↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ペリヘリオンの夜  作者: よしなか
1章 水辺での出会い
PR
4/67

夏祭り(後編)

 参道は、人の熱気でむせ返るようだった。金魚すくい、苺飴、射的――見慣れた屋台の一つひとつが、今日は特別なもののように見えた。

「何食べたい? 何でも頼んでいいよ」

「うん。……あ、でも、今日はちゃんと、わたしが払うからね。浴衣のお礼で」

 蛍は、巾着の紐をきゅっと握りしめて言った。

「そうだった。……じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 陽人は、少し可笑しそうに笑った。奢られる側に回るのが、どこか新鮮なようだった。

「じゃあ、まずは……あれ、どう? 苺飴」

 陽人が指差した屋台には、串に刺さった紅い飴が、提灯の灯りを反射してつやつやと光っていた。

「……うん。買ってくる!」

 蛍は、屋台の店主に小銭を渡し、苺飴を二本買った。

「はい」

 一本を陽人に差し出すと、彼は少し驚いたように受け取った。

「ありがとう。……こういうの、されるの、新鮮だな」

 そう言いながら、苺飴に齧りつく。蛍も、自分の分を、そっとかじった。ぱりっという音の後に、甘酸っぱい果汁がじんわりと広がる。

「……美味しい」

「でしょ。ここの苺飴、実は結構人気なんだよ」

「わたし、苺が好きで……」

 蛍は少し赤くなりながら、苺飴を美味しそうに頬張った。その様子を見た陽人が屋台を見回した。

「じゃあ、次、あのお団子買いに行く?」

「うん……!」


 その後も、二人は屋台を巡った。射的で陽人が悪戦苦闘して結局何も当てられなかったこと、綿菓子を分け合って食べたこと――そんな他愛のない時間が、静かに積み重なっていく。

 屋台の列を進んでいた時だった。前方から、聞き覚えのある笑い声が響いてきた。

「――うっそ、マジで!? 害虫が浴衣着てんだけど!」

『害虫』という単語が聞こえた瞬間、蛍の体が強張った。同じ高校の女子生徒が、目ざとく蛍を見つけたのだ。隣には、男子が二人ほど連れ立っている。四人の視線が、一斉にこちらへ突き刺さった。

「えー、誰あれ。あんな子、うちのクラスにいた?」

「黒虫だよ黒虫。黒虫蛍。あんた知らないの? いつも一人でいる、あの根暗」

 くすくすと笑いながら、近づいてくる。女子生徒の目が、蛍の隣にいる少年に止まり、露骨に口角を上げた。

「うわ、え? 男いる?ホタルだから求愛でもしたの?」

「え? 光らないのに?」

 蛍は反射的に陽人の手を放して逃げようとした。けれど、蛍が手を離した瞬間、陽人はその手首を掴み直した。

「大丈夫。ここにいて」

 穏やかな、しかし揺るぎのない声で、蛍にだけ聞こえるように囁く。それから、同級生たちに目を向けた。

 女子生徒は、陽人の顔を見た途端、一瞬、言葉を失った。整った顔立ちに柔和な目元。街灯に照らされたその横顔は、同い年とは思えないほど大人びて見えた。男子たちも、ぽかんとしている。

「……え、ちょっと。なにこの人」

「やば、イケメンすぎだろ」

 内心の動揺を誤魔化すように、女子生徒は髪をかき上げ、作り笑いを浮かべた。

「あんた、こいつ害虫だから、離れた方がいいよ?」

 笑いながら、「こいつ」と蛍を指差す仕草には、あからさまな見下しが滲んでいた。面白くないのだ。自分たちが見向きもしなかった相手に、こんな上等な男が隣にいることが。

 陽人は、いつもの穏やかな表情はそのまま、けれど、目だけが静かに相手を見据えていた。

「……虫のホタルは、昆虫だよ。それに、この子みたいに、一生懸命、夜に綺麗に光るんだよ。……ここに住んでるのに、見たことないの?」

「……は?」

 声のトーンは変わらない。怒っているわけでもない。ただ、一切の冗談を受け付けない空気が、そこにあった。

「見たことないくせに。二度とそういうこと言うなよ。……行こう、蛍」

 女子生徒たちは、言い返せないまま、その場で立ち尽くした。

 だが去り際、女子生徒がすれ違いざまに、蛍の耳元で囁いた。

「……覚えとけよ」

 四人も反対方向に歩き、人混みの中に消えていった。

 陽人は、掴んでいた蛍の手首の力を、ふっと緩めた。

「……ごめん。余計なこと言ったかな」

 静かな声だった。怒りではなく、どこか自分を責めるような響き。

「いや……」

 蛍は、首を振った。何と言えばいいのか、言葉が見つからなかった。

「……帰りに送るよ、家まで。今日は、楽しいことだけ考えよう」

 そう言って、離れていた手を、もう一度差し出した。


 ◇


 屋台を練り歩いていると、陽人のバイト先『鳥よし』ののぼりが見えた。臨時屋台を出しているようだった。すぐさま陽人を見つけた店長が、声をかける。

「おーい陽人ぉ! 来てんじゃねえか!」

 のぼりの横から巨体を乗り出して、満面の笑みで手を振っている。店長自らが焼き鳥を仕切っていた。

 陽人の隣にいる浴衣姿の蛍に気付き、店長の目が丸くなる。

「嬢ちゃん、似合ってるじゃねえか!陽人のために着てくれたんか?」

「あ、えっと……。陽人くんが、買ってくれて――」

「やっぱりデキてんじゃねえのか、お前ら!!」

「「て、店長!!」」

 蛍と陽人の顔が真っ赤になった。

「いやー悪い悪い!でもなぁ、傍から見たらもうそれにしか見えねえよ!」

 店長はひとしきり揶揄った後、串を二本、ひょいと差し出した。

 押し付けるように渡された焼き鳥からは湯気が立ち、炭火の香ばしい匂いが鼻腔を満たす。揶揄われた陽人は観念したように肩を落としていたが、その口元はどこか嬉しそうにも見えた。

「それより陽人!売り子やってくれ! 人手足りねえ……というか俺しかいねーんだ! そっちの可愛い嬢ちゃんも頼む! 君がやってくれたらお客さん来て万々歳だからよ、俺の店が!!」

「えぇ……今ですか?」

「今、だよ!!」

 店長の剣幕に、陽人は困ったように頭を抱えたが、ちらりと蛍を見た。断る理由を探しているようでもあり、巻き込んでいいのか迷っているようでもあった。

「……蛍、どうする? 嫌だったら全然断っていいから」

「おいおい嬢ちゃん頼むよ! この通り!」

 その時、屋台の前を通りかかった女子の集団が、陽人を見つけて黄色い声を上げ始めた。居酒屋バイトで鍛えた接客スマイルと整った顔面の相乗効果で、たちまち人だかりができつつある。

「えっ、鳥よしの陽人くん? お祭りにもいるの?」

「ねえ一本ちょうだい!」

 陽人は店長への返事もせぬまま、女性客の対応に入ってしまった。これは確かに、人手が必要だった。しかも、陽人が売り子をやれば客――主に女性客が来るという店長の読みは、正しかったことが証明されてしまった。

 忙しそうなのを見かねて、蛍は口を開いた。

「わ、わたしもやります。わたしにできることなら」

「よっしゃ!嬢ちゃん最高!じゃあこっちで、焼けた串を渡してくれるだけでいいから!」

 こうして突如、臨時屋台『鳥よし』の売り子コンビが誕生した。陽人が注文を取って焼き、蛍ができあがった串を手渡す。最初こそぎこちなかったが、陽人がさりげなく指示を出し続けることで、徐々にリズムが噛み合っていった。

「もも二本とねぎま一本、お願いします!」

 女子客たちの注文は、串ではなく陽人に向いていたが、そこは慣れたもので丁寧にかわしつつ、手際よく焼いていく。トングを操る手つきは、さすがバイトで鍛えただけのことはあった。

「おいおいすげえ売れ行きだ! 嬉しい悲鳴ってやつだなこりゃ!」

 客の波が途切れない。串が飛ぶように売れ、タレの追加が必要になるほどだった。普段アルバイト、ましてや人前に立つ接客などしたことがない蛍であったが、お客たちは夏祭りの雰囲気に当てられていることもあり、快く焼き鳥を購入していった。


「ねえねえ、君かわいいね。ここでバイトしてるの?」

 不意に声をかけられ、顔を上げると、若い男性客が二人、蛍を覗き込んでいた。浴衣姿に化粧を施した蛍は、普段の学校での姿からは考えられないほど目を引く容姿になっていたのだった。

 トングの手が、一瞬止まった。振り返ると、大学生風の男二人が、蛍に顔を近づけているのが見える。

 陽人は何も言わず、ただすっと、蛍と男たちの間に体を滑り込ませた。自然な動作だったが、その立ち位置は完全に、蛍を背で庇う形になっている。

「すみません、ご注文は何にしますか?」

 笑顔だった。完璧な営業スマイル。しかし、その目だけは笑っていない。声は柔らかいのに、有無を言わさぬ圧があった。

「あ、いや……えっと、もも二本で……」

 もう一人が、小声で言った。

「おい、彼氏いんのかよ……」

「……なんでもないで~す」

 二人は串を受け取ると、足早に去っていった。背中を見送る蛍の視界を遮るように、陽人がそのまま焼き台の前に立ち直す。

「……大丈夫? 変なこと言われてない?」

 振り返った顔は、いつもの優しい目に戻っていた。トングを握る手にだけ、まだ少し力が残っていた。

「だ、大丈夫。……助けてくれて、ありがとう」

 ほっとしたように息をついた。

「よかった。……でも、これからああいうの、増えるかもね。今日はすごく綺麗だから」

 何気なく放たれた一言だったが、蛍の心臓を跳ねさせるには十分すぎる破壊力があった。


 ◇


 二人が臨時バイトを終えた夜8時頃、もう祭りの熱気は冷めてきていて、ぽつぽつと屋台が閉まり始めた。鳥よしも予想以上に売上があり、二人のお陰だと、店長は喜んでいた。

 家に帰り始める人だかりの中、陽人は蛍をすぐそこの河川敷に誘った。

 河川敷に腰を下ろして、静かに流れる川を眺めていた。

「今日、誘ってくれたこと、ありがとう。すごく楽しかった……」

「……僕のほうこそ」

 膝を抱えたまま、少し俯く。

 陽人は何か言いたげで、迷っているようで、ただ蛍の手を握っていた。蛍も、何か言ったほうがいいのか、何を言えばいいのか、言葉を紡ごうとして、悩んでいた。

 ――こんな気持ちは初めてだ。

 楽しいのに、苦しい。いつもなら、毎日が早く終わってほしい。つらい時間が、日々がさっさと過ぎてほしいと思うのに。今日は。今日の夜は。このまま終わらないでほしい。

 静かに流れる川を眺めていると、一匹のホタルが、淡い光を放ちながら漂っていた。

「……わたし。自分の名前、虫の名前だからずっと嫌いだったの」

 蛍が川を渡るホタルを見つめながらぽつりと口を開いた。

「でも、あなたが、さっき、ホタルは害虫じゃないって。綺麗だって言ってくれた」

「……」

「少しだけ。自分の名前、好きになれた気がする。……それだけじゃない。今日も、それまでも、いっぱい、わたしに色々嬉しい気持ちをくれた。あの、一緒にいてくれて……」

 蛍は陽人の方を向いた。

「ありがとう」

 陽人は蛍のうるんだ瞳を見つめていた。

「……僕、出会ったころ。君の名前が好きだって言ったよね」

「……うん」

「名前、だけじゃない。君の、どんなにつらい状況でも頑張って生きようとする、ホタルみたいな――」

 手を握りなおして、陽人は真っ直ぐに蛍を見た。

「――蛍。君が好きだ」

 そう言われた瞬間、蛍の耳から周りの音が消えた。帰る人々の話し声も、虫の鳴き声も、川のせせらぎも。

「あ……え、と……」

 ――心臓がずっとドキドキしている。今の時間が、目の前の人といる、この瞬間が、ずっと続いてほしい。これが、そういうことなんだ。

「……わたしも、好き、です」

「――っ! 蛍……」

 その言葉を噛み締めるように、陽人は手を強く握りなおす。

 陽人の顔が蛍に近づく。蛍は思わず目を強く瞑った。心臓が止まりそうだ。

 息が、聞こえる――。

「――うおおお!? キスまでいくの!?」

「――!!」

 二人ははじかれたように体を離した。目を開けると、赤くなった顔の陽人が気まずそうにこちらを見ていた。自分の顔も、負けないくらい熱い。

 気配に気づいて振り返ると、通りがかった人が数人、足を止めてこちらを見ていた。

「ヒューヒュー! お二人熱いねー!」

「あ~、キスしないの?」

「お前が叫んだからやめたんだろ~」

 気付かない間に、今までのやり取りを見られていたらしい。羞恥で頭が真っ白になった。

「ほ、蛍! とりあえず行こう!」

「う、うん!」

 陽人は蛍の手を強く握ったまま、逃げるように河川敷から離れていった。繋いだ手のひらから伝わる体温は熱く、自分の心臓の音はやけにうるさかった。


 ◇


「……ここでいい?」

 陽人は蛍のアパートの近くまで送った。蛍はアパートにいる祖父の存在を陽人に知られたくなくて、アパート付近の公園までで大丈夫だと言った。

 アパートが見えると、現実に引き戻されるような、体が重く引っ張られる感覚があった。離れたくない。陽人もそう思っているような顔で、名残惜しそうだったが、また明日会おうと約束して、帰って行った。

 アパートに着いたら何と言われるだろう。いつもは勉強してた、の言い訳で通してきたが、浴衣を着ているこの姿では、もうそれは通用しないだろう。今日の思い出の浴衣だけは、汚したくない。破られたりしたくない。そう願いながら、部屋の玄関入口の、重たいドアを開けた。

「……?」

 いつもなら開けた瞬間、怒鳴り込んでくる祖父が、今日は何故か静かだった。何かあったのだろうか?

「……おじいちゃん?」

 恐る恐る声をかけ、玄関に入った。返事がない。まさか――

「おじいちゃん!?」

 リビングのドアを勢いよく開ける。部屋の電気は点いているが、祖父の姿はなかった。

「……えっ?」

 代わりに、机の上にメモ書きがあった。蛍はそのメモ書きを読む。

『――蛍へ。私の親戚の人間が来た。認知症が酷いので、施設に入ることになった。今まで、ごめんなさい』

 唐突すぎて、頭が追いつかなかった。ただひとつ、メモ書きの文字は達筆で、祖父はこんな字を書けたのか、という違和感があった。


 ◇


 夏休みが明け、9月最初の登校日。学校に行くと、そこでも異変があった。 

 いつも自分の下駄箱には中に土や虫が入っていたのだが、その黒崎蛍の下駄箱のスペースだけ、まるで入学当初のような綺麗な状態で、中の上履きも新品が用意されてあった。

 教室に入ると、生徒が蛍を見た瞬間、道を譲るかのように避けていった。それは虐められていた時の避ける方ではなく、何となく、少し怯えの感情が混ざっているような、いつもと違う退き方であった。

 ――なんだろう。もしかして、陽人くんが夏祭りの日に、あいつらに強く言ってくれたから?

 蛍は疑問に思いながらも自分の席へ向かう。机も、罵詈雑言が書かれていた汚い机が、まるで初めから存在していなかったかのように、新品がそこにあった。

「……」

 その日、生徒から揶揄いや罵倒は一切無かった。放課後、職員室に呼ばれた蛍は、担任から「すまなかった」と軽く謝罪があったが、蛍は逆に普段と違う対応に違和感と不安のようなものがよぎっていた。

 夕方、陽人とコンビニで待ち合わせをして、身の回りの異変について、少し話した。

「もしかしたら、この前の夏祭りで、陽人くんがクラスメイトに強く言ってくれたから、みんな大人しくなったのかも……」

「そうか……。君が少しでもそれで過ごしやすくなったのなら、良かったけど」

「……」

「まあ、その程度の人たちだったんだよ。深く考えなくていいんじゃない?」

「そうだね。……ねえ、今日は天の川行かない? もう、夜遅くなっても大丈夫なんだ」

「……そうなの?」

 蛍は陽人に祖父のことを、いつかどこかで、言わなければならないと思っていたが、居なくなってくれたことに、ほんの少し心が軽くなっている自分がいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。