朝霧町復興編(後編2)
数日後、神代が黒崎ビルへやってきた。……しかしなぜか、打ち合わせ予定にない陽人と桐生の姿までそこにあった。神代が「熱量が伝わるメンバーを集めた」と強引に連れてきたらしい。
蛍はひとまず三人会議室へ案内した。
「蛍さん。社長はおりまへんのか?」
「社長は今、会議で……もう少ししたら来られるかと」
「まあ、ええか。先に始めましょ」
神代は、にやりと口元を緩めながら、本題に入ろうとする。
「朝霧の広報——の前に、桐生商事についてやけど……」
そう言われて、桐生が一歩前に出る。
「お前たちは既に知っているだろうが、うちの酒は朝霧の水を使っている。そこでだ、朝霧のどこか一角に酒を造る工房が欲しい。そうすれば水を運ぶより配送コストを抑えられる。……俺んとこの都合かもしれねえが、用意してもらえねえか?」
「むしろ、工房を作れば新たな雇用が生まれるので、朝霧にとってもプラスです」
蛍が答えると、陽人も深く頷いた。
「それに、桐生さんのお酒を朝霧の酒としてブランド化できるんじゃないでしょうか?」
「お前ら……」
「決まりやな! なら酒を売るためのPRもセットで作りましょ」
神代が手を叩き、桐生も満足そうに頷いた。
「じゃあ本題行きまっせ。やっぱり朝霧を人に知ってもらうには、広報が必要や! それで、考えてるんは、二つ。観光としてのPR、それから移住したいと思わせるPR」
神代はそこで、蛍と陽人を交互に見る。
「……あんたら、ええモデルになりそうやな?」
「「ええ!?」」
にやける神代。驚き慌てる蛍と陽人。
「観光PRなら、朝霧にある着物屋さんの浴衣を着て、商店街を練り歩く画や夜景をバックにした画がええと思うんや。で、それは女性の蛍さんにお願いしますわ」
「いやぁ……でも……」
「いやもでももありまへん」
蛍を説得する神代の横で、桐生が思いついたまま案を口にする。
「浴衣か……。着物を着た女性が日本酒を持ってPR……神代さん、これもアリか?」
「大アリですわ、桐生さん! 確か若い人向けの日本酒あるんですよね?」
「ああ。まさに黒崎さんくらいの年代向けの酒だ」
「ちょうどええやん!」
「決まりだな、神代さん」
「酒の広報もしばらく安泰ですな、桐生さん」
神代と桐生が、がっしりと握手していた。
——と、その時。
バンッ! と、会議室の扉が勢いよく開かれた。
「——朔夜はここかしら?」
開かれたドアの先に、仁王立ちする着物姿の女性。
長い髪を靡かせ、切れ長の目を細めながら、そこにいたのは、西大寺綾だった。
「綾さん!? どうしてここに?」
「こんにちは、蛍ちゃん。朔夜を探してたんだけど、居ないから片っ端から扉を開けてたわ」
「警備の黒服たちを突破したんですね……」
「あんな奴らにこの私が止められるとでも?」
自慢げに髪を払う綾に、蛍は苦笑するしかない。
「……誰や、この美人」
「朔夜の妻です」
「嘘やん!! あの社長、結婚してたんか!?」
微塵も嘘をつく素振りもなく、即答する綾と、大袈裟に驚く神代。
「……神代さん。まだ社長は独身です。こちらは西大寺綾さんです」と、蛍がこそっと説明する。
「……この着物の美人さんも、日本酒のPRに合いそうだな」
「あら。私日本酒好きよ?」
「ええやん! 蛍さんと綾さんのペアで画にしたほうが絶対ええで! じゃあ観光PRは二人に浴衣でお願いするとして。で、もう一つの移住の方やねんけど。これは若い人たち——特に夫婦や子育て世代に『ここに住みたい』と思わせるのがミソですわ」
「……つまり?」
「つまり、夫婦役になってもらうんやけど……」
その時、ガチャリと再び扉が開いた。
資料を持った朔夜がそこに——
「——朔夜っ!!」
「!?」
飛び掛かる勢いで向かう綾。
——バタンッ!!
扉が勢いよく閉まった。
「……なんでこいつがいる」
ドア越しに、朔夜の低い声が聞こえる。
「ちょっと!! 照れなくていいのよ!?」
数秒の沈黙の後、朔夜は引きつった面持ちで部屋に入ってきた。
綾は、当然のように朔夜の腕にしがみつき、朔夜も諦めたのか、振り払う素振りもなく、部屋を見渡した。
「……それで、何の騒ぎだ」
「社長、ちょうどええところに! おめでとうございます!」
神代が両手をパンと鳴らした。
「パパ役です」
「……は? な、なんだそれは」
朔夜の眉間に、深い皺が刻まれる。
「朝霧の移住PRで、夫婦役のキャスティングに悩んでたんですわ」
「朔夜、夫役やりましょう!」
しがみつく腕に力を込める綾。まるで逃がすまいとするように。
「……待て。そんな話、聞いてないぞ」
朔夜が綾の腕を引き剥がそうとする。
「そりゃそうや。今、言いましたもん。朝霧に朔夜社長と綾さんみたいな美男美女夫婦がいたら、夢が膨らみますでしょ?」
「……」
朔夜はしばらく黙り込んだ。それから、何かに気づいたように、
「……夫婦役なら」
視線を横へ動かす。
「——そこに二人いるだろう」
「「!?」」
朔夜の視線の先にいる、蛍と陽人が同時に驚く。
「ああ、そうやねえ! この二人も夫婦役で使いましょ。……新米夫婦として、ね」
「聞いてないですよ!?」
「今言いましたもん」
少し調子に乗っている神代に、朔夜の低い声が響く。
「……神代。モデルが必要なら金を出す。いくらだ?」
「そんなに嫌でっか!? 金で解決するのはあきまへん! あんたらその辺のモデルより映えるんですから!」
「……適材適所というものがあるだろう。……一億出そう」
「兄さん! そんな簡単に会社のお金を使わないでください!」
「……俺は社長だ」
「肩書きを使うなんてずるいです!」
頭を抱える蛍に、桐生がぽつりと呟く。
「……若いっていいねぇ。まあ、現実的に黒崎が一億出してくれるなら、施設の改修費に使うのが良いだろうなあ。ついでに俺の酒蔵の出資に回してほしいが」
「ほんまそれですわ! ということで、その一億はリノベーションと酒蔵に使わせてもらいます! ではモデルの皆さん、来週撮影ですのでよろしゅうに!」
神代が軽く頭を下げてから、
「……特に、蛍さんと綾さん。社長が逃げないように、見張っといてくださいね」
「分かりました。……道連れにします」
「蛍……!?」
「それは住み込みで寝泊まりしていいってことかしら?」
「……おい」
「あ、綾さん……別にそこまでは」
「あら、蛍ちゃんだけじゃ逃げられちゃうでしょう? 私追いかけるのは得意なのよ?」
「……説得力がありますね」
苦笑する蛍。ニコニコする綾。そして助けを求めるような目で、陽人を見る朔夜。
「朔夜さん……」
「……」
「まあ、こんな機会も無いですし。一緒に頑張りましょうよ。朔夜さん、いや——」
陽人は爽やかな笑顔で、朔夜の肩にポンと手を置いた。
「……朔夜パパ」
「貴様……!」
振り返った朔夜のその目には、剣呑な光が宿っていた。
◇
撮影当日。一行は朝霧に集合していた。
商店街の入り口には、すでに神代の手配したスタッフが機材を並べている。夏空の下、着物姿の観光客がちらほらと歩く様子は、以前より確かに人通りが増えていた。
蛍と綾は商店街の着物屋『きもののみやび』の浴衣を借りて撮影することになっていた。
「あの時のお嬢さんがまた浴衣を着てくれるなんてね。それにこちらの上品なお嬢さんも……」
おばあちゃんは二人に合う柄を選びながら、懐かしむように、二人の着付けをしていた。
着付けは、四十分ほどで終わった。
引き戸をガラガラと開け、綾と蛍が出てくる。
「これは……」
真っ先に声を上げたのは神代だった。あっけに取られたように、開いた口が、しばらく閉じない。
先に姿を現した綾は、夜空を思わせる深い紫紺地に、気品ある金の桔梗をあしらった浴衣を纏っていた。着慣れた身のこなしと相まって、仕立ての良さが際立っている。
その隣に立つ蛍が纏っていたのは、白地に朝顔の浴衣だった。花のほとんどを占める藍色の中に、いくつかだけ、朱色に染まった花弁が混じっている。四年前、あの夏祭りで着た白と藍だけの浴衣とは、明らかに違う一枚だった。
その差し色のせいなのか、色白な肌に、どこか大人びた艶が加わって見えた。
少し離れた場所で、陽人も、言葉を失ったように立ち尽くしていた。
「どう?」
綾が着物を見せるように、くるりと回ってみせた。
我に返った神代が、勢いよく手を叩く。
「いやあ~! 俺の目に狂いは無かった……! お二人とも、めちゃくちゃ素晴らしいですわ!」
大袈裟に手を広げて褒めちぎる神代に、綾はくすりと笑みを浮かべた。
「あなたって、褒めるのは上手いわよね?」
「……姉さん、俺がええ男やからって、惚れたらあかんで?」
「心配しないで。絶対に惚れないから」
間髪容れずに即答され、大袈裟にショックを受けるフリをする神代。
「そこは一瞬くらい迷ってくれてもええやないですか……! 相変わらず容赦ないなあ。……で、後ろのお二人も何か言ってあげたらどうです?」
神代は背後にいる朔夜と陽人を振り返る。
「……」
「その、お二人とも、よく似合ってます」
黙ったままの朔夜に対し、陽人はすぐさま答える。
「綾さんは普段から着慣れていて、浴衣も着こなしていて綺麗です。蛍は……なんだろう、柄が違うのもあるのかな。前よりも、すごく大人っぽくなって……いいと思う」
「ありがと……」
「んふふ……」
その言葉を聞いた綾が、にやにやし始めた。
「御影の坊や。さっき、『前より』って言ったわね?」
「え?」
「あなたたち、やっぱりそういう仲なのね?」
「「ち、違いますよ!!」」
「あら、息ぴったり」
にやにやする綾の後ろから、着物屋のおばあちゃんが出てくる。
「……このお二人さんなら、ちょうど四年ほど前の夏祭りの時に、浴衣を——」
「ああーーー!! おばあちゃん!!」
「い、言わなくていいですから!!」
「あらあら。余計だったかねえ」
慌てる二人を見ながら、おばあちゃんは微笑んでいた。
「社長も褒めてあげたらどうです?」
神代に振られ、目を細めながら腕を組む朔夜。
「……悪くない」
「それだけ?」
「まあまあ。兄さんは口数少ないですから。それより神代さん、撮影しましょう?」
「まあ、せやね」
神代はスタッフに指示を出し、撮影に入り始めた。
◇
浴衣姿の二人は、商店街を歩く姿、団子を食べる姿、ベンチに腰掛ける姿など、様々なシーンを撮影された。先日の桐生の要求通り、桐生の酒瓶を持ってアピールする姿も。
夕方近く。商店街での撮影を一通り終えそうなところで、陽人が小走りに列を離れた。しばらくして戻ってきた手には、紙袋に入ったコロッケがいくつも握られていた。
「揚げたての匂いに負けた。小腹も空いたし、みんなで食べよう」
「いいですね、いただきます」
神代が真っ先に手を伸ばした。陽人はスタッフや桐生にも一つずつ配って回る。
「はい、蛍と綾さんも」
「わ、ありがとう」
「熱っ……でも美味しいわね」
浴衣姿のまま頬張る二人を見て、カメラマンが小さく声を上げた。
「あ、それも良いですね」
カメラマンがこっそりシャッターを切った。蛍が慌てて口元を押さえたが、綾は気にする様子もなく、もう一口かじっていた。結局、堂々とシャッターは何度か切られた。
その様子を遠目で見ていた朔夜のもとへ、陽人は歩み寄った。残ったコロッケの一つを手渡す。
「……朔夜さん。これ、どうぞ」
「……ああ」
「その、口に合うか分かりませんが……」
受け取った朔夜は、答える代わりに、コロッケを一口かじった。少しだけ、目を細める。
「別に……こういう味は、嫌いじゃない」
そう言った朔夜の目が、どこか遠くを見ているような気がした。
「……そうなんですか」
「ああ……」
それ以上、朔夜は何も言わなかった。陽人も、深くは聞かなかった。ただ、それを食べる朔夜の横顔を、少しだけ見つめていた。
◇
日が暮れて、夜景の撮影も一区切りついた頃、桐生が空き箱を抱えて挨拶に来た。
「俺は今日でお役御免だな。明日からは、若いのに任せるわ」
「今日は、本当にありがとうございました」
蛍が頭を下げると、桐生は照れくさそうに手を振った。
「じゃあな。また今度、一杯やろう」
そう言い残し、桐生は空き箱を抱えたまま、駅の方へと歩いていった。
◇
時刻はすでに九時を回っていた。神代が用意した宿は、駅前の古い旅館だった。
「今日はここに泊まってもらいますわ。部屋は三つ取れたんで、そのうち一つを女性部屋に。残り二つを男性で分けてもらいます」
蛍と綾が一部屋。もう一つはスタッフとカメラマン、そして残る一部屋が、朔夜・陽人・神代の三人、という割り振りだった。
「……俺は、一人で構わない」
朔夜が短く言うと、神代がにやりと笑った。
「あかんあかん、経費削減や。それに、社長がどんな世界で働いてんのかとか、話色々聞きたいし」
「……話すことなど無いが」
「僕も朔夜さんの話、聞きたいです!」
陽人が笑いながら間に入る。朔夜は、その申し出に、一瞬言葉に詰まった。誰かに、自分のことを聞きたいと言われることに、慣れていないようだった。
「……好きにしろ」
観念したように、短くそう答えた。
結局三人は夜の十一時まで起きていた。
◇
皆が寝静まった、深夜二時。
喉が渇いた陽人はふと目を覚ました。部屋の冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、それを飲んでいる最中だった。
「……うぅ……っ」
寝静まっているはずの布団の方から、小さな呻き声が聞こえた。
陽人は慌てて声のする方へ駆け寄る。
「……はぁ……はぁ……っ」
その低い声は、朔夜だった。
「朔夜さん……?」
眉間には深い皺が刻まれ、額には汗が滲んでいる。
「……やく、そく……したのに……」
それは日中の、温度を変えない低い声とは別の、途切れ途切れのか細い声だった。普段、感情を表に出さない冷静なCEOとは、とても同じ人間とは思えない——震える、幼い少年のような声だった。
◇
黒崎の別邸。夜、瑞希が珍しく硬い顔で、朔夜を呼んだ。
蛍が眠った後の、二人だけの居間だった。
「……ねえ、朔夜。一つ、約束してほしいことがあるの」
「約束?」
「蛍のこと。……これから先も、ずっと、一緒にいてあげてほしいの。あなたが、あの子の、一番近くにいてあげて」
「……そんなの、当たり前だろ」
瑞希は小さく笑い、そっと小指を差し出した。
「うん、ありがと。……でも、ちゃんと言葉にしたかったの」
「……わかった。約束する」
朔夜も小指を差し出し、結んだ。
——数ヶ月後、母は、死んだ。
簡単な葬儀だった。小さな祭壇に、遺影が一枚。
蛍は、ずっと、泣いていた。
「……お母さん、どこ行っちゃったの? 帰ってくるよね?」
誰も、答えられなかった。朔夜は、六歳の妹の手を、ただ、握っていた。
そこへ、黒塗りの車が、止まった。降りてきたのは、宗玄だった。
朔夜の手を握る少女を、一瞥する。
「……宗明か」
宗玄はそう呟くと、朔夜の腕を強く引いた。
朔夜は蛍の手を離すまいと、必死に握った。
「——待ってください!! 蛍と、一緒にいたいです!!」
有無を言わさぬ冷たい目が、朔夜を突き刺す。
「……私に必要なのは、お前だけだ」
繋いだ手を、引き離される。
「蛍!!」
「お兄ちゃん、連れて行かないで!! 嫌だ!! お兄ちゃんっ!!」
黒い車に、押し込まれる。窓の外で、蛍がまだ、叫んでいた。声が、だんだん、遠くなっていく。
その声だけが、いつまでも、耳に、こびりついて離れなかった。
◇
「……ごめん……ごめん、な……」
朔夜の唇から、掠れた声が漏れた。陽人は、しばらく、その顔を見ていた。いつもの、感情を見せない朔夜とは、まるで違う。苦しそうに、何かに追い詰められているような、そんな表情。
起こすべきか、迷った。だが、そっと布団の脇に膝をつく。
「……朔夜さん」
起こさないくらいの小さな声で囁く。
「……わからない、けど。……その人は、もう、あなたのことを、許してると思いますよ」
言葉にしてから、自分でも、随分と勝手なことを言った気がした。それでも、なぜか、言わずにはいられなかった。
その呟きがまるで聞こえたかのように、朔夜の呼吸が、少しずつ落ち着いていく。うなされる声も、やがて止んだ。
陽人は、しばらくの間、寝入った朔夜の横顔を見つめながら、四年前、目の前に現れた日を思い出していた。
——それまでずっと、冷徹な人なのだと思っていた。
けれど、違った。
そうしなければ、一人で立つことすらできなかったのだと。
かつて自分に火を点け、追いかけたその人は、自分の知らない暗闇の中で、ずっと途方もない重いものを抱えているのかもしれない。
ただ一つだけ。
この人は、最初から強かったわけではない。




