↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ペリヘリオンの夜  作者: よしなか
1章 水辺での出会い
PR
5/67

邂逅

 数日後の夜。陽人は、いつものようにバイト先『鳥よし』に勤務していた。

 店長が、ふと、陽人に声をかける。

「なあ陽人、あそこの席見てみ。スーツ着た眼鏡の兄ちゃん。この田舎で、あんな格好、場違いにも程があるだろ」

 グラスを拭きながら、カウンターの方を顎でしゃくった。

 店の奥、壁際の席に、一人の男が座っていた。仕立ての良い、黒のスリーピーススーツ。シャツは淡いグレー。足元には、磨き上げられた革靴。居酒屋『鳥よし』の、油染みた床と壁には、あまりに不釣り合いな出で立ちだった。

 男は、メニューを開くこともなく、ウイスキーのロックを前にして、静かに座っている。常連の女性客は、普段、陽人を見て癒されていたようだが、そのスーツの男もまた、整った顔立ちと、憂いを帯びたような表情をしていて、周りの女性客がざわつくほど、目立っていた。

 店長の視線を追って、陽人もその男を見た。

「……ああ、確かに。珍しいですね」

 陽人は、注文を取りに行った方がいいのか、ちらりと男の様子を窺う。男はグラスに手をつけるでもなく、ただ座っているだけだった。

 店長に「注文聞いてこい」と背中をつつかれ、陽人がその男の前に伺いに行った。

「よろしければ、ご注文お伺いしますよ」

 謎の男は、陽人の顔をじっと見た。そして、注文するでもなく、話しかけてきた。

「……少し、戯言に付き合ってくれるか?」

「えっ? は、はい……」

「ここは、自然が多い田舎町だな。君は虫が好きか?」

「えっと……」

「深く考えなくていい。何か好きだ?」

「……」

 陽人は何か、この男が引き出そうとしているような気がして、身構えた。

「例えば、夏なら……蛍、とか?」

 陽人は息を呑んだ。

「……そう、ですね。よく、見に行ってました」

「ほう……」

 男は目を細めた。

「どこで見れるんだ?」

「えっ……?」

「蛍。どこで見れる?」

「そ、それは……」

「言えない?……大事な場所なんだな」

 男は涼しい顔でウイスキーを飲んだ。反対に陽人は、なぜか冷汗が止まらなかった。

 ――この人の言っている、『蛍』は……。

 何か、話を逸らそうと、陽人は注文伝票に目を送った。

「……何か、注文されますか。おすすめは、焼き鳥ならもも焼き。お酒なら地酒、とか」

 声は平静を保っているが、注文用のペンを持つ指先に、力が入っていた。

 男は、陽人が動揺している様子を見逃さず、ただ、それ以上追求はせずに見ていた。

「……では、地酒を貰おうか」

「かしこまりました」

 メニューを手に取る動作がぎこちなくなったのを悟られまいと、足早にカウンターへ戻った。

「どうした、顔色悪いぞ」

 店長の声に、陽人は首を振った。

「……いえ、なんでもないです」

 注いだ地酒に映る陽人の顔は、言いようのない不安が滲んでいた。


 ◇


 翌日の夕方。図書館からの帰り道。

 陽人は蛍に、昨日の夜、居酒屋『鳥よし』に来た謎の男のことを打ち明けようか迷っていた。

 先日、蛍の周りに異変があったと聞いたが、まさかとは思うが、この男が何か関わっているのでは……。

 陽人の考えすぎかもしれないが、不安があったため、蛍に共有しようと思い、口を開けようとした。

 ふと前を見ると、数メートル先に黒いスーツの男が、黒い車にもたれかかりながら、煙草を吸っていた。まるで待ち伏せしているかのように立っていたその男を見て、陽人は一気に警戒した。一瞬で分かった。あの居酒屋に来ていた、謎の男だ。

 夕暮れの田舎道に、黒い影。男は二人に気づくと、煙草を吸うのを止め、少しずつ近づいてきた。

 陽人は、咄嗟に蛍の前に半歩出た。体が強張るのが、自分でも分かった。

「……あなた、この前の」

 男は、二人の前まで歩み寄り、足を止めた。

「……」

 その目は、陽人ではなく、その後ろにいる蛍を、真っ直ぐに捉えていた。それから陽人を一瞥した。

「……やはり。君がいつも見ている『蛍』は、彼女のことだったか」

「!!」

 陽人は反射的に、男を睨んだ。なぜ、この男が蛍を知っている?

「……彼女に、何か用ですか?」

 声は低く、警戒を隠さない。

 蛍は、陽人の背中越しに、その男の顔を見た。見たことがないはずなのに、胸の奥がざわつく。あの、冷たい目。けれど――。小さく、息を呑んだ。

「蛍は、俺の大事な人だ。……返してほしい」

「――!?」

 陽人が蛍の方を振り返る。蛍はスーツの男を見るが、知っている人ではなく、首を左右に振った。

「……蛍。君に、安全な場所を提供する。俺のところに来い」

 風が吹いた。田んぼの稲が、ざわりと揺れ、遠くで鴉が一声鳴いた。三人の間に、沈黙が落ちる。

 陽人は、一歩前に出て、完全に蛍を背中で遮った。

「……ちょっと待ってください! あなたは誰なんですか!? いきなり来て何を言ってるんですか!! 蛍は、物じゃない!!」

 陽人の拳が、白くなるほど握られていた。怒りが滲んでいる。

「……白石陽人くん。今まで、蛍と仲良くしてくれて……守ってくれたことには、大変感謝している。彼女を、渡してほしい」

 名前まで、知られている。背筋に冷たいものが走ったが、退く気はなかった。

「大事な人なら、なんで今まで放っておいたんですか」

「……事情がある」

 それ以上の説明をする気はないようだった。視線が、陽人から蛍へ移る。

「蛍。俺なら、お前に害をなす奴がいれば、あらゆる手を使って、排除できる。彼がどれだけ頑張っても、ただの高校生では、限界があるだろう。……まあ、拒否しようが抵抗しようが、選択肢は無いが」

 最後の一言に、陽人の顔が強張った。

「……脅してるのか」

「脅しではない。事実だ」

 冷たい目が、陽人を射抜く。男は、一歩も近づかず、ただ立っている。強制する気配は見せないが、引く気もない。

「……」

 蛍は、陽人の背中越しに、男の姿を見ていた。胸が苦しい。怖いのか。過去に知っていた人なのか。自分でも分からない。あの目。あの声。どこか遠い記憶の底に、何かが眠っている気がした。

「……まあ、いい。今日は、顔を見に来ただけだ」

 それだけ言うと、静かに立ち去っていく。黒い背中が、夕闇に溶けていく。革靴の音だけが規則正しく響き、やがてそれも消えた。

 陽人は、男が完全に見えなくなるまで、動かなかった。それから、ゆっくりと蛍の方を振り返る。その顔は、怒りと不安で歪んでいた。

「……蛍、大丈夫?」

 肩を掴む手が、わずかに震えている。

「……帰ろう。家まで送る」

 周囲を警戒するように見回してから、蛍の手を取って、足早に歩き出した。

 アパートに帰った後も、胸のざわつきは消えない。あの顔――初めて会うはずなのに、なぜこんなに胸の奥に引っ掛かりを覚えるのか。どこかで会ったことがあるのか?

 その疑問の答えが出ぬまま、一日は終わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。