。

 何度か角を左右に曲がる。背後の車も同じように付いて来ていた。

「……蛍。少し、裏道に入るよ」

 陽人はハンドルを切った。車は大通りを外れ、建物の間を縫うような細い道へ入っていった。


 ◇


 道幅は狭く、左右には古い建物の壁が迫っていた。街灯の間隔も広く、車のヘッドライトが照らす先だけが、白く浮かび上がっている。

 陽人は速度を落とした。

 バックミラーを見る。

 細い道は走りにくいのか、黒い車は少し遅れて角を曲がってきた。

 そのまま、同じ道へ入ってくる。

 陽人は何度も左右へ曲がりながら、なるべく細い道を選んで進んだ。

 しばらくすると、後ろの追手が見えなくなった。

「……撒いた?」

 そのまま進んでいくと、車は細い道を抜け、脇道から大きな車道へ出た。

 視界が一気に開ける。

 その瞬間――。

「――っ!」

 目の前に、大型の黒い車が止まっていた。

 陽人は反射的にブレーキを踏んだ。甲高い音が夜の道路に響く。

 黒い車は、車道を塞ぐように斜めに停車していた。

 陽人はすぐに後方を見た。

 さっき撒いたと思った黒い車が、すでに背後で停止している。

 挟み撃ちだった。

 やがて、前方の黒い車のドアが開いた。

 サングラスを掛け、黒い服に身を包んだ男が、車から出てくる。

 その黒服の男は、ゆっくりとこちらに近づき、運転席の窓ガラスをノックした。

 陽人は窓を開けた。

「……御影陽人、だな?」

「……」

「顔を見ればわかる。それで変装したつもりかもしれんがな」

 男の視線が、陽人を素通りして助手席へ移った。

 空の座席を、懐中電灯の光が舐めていく。シートの上にも、足元にも、誰もいなかった。

 男の口元が歪んだ。

「あの女……黒崎蛍はどうした?」

 陽人は首を傾げた。

「……なんのことです?」

 男は助手席に回り中を覗く。それから後部座席も覗いた。

「……いない」

 それだけ呟くと、懐中電灯を下ろした。

 運転席に目をやると、眼鏡を掛けた陽人と目が合う。黒服の男は窓ガラスを叩いて、舌打ちをした。

 それから懐から無線を取り出し、短く何かを告げた。

 陽人はハンドルを握ったまま、目を細めてその男を睨んでいた。


 ◇


 一方、その頃。

 蛍は、別の車に乗っていた。

 運転席の男は、煙草を吸いながら、ハンドルを握っている。

「あの、拾ってくれてありがとうございます。……律さん」

 運転する男――律は何も言わず、ただ蛍を一瞥した。

 しばらく、どちらも口を開かなかった。

 律はハンドルを握ったまま、時折ミラーに目をやっている。その横顔を、蛍は盗み見た。最後に会った時より、頬の線が鋭くなっている気がした。

「……髪」

「え?」

「切ったのか」

 正面を見たまま、律が言った。

「はい。……バレないように」

 短く答える。

「それも……。あいつとお揃いだな。……眼鏡」

「はい……」

 蛍は眼鏡の蒼い縁を触った。

「……役員会の日、兄さんを引き留めたのは、律さんですよね」

「ああ」

 否定もなかった。言い訳もなかった。

「宗玄に言われて、半日、朔夜の足を止めた。その間に、お前は役員の前に立たされた。……それで、お前は死んだことにされた」

 淡々とした声のまま、律はウインカーを出した。

「怒ってんなら、それでもいい。恨むなら、恨めばいい」

 蛍はすぐには何も言えなかった。

 窓の外を、街灯が一定の間隔で流れていく。

「律さん」

「なんだ?」

「……どうして、来てくれたんですか?」

 律は答えなかった。

 カーブを一つ曲がり、長い直線に出る。対向車のライトが、律の顔を一瞬だけ白く照らして過ぎた。

「さあ。なんでだろうな」

 はぐらかすように、ぽつりと呟いた。


 ◇


 12月の初め、律は宗玄から、蛍が自害したと聞かされた。

 一度は、信じた。だが、日が経つほどに、引っかかりが残った。遺体の話がひとつも出てこない。あの妹が、兄を置いて自分から死ぬだろうか。

 気づけば携帯を手に取り、御影グループに電話をかけていた。代表番号から、御影陽人へ繋がせる。朝霧のPRで、蛍と仲睦まじく並んでいた男だ。

 御影陽人も、蛍のことを耳にしており、それを信じていなかった。出張と嘘をついて、捜索しているらしい。

「手伝ってやるよ、坊ちゃん」

『え?』

「一人じゃ大変だろう。……ただ、俺には監視の目がある。動ける範囲は限られている。何かあったら連絡しろ」

 通話の向こう側が、しばらく沈黙した。

「信用できないか?」

『正直に言うとそうです』

「素直だな」

 律は深く息を吐いた。

「……首輪を」

『え?』

「首輪を、外してみたくなったんだよ。……これは信用に足る理由になるか?」

 通話の向こう側が、少しの間、黙り込んだ。

 やがて、声がした。

『律さん。……もし蛍を見つけたら、僕に必ず連絡をください』

 律は微かに、口元を緩めた。

「やっぱり。……一途だな。坊ちゃん」

『律さん!』

「冗談だよ。何かあったら連絡寄越せよ」

 それだけ伝えて、通話を切った。


 ◇


「……ここから東京に向かうんですか?」

 蛍の問いかけに、律は我に返った。

「兄ちゃんに早く会いたいのか」

「はい」

「危険だぞ。宗玄の黒服がうろついている」

 信号が赤になった。車が停まる。

「……あの坊ちゃんが、確かノクターンなら隠れられると言っていたな」

「……ノクターン。隠れ家みたいなバーです。あそこなら、身を潜められるかも」

「じゃあ、まずはそこに行くか」

 信号が青に変わった。車が速度を上げる。

 夜の道路を、二人を乗せた車が東京へ向かって走り出した。


 ◇


 深夜3時。

 街の入り組んだ一角、看板もない地下への階段の前で、律は車を停めた。

「俺は入らねえ。見張られてる身でな。……これ以上は、目を盗めない」

「律さん」

 ドアに手をかけたまま、蛍は振り返った。

「……ありがとうございました」

 律は前を向いたまま、ハンドルの上で指を一度だけ動かした。

 ドアを閉めると、灰色の車はすぐに角の向こうへ消えていった。

 階段を下りる。重い扉を押し開けると、薄暗い店内に、かすかな酒の香りが漂っていた。

 隠れ家――『ノクターン』。

 カウンターの奥でグラスを磨いていたリリィが、顔を上げた。入ってきた客の姿を認めた瞬間、その手が止まる。

「……蛍、ちゃん……?」

 磨きかけのグラスが、カウンターに置かれた。リリィは足早に回り込んでくると、何も言わずに蛍を抱きしめた。大きな手が、短くなった髪をゆっくりと撫でる。

「……よく、頑張ったわね」

「リリィさん……黒崎は、今、どうなってますか? 兄さんは――」

「落ち着きなさい、お嬢さん」

 リリィは蛍の両肩に手を置き、顔を覗き込んだ。

「ひどい顔よ。まずは休みなさいな」

「でも……」

「リコ姐に連絡するわ。黒崎の中のことなら、あの人のほうが詳しいもの」

 リリィは片目を瞑ってみせた。

「情報収集は、オカマに任せなさい」

「……ありがとうございます」

「さ、ソファしかないけど。好きに使って」

 何か言わなければと思った。陽人のことも、律のことも。

 けれど身体の方が、先に限界を迎えていた。

 ソファに腰を下ろした途端、背もたれに吸い込まれるように力が抜けていく。眼鏡を外そうとして、やめた。蒼い縁を掛けたまま、蛍は目を閉じた。

「……少し、だけ……」

 自分の声が、遠くで聞こえた。

 リリィは毛布を一枚取ってきて、眠り込んだ蛍の肩に掛けた。眼鏡の縁に目を留め、首を傾げる。それから息をひとつつき、入口へ向かった。

 扉に掛けたプレートを裏返す。

『CLOSE』の文字が、静かに揺れた。


 ◇


 律は、灰色の車を独りで運転していた。

 信号で止まる。夜空を見上げると、明るい都会の中でも一際輝く星があった。

 それを見つめながら、助手席にいた眼鏡を掛けた女を思い出す。

「お前も、一途だよな……」

 ……死にかけの犬に、会うために。


 ◇


 ――星のゆりかごでのお昼ご飯。大人たちが食堂で配膳をしている最中、律は誰よりも先に席に着く。皿に盛られた嫌いなピーマンを見つけ、こっそり前の席――綾の皿に移す。

「律くん、何してるの?」

 いつの間にか後ろに立っていた朔夜が、怪訝そうな目――悪いことをしているな、と言いたげな視線で見てくる。律は口の端をニヤリと緩ませて、「お前もやれよ」と目配せした。

 ……だが、二人のそれはすぐにバレた。席に着くなり、怒った綾は自分の分も含めた三人分のピーマンを、律と朔夜の口に無理やり押し込んできた。嫌がりながらも、それを何とか飲み込む二人を、綾は面白そうに笑っていた。


 ある日の夕方。朔夜が少し困ったような顔で律の元へやって来た。

「……律くん」

 律は本を読みながら勉強をしていた。

「なに」

「父さんって、何が好きなんだろう」

 律は読んでいた本から、顔を上げた。

「お前の父さんだろ。知らないのか」

「……分からないから」

 朔夜は少し俯いた。

「もっと、褒めてもらいたい。……でも、何を話せばいいのか、分からない」

 律はしばらく黙って、朔夜を見ていた。それから、何かを思い出したように天井を見上げた。

「……そういや、ここ、星のゆりかご、だろ」

「うん」

「あと、宗玄さん。前に、人を褒めるとき『一等星だ』って言ってた」

「……うん」

「なら、星とか、好きなんじゃねえの。よく知らねえけど」

 朔夜は目を見開いた。

「……星」

「詳しいことは知らねえよ。ただの勘だ」

 律はそう言って、また本に視線を戻そうとした。

「……律くん」

「なんだよ」

「星のこと、知りたい」

 律は面倒くさそうな顔をしながらも、少し考えた。

「……資料室に、図鑑くらいあっただろ。付き合ってやるよ、一回だけだからな」

 そこへ、綾がひょっこり顔を出した。

「なに二人で話してるの? 私にも教えてよ!」

「……んーっと。綾には関係ねえ話だから」

 律が素っ気なく言う。綾はむっとした顔で、今度は答えてくれそうな朔夜のほうを見た。

「朔夜くん?」

 朔夜は律と目配せしながら、言葉を選ぶように答えた。

「……えっと、男同士の秘密だから」

 朔夜がそう言うと、綾は頬を膨らませ、それ以上は問い詰めずぷいと引き下がった。

 その夜。二人は資料室へこっそり忍び込んだ。大人だけが立ち入る特別な場所だ。埃をかぶった本棚の隅に、古い星の図鑑を何冊か見つけた。

「……律くん、見て。本、いっぱいあるよ」

「そうだな。……というか、律でいいよ」

 律は本棚を見ながら素っ気なく言った。

「じゃあ……律。この図鑑にしよう」

 朔夜は一番分厚い星の図鑑を抜き出した。二人は息を潜めて資料室を抜け出し、部屋へと持ち帰った。

 みんなが寝静まった頃。二人は同じ布団の中に潜り込み、持ち出した図鑑を静かに広げた。ページをめくると、色とりどりの星座と、聞いたこともない星の名前が並んでいた。

「……律。これ、なんて読むの?」

 朔夜が指さしたのは、冬の星座のページにある星だった。

「シリウスって書いてあるな」

「冬に見える、一等星……」

 律はページをめくっていった。冬から、春、そして夏の星座へ。

「こっちは夏の星座だな。……一等星、ベガって書いてある」

「……ベガ」

 夏の大三角のページ。ベガと、アルタイル。二つの星を結ぶ、天の川と七夕の挿絵。

「織姫と彦星、か」

 律が、くすりと笑いながら言った。

「綾が知ったら、『ベガは私。アルタイルは朔夜くん』って言いそうだな」

「……なんで?」

「えっ? お前、気づいてないの?」

 律は驚いたように朔夜を見た。朔夜は「何が?」と言いたげな顔で律を見つめ、やがて図鑑に目を落とした。

「……それより、もっと星の勉強しようよ」

「それよりって……」

 律は心の中で、綾の恋は前途多難だろうなと思いながら、それ以上何も言わず朔夜と一緒に図鑑を読み進めた。

 父に会えたら話ができるかもしれないと、嬉しそうに星の名前を覚えていた朔夜の横顔。それから、皆が寝静まった後、布団の中で図鑑を読む密かな時間は、しばらく続いたのだった。


 ◇


 父の為に、星も、経営も、学んだ男が。使い物にならないとわかれば簡単に切り捨てられる。

 優秀でないものは淘汰される。どこの世界でも、誰かの物差しによって測られる。いつも、そうだ。

 兄を庇ったであろう妹も、邪魔になれば消される。それでも、たった一人に会うために、生き延びて、逃げ延びて、ここまで来た。

 ――俺は、逃げ切れなかった。俺には、成し得なかったことだ。

 律は唇を噛んだ。血が出る。それが、自分がまだ死んでいないことを証明する唯一の味だった。


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